将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:紫式部

12101408 私は「源氏物語」について、このごろ以下のように書いてきました。

「紫式部『源氏物語』」のことで
「紫式部『源氏物語』」のことでの2
「紫式部『源氏物語』」のことでの3

 このあとも『「紫式部『源氏物語』」のことでの4』を書くつもりでしたが、そのまま書かないままになっていました。それではまずいので、ここで書いて行きます。

 私はどうしても、この物語は退屈に考えられてしまうのです。
『更級日記』を書いた少女は、これが面白くてたまらないように言っていますが、昔我孫子にいたときに、コンビニの「少年ジャンプ」が入荷される時を待っている何人もの少年たちを見たとき(ジャンプは毎週月曜日発行なのですが、店に入荷されるのが金曜日夜遅くだというので、少年たちが待っているのです。みんな「ドラゴンボール」を待っているのです。このときに私はこの少年たちに、『更級日記』を書いた少女を思い出していたものなのです。
12101319 でもその頃の私は「ドラゴンボール」は好きでしたが、あそこまでの気持はないものでした。
 私は、「谷崎潤一郎『新々訳源氏物語』」は1969年の8月に府中刑務所の中で読みました。ちょうど岩波文庫の「ファーブル『昆虫記』」と一緒にというか、交代で読んでいたものでした。『昆虫記』は少しも面白く感じられないものでしたが、この「谷崎潤一郎『新々訳源氏物語』」も面白くはないものでした。
 それで後年「吉本隆明『源氏物語論』」を読みまして、はるか昔に読んだ与謝野晶子の『源氏物語』も振り返ってみたものでした。

 私はそんなに分からないながらも、『源氏物語』は、「若紫」がどうしても好きです。思い出せば、私が最初逮捕された警視庁田園調布署(大田区田園調布にあります。30年後にこの署の場所を知りました)で、黙秘していた東調布15号(私は東調布16号)とこの源氏物語の話をしていて、私はちゃんと読もうと、府中刑務所で差し入れてもらったものです。
 そして、この「谷崎潤一郎『新々訳源氏物語』」を読む中、一番好きになれたのが、この「若紫」です。今でも、その巻の書いてあることが如実に甦るくらいです。
12101323 私は谷崎潤一郎は大好きな作家でしたが、くだらないとしか思えない作品もあるので、少し嫌なところもあったのですが、この『新々訳源氏物語』にはただただうれしく読んでいたものでした。ただ谷崎さんは真面目だよね。私には紫式部がそう言っているように思えてならないのです。

 以下「與謝野晶子訳『源氏物語』」より引用します。

「雀すずめの子を犬君いぬきが逃がしてしまいましたの、伏籠ふせごの中に置いて逃げないようにしてあったのに」
  たいへん残念そうである。そばにいた中年の女が、
 「またいつもの粗相そそうやさんがそんなことをしてお嬢様にしかられるのですね、困った人ですね。雀はどちらのほうへ参りました。だいぶ馴なれてきてかわゆうございましたのに、外へ出ては山の鳥に見つかってどんな目にあわされますか」
  と言いながら立って行った。髪のゆらゆらと動く後ろ姿も感じのよい女である。少納言しょうなごんの乳母めのとと他の人が言っているから、この美しい子供の世話役なのであろう。
 「あなたはまあいつまでも子供らしくて困った方ね。私の命がもう今日きょう明日あすかと思われるのに、それは何とも思わないで、雀のほうが惜しいのだね。雀を籠かごに入れておいたりすることは仏様のお喜びにならないことだと私はいつも言っているのに」
  と尼君は言って、また、
 「ここへ」
  と言うと美しい子は下へすわった。顔つきが非常にかわいくて、眉まゆのほのかに伸びたところ、子供らしく自然に髪が横撫よこなでになっている額にも髪の性質にも、すぐれた美がひそんでいると見えた。大人おとなになった時を想像してすばらしい佳人の姿も源氏の君は目に描いてみた。

