将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:私の母

13071702 今度の7月21日は私の母萩原たか子の7回忌です。私の母は

2012年07月29日「周の萩原たか子への手紙」のログです

の最期のログにあるように、2007年の8月14日に89歳で亡くなりました。
 だから正確には7回忌はもっと後なのですが、我孫子湖北正泉寺の都合でこの日になりました。
 毎年お墓には詣でています。
 今年は、私の兄莞爾家族6人、私周二家族7人、弟正志家族7人が集ります。ただし、私の次女ブルータスの家族3人は参加できません。昨日電話で大変に残念がっていました。まだ孫のじゅにが小さいので大事をとったのです。だからまた私たち家族7人で君津市の自宅に参ります。

12060406「鬼のパンツ」「てるてる坊主」の二つの歌を私の将門WebにUPしたいと思いました。
  今私の孫のポコ汰とポニョは私の娘長女おはぎと一緒に上野動物園へ行っています。たしか、丸3年前に、ポコ汰を迎えに上中里の駅を上る階段の所まで行ったことを思い出します。
 私の次女ブルータスが保育園の遠足の時、私の母が行ってくれたことを思い出します。もうはるかな昔のことですね。

11080903  まだ東京駅です。まだ出発しません。 たぶん15時23分出発です。
  思えば、遠いけれど、私の母が昭和25年4月に私の弟を秋田市黒塀土町で産むときには、私の祖母が茨城県佐貫から来てくれていたのでした。たいへんだったでしょうね。

   私はじゅににいっぱい話すんだ。「じいじも一生懸命やったんだよ」。あとじゅにとお風呂も入りたいな。でもポニョともポポともはいっていない。ポコ汰とは入ったけれど覚えていないだろうなあ。
  そういえばブルータスとは、たしか小学校5年のときに、「もうパパとお風呂には入らない」と言われたのです。ものすごいショックだったなあ。
  そのあとは、温泉に行っても、私はいつも一人です。

 ちょうど1年前の1月のことでしたが、私は私の従兄弟のお葬式へ行っていました。私の母の兄の長男です。彼の身体の具合が思わしくなく、一昨年の3月に、私の兄と弟と3人で、弟の運転する車で訪れたものでした。
 思えば、私が最初に会ったのは(いえ、たぶん赤ちゃんのときにも会っているのでしょうが)、札幌から名古屋に引越しするときの小学校2年の3学期のときでした。その後は夏休みに何度か会っています。
 私が大学へ入って北浦和に下宿するときにも、車で手伝ってくれました。思えば、あのときは私の持っている本で私の傾向が判ったかもしれませんね。「なんだか、反日共系のような本もあるが、どう見ても右翼のような本もあるな」と感じたことでしょう。
 私が広告の制作会社にいたときにも私の作った制作物を手にして、「あ、でも周二はこれで何しているの? あ、でもそう聞いても、聞くほうが判っていないんだよな」なんて言っていたものです。
 でもずっと百姓を貫徹していました。でも実は県会議員も長く続けていました。自分の死を予測し、その予定を考えて明確に生活をしている人でした。
 葬式のときに、彼のいくつもの思いを思い出していました。
 もう私からは遠く遠く去って行きました。私の母とは会っていてくれるかなあ、なんて思っています。

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 26日には、またゴトさんの図書館へ行っていました。15インチのディスプレイを2台届けました。最初は手で持って行こうと思いましたが、あまりに重いので、タクシーにしました。そのタクシーの運ちゃんとの会話が愉しかったです。

2009/08/27 10:52もうずっとポニョが泣いていましたが、お母さんが来てくれて、今は抱かれて眠っています。じいじでは大変ですね。私の娘のおはぎとブルータスをいつも見てくれていた私の父と母を思います。実によくやってくれていたのですね。ブルータスの泣くことったら、このポニョどころではありませんでした。

 私の母は、私の弟の二人の娘もみていました。全部で5人をみてくれたのでした。私はまだ2人なんです。
 あ、もう1台のディスプレイをゴトさんに送りますが、ケーブル等を探さないとなりません。

