将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:結婚式

 長女おはぎこと久仁子は4月29日ミツタカ君と結婚しました。会場は、浦安の舞浜のホテルオークラ東京ベイの中庭でした。

   ホテルオークラ東京ベイ

 ここで午前10時から結婚式で、11時から披露宴、午後4時半から披露宴というスケジュールでした。妻は前日から、妻の両親とホテルに泊まっており、私は午前8時半までに、衣装室に来てくれということだったのですが、少々遅れまして、みなをあわてさせました。ホテルの係の女性がとても心配したようです。11070114




式の始まる前の控室での私たち家族4人
 午前9時25分から親族紹介。そしてそのあと写真撮影です。私はそこでデジカメで私が撮ろうとして、プロに止められました。そして10時から結婚式です。
 二人の結婚した姿を見て、私はとても嬉しく感動しました。11070115




ヴァージンロードを歩く直前の2人

誓いの言葉をを交わし、結婚指輪を交わして、私たちのほうをむいた二人

ケーキへの入刀です。今は本物のケーキなんですね。美味しいケーキだったようです。でも私はケーキは食べません。
 この4月29日は、私たち夫婦が26年前(昭和53、1978年の天皇誕生日)に結婚式を挙げた同じ日です。また久仁子が披露宴でお色直しのあとに来た赤いドレスは、同じく私の妻が26年前にお色直しのあと着た同じドレスです。

お色直しのあと入場してきた二人。ちなみに新郎はお酒で顔が赤い。

 いい結婚式でした。もうそれは私も妻も同じことを言い合いました。そして出席してくれた方みなさんから言われた言葉でもあります。
 また前日まで寒い曇の天気だったのですが、この日は暖かく空は澄み渡りました。東京ベイの石畳のコートヤードでのガーデンウェディングは、野外ですから、家族親族友人たちだけではなく、このホテルを訪れた他の方々も見ていてくれます。本当に、空も空気もホテルも、そして誰もかもが二人を祝福してくれていました。私はただただ嬉しかったです。

 私はおはぎが結婚すると聞いたときから、もうものすごく嬉しかったのです。相手のミツタカ君とは何度か会っていまして、とても優しい素晴らしい男性であることは充分判っていました。また彼のご両親も、そして彼の母方のお祖母ちゃんも、

  ああ、この方たちなら、おはぎをちゃんと可愛がっていただけ
  るな

と確信できたものでした。だから私はただただ嬉しかったのです。
 私はよくこんなことを言われてきました。

  やっぱり新婦の父親というのは寂しいのじゃないですか。
  本心では、お嫁なんかにはやりたくないでしょう。
  本当は、新郎のことなんか殴りたいくらいでしょう。

 でもでも、私は「何を言っているんだろう」という思いばかりでした。私はただただ、自分の娘が、いい人と結婚できるということが嬉しかったのです。もうその思いばかりでした。

 そして、私にはもう一つ重大な関心事があったのです。私はこの長女の結婚式の披露宴では、私の詩吟にて入場行進をやりたかったのです。それには、七言律詩のおめでたい詩を詠おうと考えていました。そして、お色直しの入場では、少々時間がかかりますから、

  広瀬武夫「正気歌」

を絶対にやる気でした。
 ところが、おはぎは絶対にこれを認めようとしません。私はなんとかホテル側との打ち合せで、ホテル側の「それは珍しいですが、いいですね」というような言動を引き出して貫徹しようと思っていましたが、それはおはぎが絶対にやらせません。次女ブルータスも

  ここでパパに許してしまうと、私のときにも絶対にやることに
  なるから絶対に阻止しよう!

と姉と強力に共闘しています。妻は「本人(おはぎ)のやりたいように」というばかりです。
 しかし私は、絶対におはぎの結婚式でも詩吟を披露したいのです。私の一番大好きな長女の生涯の大事な思い出に、私が詠わないのは、あまりに長女が不憫です。
 しかし、ここまで絶対破れないような包囲網があると、「困ったな、どう突破しようか」と考えました。もう入場行進のときと、お色直しのときは無理だなとあきらめまして、違うチャンスを考えました。それが、披露宴最後の父親の挨拶なのです。前には、新郎の父親のみが「謝辞」を述べるということで終わりだったようですが、今は新婦の父親も挨拶するのが普通のようです。
 ただ、ここでの問題は、私の涙なのです。ミツタカ君のお父さんは、大変に感激する方のようです。このお父さんが泣きますと、必ず私に伝染します。かつ私の泣き方というのは、非常に大泣きになりますので、これでは困るのです。私は、そこで私はお父さんにいいました。