 谷崎潤一郎訳は、まだ著作権の関係で無理だと思うのです。
12101324 いややはりいいですね。吉本(吉本隆明)さんが言われたことがよく分かります。与謝野晶子でいいのです。
 こんな可愛い若紫を見ている源氏の君の気持が実にいいです。
 私はまた「若紫」だけ読もうかな。この物語が「源氏物語」ではなく、「紫の物語」と言われるのもよく分かります。

  最後の写真は、昨日10月13日の三匹の孫の「まごころ会保育園」の運動会で、最後の挨拶を園長と私の義理の息子がしまして、私の孫(赤い帽子の方)も終わりの言葉を述べたものです。

12072307 私は『源氏物語』はいつも限りなく「退屈さ」を感じてしまうのです。
 でも同じく、同じ平安時代の藤原頼長なんか、私にはわけが分からない、面白いと感じられないのです。
 私は、昨日の「日の丸土建」での私のA4チラシに以下のように書きました。

残念なことに、それらの女性陣より、はるかに時代のあとの悪左府頼長の日記は、漢文で書かれており、私にははるかに遅れていた(内容はまた別なのだが、いや内容も面白くない)ものに見えます。

 藤原頼長は、実に長く文章を漢文で書いています。女性のようにはかなを使うわけには行かなかったのです。彼の日記『台記』には「男色」が当然なように書かれています。私はこれが嫌なのですね。
 井原西鶴『男色大鑑』のことで、私は次の中で書いています。

  吉田秋生『BANANA FISH』

「葉隠」でいう「忍ぶ恋」というところの愛は実は男色のことなのですが、これは理解できる気がします。

 日本紀愚眼にのぞけば、天地(あめつち)はじめてなれる時一つの物なれり、形葦芽の如し、是則(すなわち)神となる、国常立尊(くにとこたちのみこと)とまうす、それより三代は陽の道ひとりなりして衆道の根元を顕はせり、天神四代よりして陰陽みだりに交はりて男女(なんにょ)の神いでき給ひ、なんぞ下髪(さげかみ)のむかし、当流の投島田、梅花の油くさき浮世風にしなえる柳の腰、紅の湯具、あたら眼(まなこ)を汚しぬ、是等は美兒人のなき国の事欠ける、隠居の親仁の玩びのたぐひなるべし、血気壮の時、詞(ことば)を交はすべきものにあらず、総て 若道の有難き門に入る事おそし、(井原西鶴「男色大鑑序」)

「唐獅子牡丹」において最後の殴り込みに健さんが出かけると、街角で池部良が匕首を持って待っています。そして同行することを申し出ます。健さんは目で挨拶して了解します。そして二人は死出の旅に出かけます。私はあの二人の道行が「男色」の基本的なものなのように思っています。このことを「葉隠」でも井原西鶴でも言っているように私は思っているのです。

 ただもう一つ言っておきたいのです。私は紫式部『源氏物語』」のことでで次のように書きました。

『エプタメロン』 フランスの王族のマルグリット・ド・ナヴァル(女性)によって書かれた。私は話が嫌でまともに読めません。14世紀の成立。

 このものがたりには、エロチックでも何でもなく、近親相姦が描かれているのです。もう読んでいると、私は嫌になるばかりです。
 古典にはこういうものが多い、いや多すぎるように思いますね。

  「紫式部『源氏物語』」のことでの3へ

12072306 Noraさんの「ネット赤ちょうちん」に以下がありました。

『一日だけのファンタジー講座』 投稿者:Nora  投稿日:2012年 7月23日(月)09時00分23秒
周さんの莫大な本は古書店にいったのですか。いい方法ですね。わたしは読まなくなった本は図書館の『自由引取りコーナー』に置いてきます。本はくり返しどこかでよみがえってなるべくたくさんの人に読まれた方がいいと思います。
『源氏物語』はどうもわたしの感性に合いません。文章はこの上なく雅で情感があるけれど、女性を渡り歩く光の源氏が嫌だし、女性達の切ない怨念のようなものは生きていく力にはなりにくいです。