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dd2889b5.jpg 毎日義母をみていて、思えばいつも「大変だなあ」とばかり思ってしまいます。私よりも、妻のほうが大変なことだろうと考えております。でもときどき、「それなら、お母さんをどこかに預けてみればいいのに」という考えを聞くことがあります。そのように言われることを、妻と今朝話していました。妻と話したのは、私たちには決してそんな考え思いはないのだということです。
 私の兄夫婦は、私たちの母の介護をずっとやっていてくれました。でもかなり大変だったと思います。その中で、私の母を介護施設に預けようかという話がありました。私も妻もそれについては何もいえません。私たちはただ、話を聞いているしかないのです。とくに私たちは、我孫子を離れ(これは当初は一時のつもりでした。だから住所移転するにも3年後になったものでした)ることはしませんでした。でも王子の家にいつも住んでいたのでした。
 そのときに、私の長女おはぎが、「おばあちゃんを施設に入れるというのなら、私が教員を止めておばあちゃんのことをみている」と言い出したのでした。これは強烈な主張でした。
 このことは私たちでは言えないことでした。ために、母をどこかの施設に預けるということはなくなったのでした。
 思えば、私の長女もそして次女も、あんなに強く優しい娘になったのも、それは私の母のおかげであり、そして私の義母のおかげです。もちろん、私の父、私の義父のおかげでもあります。私たちはけっしてそのことを忘れません。
 そして今も残っている義母のことは、私の父母と私の義父のことを思い出して、これからも私と私の妻のそばで一緒に暮らしていきます。そうする私には、いつも母の声が聞こえているのです。「お前、あのお母さんに嫌われているんじゃないだろうね」。私はいつも応えています。「そんなことないよ。いつも同じように接しているだけだよ」。私はただ自分の母の言うことにうまく応えられるようにしていくだけです。
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87f3459f.jpgこの画像のA4チラシを置いていきました。私はこの時間に来るのには、「あ、宅急便だと変だな(それはいつも午前9時少しすぎに来てくれています)」と思ったら、若い警察官の方がこのチラシをくれたのです。
 私は警察官が来ると、いつも少し緊張します。「あ、でも義母はちゃんとデイに行ったし、俺は今は別になにもないしなあ」。私は我孫子でも、御茶ノ水でも1年に一度ほど警察の調査を受けてきたものでした。ご苦労なことです。
 でもこうした振り込め詐欺というのは、許せないなあ。「こんな詐欺にひっかかるわけなんかないじゃないか?」と私たちの年代が思う気持は判るのですが、でもでも、もっと今後歳をとっていく私たちです。
 私の母が、今から4年くらい前に私が我孫子の家に行きましたら、ちょうど義姉がいないのか、私の母が二人の女性に署名をさせられようとしていました。私は大事な方の用件だろうと思いまして、「あ、今の母では、よく訳が判らないですから、私が変わりますよ」と言ったのですが、何故かその二人の女性は帰ってしまいました。
 すぐに、義姉が帰ってきて、「ああ、周二さん来てくれていたの」ということで、私が目の前に起きたことを話しました。「でもあの人たちいなくなっちゃったんだ」といいましたが、あとで考えれば、このチラシに書いてあるような詐欺のもっと古典的な姿だったろうと思います。
 やがては、この私もひっかかるようになってしまうのかなあ。私の母は、実にしっかりした強い女でしたが、老齢にはかてませんでした。実に怖いことです。今の義母でも対応できないでしょう。私たち、少しでもしっかりしている人間が対応すべきです。

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 私は常にパソコンにつけている、『HD-PL250U2』をXドライブ、『SHD-U16G』をZドライブにしています。それでポメラのSDもドライブ名を変更することにしました。今はIドライブになっていますが、もう一つのノートを使うときも常に同じになってほしいのです。
 それで、でも私は簡単にできないので、以下を参照しました。私が昔書いておいたものです。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/50979143.html
     周の使うソフト・システム「ドライブ文字を変更する」

 しかし、実は私はこれがどこに書いてあるか判らなくて、グーグル検索で自分のこのページを見つけたものでした。なさけないけれど、仕方ないです。そして私は自分がこういうふうになるだろうと、これをUPしておいたものです。たぶん、自分で簡単に判らなくなっても、書いておけば、グーグルで検索できるだろう、と思っていました。
 私は、「ドライブ名を変更する 将門Web」で検索して、自分のこのブログに書いておいた箇所を見つけました。
 このときには、私の母が我孫子のつくしの病院に入っているのですね。ここの画像を見て、すぐにそのことを思い出していました。
 かくして、Yドライブが私のポメラのSDになりました。もちろん、ノートパソコンでも同じことをやります。

