将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:秋竜山

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新聞名 図書新聞第2949号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2010年1月16日
読了日 2010年1月9日

 私はこの新聞は記事だけでなく、広告もよく見ています。どちらかというと、普段とっている新聞(私のところは日経新聞ですが)は記事下の広告や折込チラシの方がよく見ているものですが、この新聞も広告をよく見ています。だが、インターネット上では記事のバックナンバーは見ることはできるのですが、広告面は一切見ることができません。非常に残念です。
 だから新聞では記事よりも広告をよく見ています。
 今回は、秋竜山さんの記事がなくて、かなりがっかりでした。
 2面の記事下の広告にに中勘助の『銀の匙』の字が出ていたのでした。私はそれで蜘蛛業にこの本のことを書いていました。私にもいつまでも忘れられない作品です。
 でも思えば、この広告も実に大切ですね。これで見た本は本屋でも探すようになるものです。

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新聞名 図書新聞第2948号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2010年1月1日
読了日 2009年12月27日

 私は一面の写真と見出しを見て嫌になります。いえ、書かれている方は何も悪くないのです。私はどうにも山というところが好きになれないだけです。
「山から眺める地球の姿」ということで、雪におおわれた山の写真があります。
 私はもうすぐに震え上がって紙面をめくります。
 やっぱり秋竜山さんのところが私は落ち着きます。いつも私はここで紹介されている本は読むようにしてきたものでした。

評者◆秋竜山 はい、成功、の巻
No.2948 ・ 2010年01月01日

「天は自ら助く物を助く」という諺。有名すぎるほど有名だ。サミュエル・スマイルズ著、中村正直=訳/渡部昇一・宮地久子=現代語訳『自助論――西国立志編(上)』(幸福の科学出版、本体一二〇〇円)は、その有名すぎる格言から始まる。いったい、これはどういう意味なのか。あまり有名な言葉というものは、何も考えずにわかった気分になってしまうものである。なんとなく、わかったムードにさせてしまうからだ。そして、ある時、フッと考える。「ハテ? これはどういう意味なのか」。

 私もまさしく「これはどういう意味だ」と問いました。

〈今日本は、不景気だと言われ、何かにつけて政府から施し物をもらおうという気風があります。その中にあって自らを助けようという気概を持つ人が減れば、すでにスマイルズが150年前に指摘したように、国力は減るのです。また逆に、自助努力する人の数が多ければ、その国、その社会も栄えるのです。これは人間社会の変わらない鉄則であると思うのです。中村正直の訳は、殿様から扶持をもらうのを中心とした封建社会が終わった時、自ら立って生きるという道を示した北極星のような大きな導きの星であったのですが、近頃再び近寄ってきた爐上に頼る思想瓩涼罎砲△辰董同じ導きの星の役目をしてくれるのではないかと期待している次第であります。〉(本書、まえがき、渡部昇一)

「なるほどなあ」と思いました。渡部昇一さんは、私の好きな方でいくつも彼の本を読んできました。でもこの方から見るとすれば私なんかは駄目そのものだなあ。
 とにかく、私も自ら努力していこうと思っています。

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新聞名 図書新聞第2947号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年12月26日
読了日 2009年12月19日

 最初この新聞を手にして、読んでみて、そのあとインターネット上で読んでみます。そうすると私はインターネット上のほうが読みやすいのですね。なんでかなあ。
 思えば、本を読むのも電車の中のほうがいいですね。もっとも今は電車の中だとポメラを書いていることが多いです。
 でもそんな私の思いとは、違うことを書いているのが次でした。

評者◆杉本真維子 落ち葉踏みとペン

 最近、詩を手書きしている。これは高校生以来のことなので、じつに20年?ぶり、自分にとっては信じられないような大変化だ。これまで、キーボードを打つ10本の指先と文字が、キーボードを打つという生活と文字が、私にとって密接なものだったので、書く=打つという感覚は身体化されたものだった。また、手書きだと、推敲作業が大変だと思っていたのだが、その危惧がほどよい緊張感をうんで、かえって一度書きですぱっと、気に入ったものが出来ることもある、と知った。

 私は手紙も書きますが、和紙の手紙用紙にパソコンで打っています。手書きで書くなんて思いもよりません。そもそも字を忘れているしなあ。私は自分の名前も漢字で書けないことがあります。役所でなんか、実に大変ですよ。私は手書きの書類には、いくつも訂正印を押しています。羞かしいけれど、実に毎回苦労していることです。本当に手書きで書くのは、心の底から嫌でやりたくないことです。
 でもこんな詩人もいるんだなあ。

評者◆秋竜山 子規で生き生き、の巻No.2947 ・ 2009年12月26日

 NHKスペシャルドラマで「坂の上の雲」の正岡子規がいきいき演じられている。ドラマ上で子規が喀血した場面を観た。いわゆる子規の本格的な子規のはじまりではなかろうか。坪内稔典『正岡子規の〈楽しむ力〉』(NHK出版・生活人新書、本体七〇〇円)が出た。子規が身近になるだろう。私の子規のイメージは、病床の中で痛い痛いと転がりまわるといったものだ。つらいつらいイメージである。

 私は司馬遼太郎の「坂の上の雲」の正岡子規は、どうしてもしっくりこないのです。私にはどうしても違うイメージがあるのかなあ。
 私には漱石とのやりとり、漢詩で子規をいわばからかっているような漱石から見るイメージが子規なのですね。
 それにそもそも私は司馬遼太郎がそれほど好きではありません。といいましても、実にたくさんの作品を読んだものですが。
 でも司馬遼太郎なら読んでいるいる人が多いから、けっこう会話にはなるものですね。

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発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年12月19日
読了日 2009年12月13日

 どこを読んでもよく私には理解できないので、なんだか自分にがっくりきています。
 以下を読みました。

評者◆神山睦美 幸徳秋水の共苦と北一輝の怨望

 北村透谷が、自由民権運動にかかわって結局は挫折の憂き目にあったことは周知のところです。彼の内部生命とか他界といった観念には、この挫折した革命がうみだすルサンチマンと偏向ナショナリズムから、いかにしてみずからを防御するかといったモチーフが強くあったといえます。六八年から少し遅れて現れた北川透さんの透谷論などには、そういった視点が生まれつつあるのですが、六八年の渦中で書かれた桶谷さんをはじめとする土着情況論者には、そのあたり明確に区分けされていないきらいがあったように思われます。それは、北一輝については先駆的な業績とされる松本健一さんの『北一輝論』にも影を落としています。

 そうなのかなあ? 桶谷さんがそうだとしたら、「挫折した革命がうみだすルサンチマンと偏向ナショナリズムから、いかにしてみずからを防御するかといったモチーフ」なんて別にいらないのじゃないの。
 松本健一は何冊が読みましたが、今はもうありません。もう本を持っている気持も失せました。
 しかし、どうにも私には難しい話ばかりです。もう必死に読み込んでもいかないだろうな。