 吉本隆明さんの本以外は、もう下北沢の古書店に引き取ってもらったのですが、そして今は図書館で選ぶのではなく、インターネット上から注文して読んでいます。だから、本はできる限り買いません。でもそれでもどうしてか少しずつ増えてしまうのですね。
 義父の本も莫大に処分(捨てている)のですが、でもまだ多いですね。

「紫式部『源氏物語』」は、私は退屈な作品としてしか読みませんでした。そして「谷崎潤一郎『新々訳源氏物語』」しか評価できませんでした。
 でも吉本(吉本隆明)さんの『源氏物語論』を読んで、考えが変わりました。中学のときに読んだ『与謝野晶子訳源氏物語』がなんだか、親しく感じられるようになったのです。
 世界の古典文学と、この源氏を比較してみます。

紫式部 生年978年(与謝野晶子等の説)〜没年1016年頃(与謝野晶子の説)
『源氏物語』は1005年1月31日に、一条天皇の中宮彰子(藤原道長の長女)」に使えたとありますから、その頃前後この長大なる物語が出来あがったと思われます。

『千一夜物語』 ササン朝ペルシアで成立したと思われるが、訳本はマルドリュス版(仏語)、バートン版(英語)とも19世紀のものなのです。私はマルドリュス版で読みました。

『デカメロン』 イタリアで14世紀の成立。

『カンタベリー物語』 イギリスで14世紀にチョーサーによって書かれる。

『エプタメロン』 フランスの王族のマルグリット・ド・ナヴァル(女性)によって書かれた。私は話が嫌でまともに読めません。14世紀の成立。

『ニューベルゲンの歌』 英雄ジークフリートの悲劇的な死と、その妻クリームヒルトの復讐劇を描く。13世紀最初に成立。

『ローランの歌』 11世紀成立のフランスのシャルルマーニュ大帝の甥であるローランを称える叙事詩。

 こんなものでしょうか。スペインの『ドンキ・ホーテ』を加えようと思いましたが、17世紀なので、止めます。入れると、他もたくさんいれるものが出てきます。『アーサー王物語』もイギリスの15世紀の作品です。
 ヨーロッパにおいて、古典文学とは、ゲーテすら含んでしまうのです。
 ちなみに、私は『カンタベリー物語』以外はすべて読んでいます。
 こうした中で、いかに「紫式部『源氏物語』」が古く、かつ男女の愛だけを書いている物語(戦争は描かれていないのです)なのです。こんな愛の物語は他の世界にはないのです。

 「紫式部『源氏物語』」のことでの2へ

11091005 何年か前に、金曜日の夜に帰宅するときに、コンビニの周りで「少年ジャンプ」の発売を待っている多くの男の子たちの姿を見たものでした。本屋だと月曜日発売のジャンプを誰よりも早く読みたいのです。そして彼らが読みたい漫画はもちろん「ドラゴンボール」でした。
 私はこの少年たちの姿を見るときに、いつも平安の時代に紫式部の出す「源氏物語」を心待ちにしているたくさんの少女たちの姿を重ね合わせて感じていました。そして、この少女たちのずっと後輩に與謝野晶子がいるのだな、と思うのです。

書名     源氏物語
訳者     與謝野晶子
発行所   角川文庫

 私が源氏物語の世界に初めて接したのが、ちょうど21歳のときでした。谷崎潤一郎「新々訳源氏物語」をいっきに読んでしまいました。当時私は学生運動のことで、府中刑務所の拘置所にいたので、ひとりで誰にも邪魔されることなく読むことができました。しかし、かなり難しいのです。ちょうど中央公論社版で毎巻に登場人物の関係図があり、それを見ながら、「あ、そうか、これはこういう関係か」なんて確認しつつ読んだものです。
 しかしそれにしても難解なことには変わりありません。源氏と各女性たちとのあいだにとりかわされる短歌なんか、いくら読んでもさらによく分かりませんでした。これだと原文の源氏って、もっとむづかしいんだろうななんて想像していました。

