将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:秋田犬

15071202
 私は日本中をあちこちですごしました。秋田、札幌、名古屋、鹿児島、横浜、浦和、沖縄、船橋、我孫子、東京北区………等々です。私が好きなのは、秋田と沖縄です。
 そこで、この画像を載せます。15082602
 そして私の母は、私に「周二(しゅうじ)」ではなく「千秋(ちあき)」という名前をつけたかったようです。それで最初東京豊島区巣鴨から引越しした秋田に千秋公園(せんしゅうこうえん)という秋田城のそばの公園に驚いたようです。
15082601
 それと、この秋田から、私の家では秋田犬を飼いだしました。それが秋田から、札幌、名古屋(南区・千種区、北区)、鹿児島、横浜、我孫子と秋田犬と連れて歩きました。全部で200頭を超えていたでしょうか。
 でも思い出しても、いつも秋田犬のことばかりが頭の中に浮かんできます。

11030411  この作家は、1912年4月15日〜2004年5月1日の生涯でした。私はこの小説は中3の時に読んでいます。『秋田犬物語』『土佐犬物語』『かませ犬』も同時期に読みました。またこの作家の戦記物語小説も私の40代の時に読んだものでした。
 思い出せば、私の父が読んでいた小説を本棚から勝手に読んだものでした。私の家では秋田に住んだときから、ずっと秋田犬を飼っており、それを札幌、名古屋(ここは3ヶ所)、鹿児島と連れて歩きました。横浜、我孫子でも飼っていたものでした。たぶん、50頭を超えるでしょうか。
 秋田、札幌、名古屋南区、名古屋北区、鹿児島(ここでは2回生まれました)で子犬が生まれ、5匹から8匹の子犬と私たちも夢中になり、遊んでいたのを思い出します。
 この高安犬は山形県の犬で、マタギ犬(でも思えば、この「マタギ犬」のことも説明する必要があるのですね。今気がつきました)として使われていました。現在ではもう滅んでしまったようです。
 この作家の日本の犬に関する数々の作品が実に懐かしい思いがしています。またそのうちにこの作家の他の作品も紹介いたします。(2011.03.04)

4d587149.jpg

 この一つ前の「真理は遊学」で使った画像が、私が以下のように書いた犬のごんたの写真です。

帰りにエレベーターに乗ろうとしたら、ある美女に会いました。そこで彼女のケータイメールのアドレスを教え合って、彼女からメールを受取ました。
 いえ、彼女が自宅で犬を飼って、その犬の画像をいただいたのです。
 ここの画像が、その犬のごんたです。彼女がケータイメールでその場で送ってくれたものです。

 でもこの「ごんた」という名前は、私が何か犬の名前に使っていたことがありました。何だっけなあ。
 これで美女からのケータイメールで、この画像は生まれたての写真だそうです。
 ごんたという犬の名前はどこで使っていたのかなあ。
 思えば、私が3歳くらいのときから、ちょうど秋田市に住んでいたときから、犬とはずっと一緒に住んできました。
 思えば、秋田犬との付き合いがずっと続いたのでしたね。いくらでもたくさんの犬とも思い出が甦ります。野良犬との付き合いも甦ります。

 私はいつも、仲良く付き合っていた犬とは、あの世へ行ったら会えると、勝手なことを思っています。私が思い込んでいるだけで、あの犬たちは、私のことなんか忘れているかなあ。

db0617c5.jpg

「Hanabi in ながの・・★☆★」に、ナミちゃんから、次のコメントがありました。

1. Posted by なみんと    2008年11月29日 13:28
周さん〜今日は♪

冬の花火★よかったですよ。
新作が沢山ありました。この時期は花火の競技会が行われるようですね。周さん家族が昔住んでいらした秋田県大曲市の花火大会も寒い時期ではなかったでしょうか。

 私が3歳から6歳まで住んでいたのは、秋田市なのです。なんだか、たくさんの思い出が残っています。秋田では二ヶ所の家に住みました。最初のところは黒塀土町と言いましたが、今では、こんな町名は残っていません。2番目の家は、大きな家でした。この家から、私の家族は秋田犬を飼いだしたものでした。
 秋田の花火大会というのは、よく覚えていないですが、花火はよく父が買ってくれまして、よく小さい弟と二人で、どこかの公園でいつも大きな花火をあげていたものでした。それを実によく覚えています。
 いや、もっといくつもの思い出が甦えってくるものです。またそのうちに思い出してここに書いていきましょう。