 いつも私は秋竜山さんの文章を読んでいて、そして感激しています。そしてまたそこに紹介してある本を私も手にとることになります。

評者◆秋竜山 いつの日かまた、絵物語、の巻

 三谷薫・中村圭子編『山川惣治――「少年王者」「少年ケニア」の絵物語作家』(河出書房新社、本体一六〇〇円)を読む。私にとっての山川惣治という活字名は、少年王者という文字がダブって見える。昭和20年代に心をおどらせて漫画雑誌と共に自分があったように思う。

 私は兄がいたからだろうが、昭和20年代の終わりから少年雑誌を読んでいたものです。思えば、まだ字が読めなかったのだなあ。

 〈「少年王者」や「少年ケニア」で知られる山川惣治は昭和二〇〜三〇年代を中心に活躍した絵物語作家です。密林のなかで孤児となった日本の少年が、仲間に助けられ、ともに闘いながら強くたくましく成長し、ついには王者となって森の動物たちの平和を護るという山川作品に典型的なストーリー……最も弱かった者が、苦難を乗り越えながら最強の王者になっていくという展開は、敗戦後の疲弊した日本人に希望を与え、立ち直る勇気をもたらしました。(略)〉(本書―はじめに)

 私は文京区の根津美術館で、ちょうど1年前の5月5日にこの山川惣治の絵を見ました。そんなはずはないのに、私には知らない絵のはずなのに、なぜか懐かしいのですね。それはたぶん、私自身がまだ字も読めないのに見ていた絵物語だったのでしょう。

 絵物語から漫画、そして劇画となるわけだが、アニメがその後に続くのか。そして、また、いつの日か、絵物語となるのか。

 私も絵物語から漫画へは行きましたが、そのあとは本を読むようになりましたね。そして今は本も読みますが、今後はキンドルのようなもので、読んでいくと思いますね。もう今では、私はこの図書新聞ですら、紙で読むよりも、インターネット上で読んだほうが読みやすいのです。
 昔は(というか、25歳くらいまでは)、縦書きにこだわっていたのですが、もう今はインターネット上でもパソコンでも横書きでいいのですね。

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新聞名 図書新聞第2944号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年12月5日
読了日 2009年11月28日

 また以下を最初に読みます。

評者◆秋竜山 歩くことはいいことだ、の巻

 以下には、充分うなずきました。

 ジェームズ・スベンソン著、弓場隆訳『扉の法則――希望と幸せに満ちた人生の扉をひらく50の鍵』(ディスカヴァー、本体一三〇〇円)では、まず、〈あきらめない〉ことが重要なことであることから始まる。〈重要なことは、あきらめないことである。〉と、いうことだ。本書も実に整理されて構成されているから、〈あきらめない〉で、読み進めていくことができるというものだ。セットク力のあるのは、やはり、有名な誰でも知っている人物によるヒトコトである。

 もう思えば、私なんか、あきらめていたら、何もない人生でした。何事にもあきらめなかった思いだけはあります。本を読むことにしても、この「あきらめない」ということが大事だと思います。はじめは読みにくいなと思う本も少し我慢する気持で読んでいくようにしてきたものでした。だが、ある瞬間、「これはまだ俺には読みにくいな」と思いましたら、すかさず読むのをやめます。そうしなければ、もう私は生きていけない思いなのですね。

 でも強烈に思うことは、この新聞も記事下広告もインターネット上のホームページで広報してもらえないかな。いや一般の新聞もそれはできていませんが、この「図書新聞」で最初に実現できたら、実にいいことだと思うのですね。今は、そうすればインターネット検索で、必ずヒットします。そうすれば、広告を出すほうににも、実に大きなメリットがあると思うのですね。
 この新聞も記事下広告は大事な資料です。のちになって思い出して、「あれは何だっけ?」と思い出しても、私たちの脳はもう回帰できないのです。それなら、インターネット上にその資料があれば、これほどいいことはありません。これまた個々人には大事な資料データベースになると思うのですね。

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新聞名 図書新聞第2943号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年11月28日
読了日 2009年11月21日

 最初に以下を読みます。いつものことですが、なぜかそういうふうになってしまいました。そしてそこで紹介してある本も読むようになりました。

評者◆秋竜山 老化だろうか、の巻

溝口徹『「脳の栄養不足」が老化を早める!』(青春出版社、本体七七〇円)では、老化はトシではなく、脳のせいだという。
 〈そもそも老化とは何かということについて、一応の定義をしておこう。医学的には、「年々歳を重ねていく加齢とともに、身体の臓器の機能が低下して、ホメオスタシスの維持が困難になり、死に至る過程」を老化としている。何やらさっぱりわからない、というのが大半の印象かもしれない。噛み砕いて説明すると、ホメオスタシスというのは生体恒常性のことで、身体の内部や外部に変化が起きても、身体を一定の状態に保とうとする働きのことだ。〉(本書より)

 脳がいわば老化していくと、歳をとったということなのですね。そしてそれがやがて死に至るのですね。死に至ったときに、脳と身体の停止が一致するのかもしれません。
 私にも、もうそんな彼方のことではないのですね。そんなことをいつも思います。

評者◆とよだもとゆき インターネット時代に新聞と記者のあり方を考えさせる――昭和の諸事件を見つめてきた記者たちの多彩な人生の軌跡現代史の目撃者 朝日新聞記者たちの昭和事件史上原光晴 光人社

 ここで、次を読みまして、少しだけ違和感があります。

 新聞をとりまく環境は、いま厳しさを増している。若年層の新聞離れが進み、広告収入の減少は経営基盤を揺るがしている。インターネットの普及でWEB上には情報が溢れ、わたしたちの情報源として新聞が果たす役割は低下しているようにみえる。
 しかし、新聞の存在意義が薄らいでいるわけではけっしてない。たしかに市民参加のインターネット新聞にも独自の役割はあるものの、情報の妥当性には疑問が付されるし、鳴り物入りでスタートしたものの、立ちゆかずに撤退したネット新聞もある。

 紙の新聞は次第に存在価値が薄れていくのは、もう必然なように思います。私も紙の新聞よりも、インターネット上でそのデータベースを読んだほうがいいです。ただ来年春から、日経新聞のインターネット版が開始されるようですが、これは従来の新聞の過去データベースとは違うものだろうと私は予測し、期待しています。
 たしかに、従来の新聞をインターネット上で読むのとは違うものができていくと思っていますね。そもそも私は新聞を紙で読むよりも、パソコンの画面で見たほうが読みやすいのですね。
 だから私は、「記者」は存在し続けるでしょうが、いわゆる新聞記者ではない、記者が出てくると思っています。当分は従来のフリーライターが活躍する場なのでしょうね。

 それで私は一面に戻ります。
 レヴィ・ストロースが亡くなったときは、新聞で知って、声をあげたものでした。100歳だったのですね。その彼に関する記事と彼の顔写真が一面です。