 ところが、吉本さんの源氏に関する文とか、小林秀雄に関する文などを読むようになってから、どうも私のこの源氏に対する感じはなにか違うのじゃないかなと思い至るようになりました。
 もっと源氏は軽く読んでいけるものなのではないか。手軽に読んでのちに、いろいろなことが見えてくるのではないのかと思い到ったのです。谷崎源氏では、あまりに律儀に律儀に忠実に原文にそっているだけで、少しも面白く読んでいけません。そうしたときに、昔中学生のころ、少し接したことのある、與謝野晶子の訳で源氏に迫ってみたいと思いました。
 そしてどうやら、吉本さんのいうことの意味が少しは判ってきたものです。

 小林、宣長の源氏理解の欠陥

  宣長の「物のあわれ」論は、「源氏物語論」としてだけでなく、文学論としても画期的なものだったが、敢えていえばもうひとつこの物語の奥行きを測るところまではゆかなかった。
 わたしたちが現在『源氏物語』をたどるとき、この作品が作者と語り手の完全な分離に耐えるものであることが、すぐに理解される。宣長の『源氏』理解と、それをいわば円環的に追認し、情念を傾ける小林秀雄の『源氏』理解の欠陥は、すぐに「宇治十帖」を論じている箇所にみることができる。
「小林秀雄について」1983.5「海」に掲載 「重層的な非決定へ」1985.9大和書房に収録 「追悼私記−小林秀雄批評という自意識」1993.3JICC出版局に収録

 つまり現在の「源氏」理解では、この物語が作者と語り手の完全な分離に耐える優れた作品であるという点まで到っているということだと思う。小林にも宣長にも、そのことの読みが欠けていたということなのだが、小林にはさらに宣長の「物のあわれ」論にも至っていなかったのではと思われるのも吉本さんの指摘である。(「吉本隆明鈔集」より)

 私はこの長大な物語のなかで、好きになれるところ、好きになれる女性といったら、空蝉と夕顔でした。だが、たとえばどうして、空蝉は源氏の思いを拒絶するのか、どうして夕顔は突然死んでしまうのかがよく判りませんでした。

  こうした空蝉とか夕顔とかいうようなはなやかでない女と源氏
  のした恋の話は、源氏自身が非常に隠していたことがあると思っ
  て、最初は書かなかったのであるが、帝王の子だからといって、
  その恋人までが皆完全に近い女性で、いいことばかりが書かれて
  いるではないかといって、仮作したもののいうように言う人があっ
  たから、これらを補って書いた。なんだか源氏にすまない気がす
  る。(「夕顔」)

 こうして「なんだか源氏にすまない気がする」といっているのは、語り手なのですが、作者は「すまない」といっているわけではなく、厳然と読者に対して向っている力強い女紫式部を感じてしまいます。ここらのことが、與謝野晶子が「源氏物語」の中に力強く自立した女を感じてこうして訳していった動機なのかなとも思います。「源氏物語」は源氏の華やかな女性遍歴の物語なのではなく、その中に力強い作者の存在をも感じられるのです。おそらくは藤原道長に口説かれたこともあったであろう作者が空蝉の姿でもあり、また夕顔を殺してしまうのは、源氏自身のなかにある、「貴種」としての、もうひとりの源氏なように思います。
 與謝野晶子には、「源氏物語」はよく読み込んできていた物語なのだと思います。だから、読んでいると、書いているのが、紫式部なのか、與謝野晶子なのが判らなくなってくるところがあります。これが谷崎源氏だと、おおいに違うのですね。正確に正確に、そして谷崎はこの物語に魅せられすぎているように思われます。それに対して、與謝野晶子には、この物語がもう自らのものとして、こなれすぎているような感じがあります。谷崎は何度も何度も源氏を訳しなおします。多分もっと生きていたら、また訳し直して完全なものを作ろうと考えたのではないでしょうか。與謝野晶子はそうではなく、こんなに面白い身近な物語を、出来るだけ大勢の女性たちに読んで貰いたいとのみ思っていたように、私には思えるのです。
  ただ私にはまだまだ源氏にはもう少し迫り足りないように思っています。また何度も、読み返していきたいなと思っているところです。(1998.11.01)