  お父さん、泣かないでくださいよ。お父さんが泣くと、私に伝
  染(うつり)ますからね。私も大泣きする質なのです。

 ミツタカ君のお父さん、ごめんなさい。お父さんは、式でも披露宴でも、あちこちで涙を流されていましたね。私も異常なほどの泣き虫なのですが、でも私はこうした全然違う思いがあったのです。
 私は当初、私の一番好きな

  黒澤忠三郎「絶命詩」

をやるつもりでした。でも

  結婚式に、「命を絶つ」詩というのもどうかな

と思いまして、

   それなら、別れの詩ということで、みんなが知っているだろ
    う「陽関三畳」にするか

というしたものなのです。こう決めましたのは、式の前日のことでした。

 さて、いよいよおはぎのお礼の言葉です。
 おはぎが私たち夫婦に以下の言葉を読んでくれました。

お父さん、お母さんへ

 今まで本当にありがとうございました。26年前の今日、お父さんとお母さんが結婚した日に私も式を挙げることができて、本当に幸せです。
 夏にお母さんが入院した時、家族の大切さを改めて知りました。胸に穴が空いたように悲しかったし、自分が病気になればよかったと本気で思った。お父さんも佐世子も不安でいっぱいだったと思います。家族もみんな一緒だからこそ楽しいし、幸せなのだと思いました。今お母さんが元気になってくれて、私は本当にうれしい!
 その大好きな萩原家から、私はお嫁に行くことを決めました。それは悲しいことだし、寂しいことでもあります。でも、ミツタカという人は私にとって家族と同じように、とても大切な人です。いなくなられたら本当に困ってしまう。病気になったり、怪我をしたりしても、やっぱり「自分がかわりになればよかった」と思える人だと思います。だから、大好きな家族を、ミツタカさんとつくりたいのです。
 そして大好きな人の大好きな家族が、私のお父さん、お母さん、お兄ちゃんになってくれることが本当にうれしい。それはミツタカさんも同じです。お父さん、お母さんの息子になるんだね。大切で大好きな人たちが増えることは、本当に幸せなことです。
 夏、慈恵大病院で「新生児」を見ました。今日生まれた何時間か前にこの世に生まれた赤ちゃんを見ると「自分もあんな小さな命だったのだなあ」と思いました。「萩原加壽子さんの赤ちゃん」として生まれてきて「久仁子」という名前をもらって、お母さんのお乳を飲み、おじいちゃん・おばあちゃんに抱っこしてもらい、おばちゃんにあやしてもらい、お父さんにお風呂に入れてもらって、ビービー泣いてはみんなを困らせて、それで、みんなに愛されて、かわいがられて、育てられたのだと。悩んだり、つらいときも、いつでもかわらず私のそばにはたくさんの人がいてくれました。周りの人に愛されて、支えられて今の私はいます。そのことを忘れずに感謝の気持をもち、これからも生きていこうと思います。
 これから先も、お父さん・お母さんにはたくさん迷惑をかけると思う。常識がチンプンカンプンな私に「くにこはだめだなぁー」って言われるだろうし、私の食事が心配でおかずを何品か持たせてくれるかもしれない。
 でも嫌がらず迷惑をかけられてください。そしてお父さん、お母さんも遠慮せず私に迷惑をかけてください。苗字は変るけれど、私はお父さん・お母さんの娘です。ずっと娘です。これからもよろしくお願い致します。
 そしてなにより、病気や怪我に気をつけて、1分、1秒でも、多く、長生きしてほしいと思います。4.29 おはぎ

 私はこの言葉に感激しました。
 そして、おはぎは妻に花束をくれました。新郎のミツタカ君も自分の母親に花束を送りました。そして二人は、両方の父親には、ひまわりの花(おはぎは向日葵の花が大好きなのです。ひまわりの花の絵を描いていたことがあります)を一輪胸のポケットに差してくれました。
 私は「おッ、俺にも花くれるんだ、この花は何かな、醤油つければ食えるのかな」と思って、花びらを口に入れてみました。11070116