評者◆今福龍太 追悼 クロード・レヴィ=ストロース 世界の変容を直覚しつづけた頭脳

 『悲しき熱帯』で、文化の喪失を哀悼する甘美さと、搾取的調査者であることから免れない潔癖な負い目とともに回想されたブラジル。そのインディオの赤い大地は、蟻塚の林立する荒野でもあった。シロアリたちの群が土を円錐形に盛り上げてつくった塔のような蟻塚の内部に張り巡らされた稠密なサーキットを想像しながら、レヴィ=ストロースはそこに野生の頭脳が外在化されて屹立しているのだと信じた。彼は書いた。頭蓋骨という蟻塚のなかに収められた無数の神経細胞から成る別社会と、それに対してロボットのように働く私の肉体とのあいだの闘いに巻き込まれた争点こそが「私」である、と。私は存在するとしても、それはいささかも個人的なものではない。レヴィ=ストロースの「私」とは、主体化され特権化された個人が生きる世界にははじめから居場所を持たなかった。

 うーん、ちゃんと私も読んでいかないといけないな。思えば私は彼の本は書店で背表紙を見ているだけでしあtね。反省しなければなりません。
 サイト限定情報の

評者◆増田幸弘 ヤン・ライヒの思い出
評者◆杉本真維子 見ちゃいられないよ。

 これは二つとも、実にいい内容でした。私もいくつかのことを思い出し、そしてまた改めてここを読み返したものでした。

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新聞名 図書新聞第2942号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年11月21日
読了日 2009年10月14日

 どこを取り上げたらいいのか困りました。また秋竜山のところが目に入りました。

評者◆秋竜山 人間いろいろ、論語もいろいろ、の巻

 守屋淳『「論語」に帰ろう』(平凡社、本体七〇〇円)の、「帰ろう」も、「帰ろかな、帰るのよそをかな……」ではなく、「帰るべき」であろう。

いや読んでいるときは、もちろん一面から読むのですが、こうしてインターネットで書くとなると、別なところを読み出しているわけですが、でもこの秋竜山さんのところに紹介している本は著者名と題名を必ずコピーして、読むことになってしまいます。

評者◆山折哲雄 民俗学の系譜をたどりながら 「鬼」伝説の叢に分け入っていく――酒呑童子と坂田金時のテーマをとりあげた自在な議論の展開
鬼の思想 鬼哭と狂気綱澤満昭 風媒社

 鬼の源流を求めて、それが平地人に追われ山中に逃げこんだ先住民の裔だった、といったのが周知のように柳田國男だった。平原から掃討された悲運の民が、ときに里に出没して人をさらい、怪奇のふるまいをのこして、積年の憤気をふりまいたまま奥山に姿を消す。
 一方、オニはヒトの変化したもの、モノの凝り固まったもの、それがときに「マレビト」として出現し里人の心胆を寒からしめる、祝福と脅威のサインをのこして足跡をくらます、――そのように主張したのが折口信夫だった。

 ああ、そうなんだ、と今ただただ感心して読んでいました。次も「なるほどなあ」なんて声をあげたものでした。

 昔話の「桃太郎」では、周知のように爺さんが柴を刈るために、山中に入るところから話がはじまる。やがて桃太郎の誕生を通して、里に幸運がもたらされる。ところが昔話の「金太郎」では、怪童はまさかりをふるって巨木をさき巨岩を打ちくだいて、熊を手下にしたがえている。いってみれば桃太郎話は里山を舞台にしてくりひろげられるモノガタリ、それにたいして金太郎話は、奥山を縦横にかけめぐる怪童のモノガタリということになるだろう。金時説話が三輪山神話と同根の思想をあらわしているのも、山人社会の縄文的息吹きをよりいっそう強くのこしているからであるにちがいない。

 この本も読んでみないといけないなあ、という思いを強く思いました。

 サイト限定情報の以下も、読んでいて、ものすごくうなずいたものです。

評者◆増田幸弘 表現の自由???

 そう、こうしてインターネット上で何かを書いていると、とても嫌な不可解なことがあるのですね。

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新聞名 図書新聞第2941号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年11月14日
読了日 2009年10月7日

 一面で柳美里さんのインタビュー記事に引きつけられました。思えば私は彼女の作品はいくつも読んだものでしたが、今「いったい何を読んだのかなあ?」なんて思ったばかりでした。なんだか、読むのが少し辛い作品だったなあ。

評者◆柳美里 「自分が全く知らない世界のことを書く」時期がきた――作家として大きな転機になる2009年:柳美里氏インタビュー『オンエア』(上・下、講談社)をめぐって

 でもこのインタビューを読んでいて、「これ、私に読めるのかなあ?」なんて自分に不安になりました。もう私はかなり変わってしまったという思いですね。

 いつもこの新聞で秋竜山さんが書いている本を読んでいます。

評者◆秋竜山 欲望か、幸福か、の巻

 西成活裕『無駄学』(新潮選書、本体一〇〇〇円)を読む。無駄になるかならないか、なんてことを考えてしまう。
 〈無駄という言葉は日常使っている馴染み深いものだが、深く考えてみると難解で、きちんと定義することが難しい。冒頭に書いた通り、一見無駄に見えても、無駄でないようなものがたくさん考えられるからだ。無駄とは何かについて現時点でいろいろと調べた結果、私は無駄について一般的に論じている文献をほとんど見つけることができなかった。類書がない、ということも本書の早期出版を決意させた要因だ。おそらく無駄とは誰でもほとんど無意識のうちに「こういうものだ」と思っているものなので、改めて深く考えられてこなかったのかもしれない。〉(本書より)

 これもこの本を読んでから、いくつかのことを考えようと思いました。

評者◆杉本真維子 伝書鳩

 これは読んでいて、実に面白い文章なのですが、そしてもう私は彼女の文は好きなのですが(でも彼女の詩集は私にはよく判りません)ただ引用しようという部分が私には見いだせません。仕方ないなあ、という思いです。

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新聞名 図書新聞第2940号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年11月7日
読了日 2009年10月31日

 一面に以下がありました。

評者◆八木福次郎 エッセイ特集 全集と私――安い全集、今が買い時?

 私は昔から古書店で文庫本しか買ってきませんでしたが、でも兄の全集本はいくつもお世話になったものです。よく読みましたね。でも自分で購入する気持はありませんでした。とにかく面積も体積も使います。

評者◆秋竜山 江戸時代の声、の巻

で、この田中優子さんの本が紹介されていて、ただ私は読もうと思いました。

田中優子『未来のための江戸学――この国のカタチをどう作るのか』(小学館新書、本体740円)で、〈框と縁〉という項目があり、読んでいると、上がり框から、縁側から縁台から、江戸時代の声が聞こえてきた。

 うーん、そうだなあ、思い出してきたなという思いです。

茶の間との境は上がり框であり、ついたても、ふすまも障子もなかった。近所の人がやってきても家に上がることもなく、上がり框に腰をおろして話した。その声が江戸の人の声のように聞こえた。その時は、そんなことを一度も考えも思ったこともなかったのに、今になって思うと、やたらとなつかしい声であり、現代人の声とまったく異なっているように思えてくる。

 引っ越しばかりをしていた私の家ではどうだったのかなあ、と思い出していました。日本中を北から南から引っ越ししていたばかりでしたが、我孫子に作った自宅で、広い明るい縁側を作ったものでした。思えば、あそこでみーねえも、私の二人の娘も二人の姪もよく遊んでいたものです。ああ、あそこで私の二人の孫も遊ばせたいなと思いましたが、もう無理かなあ。