11062007 私は『源氏物語』は少しも好きになれません。だって少しも面白くないもの。退屈です。長すぎます。それに比べて、清少納言の『枕草子』は実にいいです。
 実はこの清少納言は、生年月日も亡くなった年も明らかではありません。ただ、一条天皇に入内していた中宮定子に仕えていたとされるだけです。
 紫式部は清少納言を強く意識していました。彼女の『紫式部日記』には、次のように書いてあります。

 清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。

 紫式部は清少納言より先に亡くなります。清少納言は、この同時代の紫式部をどう見ていたのでしょうか。
  それと私は中宮定子がものすごく素晴らしい女性に思えます。彼女は17歳で入内して24歳で亡くなるのですね。いつも清少納言の才能を笑顔でみていたのだろう彼女を思います。
 あ、そうそう。清少納言は17歳のときに、18歳の橘則光と結婚し、翌年長男をもうけています。この夫の則光も実に元気ではちゃめちゃな人だったのでしょうね。
『源氏物語』は私には、読んでも面白くないものです。でも『枕草子』は実にいいです。そして私はいつも清少納言を感じていられます。(2011.06.22)

11041114  この一つ前に、「光源氏の愛した女、末摘花」を書きました。そうすると、今度は若紫、紫の上のことを書かなければと思います。
『源氏物語』の54帖のうち、第5帖が、この『若紫』で、そこに描かれる女性は紫の上と言われます。
 源氏の正妻のような感じがしますが、もちろん正妻ではありません。ただ源氏が一番好きだった女性だろうなと思わせてくれます。
 やはり、私はこの若紫を源氏が始めてみそめるシーンが好きです。以下長いのですが、与謝野晶子訳を引用します。

その中に十歳ぐらいに見えて、白の上に淡黄の柔らかい着物を重ねて向こうから走って来た子は、さっきから何人も見た子供とはいっしょに言うことのできない麗質を備えていた。将来はどんな美しい人になるだろうと思われるところがあって、肩の垂れ髪の裾が扇をひろげたようにた(中略)

「雀の子を犬君が逃がしてしまいましたの、伏籠の中に置いて逃げないようにしてあったのに」

 たいへん残念そうである。(中略)
 顔つきが非常にかわいくて、眉のほのかに伸びたところ、子供らしく自然に髪が横撫でになっている額にも髪の性質にも、すぐれた美がひそんでいると見えた。大人になった時を想像してすばらしい佳人の姿も源氏の君は目に描いてみた。なぜこんなに自分の目がこの子に引き寄せられるのか、

 このときに紫の上は10歳くらいなのですね。その小さな若紫を見ている源氏のまなざしが私も好きです。
 でも谷崎の訳ではまた違ったな、なんて思っていました。
 私には、いつもこのときの若紫が少し目を腫らしているところが見えるような思いになるのです。(2011.04.13)

11041103  紫式部の書いた『源氏物語』は、私は与謝野晶子訳と、谷崎潤一郎『新々訳源氏物語』を読んでいました。
 最初は、原文を読まないといけないのだろうと思い込んでいたものですが、「吉本隆明『源氏物語論』」を読んですっきりしました。私が思っていた「谷崎さんのは難しくてよく分からないな」というのは正解で、むしろ吉本隆明さんは、与謝野源氏を誉めています。それを読んだほうがすっきりするのです。まず私たちには、第一に物語の内容が普通に分かることがまず大事なのです。
 紫式部は、生年月日も没年もはっきりしません。生年は、970年(天禄元年)説から978年(天元元年)説までいくつもあります。与謝野晶子は978年だろうと言っています。また没年は1016年(長和5年)頃だと与謝野晶子は言っています。