今こうして見ますと、ミツタカ君のお父さんは泣いていますね。でも私のために静かに涙を流しています。私はちょうど、花びらを口に入れようとする寸前です。「これって、つまみになるのかな?」
 私は「なんだ、これはいいつまみになならねえな」という思いで、そして光隆君の父親の挨拶があり、次が私の挨拶です。
 私は、何の挨拶も抜きに、次の詩を詠いました。

  王維「送元二使安西」

 私の別れの詩(うた)でした。私はこの詩を吟(うた)いながら、私は長女おはぎとの別れを思いました。
 
   元二の安西に使いするを送る
          王維
  渭城の朝雨 軽塵を邑す
  客舎青青 柳色新たなり
  君に勧む更に尽くせよ 一杯の酒
  西陽関を出れば 故人なからん
  なからんなからん 故人なからん
  西のかた陽関を出れば 故人なからん

 おはぎが生まれたときからのたくさんの思い出を思い浮かべ、そしてこの日、別れになってしまうことを思いました。(以上 2004.05.03)

 この披露宴は午前11時から午後1時30分まででした。ミツタカ君の小学校時代の担任の先生が挨拶してくれまして、久仁子の勤める学校の校長先生が挨拶してくれました。小学校時代の担任だった先生が、こうして結婚式で挨拶されるというのは、私には初めての経験です。ミツタカ君の小学生時代の友人たちが、多数参加してくれたのですが、この担任の女性の先生がいい思い出を作ってくれていたのでしょうね。
 ブルータスも、「私もいつか大人になった子どもたちが、結婚式によんでくれるような先生になれるかな?」なんて言っていました。

 このあと、新郎新婦の紹介を、それぞれのお兄ちゃんと妹が紹介してくれました。
 そのブルータスの姉の紹介が以下の内容でした。ブルータスは、紙芝居で、この紹介をしました。実は、前日の夜からこの紙芝居を作っていたものでした。だから、私がこの紙芝居を最初に見たものなのです。
  さて紙芝居の開始です

11070101 私は新婦の妹、ブルータスです。姉を紹介いたします。



1.昭和56年11月29日の出来事です。姉は3歳、妹の私は1歳のときでした。11070102
 
 妹のさよこが焼きそばをたたみに「ぽいぽい」捨てていました。

2.それを見た 母
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 「コラッ!」とギュッとさよこの手をつまみました。


3.それを見た くにこ 
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 「ママ! ちがうでしょう! おててはペンするのでしょう!」と抗議!

4.「さよちゃん 泣かないのよ はい、これあげるからね」
11070105
 
 と自分のやきそばを分けてあげていました。


 このように、小さい頃は私が母に叱られると、姉はよくかばってくれたそうです。そんなやさしい姉を、私はよく追い掛け回して泣かせていたのでした。
 私は姉に影響され、同じ大学に行き、小学校教員という同じ職業につきました。姉は東京都文京区の小学校の図工の先生として、毎日たくさんの子どもたちとともにがんばっています。二人で仕事についていろいろなことをよく話し合います。姉の仕事ぶりを聞いては、「私も頑張ろう」と励まされる毎日です。
 姉の良いところは、とてもやさしく、人のことを自分のことのように考えられるところです。人を思っては、一緒に笑ったり泣いたりできる人です。そして、自分の考えをしっかりと持ち、表現できる人です。少々のんびりやで、方向音痴、整理整頓が苦手なところはありますが、優しさ、誠実さというのは私が太鼓判を押します。そんな、私の自慢の姉、大好きなおねえちゃん、久仁子です。

 私の兄の詩吟(私の弟が尺八の伴奏)がありまして(兄が私たち詩吟の流派の宗家ですからね)、そのあとミツタカ君の職場の同僚3人が、ヒップポップダンスを披露してくれました。この3人はプロとしていつも踊っているのですが、まだ踊りだけでやっていくわけにはいかず、アルバイトでビル掃除の仕事をしているということでした。その仕事での作業服を身につけて、デッキブラシを手にもっての踊りでした。披露会場といういわば踊りにくい場で、この彼らのパーフォーマンスは実に力強くで、格好よかったです。

