将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:私の履歴書

 こうして8月になりました。

12080101120801022012/08/01 05:46また新聞が入ると「黒書院の六兵衛」を読みます。なるべく折込チラシもすべて目を通すようにしています。いやむしろ、新聞そのものを「読まなくちゃいけないよな」なんて思いで、無理に開いているところもあります。
 しかし、この小説はしっかり読み込んでいかないと、私では分からなくなりますね。いや「この小説は」ではなく「この小説も」なのかもしれません。

<あらすじ>六兵衛は大枚をはたいて御書院番士の株を買った金上げ侍のようだ。・・・。

 やっぱりこの小説を毎朝かかさず真っ先に見て読んで行くことだけが私にできることのようです。
12073104 今日からの「私の履歴書」が君原健二さんです。今日は「マラソン人生 『走った距離 地球4周分 五輪3度、全レース完走誇り』」です。
 うん、この人のマラソン人生を知るのもいいかもしれないと思ったものです。

 今日もしっかりやっていこうと思いました。

 どうしても日経新聞は手に取ってみるのがいいです。ガラパゴスでは、まだ私にはなじめません。

120515012012/05/15 06:01やはり最初に最終面の「浅田次郎『黒書院の六兵衛』」を読みました。読んでみて、「そうなんだ」と思いました。私は官軍といえば、薩摩や長州兵が京都とから歩いてきた(実際には本隊はそうなのですが、この小説のは先発隊なのです)と思っていたものでしたが、最先頭はこうなのですね。
 今この小説の挿し絵をデジカメで撮りました。でもこれも、ものすごく大変なのです。あとでこれを、ここに添付します。あ、それと私のパソコンには画像がもうないんだ。またとってこないとなりませんね。
 また桂三枝の「私の履歴書」も読みました。興味深いですね。
 それから、その隣の「石崎真葵政『一葉の世界生きる人形』」も非常に興味がわきます。でも私は『たけくらべ』の美登利はよく思い出せますが、『十三夜』も『にごりえ』のお力は思い出せないのです。

 樋口一葉の小説の内容が思い出せないなんて、情けないなあ。
  写真は、ここに書いた「浅田次郎『黒書院の六兵衛』」の挿絵をデジカメで撮りました。

 昨日の日経新聞の32面の蜷川幸雄の「私の履歴書」を読みました。涙こそでませんでしたが、どうしても「むなしいな、悲しいな」と思いました。

 1972年が明けると、連合赤軍のリンチ殺人が社会に衝撃を与える。

12042311 ほんとうにその通りでしたね。いわゆる新左翼(と言っていいのかなあ)には、銃で武装したはずの赤軍派は何故か頼もしい思いがしたのです。理論的な内容などないに決まっていましたが、数々の国家の暴力に打ちのめされていた私たちには、何かがあるように思えたのです。
 でもでも、連合赤軍の事件はものすごい衝撃でした。
 なにかあるはずのものが、まったく何もないどころかひどいもので、私たちは打ちのめされたと思うのです。

「櫻の樹の下には屍體(したい)が埋(うづ)まつてゐる!」という梶井基次郎の言葉に、連合赤軍の屍(しかばね)をこえていく思いを重ねた。

 でもそんなことはありえず、そして誰もがそのまま今につながっているのです。私は就職するのには、ものすごい数(102社受けて101社目に受かったのは私の30歳のときでした)の会社を歩きました。履歴書は印刷しました(ただし、これが印刷物だと見抜ける人は100人に一人くらいなものでした)。

 この蜷川さんのを読みまして、はるかな昔を思い出していました。

12042202 こうして、これでUPします。

2012/04/22 17:42今「笑点」を見始めました。いつもこれが見られるのがいつもいいですね。
 やっぱり笑っていました。
2012/04/22 18:20今日2012年4月22日の日経新聞の最終面32ページが、「文化」が馬場あき子さん、「私の履歴書」が蜷川幸雄さん、「欧人異聞」が樺山紘一さんで、私は朝読んだときに、「どれも面白いな」と思ったものでした。
 あとで、この3つの読み物を私の思いで書いて行きたいと思っています。