 この物語の中で私が思い出す女性は、なんと言っても若紫とこの末摘花(すえつむはな)なのです。この末摘花は、どうしてか酷く痩せていて、鼻が異常に長く、さらに鼻先が赤いのです。だからこの物語の中で何故か唯一の醜い女性なのです。
 物語では、以下(「与謝野晶子訳源氏物語」)では以下のようなことも書いてあるのです。

 笑顔(えがお)になった女の顔は品も何もない醜さを現わしていた。源氏は長く見ていることがかわいそうになって、……

 いつも思います。源氏は優しいな。でもこれを書いた紫式部はどうなのだろうか。同じ女なのに、この醜い女性をどう思って書いたのだろうか、といつも思うのです。いつもいつも私は『源氏物語』というと、この末摘花という女性を思い出しています。(2011.04.12)

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 今朝の日経新聞の最終面の文化面が『「源氏物語」きょうで1000年−世界で深まる原文研究』の記事があります。

 源氏物語が、宮中で読まれていたことが文面に記されて今年でちょうど千年。
(中略)
十一月一日は、紫式部日記に源氏物語の記述があったまさに当日。

 そうなんだ、と思いました。でも私は、『源氏物語』は、與謝野晶子と谷崎潤一郎の訳だけしか読んでいません。原文なんて、まさしくこれからも読むことはないでしょう。谷崎潤一郎『新ゝ訳源氏物語』を読むのだけで一苦労の私には、「原文で読む」なんて、まったく思いもよりません。

 一般に源氏が世界で高く評価される理由は、時代に先駆けて近代小説の様式を確立したためと言われてきた。人間の葛藤、心の動きを画く近代小説は、欧州でははるか後の十八世紀にならなければ登場しない。
 ただ、こうした言説は、西洋の文学史の基準から生まれた評価ともいえる。これに対し「むしろ近代小説とは対立する源氏のもう一つの要素『歌物語』の側面も評価すべきだ」と、コロンビア大学のハルオ・シラネ教授はシンポジウム「源氏物語の魅力」(国文学研究資料館主催)で語った。
 和歌には三人称の物語に一人称の内的視点をもたらしたり、時間を一時的に停止、あるいは循環させたりといった、西欧文学にはない働きがある、とシラネ氏は分析。「物語と和歌の緊密な結びつきが源氏の最大の魅力」と評した。
 チェコ出身で源氏のチェコ語訳者でもあるカレル・フィアラ福井大教授は、同シンポで作品が持つ特殊な時間感覚に触れた。全体の構成は、語り手が「現在」から「過去」に生きた光源氏の足跡をたどる、という形だが、ときに「過去」の源氏が「未来」に思いをはせたり、その「未来」を語り手が「過去」の出来事として述べたりする。
 入れ子状になった時間の中を紫式部の視点は自在に移動し、破綻させることなくまとめている。「内的遠近法」とも呼べる手法は、じばしば西洋の近代小説の大家、マルセル・プルーストと比較されるが「趣が違う」とカレル氏は見る。
 その上で「紫式部が編み出したこのような手法は、まだ完全には現代の作家によって用いられておらず、未来の小説手法かもしれない」と将来の検討課題をあげた。

 うーん、そうなんだと思いながら、でも源氏の退屈なところも私は思い出してきていました。あんなに源氏が女性を求めるところは、実はその繰り返しとも思えるところが、少々退屈にもなってきます。個々の女性には、また違った個性があり、それを魅力とも思えるのですが、そしてそいうふうに読もうと考えるのですが、どうしても退屈感を抱いてしまうものです。
 多分、與謝野晶子などは、ただただ面白く読んでいけたのでしょうね。谷崎潤一郎は、この物語こそ世界に誇るべき小説なのだから、より正確に訳していこうという気持だったのでしょう。でも私には、よく判らなかったのですね。
 私には「吉本隆明『源氏物語論』」がどうしても、一番興味深く読んでいた源氏なのですね。その思いは、たぶんこれからも変わらないでしょう。