続きを読む

2ca7783c.jpg 私の母が入院してもう3カ月を過ぎます。14日にお見舞いに行きましたら、ぐっすり眠っています。でも私の手を握り返してくれるのですね。母はいつも元気でした。私たち3人の子どもだけでなく、秋田犬を300頭ばかり、小鳥を数知れず優しく育ててくれていた母でもあります。今の私はただ、手を握っているしかできないのです。(7/16)
続きを読む

 私が 周の雑読備忘録「平山和子『くだもの』」 の中で次のように書きました。

 最初の中表紙はさくらんぼの綺麗な絵があります。最初の表紙も裏表紙もさくらんぼの絵です。私はさくらんぼって、こんなに魅力あるくだものだっていうことを今始めて知った気がします。(いえ、思い出したことがありました。またあとで書きます)。

「またあとで書きます」なんていいながら、忘れてしまいがちな私です。
 私が思い出したのは、この本のさくらんぼの絵を見て思い出したのは、たぶん昭和30年か31年の春(だから私は小学校1年か2年生)に札幌で、父が家族でいちご狩りに連れて行ってくれたことのことだと思います。
 目的はいちごだったわけですが、そこにはさくらんぼもたくさんあり、私がそのさくらんぼをいくつか手にしているときに、母がもっとたくさん手に持って父に写真に撮ってもらうように合図をしたことです。父はこの頃、かなりカメラに凝っていまして(いえ、もうなんでも凝る親父でした。なんでも凝るけど、すぐ飽きるのです。飽きないで長年やっていたのは秋田犬くらいだなあ)、そのカメラを向けてくれたのを思い出します。私の手には、いっぱいのさくらんぼが綺麗にあったかと思い出します。
 思えば、あのときの母の顔も鮮明に思い出します。母はまだ若かったですね。

 思い出せば、あの小さな頃は、いちごもさくらんぼもみな好きだったのに、なんでくだものが嫌いになったのかなあ。あ、そうか、くだものは酒のつまみにはならないからだ。ああ、なんというくだらない私でした。

0692b285.jpg

 周の一家は、ずっと犬と一緒に暮らしてきました。私が育った生活の中で、一緒に暮らした秋田犬は200頭を超えているでしょう。秋田市に住んでいたときにはじめて「剣光号」という秋田犬を飼いだしまして、その犬をそのあと名古屋、鹿児島と連れて歩きました。名古屋からは、この犬の妻である「秀峰姫」も一緒に歩きました。だから、家にはいつもたくさんの小犬も生まれていました。名古屋では洋犬も飼っていました。英国のコッカスパニュールという種類の洋犬が雄雌いました。この洋犬が、地面が冷たいためか剣光号の背中に乗って寝ている姿の写真が今もあります。可愛いんですよ。(そういえば、この名古屋では、我が家には小鳥も数種類、全部で50羽くらいいたものです)
 そして、我が一家はこうして日本中をあちこちと歩いたわけですが、なぜかあちこちで不思儀なほど野良犬との出会いがありました。なんだかいつの間にか野良犬が私の家に出入りしているのです。
 そんなたくさんの犬との出会いをここに記録しておきたいと考えました。(2002.11.18)

   http://shomon.net/garakuta/inu.htm  周の犬の話

 このところ、私の母が体調がよくなくて、入院しています。そこへ私は見舞にも行きますが、なんとしてもまずは手紙を書いています(ただもう母は手紙は読めないかもしれません)。その手紙に何度も、この私の一家が関係した犬の思い出を少し書いてきました。そうすると、「私の一家は秋田犬だけとの関係ではなかったんだな」ということに気がついてきました。それ以外の種類の犬とも、洋犬とも何匹かのつき合いがあるし、野良犬ともあちこちの街で知合いになったものでした。(2007.05.09)

続きを読む

↑このページのトップヘ