 その他たくさんの方々に挨拶いただき、かつ祝電もたくさんいただきました。中でも、私は私の義理の父のスピーチが一番印象に残りました。
 義父は、私の亡き父のこと(父の名は久二といい、長女の久仁子という名前は、その父の名前から、義理の父親がつけてくれたものなのです)を述べてくれまして、かつ私の母のことを説明してくれました。
 私の母は現在86歳で、もうかなりボケてしまいました。おはぎは、このお祖母ちゃんのことが大好きなんです。それで、お祖母ちゃんの元気なうちに結婚したいと思ったのが、彼女の今回の結婚式だったのです。でももう私の母は、結婚式に出られるような具合ではありません。それで、私の兄夫婦も、弟夫婦も、私たち夫婦も、母を老人ホームに入れようかと考え、具体的に検討しました。
 ところが、おはぎがそのことを知ると、お祖母ちゃんに会いに行ったあと、私に強烈な抗議の電話をしてきました。おはぎは泣きながら、怒っていました。「何故息子が3人もいるのに、お祖母ちゃんの面倒が見られないのだ?」というのです。
 そして、私たち息子ができないのだから、おはぎ自身が、結婚もやめ、教員も辞めて、「私がお祖母ちゃんの面倒を見る」というのです。もうこの主張が強力だったために、もう私も妻もは困り果てました。おはぎは言ったことを本当にやってしまう子なんです。
 でも、なんとか妻や義姉が話してくれまして、おはぎはそういう事態にはなりませんでした。そして私の母は、今も兄の家にいて、日によって介護ホームのお世話になり、また兄の自宅へ帰ってくる生活をしています。母のところには、弟夫婦、おはぎ、ブルータス、私の妻とみなよく顔を見せています。あまり真面目に行かないのは私くらいかな。私は行っても、ビール飲んで、ノートパソコンを開いているだけです。

 そして、この披露宴の最後に、前に書きましたように、おはぎからの私たち父母への言葉がありまして、そしてそして突如私の詩吟がありまして、そしてお開きになりました。もっとも、その前後、もういろいな方とお話したり、写真撮ったりしまして、いろいろと忙しかったものでした。

 その後午後4時30分から2次会です。ミツタカのご両親も、私たち夫婦も参加します。ブルータスの彼氏も友人も参加してくれます。11070105



左からブルータス、その彼氏ナオキ君、そしてミツタカ君、おはぎです。
 神田会の仲間も、ぱらむさんご夫婦、和尚さん、石先生が参加してくれました。この2次会は、披露宴よりも多い約100名の方が参加してくれました。11070117



神田会の3人のおじさんです。

 ところで、この2次会では、私がまず最初に詩吟をやりました。「え、最初にやっていいのかな」という思いでしたが、とにかく黒澤忠三郎「絶命詩」です。
 そして披露宴でもやってくれました職場の同僚3人が、ヒップポップダンスです。今度は広い舞台ですから、もっと激しく踊ります。そして3人が踊っていたのですが、そのうち職場の10数人がさらに舞台にあがります。これはもう圧巻でした。1107010711070108


迫力ある素晴らしい踊りでした。今度どこかで披露してくれるときには、私も行きますよ。

 娘二人の属する「東京奄美三線会」も歌を披露してくれまいした。娘二人も以下のようにやってくれました。11070109


ブルータスが三線での伴奏、おはぎが島唄を披露しました

 私は、長女の友人たちでは、みんな名前は判るのですが、なにしろ綺麗な女性ばかりです。話しかけるたびに、「ああ、こんなに綺麗になったんだ」と感激ばかりでした。
   最後はみんなで、ブームの「風になりたい」の合唱11070110


  みんな全員で撮影会。でもこのとき上の人が何度も床に飛び降りたので、下の階で打ち合せした人は「何事か?」と驚いたようですよ11070111

 そしてそして、私はこの2次会のあと、神田会の友人たちと、浦安で飲んでおりました。
 愉しい、嬉しい、長女の結婚式でした。(2004.05.10)
おはぎの作ったカード(2004.05.11)
11070112 このイラストは、おはぎが結婚式のときに、披露宴のテーブルのすべての方に置いたカードです。
 でも「テツandトモ」じゃないかとも言われたようです。