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 吉本隆明鈔集「芸術的価値はもっぱら自己表出に依存する」 に、吉本さんは次のように言っていることを私は書き出しました。

自己表出とは何なんだといえば、厳密にいえばこうなります。自分と、それから理想を願望するもうひとりの自分とのあいだがどれだけ豊富であるかということ、これが自己表出の元であり芸術的価値の元である。

 自分が何かを見て、例えば、路を歩いている私の孫ポコ汰がそこにある花に、「おお」と感激しているだろう姿を見て、私は「うう」と声をあげたとすれば、私のその自己表出には、たくさんのことがあります。「自分と、それから理想を願望するもうひとりの自分とのあいだがどれだけ豊富であるか」ということを、ものすごく感じるものです。

 その次に書いた 周の漢詩入門「白居易『香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁』」にても、私は次のように書きました。

 すると、清少納言が立ち上がり、簾(すだれ)を巻き上げました。これで中宮は喜びました。これが『白氏文集』中にあった白居易の七言律詩を踏まえて言ったものなのです。

 つまり、清少納言は窓の外の雪をみて、つい立ち上がって簾を巻き上げたわけですが、たぶん、その簾に手をかけたあたりで、『白氏文集』の中にあった白居易の七言律詩を思い浮かべたものでしょう。これが「どれだけ豊富であるか」と言われる中身なのです。
 中宮定子は、それをすばやく判ったし、それで美しい顔をにっこりとされたはずです。

 こんな清少納言の振る舞いが、実は紫式部なんかが気に入らないところなのでしょうね。でも紫式部も、この白居易のこの詩については、言っているのです。白居易の愛好者であった紫式部はこんなことで得意になる(別に私には清少納言が得意になっているようには思えませんが)のが心から嫌だったのでしょう。
 私には、このときの中宮定子の笑顔に、実に嬉しい思いがするだけなのです。

 あ、それから、私は私の毎週月曜日配信している マガジン将門 にも、この「吉本隆明鈔集」も「周の漢詩入門」も掲載しているわけですが、実はこの二つが一番大変なのです。
 私は「吉本隆明鈔集」を書くために、毎回吉本さんの本を読み返しています。そして必ず、知らず知らずに、どんどんと読んでしまっています。そしていつも、「あ、読み進むのではなく、言葉を探し抜きだし解説しなくちゃ」と考えて、いつもあわててしまいます。
 また「周の漢詩入門」も大変です。……………、あ、でもこれはまた次に書いていきます。

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 リンクス「きなりずむ」で紹介した きなりずむ さんのブログで、「仕切りなおし」鉄紺日記 というUPがあります。
 その中に、

ただすぎにすぐるもの。帆かけたる舟。人のよはひ。春、夏、秋、冬。

清少納言ってほんと天才だなぁ〜

とあります。そうだなあ、清少納言って、「ほんとに天才だなあ」と私も強く思います。それで、私はこのごろ田辺聖子が好きでよく読んでいるのですが、周の雑読備忘録「田辺聖子と読む蜻蛉日記」 に、田辺聖子が、清少納言と紫式部と蜻蛉日記の作者(名前は判っていません)の自然に対する考えが書いてあります。
 これを読むと、自然に対する清少納言の考え方、紫式部の考え方、そしてもちろん蜻蛉日記の作者の自然のとらえ方というのも判ってきた気がしました。
 でも私は、あんまり紫式部という人が判らなかったのですが(それにくらべて清少納言は大変に好きでした)、このごろは、どうやら紫式部の魅力が少しは判ってきた気がしています。

