将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:節分

13020308  この日は節分です。三匹といっぱいお喋りしたいです。

2013/02/03 06:33今「はやく起きた朝は」を見ています。ちょうど開始のときにテレビをつけました。
 この番組は実に楽しいです。
 いいなあ。私ももうじいじだから考えちゃうな。
 今日は節分の日だ。おはぎの家で豆まきをしましょう。もう私はそのことばかり考えてしまいました。

 おはぎの家へ行こうとしたら、電話があり、みんなが来てくれました。

1210100112101002 秋山伊左衛門の話が続きます。

 狐につままれたようなここちーーいや、ちがうの。さよう呑気でおられるものか。・・・

 豆撒き。わしははたと思い当たった。豆撒きは年男の務めじゃな。もとの六兵衛は三十六であるはずはなく、四十八にはまだ間がある。だとすると、二十九日の追儺の晩に的矢の屋敷で豆を撒いた番士がいるはずなのだ。

 前にも疑問だったのですが、豆撒きって、節分だからたしか2月2日だと思いました。私の家では私と弟がめちゃくちゃに豆を撒くので、母が「これからはこれに入れて撒きましょう」と袋に入れた豆をくれた覚えがあります。あれは昭和30年のときかな。
 思えば、私の娘にも、孫にもちゃんとやろうと思いました。
 いや昨年は長女の家で「歳の数だけ食べるんだよ」と言って、ポポはまだ一歳だから不満な顔をしたのを覚えています。だからやったんだよな。もう記憶があいまいになっている私なのです。
 この作品を読んで、我が家の豆撒きを真剣に思いました。

5d3e48dd.jpg 昨日の節分は、夕方東武ストアで豆と恵方巻を買って、長女宅へ行きました。鬼のお面は長女が自分で作りました。でもポコ汰は、私は「あ、鬼だ、豆をぶつけろ!」と言っても、ママと判るので、ニコニコしてそばによります。でも怖い鬼の仮面だったのでポニョは泣いてしまいました。でも私とポコ汰で豆をぶつけましたので、鬼は逃げていきました。今年みんな健康でいられます。
 写真は、その豆の桝に書いてあった文字です。(02/03)

132b7648.jpg 私は夕方妻が帰宅して(昨日は、妻が義母を迎える番でした)から、すぐに長女宅へ向かいました。王子駅前の東武で、豆を買って行きました。もちろん、恵方巻も買いました。でも東武から出て、目の前の「ヤスケ」にたくさんの方が並んでいるのをみて、「ああ、お寿司ならこちらで買うべきだったのだ!」と思い出しましたが、もう遅いです。
 長女宅に着くと、もうポコ汰は元気いっぱいです。少し前に、身体中にしっしんができて、具合が悪かったのですが、もうすっかり元気です。
 ポニョは私を見て笑顔になってくれます。もうすっかり四つん這いになることができるのですが、何故か前に進むのではなく、後にうしろに進んでしまいます。
 ポコ汰には、「あとでパパが帰ってから豆まきしようね」というのですが、ポコ汰は一つ二つと豆を口に入れてしまいます。
「今食べちゃだめだよ。それに食べるのは、歳の数だからね」というのですが、そうするとポコ汰は二つで、ポニョは0歳だからないのです。でもポニョはまだ豆なんか食べられません。
 そのうちに、パパが帰ってきました。
09020307 そしておはぎママは、自分でその場で作っていたお面を冠って鬼になりました。さすが怖い鬼です。でもポコ汰は、私が「そらっ! 鬼に豆をぶつけろ!」と言っても、それがママだと判っているので、駄目なのです。すぐそばに寄って行ってしまいます。でも私が、「豆をぶつけよう」と言ったので、鬼に豆を少し投げて、鬼は退散しました。
 そのママの鬼が、この写真です。

 次にパパが鬼の面を冠りました。でもこれまた、ポコ汰は怖がりません。でもなんとか、また私が豆をぶつけて、鬼は逃げていきました。でも、ポニョはやっぱり怖い鬼の顔ですから、泣いてしまいました。ポニョは可愛いですね。
 これで、この一年が、みんな元気でいられます。

 

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、2月3日、このUPがありました。

 例えば、ある大学の先生の調査結果が、「携帯を長時間使っている子どもはキレやすい」などとセンセーショナルな見出しが付いて、マスコミに取り上げられることがあります。
 しかし、こうした統計調査は、よくよく考えて解釈しないと意味を取り違えてしまいます。マスコミの報道をそのまま鵜呑みにしてはいけません。

 こうしたことが、よくテレビや新聞で言われていることを、目にし耳にします。そしてさらのこういうことから何か論を展開しがちな大人が多いと感じています。そしてそのような大人は、今の教育を非難し、今の子どもたちを決めつけがちです。
 もう今から10年か15年前には、同じようにパソコンを激しく非難していたものです。前にも書きましたが、私の高校時代の友人たちが、クラス会の相談のときに、子どもたちがパソコンを使うことの弊害のみ言い続けていました。曰く、パソコンを使っていると目が悪くなる、あればっかりじゃなくて、子どもは読書すべきだ……等とでした。
 でもそのうちに彼らは、私を見て、話を止めました。私は当時も元気にいっぱいパソコンを使っていましたし(その場にノートパソコンを持って行っていました)、高校時代から圧倒的に読書していたのは私です。彼らは、その頃も今も本を読む習慣はないでしょう。パソコンがあるから、読書をしなくなるのではないのです。