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c524f37a.jpg 現在王子のこの家は、下水管の工事で大変です。きのうは、下水管を通す部屋の整理をしていると、義母は引越をするのかと勘違いをしています。思えば、義母も、私の母と同じで、日本中をあちこち引越して回ったものなのですね。(9/17)
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 私の次女は、今回の自分の祖母である私の母が亡くなった時に、ちょうど新婚旅行でハワイへ行っていました(あ、今も行っています)。だから、お通夜も告別式も参加できませんでした。だから16日に彼と二人で、祖母にお別れをいいに来てくれていました。
 母は孫が女の子ばかり5人でしたが、この一番年下のブルータスのことが最初はとても気掛かりだったと思います。保育園にずっと送迎していてくれて、そのあと小中学校もずっと学校から帰ってくるのは、祖父母の家でした。ここで、夕飯を食べまして、その頃帰ってくる妻、自分の母親と帰宅します。これをずっと続けていたのです。
 だから、祖母のみでなく、私の義姉も私の二人の娘には、同時に自分の母でもあったのです。
 でもこの私の次女は、母や父にはとんでもなくきかない子でした。祖父母はいつも保育園に送迎して、その現場で、実にきかない、男の子にも決して負けない(これは暴力で負けないということ)次女を見てきました。だから、私の母はいつもブルータスのことを心配していました。「人に噛みついちゃ駄目だよ」「人をペチンしたら駄目だよ」といつも言い聞かせてくれました。
 もう私はいつも、「この子はどんな子になっちゃうんだろう」と心配していました。でもそんな心配をしていた私に、義姉は「大丈夫よ、ブルータスちゃんもとってもいい子よ」と言ってくれていたののです。
 義姉の言うとおり、あんなにきかない子どもだったブルータスも実にいい子になっていきました。みな、ブルータスを見ていてくれたたくさんの方々のおかげです。
 そんなことを、これからブルータスに手紙を書きます。彼女をいつも心配してそして実にいつも可愛がってくれていた私の母のことを書きます。

 思えば、私の二人の娘には、5人の母がいてくれたのです。二人の母と、私の母と、私の義母と私の義姉で4人です。そして二人の5番目の母であるFさんです。彼女もいつも私たちの二人の娘を気にかけてくれていました。いつも二人には、実に面白いお姉さんだったはずです。
 そんなブルータスも教員として懸命に働き、そして結婚しました。長女のおはぎも、教員になり、そして結婚して長男ができました。
 たぶん、私の二人の娘には4人づつ子どもができますから、そうしたら、8人の孫に囲まれて、私の義母もFさんも一緒に喜んでくれているでしょう。そして私の母はそれを天国から見て、これまた喜んでくれると思っています。

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 私の母が亡くなりまして、21日の告別式が終わりまして2日目です。
 ここで、お通夜に来ていただいた私の埼大の学生運動での先輩Nさん、ありがとうございました。翌日22日にはIさんに、告別式に出席いただきました。私の母とは接したことがなかったかと思いますが、兄の挨拶で、母のことは少しはお判りいただけたかと思っています。それにメールやケータイメールでお悔やみをいただいた方、ありがとうございます。またさきほども、御香典を私のこの王子の家に届けていただきました方や会社の方、わざわざありがとうございます。私ども兄弟の申し合わせで、もう母のことは、知らせないで内輪で済まそうと話していたもので、私はインターネット上のブログでの広報のみでした。でもそれでも知っていただいて、わざわざありがとうございました。
 それと告別式のときに我孫子の斎場に時間的に間に合わなくて、それでも来ていただき、私の兄の家にお花を届けていただきましたFさん、ありがとうございました。私の義姉も実に嬉しがっていました。義姉はよくFさんのことを知っているのですね。それで、今度私の次女も集まれるときに、王子に来てください。王子のほうが、あなたの家にずっと近いものね。