 思えば、私は谷崎潤一郎の『新々訳源氏物語』を読んだときに、その読んでも読んでもよく理解できない源氏物語に閉口しました。でも思えば、あれは谷崎潤一郎が、源氏物語を尊敬しすぎなのだと今では思えるんですね。
 それに比べて、私が中学生のときに少し触れた与謝野晶子の『源氏物語』はいいです。なんだか、あらためて数年前に読んでみて、それを強く感じました。しかし、それを教えてくれたのは、私にはもちろん吉本(吉本隆明)さんです。
 そして今は田辺聖子の源氏物語を読もうと考えているところです(でも図書館にないのですね)。
 でもでも、こうしてきなりずむさんのブログを読んで、また清少納言も読み直そうと固く思ったものです。

 あ、そうです。このきなりずむさんの鉄紺日記の こうまのせなか も愉しいですよ。

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07031101田辺聖子と読む蜻蛉日記

 この本を読み終わるまで時間がかかってしまいました。いえ、どうしても図書館の単行本だから、購入した文庫本と違って鞄に入れるのに大きいのですね。もう私は鞄にたくさんのものを入れすぎなのです。

書 名 田辺聖子と読む蜻蛉日記
著 者 田辺聖子
発行所 創元社
定 価 2,000円+税
発行日 昭和63年6月1日第一版第一刷発行
読了日 2007年3月11日

 前々から私は田辺聖子が好きだったのですが、やはりこれを読みながらも感じていました。読んでいて、どんどん内容に引きつけられていきます。
 例えば、次なのですが、

 自然描写の美しさという点では、『枕草子』もあるんですけれど、『枕草子』は、そうですね。清少納言の大変ユニークな、天才的なひらめきのある感覚でとらえられた自然ですね。たとえば、車に乗って秋の野原を行く、そうすると車の簾の間からふっと薄の穂先などが入ってきて、つかもうとするとそのまま車が行き過ぎてしまうとか、蓬の葉を車が踏んでいく、蓬の香がぱっと匂い立って何とも言えずすがすがしいとか、そういうふうなことを書きとめたりする。

 私は「なるほどな、清少納言はそういう感じだなあ」と思ったものなのです。次に紫式部の自然に対する考えも書いていてくれます。

『源氏物語』の紫式部の自然に対する考えというのは、これはある種の舞台づくりをするために道具立てとして自然を持ってくる。蛍の美しさとか、水鶏が鳴く、ほととぎす、野分の風の音、そういうふうなものは、ある人生のドラマがあって、その舞台背景にぴったりしたような自然がほしい。人間のために自然を持ってくるという書き方ですわね。

 もうこれもまた、よく紫式部の感じが私にも手にとるように判った気がしてしまいました。そして以下のようにあります。

 それに対して、『蜻蛉日記』を読むと、彼女は自然の中に身を置いて、自分の人生をそのままに重ね合わせて考えたりしている。自然というものは、蜻蛉にとっては、何か非常に大いなるものの脈搏とでもいいますか、おんなじように自分のリスムが合う。だから、蜻蛉の自然を読むと、大変に奥深い感じに描かれています。

 こうして書かれますと、私にも少しは蜻蛉日記の作者の気持が少しは判ったような気になります。
 次は百人一首にもある蜻蛉日記の作者の歌です。

   嘆きつつ独り寝る夜のあくる間は
         いかにひさしきものとかは知る

 私はこの歌を覚えてはいませんでした。蜻蛉(作者の名前は判っていないのですが、もう蜻蛉と呼んでしまいます)は、こうして「嘆いて」いることが多かったのでしょうね。

 やはり私は田辺聖子が好きです。ちょうど昨年10月に鎌倉を歩いたときに、吉屋信子邸に寄るつもりでいたのですが、なぜか歩いているうちに、それを忘れ果てまして、それに気がついたときに、「俺は吉屋信子はそれほど好きじゃないんだよな。これが田辺聖子なら忘れるはずがないんだけど」なんて、自分に言い訳していたのを思い出します。
 やはり、田辺聖子はずっと好きでしたが、今後も彼女の本をたくさん読んでまいります。

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