仮に、「携帯を長時間使っている子どもはキレやすい」と見出しの付いた研究があったとしましょう。
 こうした研究では、たいがいアンケートなどで実態調査をします。
 まず「あなたは(あなたの子どもは)一日に何時間携帯を使っていますか?」という設問で、携帯の使用時間を把握します。
 もう一つの「キレやすい」をどう調査するかは難しいのですが、同様に日頃の行動の様子を質問して把握します。
 その結果をグラフにプロットして統計的な計算をすると、直線や曲線が描けます。

 しかし、このようなグラフが描けるからと言って、「携帯を長時間使うとキレやすくなる」と結論づけるのは間違いです。

 まったく、この通りです。

 同じ原因から生じた2つの結果だったら、その数量をグラフにすれば互いに関係があるのは当たり前です。
09020303 つまり、グラフ上で関係が認められたからと言って、片方が原因で片方がその結果であるとは限らないのです。
 こうした研究結果を見て「キレる行動を防ぐために携帯を禁止しよう」と対策を取ったとしても、別の原因があるのなら何の意味も無いことになります。

(上の図は、このSHIROさんのブログからとりました。いえ、私もこういうような図を描きたいのですが、どうやったらいいのか、皆目判らないのです)

 こうした研究結果を見ていて私が不満に思うのは、子ども達の「気持ち」の部分がなかなか調査されないことです。

 子どもたちの気持のことなんか少しも理解しようとはしていないとしか思えません。

 次のゲームの例は、実にとても判ります。

 これは携帯ではなくゲームの例ですが、私の知り合いのあるお母さんから「うちの小学生の息子がゲームばかりやっていて困る」という相談を受けました。
 いろいろ聞いてみると、その息子さんはすごく自己評価が低くて、「僕なんてダメダメだ」とよく言っているそうです。
 ここで彼の内面を考えてみると、もしかすると彼にとってゲームは、現実のダメダメな自分から一時的にでも脱出できる「場」なのかもしれません。ゲームの中では自分も勇者やヒーローになれるのですから。
 そんな彼に「ゲームしちゃダメ」と言ってゲーム機を取り上げたとしたら、彼にとっては活躍できる唯一の場を奪われてしまうことになります。彼の不満はくすぶり、将来全く違う形で爆発してしまうかもしれません。
 彼に対して我々大人がしなければいけない対策は、ゲーム機を取り上げることではなく、現実の生活の中で「自分は大切な存在だ」と思えるような環境を作ることなのです。そうすれば、結果としてゲームをする時間は減っていくでしょう。

 私の自宅にもファミコンが流行っていた時代、娘二人の同級生の男の子二人が来てくれて、「スーパーマリオ」をやっていたことがありました。私は目の前で展開されるマリオの世界に驚きました。私はもうただただ驚いて彼らを尊敬し、「君たちは天才なのか?」と言ったものでした。私自身には、到底考えられないゲーム展開なのです。
 私は、あの当時もゲームはまったくだめですし、今もまったくできません。

 思えば、私はパソコンを使いはじめ、パソコン通信をやっていた頃は、実にパソコンの使用は駄目だという意見をしつこいほどよく聞きました。
 インターネットでホームページを展開し、こうしてブログを毎日UPするようになって、今でこそ、飲み屋の席でも、そばにいる人や店の人にいろいろなことを聞かれるようになってきたものです。そして、そういう人も、店の人も自分でも実際にパソコンでインターネットでいろいろなことを調べるようになっていました。
 それが今では、ケータイメールで、いくつものことを質問したり、連絡したりするようになってきました。
 それなのに、そうした事態をまったく理解できない、理解しようとしない中高年大人が、ただただ自分の頭だけで、世界を支配し続けようとしているだけです。

 くれぐれも、マスコミのセンセーショナルな見出しに踊らされないようにしてください。マスコミはその場の視聴率や読者数のために、派手な見出しで人目を引こうとすることが多いからです。
 また、偉い大学の先生が発表した研究結果だからと言って、信用できるとは限りません。人の肩書きではなくて、あくまでその研究の中身で判断しないといけないのです。
 これらは一種のメディアリテラシーで、情報社会に生きる私達はよくわきまえておく必要があります。

 もはや、いわゆるマスコミの大部分は私には、そのまま信用できません。もう私たちが、私たちの親たちから教わってきたことを、そのまま子どもたち孫たちに伝えていこうと思っています。
 きょうの節分の日、私は二人の孫に豆まきを教えます。ただ、鬼のお面をどうするかな、ということと、長女の家で、豆を「鬼は外、福は内」といってばらまいたら、ポコ汰とポニョは喜ぶだろうけれど、長女おはぎには、ダメって言われるかなあ?

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