 このあと、この3つの記事のことも書きます。思えば、今日はおはぎ家族5人が来てくれて、それにブルータスがケータイメールでじゅにの写真をくれているのですが、私のケータイメールは今は駄目なのですね。

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 きょうは水天宮で戌の日で、祈ってきました。

2010/05/24 05:05このポメラをパソコンがなかなか認識してくれなくて困り果てています。これほどのことは初めてのことです。
2010/05/24 05:23まだ繋がりません。困りました。
2010/05/24 07:14今日の日経新聞の「私の履歴書」の河竹登志夫さんのきょうの「ハムレット研究」はいい内容が書いてあります。でも今、ここに書いてもインターネットには入れられないので(なぜか今はそうなのです)、またあとでパソコンで書きます。なんだかおかしいな。
2010/05/24 07:53東京都が出生率が一番低いんだ。でも私にはどこでも子どもを見かけるけどなあ。歩いていると、どこでも子どもが気になります。まずは私の孫が一番私には可愛いです。いつも孫のこと、3人の孫のことと、今度生まれてくるブルータスの子どものことを考えます。今もその子を思います。
2010/05/24 13:49今水天宮に向かってます。今は上中里です。ブルータスの初めての子を思います。私の4番目の孫です。このことをケータイメールと手紙で知らせます。あ、お義父さんとお義母さんにも知らせます。帰りの秋葉原のヨドバシカメラであるソフトを買います。
2010/05/24 14:07久しぶりに日比谷線に乗ります。いつも堀ちゃんを思い出します。ああ、彼ともっと飲んでおきたかったなあ。いつもおなじことばかり、思っています。
2010/05/24 15:05もう帰りの秋葉原駅です。ここももうあちこち歩かなくなりましたね。 さて家に帰っていくつかやりましょう。
 やはり、王子にいると実になにもかも便利です。
2010/05/24 15:15前には電車の中で本を読んでいたものでしたね。でもなんだか今は違ってきました。なんとなく、今は読むより、読んだ記憶を出していきたいな。そうしたほうがいいです。

 ブルータスの子も丈夫な子が生まれます。4人目の孫です。

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 今月2009年3月の日経新聞の「私の履歴書」が、女優の香川京子です。その3月11日が、「原節子さんに尾道熱狂─小津監督から感情表現学ぶ」でした。

 この映画で私が一番うれしかったのは、あこがれの原節子さんと初めてご一緒できることだった。尾道の旅館で、原さんのお部屋にしょっちゅう遊びに行き、お話した。夜はみんなで食事をした。暑い季節だったので原さんもビールをおいしそうに召し上がっていた。私はもっぱら皆さんの話の聞き役だった。

 この「東京物語」を私は何度も見ています。やはり、私はいつも原節子が見たくて、この映画を見ています。
 でもいつも思うのですが、原節子は小津監督とどうして結婚しなかったのかなあ。
 原節子さんは、今も北鎌倉にお住みです。鎌倉へ行くたびに、ひょっとしたら会えないものかなあ、なんていう思いばかりを抱いています。

 この「私の履歴書」は、全文抜き書きしたくなる思いです。どこも私には、大切な文ばかりです。私の印象に残るところばかりです。

 小津監督はお酒が好きで、いろいろお話してくださったが、ある時「ぼくは、あんまり社会のことに関心がないんだ」とおっしゃった。私は「ひめゆりの塔」に出て、女優も社会のことに関心を持たなければいけないと自覚したばかりだったので、ちょっと不思議に思った。
 しかし何十年がたち、小津監督の語録に「人間を描けば社会が出てくる」との言葉があるのを知った。深い考えから出た言葉なのだと、ようやく納得がいった。

