11121909 昨年11月3日に親友が急逝しました。彼と私は実に仲良かったわけですが、彼の身体のことを思って、私からは誘うことはありませんでした。私と彼が会うといつもきりがなく、昔だと延々飲んでいまして、どうみても彼の身体にいいことはあるわけがないからなのです。でもこうして、彼が亡くなって2カ月が過ぎても、当然彼からの電話があるわけではなく、なんだか彼の死の事実に何度も気がついている自分がいる思いです。
 今、もっと彼と会っていろいろなことを話しておけばよかったなという思いがふつふつと沸いてきます。私の遠慮もあったし、彼の遠慮もおおいにあったことでしょう。そう思うと、今後は私はなんか人とのつき合いを大事にしていきたいなと今痛切に思います。もう誰も失いたくありません。同時に、もう今までのようにやみくもに多くの人とつき合いたいなと言う気持もなくなりました。なんとなく自分の死がいつあるものか判りませんが、その自分の死のところから遡って、今の自分を考えようかという気持になってきました。その気持のときに、もう無駄な、余計なことはしていられないなということを強く感じるです。
 いえ、本当は「無駄なこと」とか「余計なこと」と思うことは大切なことのはずなのですが、今の私にはなんだかそう考える余裕がありません。自分で思い返しても私はかなりな数の方とさまざまに親交をもってきました。その親交をもっと強固なものとしていきたいのです。そして、どうでもいいような関係はもうやめていきたいと考えます。なんだか時間がない感じなのですね。
 なんだかいわばつまらいことを言っているようですが、昨年の末からいろいろな友人たちと会って話してきた内容がこのことです。「ずいぶん変わったな、あなたらしくないじゃないか」と言われたものですが、もうこう考えていくしかないなと私は思っております。