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新聞名 図書新聞第2938号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年10月24日
読了日 2009年10月16日

 一面の大工鉄弘さんが書いてあるのを見て、「あれ、俺はこの歌手は好きではないはずだなあ」と思い、「なんでだろう」と思ったものでした。

評者◆大工哲弘(聞き手・鈴木義昭) 働きながら歌っていた時と同じように――大工哲弘氏インタビュー 八重山の島唄の歌い手として

 それで読むのもなんだか避けているような思いでした。でも、自分に「ちゃんとよまなきゃだめだ」と言い聞かせて、最後まで読んでみました。
 この方は八重山の方ですから、沖縄が好きで、さらに私は八重山が一番好きですから、自分の気持のあり方が不可解でした。
 でも、以下を読んではるかな昔を呼び起こしました。

 戦後五十年という節目で、那覇市の振興課の主催で「トーク&ライブ」があって、筑紫さんがしゃべった。超満員でね。その時初めて「沖縄を返せ」を歌ったんですよ。中年層は手拍子をして歌ってくれたけど、若い人たちはもう何を歌っているのかわからなかった。「沖縄を返せ」は、六〇年代後半、安保問題とともに沖縄返還運動が全国的に高まっていく中で歌われた歌なんですね。僕も、その真っ只中にいた。そういう意味で、スクラム組んで歌っていた自分としても、残しておきたいと思ったんです。復帰と同時に誰も歌わなくなった。あたかも復帰したのが良かったみたいに、あの過去に帰りたくないというみたいに。あの日本中が揺れ動いた運動が何だったのか、誰も語ろうとしない。誰も歌おうとしない。「沖縄を返せ」という歌を歌ってね、若者たちにもう一度歴史の変遷を考えて貰おうと思ったんですよ。

 これは本当のことを書いていません。「若い人たちはもう何を歌っているのかわからなかった」のではなく、この「沖縄を返せ」という歌を拒絶していたのです。本当は若い人だけでなく、あの歌を唄わない人は多かったと思います。私も決して唄いませんでした。私たちの世代では日本共産党の人だけが唱っていたかと思います。
 ただし、一度だけ沖縄のいくつもの歌を載せてあるCDで、彼のこの「沖縄を返せ」を聞きましたが、愉快でないなあ、と思う私の耳に、この歌手は、最後に「沖縄を返せ」ではなく、「沖縄に返せ」と唄っていました。そのときだけは、私は不思儀にこの歌が私の身に染みるような思いになったものでした。

評者◆秋竜山 漫画記号論、の巻

 いつも感心して読んでいる秋竜山さんです。いや読んでいるうちに全文を引用したくなりました。それでは何にもなりません。

本書(大塚英志『アトムの命題――手塚治虫と戦後まんがの主題』)では、田河水泡の「のらくろ」の足許に描かれてある「土煙」について述べられている。

 私もこの本を読まねばなりません。
 以下のサイト限定情報も実にいい内容です。

評者◆増田幸弘 これはルポじゃない

 取材とは「発見」をすることである。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 先輩デスクに「これはルポじゃない」と言われたことを思いだし、初心に返り、もっと粘ってみようと思うのである。とくに写真は顕著で、粘りに粘った末に撮った一枚が大きく使われることが少なくない。それは予定調和の時代であっても変わることはないことだろう。記事をつくるには愚直にこつこつ取材を積み重ねていくしかないのである。

 そうだなあ、とつくづく思います。

09092003新聞名 図書新聞第2935号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年9月26日
読了日 2009年9月19日

 またこうして、パソコンに向かうと、どうしても秋竜山さんのページを開いてしまいます。

評者◆秋竜山 ステキじゃないか、言葉、の巻

 池上彰『わかりやすい〈伝える〉技術』(講談社現代新書、本体七四〇円)を読む。「ワッ!! 俺のことを書かれている!!」と、叫びたくなるような項目があった。〈使いたくない言葉――無意味な接続詞〉。問題は接続詞だ。接続詞を使わないと言葉がつながっていかない。だから、ひんぱんに使ってしまうことになってしまうのだ。
 〈わかりやすく伝えるうえで大事なこと。それは、「接続詞」を極力使わないことです。(略)安易な接続詞の使用は、論理的な文章作りの敵になります。「そして」「だから」を多用しますと、とりあえずは文章を書き綴ることが可能になります。話がつながっているようにみえるのです。しかし、本当にそうでしょうか。〉(本書より)

 俺はどうなのだろうと思いました。それが明確に頭にのぼらないままのうちに、「とにかくこの池上さんの本は読もう」という気持になりました。いえ、とにかくこうしてブログでインターネット上に書いて置くと、その本も探しやすいのです。ただし、本屋で探すのは大変なことです。だから本屋というと、八重洲ブックセンターへ行ったり、図書館の場合もインターネットで検索して注文しておくことになります。もう本屋自体で探すのは大変なことになりました。まず探すのが不可能です。

 次を読みました。ここで気がつきました。メモしなくても、こうしてインターネットで、見ればいいいんだ。そんなことが今判ります。

評者◆編集部 こどもの本棚

 もちろん、自分で書いて置くことは大事なことなのですが、でもでも、もうなんか時間がないというか、なんか余裕がないよなあ。
 そんなつまらない思いを抱いてしまいます。

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新聞名 図書新聞第2933号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年9月12日
読了日 2009年9月6日

 この号の1面の

評者◆大谷恭子 (聞き手・小嵐九八郎) 政治少女から人権派弁護士へ――大谷恭子氏(元早大ブント・弁護士)に聞く 60年代・70年代を検証する

の弁護士さんがまったく知らなかった方なので、そして私より2歳年下の方で、もうそういうかたが紙面に書かれるんだなあ、と感慨深いものでした。
 でも、「生まれ育った十条では」と書かれているのを見ると、「あなたのすぐそばの王子野戦病院闘争では、あなたが高校2年の2月3月、3年の4月には闘いが続いていたはずですよ」という思いでした。

評者◆秋竜山 無人島マンガの独り言、の巻

に次のようにあります。

「なぜ、こんなことになってしまったのか」と、自分に問う。それは、「無人島マンガ」にある。無人島マンガを描き続けている。描き上げたものは作品となるのだろうか。それが発表されようがされまいがの作品となるのだ。「なぜ」と、いえば、つまりは、「こんなことになってしまったから」である。それは私にとっての大きな「意地」でもあるような気もする。「好きだ」からということもあったが、その一段上の「意地」に昇格したようなおももちだ。目標一万点などということになっている。「どの程度すすんだかね」なんて知る人に聞かれたりすると、「好きだ」でやっているでは対応できない。「意地」を持つことこそが、次の一枚へと闘志がわくのである。

 本当に秋竜山さんが描いていて、出版されるとしたら、購入して読んでみようという気持になりました。

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新聞名 図書新聞第2932号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年9月5日
読了日 2009年8月29日