 この香川京子さんの「私の履歴書」は、あとで本になるのかなあ。すぐに手に入れたい思いがします。

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376eb719.jpg 日経新聞の朝刊の最終面の「私の履歴書」が、今月は歌人の岡井隆さんです。もう最初から読んでいまして、でも毎日のことだから、一回読んだだけではなく、何度も読まなくちゃという思いで、翌日になると、切り抜いています。
 今は昨日11日の、「教育制度の改変」を切り抜きました。
 いやすべて、いくつもこれについて書きたいことがあります。でも書けていないのが私の現状です。
 この岡井隆さんという歌人は、私は吉本(吉本隆明)さんの『抒情の論理』で知ったかと思います。だから私は23歳くらいで初めて知ったのですね。そのときは、「ああ、こんな馬鹿な人がいるんだなあ」という思いでした。
 でもその後30年以上が過ぎて、改めてこの方の著作を読むようになりました。そして、この方の優れたところをいくつも知りました。そしてそれはまた最初は吉本さんによってです。吉本さんも今は、この方をかなり評価しています。また岡井さんも、随分変わったように私には、思えます。
 やがて、この「私の履歴書」で、吉本さんとの関係を、どう書いてくれるのかが一番の愉しみです。
 それと、この岡井さんの最近の写真も見ました(最初の「短歌作り60余年」に著者の写真があります)。もうただ、「いいお顔しているんだなあ」と思ったばかりです。

08050106 今朝の日経新聞を手にしましたら、最終面のきょうからの「私の履歴書」が谷川健一さんです。
 昨日までは扇千景さんでした。私は女優としての千景さんは大好きでしたが、国会議員になった彼女には少しも興味がなかったので、この「私の履歴書」もちゃんと読んでいませんでした。

 谷川健一さんのことを考えると、まずは当然に弟の谷川雁のことを考えないわけにはいきません。でも谷川雁に関しては、私はその著作はほんの少ししか読んでいません。そして今後も読むことはまずないでしょう。
 でも谷川健一については、彼の著作はいくつも読んでいます。それで、ここに書いてあります柳田国男への彼の思いはよく判る気がしました。
 思えば、私も柳田国男を読み始めたのは、中学2年のときで、その後高校生になっても、「柳田国男全集」をすこしづつ読んでいたものでした。私には判らないながらも、とにかく、ものすごい巨人だ、という思いは柳田国男への感じ方でした。
 このきょうの「私の履歴書」の最後に次のようにあります。これが柳田国男への健一さんの思いを考えて、ものすごく印象的です。

 当座は不運と見えたものが長い目でみると、むしろ好運だったと思う場合が少なくない、この年まで生きながらえると、人生は最後まで勝負の決まらないマラソンのようだとつくづく思う。

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 私のこのブログにはアクセス解析がついています。それを見ると、このごろ私が書いています「まねきTV裁判」関連でおいでいただく方が多いのですが、実は圧倒的にここにおとずれてくれる方が多いのは、「日経新聞 青木昌彦 私の履歴書 姫岡玲治」というようなキーワードのいくつかの組み合わせでなのです。もうこれには驚いてしまいます。私は、量的にもたいして書いてはいないとしか思えないのです。
 私は 青木昌彦の「私の履歴書」で、次のように書きました。

実際に毎日読んでいきますと、予想した通りではあるのですが、新聞で読むというのは大変に面倒です。できたら、インターネット上で読みたいと思いましたが、見当たりません。前には、どの新聞の記事も有料で読めるサービスがあったのですが、今はそれにどうアクセスしたらいいのか判りません。

 それで、昨日やりましたら、私はniftyで、新聞記事情報を取得していたのでした。何故か、niftyのパスワード等も自然に指が覚えていて、入ることができました。でも今判ったことは、niftyでは、今は日経新聞は記事を見ることができないのですね。
 私が以下にUPしているものですが、

   http://shomon.net/seikei/baburu.htm  バブル再考の再考

 これは、私は1992年9月に、「マネー問題研究会」というところが日経新聞に書かれていた論文を、私がこのniftyでダウンロードして、私が少し能書きをつけて、当時の私が属していたパソコン通信ネットにUPしたものです。でも、全部UPできていないのは、実は私のパソコン内のものが欠けている部分があるからなのです。だから中途半端なままです。
 でもあの頃は、日経新聞もこうして有料で読めていたんだなあ。今もできるんだろうけれど、もうどうしたらいいのか判らないのです。