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 このイラストはおはぎが私と妻にくれたカードです。実はミツタカ君とおはぎは、このカードを披露宴に出席してくれた方全員に一人ひとりあてに書いて渡してくれていました。ホテルの担当の女性にもあげていました。その彼女は、仕事上のトラブルで少々落ち込んでいたのですが、このカードをもらって、ものすごく嬉しくなったそうです。
  ミツタカ君はビルの清掃の仕事で、おはぎは小学校の図工の先生です。だから二人とも、それぞれデッキブラシと絵を画く絵筆を持っています。

09072601 一昨日私の姪の次女のかなちゃんが結婚するということで、その結婚式の知らせが来ました。これで、私の側の姪はみんな結婚することになります。もう私はとっても嬉しいです。
 そして結婚して住むのは、お姉ちゃんのしほちゃんの家のすぐそばのようです。これまた私はとても嬉しいことです。
 このかなちゃんんは、私の次女ブルータスと同じ歳、同じ学年です。いつも姪たちは、私の兄の娘みーねえを中心として、弟のところの娘しほちゃん、かなちゃんと、私の娘おはぎ、ブルータスと5人で集まっていました。
 こうして全員が結婚しまして、もう私は大変に嬉しいです。
 またみんなで会おうよ。もうさらに子どもたちでにぎやかにやっています。私はいつも嬉しいばかりです。
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43b86a58.jpg きょうは、次女ブルータスの義弟(彼の弟)の結婚式です。それでこれから出かけます。浜松町のあるホテルで行われます。妻はもう出かけています。
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bee59f97.jpg 大変に暑いです。こう暑くなってくると辛くなってくるだろうと思われる義母です。3月25日に結婚した次女の結婚式・披露宴でのスナップ写真が届いてきました。これは印刷したほうがいいんだろうなと思っています。(6/28)
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70d2e2ad.jpgこの写真がおはぎの作ったウェルカムボードです。

 もっと大きな画像を掲載したいのですが、私は結婚式で撮っている時間がありませんでした。そして今は、ブルータスの部屋でたくさんのものの中に埋もれているようです。(これはケータイでたった今おはぎが送ってくれましたケータイメールの添付ファイルです)。

 だから、なんとしても早く、このボードを大きく撮りたいです。

 絵は、ブルータスとナオキ君が、南の島(ハート型をしている島です。本当にこういう形の島があるそうです)の教会で結婚式を挙げ、それで気球で飛び上がります。島の教会では、大勢の人が二人を送っています。
 そしてその島のすぐそばに鯨が二頭泳いで来てくれています。
 その鯨の一頭には、なんと、私の初孫のポコちゃんが乗っています。ポコちゃんは、二人の結婚を祝いに、鯨の背中に乗ってこの島に来たのです。

ebdd7642.jpg もう次女ブルータスの結婚式まで1週間になりました。たった今ブルータスへの手紙が我孫子から転送されてきましたものを同封してポストに入れてきました。
 ブルータスあての結婚式の出欠の返信が我孫子の自宅についたのが、ここ王子へ転送されてきます。それを私がさらに次女のいる彼の自宅へ送ります。ただ、もう結婚式の出欠の返事は、3月になってからは来ていません。だから、いくつもの手紙は何通かまとめて送っています。
 ポストに入れる途中で、私が書いたブルータスの宛名をみて、「ああ、俺と同じ萩原という名前が変わるんだな」と思いました。
 いつも私は、その転送の手紙になんらかのことを書いています。思えば、結婚しても、私は当分の間転送されてきたブルータス宛ての手紙を送り続けるのですから、またこうして手紙を書くことになります。
 いつも必ず初孫のポコちゃんのことを書いています。次女ブルータスにも早く子どもが生まれてほしいです。そうしたら、また私は孫の顔を見に、孫を抱きにいきます。
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 昨日は、初孫ポコちゃんのお宮参りです。これは孫を抱くのは、彼のお母さんの役目ということ(インターネットで調べるとそう書いてあります)で、あちらのお祖母ちゃんとお祖父ちゃんが来てくれました。