 一面に以下がありました。

評者◆友常勉「あの時代」の脱神話化――〈一九六八年〉の現代的意味は再び私たちのまえに投げ出される

 そういえば、書店で小熊英二さんの「1968(上)――若者たちの叛乱とその背景」「1968(下)――叛乱の終焉とその遺産 」新曜社を手に取りましたが、(上)はまだ読む気になれましたが、(下)はまったく面白くなく、私は買うのを止めたものでした。

 最後に以下のように書いてあります。

 本書と対照的な位置から〈一九六八年〉を論じているすが秀実との異同を指摘して、この書評を終わろう。

 でも私はこれを読んでもまったく何を言われているのかさっぱり判りませんでした。すがさんの本はまったく手にとる気持にもなれないのですが、これまた同じになってしまうかなあ。

評者◆秋竜山 脳ほど面白いものはない、の巻
 男っぽい女、とか、女っぽい男、がいるものだ。どっちだかわからないのもいたりする。その場合、どうなるのだろうか。茂木健一郎『化粧する脳』(集英社新書、本体六八〇円)に、〈男性脳と女性脳〉という項目があり、考えてしまった。

 あ、この本は読んでみようという気持になりました。

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新聞名 図書新聞第2930号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年8月15日
読了日 2009年8月8日

 以下を読みまして、すぐにその中に書いてあった本を探してみました。

評者◆秋竜山 会話本はなぜ面白いのか、の巻

飯田史彦『親が子に語る人生論――生きる意味の伝え方』(PHP文庫、本体五三三円)

 でもこの本は探せなかったのでしたが、この著者の本はすぐに判りましたので、すぐ読んでみます。

 会話本というのはなぜ面白いのか。それは読み手がコミック作者になり脳の中でコミックを描いているからだ。心の中でコミックを描いていると、いってもいいかもしれない。

 なるほどなあ。そうなのかもしれません。私が孫たちと会話しているそのものは実に面白いのかもしれません。

 その他、あちこちの記事も読んでみましたが、これしかUPするものがありませんでした。

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新聞名 図書新聞第2926号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年7月15日
読了日 2009年7月10日

 秋竜山の読書絵日記が、堂々と「好き」と言おう、の巻 で、石原慎太郎『私の好きな日本人』(幻冬舎・本体八四〇円)を扱っています。この本は私も読んでいましたので、「読んでおいて良かったな」という思いでした。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51607241.html
             周の雑読備忘録「石原慎太郎『私の好きな日本人』」

10人の中に3人も画家が入っていた。のが、うれしくなった。〈岡本太郎〉であり〈横山隆一〉であり〈奥野肇〉である。

 私もこの3人があげてあって嬉しかった思いがしたものでした。この3人は実にそれぞれいいです。いや他の7人もいいですね。

 いやもう一つ8面の映画への思いを書こうと思っていたのですが、私では何も書けないとしか言えません。

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新聞名 図書新聞第2925号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年7月11日
読了日 2009年7月3日

 いつもこの新聞を読んでいて、読むべき本はたくさんあるのに、なかなか読めないものだと思っていつもがっくり来ているものです。
 でもこうして何かを書いて、そこにある本や雑誌については、目にしたいと思うばかりです。だから、ここに書いておくことは無駄にはならないはずなのです。

評者◆齋藤礎英 題は作品をあらわす――「思ひ切つた技をかけてくる藝と勢ひ」を論じる丸谷才一 ・小林信彦の一篇も、ミステリーの風味を添え、藝の力が感じられる

 小林信彦の「夙川事件――谷崎潤一郎余聞――」(『文學界』)もまた藝の力が感じられる。江戸川乱歩が群衆から頭一つ抜けでるほどの大男であったことを指摘することでこの一篇は始められているが、………………………………江戸川乱歩と谷崎潤一郎との関係、谷崎が「新青年」に『乱菊物語』や『武州公秘話』を書くにいたった経緯が語られる。

 私は谷崎潤一郎では『武州公秘話』が一番好きな小説です。そして中学生のときから、いつも、「この武州公って、現実の世界では誰のことなのかな?」という疑問が今も解けない謎であるわけです。

 それから、秋竜山の読書絵日記にある、

 原武一『人生に効く漱石の言葉』(新潮選書、本体一一〇〇円)に、あった。
 〈漱石を読みつづけて、半世紀あまり。読みなおすたびに、新たな発見や感動があり、心に残る言葉があった。そういった漱石の言葉を集めて綴ったのがこの本である。〉(あとがきより)

 で、私はこの本も手にして読もうと思ったものです。その作家のすべての作品を読むにしても、なにかこうした紹介があるとより理解が深まる思いがするものです。

 それとサイト限定情報で、

評者◆杉本真維子 校門の前の黒いマント

は実に面白いです。

 むかし、小学校の門の前に、教材セットなるものを巧みな話術で売りにくる男の人がいた。学校は、買ってはいけません、としきりにアナウンスしていたが、下校時刻になると門の前に人だかりができていて、そこに混じって話を聞いていると、むくむくと欲しい気持ちが湧いてくるのだ。

 これは私は小学校は5つ替わったのですが、名古屋の3つの学校では、どこでもそうでしたね。いや、こんなアナウンスはなかった気がしますが(その頃はまだマイクロフォンという放送器具がなかったのかもしれません)、いつでも「買ってはいけない」というアナウンスがあったように思う。
 懐かしい、そしてなんだか不思儀なことの思い出です。

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新聞名 図書新聞第2921号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年6月13日
読了日 2009年6月7日

 2面の記事下の岩波書店の広告なのだが、荷風全集なんて買う人がいるのかなあ。いや買う人はいても、はたして全30巻別巻までみんな読むのだろうか。
 それで私が読んだ本を印を以下付けてみました。

4 あめりか物語
5 ふらんす物語
6 すみだ川
8 新橋夜話
11 夏すがた
12 腕くらべ
13 おかめ篠
15 かし間のおんな
16 つゆのあとさき
17 墨東綺
18 浮沈
19 問わずがたり 葛飾土産

 それで4巻の「西遊日誌抄」、6巻の「歓楽」、8巻の暴君、11巻の日和下駄、12巻の断腸亭雑膏、13巻の毎月見聞録、15巻の下谷叢話、16巻の荷風随筆、18巻の勲章は読んでいません。
 王子図書館に置いてくれたら、読んでみようかなあ、という気持にはなっています。でも「すみだ川」や「つゆのあとさき」は読んでよかったけれど、私には退屈としか思えない話が多かったように思えます。

 あとは、新聞のこの号のどのページも私には向いていませんでした。
 あ、秋竜山さんが「読書絵日記」で紹介していた本は読みますよ。

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新聞名 図書新聞第2918号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年5月23日
読了日 2009年5月16日

 この号の秋竜山さんの読書絵日記がいつものように面白く少しも思えないのです。

文学者だって変態である、の巻
その昔、〈エンタツ・アチャコ〉という漫才コンビがいた。現代の漫才の元祖といっていいだろう。〈ヤス・キヨ〉漫才が伝説となってしまったが、もっともっと古くから漫才があった。