 それで、この青木昌彦さんの「私の履歴書」は読んでいて、「ああ、この部分について、私の思いも書きたいなあ」と思うところが多々あるのですが、なかなか実際に書けないのです。
 でも今朝の青木昌彦「私の履歴書」第14回で、最後の部分を引用します。もう、「いいなあ、これが左翼の仲間だよなあ」と思ったものです。

 夏の終わりにやっとビザが下りた。六四年の八月末、羽田空港には島成郎、生田浩二、唐牛健太郎、西部邁らブント時代の仲間が総勢三十人前後も見送りに来てくれた。思えば、そこは四年余り前に我々が根こそぎ現行犯逮捕された場所だ。お互いそのことは胸に秘め、飛行機が離陸にかかると、空港ビルの屋上で大きく手を降り、叫んでいるブント勢に別れを告げた。

 私は、島成郎、唐牛健太郎、西部邁さんとはお会いしたことがあります。でも唐牛健太郎さんも、島成郎さんももう亡くなられましたね。
 でもこうして、あの時代、こうした前の左翼仲間が渡米を送りに来てくれたというのは、いいことだなあ、と感激します。もう立場はみな違うのでしょうが、それでもこうして昔の仲間をみんなで送るのです。こうした感じは、私の時代に学生運動をやった仲間も同じように思います。ただし、やはりいわゆる全共闘時代というのは、少し感じが違うかなあ、と思いました。私は、日大全共闘も、東大全共闘も好きでしたが、どうしても少し違うかなあという気がしてきました。やはり全学連というのが、何故かいいのかなあ、という気がしてきました。
 全学連と言っても、社学同やマル学同中核派や社青同解放派(あと社学同ML派と社青同国際主義派も)とは、私はどうしても嫌でしたが(私は反共を強く唱えていました)、全学連というのが(その頃は三派全学連でしたが)よかったのかなあ。

 今後も、この青木昌彦さんの「私の履歴書」を読んでいきます。

 青木昌彦の「私の履歴書」へ

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201808060175fbddc4.jpg 日経新聞の最終面の「私の履歴書」が10月1日より、青木昌彦になりました。私はこれを最初に見たときから、「オッ、ひさしぶりに読めるなあ」という思いを抱きました。
もちろん、経済学者・スタンフォード大教授としての文章なら、他でも読むことができますが、この「私の履歴書」である以上、彼が姫岡玲治というペンネームで書いていた論文についてのことも、その頃の思い出も書かれると思ったものです。
その頃の思い出とは、60年安保闘争での全学連を指導したブンドのことを書いてくれると思ったからです。実際に毎日読んでいきますと、予想した通りではあるのですが、新聞で読むというのは大変に面倒です。できたら、インターネット上で読みたいと思いましたが、見当たりません。前には、どの新聞の記事も有料で読めるサービスがあったのですが、今はそれにどうアクセスしたらいいのか判りません。とりあえず、まずはこの日経新聞の「私の履歴書」を興味を持って読んでいるということを書いておきます。
思えば、社学同の「理論戦線」にあった姫岡玲治の文章を読んだのは、いつのことだったでしょうか。今は我孫子の自宅ではないので、この「理論戦線」も手にすることができません。
実は、先週のある日、ある会社の社長が、この日経の「私の履歴書」を手にして、私に語りかけてきました。彼は私より一つ上ですが、昔京都にいて、この青木昌彦さんとは接触があったようです。私もちょうど毎日この文章を読んでいるところでしたから、思えば私たちの世代にも、姫岡玲治−青木昌彦は、かなりな存在感があったものだと思いました。

青木昌彦の「私の履歴書」の2 へ

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