 母の葬儀は、お通夜も告別式もすべていい式だったと思っています。母の真面目で、でもいつでも元気で快活だったところも顕れていたかなあ、なんて思っています。

 今後私の娘や孫の前で、母のこと、父の思い出も話すことがあるかと思います。

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55671d4a.jpg 私の母の葬儀で、母には「ありがとう」の言葉をいっぱいかけました。私の兄の孫が二人で、私の孫が一人で、きっとそのことも母は嬉しかったはずです。それにしてもきょうは涼しいのが嬉しいです。(8/23)
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6c919439.jpg 14日に私の母が亡くなりまして、きょう20日がそのお通夜です。明日21日が告別式です。それで本日のお迎えも、明日のお迎えも私の長女がやります。よろしくお願いします。母にいっぱいのお礼とお別れをいいます。(8/20)
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5328f3dd.jpg 8月14日午後1時46分に私の母たか子が脳梗塞のために亡くなりました。89歳でした。私の初孫を連れておばあちゃんに会いに行くと、長女が言っていたところでした。でも母はいわば大往生と言っていい感じでした。たくさんのことを思い出しています。(8/16)
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 私の母が亡くなりました目森一喜 さんから次のコメントをいただきました。

1. Posted by 目森一喜    2007年08月14日 20:48
 お悔やみを申し上げます。

 ありがとうございます。思えば、目森さんは私の母には会ったことがないんだねえ。私の学生運動での友人たちは、けっこう私の母とも、そういえば父とも会っていることが多いのですよ。そういえば、私の学生運動の関係の後輩たちとも、私はその親、とくにお母さんとは会っていることが多いですね。思えば、私のいた埼玉大学では、大学の学生課等の職員の方とも、私の両親はよく会っていますね。そして、私も大学時代のみならず、そののちも、よく会っていたものでした。
 今思い出せば、大学では各門のところの守衛さんたちとも何故か親しくなったものでした。これが思えば社会に出てからも、いつも守衛さんとかガードマンとかいう方々とも仲良くなれたことなのかなあ。どこへ行ってもさまざまな出会いがあったものでした。

 思えば、みんなから、「あなたのお母さんが一番思い出がある」と言われ続けたものでした。

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 きのうは、母の家に行きますと、母はもう穏やかな顔をしていました。もう暑い日ですが、身体はドライアイスに包まれています。母は化粧をして綺麗な顔をしていました。
 その母が夢に出てきてくれるのかなあ、と思っていましたが、そんなこともありませんでした。
 13日に義姉が行きまして、母の身体を1時間くらいもんでいたようです。母は目をあけたようです。おそらく義姉にはいくつもお礼の言葉を言いたかったのだと思います。
 私が母の家に着いたときには、葬儀屋さんとの打ち合わせが続いていました。またしても弟がよくやってくれています。母は私たちの隣でもうずとと穏やかな顔で眠っています。お化粧をして、母の顔は綺麗です。

 さて、葬儀屋さんとの打ち合せも終わって、兄弟3人と義姉・義妹で5人で打ち合せします。母の兄弟は4人ですが伯父・叔父はすでに亡くなっています。伯母は母より2歳上ですが、元気です。この母方の親戚3家と、父方の親族の総領に連絡することにします。私はもうパソコンを開いていたのですが、すぐに連絡先が開示できません。義妹が、「なんだ、何もならないじゃないの?」と言われます。義妹は私より2歳下だけなのに、なんだか驚くほど若くて40代前半にしか見えません。そして大変に美人です。でも彼女の言うのはいつも適確です。
 でも私は必死に頑張りまして、連絡先を見つけ、伯母の息子、つまり私の従兄にケータイ電話します。引き続き父方の総領の私の従兄の家にもケータイ電話します。私の弟も母の実家に電話します。
 あと、他の方々にどうしようかという話をしました。どうやら、決めまして、弟夫妻は次女が帰ってくるということもありまして、彼女を迎えに行きました。

 そのあと、私は義姉から食事をもらいました。この間、王子の家では、義母を長女が迎えてくれていました。私の妻は病院に行っていたのです。私は我孫子の自宅へ帰って、そこから電話しました。ようやく、午後8時すぎに、妻と電話で話せると、そこにはポコちゃんの声が聞こえます。ポコちゃんは大騒ぎしています。その声を聞いて、もう私は一安心です。
 私は我孫子へ行く際に部厚い本を読んでいましたが、この帰りの電車の中でも、もう一度読み直すことができました。チラチラと母の顔を思い浮かべながら、その「漢詩紀行」(昭和堂)という本を読み続けました。そしてもちろんいくつものケータイメールを出していました。

 思うのですが、私の兄弟親族が実に結束が固いです。よく協力しています。こんな兄弟親族を持った私は実に嬉しいです。

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 私の母である萩原たか子(大正6年10月21日生まれ)が我孫子市つくし野病院に入院中のところ、本日8月14日脳梗塞にて午後1時46分亡くなりました。母は享年89歳でした。
 通夜・告別式は以下の通りです。喪主は萩原莞爾です。