 私には、アチャコは面白かった。エンタツとの漫才は見ていないし、ラジオで聞いてはいないが、でも面白かった思いはある。そして私には、ヤス・キヨは最高に面白かったものである。でもなあ、私には今の爆笑問題は少しも面白くないのですね。いえ、昔は私はファンだったといえるし、その書いた本も何冊か読んで面白かったのであるが、今は、少しも面白いとは思わないのだ。
 ここに書いてある『日本文学者変態論』(幻冬舎、本体一四〇〇)も、私には少しも面白くありません。いや、もう太田さんの言うことが少しも面白くありません。まだ田中さんの言うことが、彼の真面目な顔を思い出させていい感じがするのみですね。

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新聞名 図書新聞第2917号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年5月9日
読了日 2009年5月3日

 この新聞は(いやほかの新聞も同じなのですが)、どうしても実際に新聞を読むよりも、インターネット上でホームページ上で読んだほうが私にはいいのです。そういえば、昨日も夜ビールを飲みながら、「中島敦『山月記』」を電子辞書から聞いていたのですが、やはり小説等を耳で聞いていることもいいですね。何遍でも聞きたくなります。
 ところで、以下は「サイト限定情報」です。つまり紙の新聞で読んでいるだけだと出会うことはありません。

評者◆杉本真維子 遮るもののない手

ほんとうに素朴な疑問なんだけど、気になることが一つある。
外出先で、トイレに入ったときに、手を洗って、手を拭いて、そのあとで、出口のドアノブをつかむ。その際に問題なのは、トイレに入ったからといって、必ずしも、手を洗う人ばかりではないということだ。

 もちろん、このあともさらに書いてあります。ウーン、このことは判るけれども、もう今は、私にはどうでもいいことになってしまったなあ。

評者◆秋竜山 オイラは悪魔、の巻
連想ゲームで「ささやき」といったら「悪魔」だろう。「悪魔のささやき」である。そして、加賀乙彦『悪魔のささやき』(集英社新書、本体六八〇円)を読め!!と、ささやかれた。悪魔にだろうか。神は、ささやかないだろうか。本書を読むと、悪魔のささやき通になれるだろう。私はマンガでよく悪魔を登場させているが、怖さというより笑いのほうの悪魔だろう。

 私は加賀乙彦をまったく評価できなくて、かつ嫌いでしたから(そのわけはよく判っていますが)……、でも私は自分に、「お前そんなこと言い切れるのかよ?」ということで、こんどちゃんとこの本を読もうと考えました。
 こうして刺激を受け、新たに考え直すこともいいことでしょうね。

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新聞名 図書新聞第2916号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年5月2日
読了日 2009年4月25日

 いつもこの新聞を読んでいて、記事下の広告をしばし見ていると、「こんなに本が出版されているんだ。でも誰が読むんだろう?」といつも思ってしまいます。
 いや、実はこの新聞を手にとって読んでいますよりも、私はこの新聞のホームページで、画面で記事を見ているほうが読み進められるのですね。
 でもでも、当然ここの新聞社のホームページでも、この記事下、記事中の広告を見ることはできません。なんとなく、それは仕方ないことなのですが、私は面白くないことです。
 思えば、テレビでも以前の番組はまた見ることがありますが、以前のCMを見ることは至難のことですね。あれほど露出されていたSMAPの草剛のCMは今ではまったく見られません。
 この号の一面の記事下広告で、目につきましたコピーがありました。洋々社の「荻原真『なぜポニョはハムが好きなのか 宮崎アニメの思考』」という広告です。

 教えて! 宮崎 駿
 作者が意図的に隠したものを探り出すことが大切なのではない。むし
 ろ、一見するところ複雑に入り組んだ作品のなかに、作者その人すら
 気づいていないような有機的構造を明らかにすることが肝要なのだ。

 でもこう広告に魅かれたとしても、この本を直接手に取ることはまず無理ですね。いやどうしても、この本なんかは、まず手にして中身を読まないと買うがどうかは決められません。私はインターネット注文は実によくやりますが、それは私は吉本(吉本隆明)さんと長谷川慶太郎は、もうすぐに注文できますが(そのほか文庫本でも注文してしまいますが)、ほかの本はいったんは少しでも本を手にして開けてみたいものなのです。

 いつも秋竜山さんの「読書絵日記」で紹介されている本はほぼ読んでいます。

評者◆秋竜山 プロの哲学、の巻
B‐ing編集部編『プロ論。才能開花編』(徳間文庫、本体648円)では、第一線で活躍しているプロ、総勢54人の「自分を生かす仕事術」。

 この本も読もう。

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新聞名 図書新聞第2915号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年4月25日
読了日 2009年4月19日

 なんか、いつも秋竜山さんの書かれているところしか私には読めないな、なんだかこれでは私が情けないのかなあ? なんて思いながら、そこに紹介してある本はほぼ読むようになっている私です。

評者◆秋竜山 要はすべて集中である、の巻

山崎拓巳『やる気のスイッチ!』(サンクチュアリ出版、本体一四〇〇円)では、〈昨日のやる気を、今日出せない人へ〉とか、〈成功者たちは爐笋覽い離好ぅ奪銑瓩鮖っている〉〈「意欲」と「行動」の因果関係をやさしく解説しつつ普段から実践できる秘密の達成メソッドを紹介します〉。〈やる気が出ない時に〉には、様々な理由がある。理由なくなんとなくやる気が出ない、というのもあったりするかもしれない。やる気というのは非常にむずかしい問題であって、このような一冊の本になってしまうほどだ。本書の面白さは、全ページがノートに書かれてある箇条書きのようなスタイルをとっていることだ。まず読みやすい。

 もちろん、私はこの本も読みます。ただし、少し時間がかかるかもしれません。でもいいことが書いてありました。

〈やる気の正体は「集中」であって「興奮」ではない。「集中」と「興奮」はよく似ているが、全然違う。「全身全霊」と「一生懸命」の違いでもある。「全身全霊のときのみ神意が働く」という言葉があるが、集中していると、自分の力以上の見えない力が働くのだ。興奮してテンションを上げるのではなく、集中して、「テンション高めの平常心」をキープする。〉(本書より)

 これは実によく判るなという思いです。私なんか、「興奮」することはあっても、「集中」できていないなあ、なんて思いますね。今後改めていかなくちゃあな、なんて真剣に思いました。

 次は「サイト限定情報」とあるので、インターネットのホームページのみで読めるのでしょう。実際の新聞を見ればいいのですが、もう私は棄ててしまい、その棄ててあるところから拾う気になれません。
 私が読んだのは、以下の内容です。これがもう実に「よく判るなあ」という思いなのです。

評者◆増田幸弘 編集の仕事と人との出会い

 最初に以下のようにあります。

Mixi、飽きたよね」。ぼくのまわりでそんなことをいう人が最近、なぜか多い。いい年をした大人が、どうしてそんなことを言い出すのか、よくわからない。が、ともかくなにか潮目が変わってきたということなのだろう。

 でも実は、この文はMixiのことなんかを言っているわけではないのです。私なんか、Mixiなんて最初から飽きている、呆れている感じでした。
 でもこの増田さんは、新聞や雑誌の仕事をするようになって、FAX→パソコン通信→インターネットと変化してきていて、もう何かが変わってしまったのです。

 いまプラハにいて日本の仕事ができるのは、インターネットの存在があってこそである。ファックスも備え付けているが、もはや過去の遺物となりつつあり、使ったのは3年間でわずか1回だけだった。

 まったく同じです。FAXは受取ますが(どうしてもFAXという人がいますからね)、私から送ったのは3年に1度でした。
 でもでも、こうなってどうなったかというと、以下のように言われることに納得している自分がいました。

 この四半世紀のあいだにうまれた新しい技術によって、ほんとうにいろいろなことが可能になった。しかし、新しい技術によって失われた数多くのものもある。その最大のことは人に会わなくなったことだろう。それを補うかのように人びとはMixiに人との出会いの機会を探し、ブログを通じて人とのつながりを求める。

 メディアがだめになった一因が、記者や編集者が人に会わなくなったことにあるのもたしかなような気がする。会うとすれば身内だけだからなのだろうか。週刊誌のネタはなんだかどれも身内ネタばかりで、正直、読んでいてちっともおもしろくない。

 私はMixiも少しも面白くないです。だけど、飲み屋に行ってもそれほど面白くないですね。もうそこでの話題事態が面白く感じられないのです。

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新聞名 図書新聞第2913号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年4月11日
読了日 2009年4月4日

 この号もまた秋竜山さんの

評者◆秋竜山 なんぼのもんじゃ、ワレ!、の巻

を扱います。以下の本はすぐに読みたいと思いましたが、

日本博学倶楽部『徹底比較!関東人と関西人――性格から衣食住の好みまで』(PHP文庫、本体四九五円)。

残念なことに北区の図書館には、ありませんでした。
 たしかに、私たち関東人(私は自分のことを、そう思っているのです)には、関西人は、大阪人も京都人も理解するのが大変です。いや私には、やはり名古屋人も理解するのは大変です。

 次の文ですが、新聞で読んだときには、何も感じなかったものですが、インターネット上で読んでみますと、なんだか心を打たれてしまうものなのです。

評者◆小池昌代 太宰のなかの少女と風土太宰治選集

 中学生のとき、わたしは初めて太宰作品を読んだ。『人間失格』という小説であった。なんという嫌らしい、なんという気持ちの悪いことを書く人だろうと思った。まったくの他人が為す嫌らしさなら、自分とは関係がないと、一線を引いて終わらせられるのだが、太宰の嫌らしさ、気持ちの悪さは、自分と繋がっており、認めて公表したくはないが、自分のなかにあるものだと感じられた。中学生なのに、本当にそう思ったのだ。いまも太宰を読む小・中学生のなかには、同じような切実さを感じている子は多いんじゃないかな。

 私も同じ思いがしていたものでした。でもでも太宰はそれだけではないのですね。

太宰には、のびやかなこころが羽を広げた、『津軽』のような作品もあるのだった。
 たけと再会する場面は有名だが、何度読んでもすぐに忘れる。なんか、感動的な再会があったんだよね、という程度。実際に、読み返してみると、これはもう、泣かずには読み終えられない場面である。
 学校の運動会に行ったというたけを探しだし、「修二だ」と言う。「あらあ。」とたけ。二人は何も言わず、並んでござに座り、子供たちの運動会を見る。途中で、たけが、ふと気がついたように、「何か、食べないか」と声をかける。いつもひとの胃袋を忖度するひと、それが母親というものである。
 このたけが、大人になった修二のことを、お前、お前と呼ぶ。それがいい。「手かずもかかったが愛(め)ごくてのう、それがこんなにおとなになって、みな夢のようだ」。
 子供はいるのか、とか、次々と質問するたけを「私」=太宰はこう書いている。
「そのように強くて無遠慮な愛情のあらわし方に接して、ああ、私は、たけに似ているのだと思った。きょうだい中で、私ひとり、粗野で、がらっぱちのところがあるのは、この悲しい育ての親の影響だったということに気附いた」。

 太宰は中学2年のときに読み始め、高校1年でまたいくつもの作品を読みました。そして学生運動で、府中刑務所に勾留されているときに、全集をすべて読みました。私が、「新釈諸国噺」を読んでいるときに、あまりの面白さに、ゲラゲラ大声で笑っていたら、看守が驚いて「2004番、どうしたんだ?」と言ってきたのを覚えています。太宰治は、とにかく読んでいて、面白いです。あまり興奮しなかったのは、「日記」くらいかなあ。

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新聞名 図書新聞第2912号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年4月4日
読了日 2009年3月29日

評者◆秋竜山 法則の中に生きてます、の巻

 ここに「水野俊哉『「法則」のトリセツ』(徳間書店、本体一二〇〇円)」の本のことが書いてありました。早速読むことにしました。
 ここで紹介されている「働くアリの法則」というのは、私も前々から注目しているものです。これは以下のように書いてあります。

アリの集団の働きぶりを細かく観察すると、勤勉でよく働くアリが2割、怠けて働かないアリが2割、普通に働くアリが6割という分布になるという。そして、このことが人間の組織においても、バリバリ働く優秀な社員が2割、普通の社員が6割、そして怠け者の社員が2割発生するという現象があることから、「働くアリの法則」と呼ばれている。〉(本書より)
 これは、有名な怠け者アリについてであるが、
〈この場合、怠けているアリを排除すればいいと考えがちだが、実験結果では、なんと怠け者の2割を排除すると、それまで普通に働いていたアリから、怠け者のアリが発生するという。〉

 このことを知ったときに、私は私の過去の思いが間違ってはいなかったことを思い出したものでした。いわゆる「怠け者のアリ」にも、存在している意味、存在している価値は、普通に働いているアリと同様にあるのだということです。
 このことは私は、以下で書いております。

   働かない蟻も必ず何割かいる(2004.09.20)
   働かない蟻も必ず何割かいる の2(2004.09.27)

 しかし、秋竜山さんは、さらに面白いことを書いてくれています。

 怠け者という存在は生き物にとって、とっても重要である。つまり、ロボットではないことを証明しているからだ。ロボットって怠けたりしないだろう(……だと、思うけど)。もし、怠けロボットがあらわれたとしたら、欠陥ロボットというより優秀ロボットということになるだろう。人間のいう通りにならないロボットを怠け者ロボットということになるのだろう。

 ふーん、このロボットのことまでは、私はおよびがつかなかったものでした。

09030801新聞名 図書新聞第2909号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年3月14日
読了日 2009年3月8日

 この号も私は読んでいて、どこも判らないです。かろうじて秋竜山の「読書駅日記」でホッとしています。

評者◆秋竜山 「敵」は、まさかのあいつ、の巻

 女ではなく、男だ。川北義則『男には七人の敵がいる』(PHP新書、本体七〇〇円)。男を強調して、よく言われたものだった。「男は閾を跨げば七人の敵がある」と。聞かされた時は少年だった。だから、生まれ育った田舎の家。聞かされるたンびに、田舎で生活しているその家の閾が頭の中に浮びあがった。「そーか、あの閾を跨げば七人もの敵がいるのか……」。閾にのぼって叱られた。閾は跨ぐものだ。