通 夜 8月20日(月) 18:00〜19:00
告別式 8月21日(火) 10:00〜11:00
会 場 アビコセレモアホール
     270-1166 我孫子市我孫子1−14−10
        電話 04-7165-4444 Fax 04-7165-6500
        http://www.machinavi.biz/abiko-ceremoa/
         (JR常磐線我孫子駅北口徒歩2分)

 なんだか、こうして母と別れてしまうのですね。

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 先週11日にお見舞いに行ったのですが、ずっと眠っていた母です。私はどちらの手も握ったのですが、握り返してきたような思いが私にはあります。でもとにかく、気持よさそうに眠っていました。
 たった今私の弟から連絡がありました。私の母たか子は、本日亡くなりました。詳しいことは、まだ判りません。義姉と義妹が病院に行ってくれています。
 私もすぐに行きたいのですが、私の義母のお迎えがあります。妻も自分のことで、病院へ行っています。私の長女・次女には連絡しました。
 とにかく、それらがうまく調整がつきましたら、私も我孫子の母の家に向かいます。
 思えば、私の孫を、「今度ひいばあのところへ連れていこうね」と言っていた矢先でした。

 このところ、母への手紙 も書いていませんでした。11日に母の枕元で話かけたことが最後になりました。

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a19c8291.jpg 義母はいつも自分の父母がどこにいるかということを聞いてきます。ときには「今そこにいたのに?」というふうに言います。今病院で眠っている私の母にも、その父母が訪れているのかなあ。祖父も祖母も実に大変な人生を送った人でした。そのことをよく思い出しています。(7/27)
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186f1375.jpg このところ義母の認知症が激しくなって来たような思いがあります。これは私の母を思い出していて、そう思ってしまうのです。ただ私の孫がいると、大変に可愛くてたまらないようです。孫もいつもひいばあを見ると笑顔を見せています。(7/26)
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e6bc5e89.jpg 義母のいうことで、私の妻も思い出せないような義母の故郷のことが出てくることがあります。こうしたことは、私の母にもあったことが思い出されます。たぶん、過去の思い出がどうしてか鮮明に思い出されてくることがあるのでしょうね。(7/24)
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2ca7783c.jpg 私の母が入院してもう3カ月を過ぎます。14日にお見舞いに行きましたら、ぐっすり眠っています。でも私の手を握り返してくれるのですね。母はいつも元気でした。私たち3人の子どもだけでなく、秋田犬を300頭ばかり、小鳥を数知れず優しく育ててくれていた母でもあります。今の私はただ、手を握っているしかできないのです。(7/16)
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77270380.jpg 次女に手紙を出しても、ケータイメールをして返事がこないから心配になります。でもこれは私の母も同じだったのでしょうね。まあ元気にやっているとは思いますが、心配にだけ思うものなのですね。こうやって、親は自分の子どもをただただ心配しているだけなんですね。(7/13)
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75e83e9a.jpg 昨日は私がいましたが、私の孫へは義母のほうがうまくやっているようです。よく義母のことを見て笑い続けている私の孫です。ひ孫に話しかけている義母を見て、私の母にも会わせたいなと思っていました私です。でもなかなかその機会がありません。仕方ないのかなあ。(6/21)
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85952103.jpg きのう夜帰ってきて、義母の「お帰りなさい」という声で大変に嬉しかったのだが、その後義母の言動にかなり困惑してしまった。どうしても自分の母親父親のことがうまく認識できていない。でも妻の対応に私は実に感激している。そのつど私は思うのだ。この妻と夫婦になって良かったな、と。思えば、私の父も私の母と結婚したことを、「良かったな」と認識できたのは、60歳くらいのときではなかったかな。もうすぐ産まれる孫の、私は実にいいおじいちゃんになるんだと、そのことばかりを考えている。
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fd21cf95.jpg やはり私の妻がそばにいると落ち着くようです。やっぱり自分の娘だと安心なのかな。でも私の長女でも大丈夫なのだから、やっぱり私では駄目なのかな、と少し落ち込みます。
 いや、これは私がちゃんとやり得ていないのだと反省します。私の母の声が聞こえてきます。「お前はあちらのお母さんに嫌われているんじゃないだろうね?」。私はその声にいつも応えています。「そんなことないよ」と。(11/17)
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