 私はここで、こうして紹介されている本は必ず読んでいます。もう本屋や図書館でその本を開いて2、3ページ読んで、その本を求めるというやり方はしたくないのです。本屋では、結局は安価な文庫本を買い、やがては古書店に売ってしまい、あとから、その本をまたどこかで苦労して探して購入しているということになりかねません。
 でも私は、「あれっ、閾(しきい)ってなんだっけ?」なんて言っていう段階なのですね。

 男は閾を跨いで外へ出れば七人の敵がある、のだったらわかる。ところが本書で面白いのは、閾を跨いで外へ出ての敵と、今度は閾を跨いで内へ入っての敵がいるという点だ。「家の中にいる敵とは……」。まさか、あいつか。
 〈本書では、あえて七人の敵を「上司、部下、同僚、妻、女、子、親」にしぼってみた。さらにつけ加えると、「自分のなかにいる敵」にも言及した。周囲は敵だらけと心するのも寂しいが、このきびしい世の中、そのくらいの覚悟でいたほうがいい。〉(本書より)
 血縁である親と子が敵とは、そして妻までもを敵にまわさなくてはならないのか。味方と思っていたのが敵だったなんて、それがきびしい世の中ではすまされない。そして「自分のなかに敵がいる」となれば、やはり、その敵とたたかわなければならないのか。自分のなかの味方とはなにか。ややこしくなってきたぞ。混乱してくる。

 このあとも、実にいいです。「絶対に負けないという二つの切り札があるという」と書いているのです。なるほど、私は少し判りました。早速この本を読んでみましょう。

 他の記事は、私にはよく判らないものばかりでした。

 あと私はこの新聞は記事だけでなく、広告もよく見ていますよ。

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新聞名 図書新聞第2899号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 平成20年12月27日
読了日 2008年12月20日

 前号の私のここで、私はこの秋竜山「読書絵日記」のことを書き、そこで紹介されていた和田秀樹『人は「感情」から老化する――前頭葉の若さを保つ習慣術』(祥伝社新書、本体七四〇円)は、実際に読んでみました。読んでみて、私のはこの秋竜山「読書絵日記」がとてもありがたくなりました。
 今回は、それが、「横山隆一さん万歳!、の巻」なのです。

 テレビで観る石原慎太郎の顔は、おこってばかりいて怖いねえ。やっぱり都知事になると、あのような顔になってしまうのか、そうしていなければならないのか、マジメにやればやるほど、おこった顔にならざるをえないのか。よくわからないけど。石原慎太郎『私の好きな日本人』(幻冬舎、本体一六〇〇円)では〈私が彼等を好きでたまらないということで、私は私自身を捉えなおし、この人の世を生き抜いていく自信を得ることも出来るのだ。かくも多くの素晴らしい、日本人として至福なことだと思う。そしてそれこそが、歴史と人間の関わりの本質に違いない。〉(本書より――人生の原典)

「え、石原慎太郎なんて興味ねえなあ!」という思いでした。でも読んでいくうちに、私の好きな横山隆一のことを慎太郎さんが、これほど好きで評価していたことを知り、秋さんが、次のように言われることに大変に興味を持ったものです。

本書を読んで感じたことは、ジーンとくる石原慎太郎さんの心のやさしさにふれたことであった。横山さんをこのような素晴しい文章で表現していただいたことを漫画家の後輩として感謝せずにはいられない気持になった。

 私は、以下のページを持っていますように、

   http://shomon.net/seikei/gai.htm 石原都知事の増税案に反対する!

    この石原慎太郎を、いわば日本共産党と同じように嫌っていました。いや、このごろは、日共よりは、石原慎太郎のほうがましだとは思うようになっていましたが、それでも、どうしても好きになれないものでした。
 でも、この秋竜山さんの文章を読んで、その私の思いがまったく消えてしまいました。

〈横山さんの晩年に、私としては忘れがたい、思い出す度に胸が熱く、というより暖かくなる思い出がある。議員を辞めた後、逗子の家に戻ってよく出かけていっていたマリーナのスポーツクラブで時折出会う漫画家の小山賢太郎さんが、私が逗子に戻ってきていると横山さんに告げたら、また遊びに寄るようにとの言伝てがあった。議員時代東京に居を移してすっかりご無沙汰していた後ろめたさで、出向くのを遠慮していたのだが、その伝言にすがる思いで、勘当のとけた息子みたいな気分で電話したら、聞き覚えのある奥さんの声が出て、すぐに喜んで取り次いでくれた。〉〈早速その週末飛んでいった〉(本書より)

 私もこの慎太郎さんのこの本は読んでみようと思いました。そして、私の「石原都知事の増税案に反対する!」のページにも、私の今の思いを書いていかなければと思ったものでした。

 あと7面の鈴木裕子さんの文章ですが、私の好きな方です。ただし、また別に考えていきたいと思っています。

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新聞名 図書新聞第2898号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 平成20年12月20日
読了日 2008年12月14日

 第7面に連載されている秋竜山「読書絵日記」を愉しく読んでいます。今回は「スケベ心を持ち続けなさい、の巻」の題名で、和田秀樹『人は「感情」から老化する――前頭葉の若さを保つ習慣術』(祥伝社新書、本体七四〇円)が紹介されています。早速読んでみたくなり、今図書館に予約しました。16日には手にできるでしょう(15日月曜日は休館日です)。
 人間は、感情が老化することが、一番の老化だというのです。

〈しかも、年を取るほど落ち方は大きくなる――ということは、運動機能やIQは低下していなくても、意欲や自発性、その原動力となる好奇心など「感情が老化」してしまって、年を取っているのに体を動かさない生活、頭を使わない生活をしてしまうと、いよいよ本当に運動機能やIQまでが衰えていく可能性が高いのだ〉という(本書より)。
 頭を使わないノンビリした生活をおくりたい!! と思ったとたん老化人生の始まりということになるだろう。

 このことは、実に切実に判っているつもりです。でも、実際には、判ってはいないことと同じです。以下は切実に私も考えることです。

昔は女性と飲める、というだけで喜んで出かけていたのに、それすらも面倒くさくなる。「スケベ心」までなくなってしまったら、感情の老化が相当進んでいる証拠だ。〉(本書より)
 女性にとっても同じことがいえるのだろうか。わかったことは「スケベ心を持ち続けなさい」ということだ。「死ぬまで持ち続けるべし」ということだ。「スケベ心がなくなると老化する。いかに、スケベ心というものが重要であるか。

 私も女性を誘って、飲みに行ったり、どこかへ出かけるという行為が簡単にできなくなっています。いや、できないのではなく、意欲そのものが減退しているのです。
 私も自分の老化を気にしています。もう遅いのかもしれませんが、できるだけ元気に毎日歩き続けようと考えています。JRや地下鉄の駅では、もはやどこでもエスカレーターは使わずに、元気に早足で駆け登るようにしています。
 とにかく、頑張っていきましょう。

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