 それでそのお二人に、東十条の黒松の草月 をお土産で持っていくのようにあげようと、私は自転車で買いに行きました。9時10分前に出発して、9時15分にはおはぎの部屋に帰ってきて、可愛い孫のほっぺに触っていました。11時王子神社でのお宮参りなのですが、あちらのお祖父ちゃん・お祖母ちゃん(お父さん・お母さんといいたいのですが、ポコちゃんから見れば、もう祖父・祖母なのです)はもうおいでになっています。

 妻が次女ブルータスの来月3月25日の結婚式の衣装選びです。ディズニーランド近くのホテルオークラに出かけます。次女のドレスを彼のお母さんと選んでいるでしょう。
 そのあと私は、ある仕事をやります。もちろん、ブログも打ちますし、メルマガも書いています。義母のお昼を食べさせて、もう私は食事をしている時間がありません。
 それで妻が3時半頃帰ってきて、私はまずあるものを宅急便で出しにいきます。でもいつも使っているところが2軒ともお休み(あ、きょうは日曜日だ)。それをセブンイレブンで出して、家に帰って、長女のお父さんの買ってきてくれた御弁当(お父さんはわざわざ新宿高島屋まで行って買ってきてくれました。他にも買い物があったのです)を食べます。
 それで王子駅から、ディズニーランドまで急ぎます。電車の中で、次女と妻にケータイメールします。私は宅急便出した相手にもケータイメールします。

 かくして、ホテルオークラへ着きまして、相手のお父さんの衣装選びを見て、私の衣装を決めます。私はこういうことはすぐ速いのです。あ、そういえばこのことで出発する前に、妻が「ワイシャツ着ていかないとまずいでしょう」というので、あわてて着替え、そして「皮靴はかないとまずいでしょう」というので、私は「えッ、靴なんてあったかな?」と焦ります(エッ、私は普通に下駄で行っていいと思っていた)が、妻が靴を出してきます。
 私が下駄で現れなくてブルータスは少しは安心したでしょう。私はすぐさま決めました。
 そのあとは彼の衣装選びです。結婚式とお色直しのタキシードと和装を見ます。「あ、これがいいんじゃないかな?」。
 そのあと、午前中妻も見ていたブルータス自身のお色直しの着物を見ます。その前にドレス姿は、ブルータスのデジカメで見ました。着物は、「あ、これがいいな」。でもそのあとまた別なのを着ると、「あっ、これのほうがいいかな?」。そのあとも、「あ、これのほうもいいなあ」。私は単なる親バカですが、何故か私の次女はとっても綺麗です。「なんせ、俺の娘だからな」(と心の中で思います)。
 で、どうやら決めまして、そうするとその前の結婚式のドレスも決まります(お色直しの和服の色で、比較して決まりました)。でもサ、あとで聞きまして、そのレンタル料金で私はぶったまげます。
 そのあと、また別にここへ着て、衣装と何かを決める日を彼とブルータスが予約していました。
 二人が小学校の教員だというので、その衣装室にいた二人の女性のうち、お一人が「私は子どもが小学校6年と2年です」というのです。「えっ」と驚きます。私たちから見れば、独身とも思える若くて綺麗な方なのです。

 そのあとブルータスは、司会者との打ち合せがあるというので、みなさんと別れまして帰ることにしました。でも私はいつも、ここからの帰り方がよく判らないのです。あとで妻に聞くと、ホテルが出す舞浜行きのバスがあるというのです。それを待っていれば良かったな。私はモノレールで降りる駅を間違えて、そして大変な苦労をして何故か新浦安駅まで歩いて(かなり歩いたよ)、それで王子まで戻りました。なんか、私は馬鹿でとろいよなあ。

 とにかく、忙しい日曜日でした。

 私はこのホテルオークラへ行くとき、戻るとき、ディスニーランドに向かう、そして帰ってくるたくさんの家族連れを見ました。そのときに、私の心が大変に変化してしまっていることに私は驚きました。
 私は、私はディズニーランドが嫌いだよ に書きましたように、心の底からディスニーランドが少しも好きになれませんでした。でもでも、このデイズニーへ行く、そこから戻ってくるたくさんの家族を見て、モノレールの中で、「私も今度ポコちゃんと、ここに来れるのはいつだろう?」と思っていたのです。「いや、ポコちゃんだけではなく、その妹、弟とも、ブルータスの子どもたちとも、ここへ来るぞ、手を引いたり、抱いたりして、ディズニーを歩こう」と自然に思っていました。そんな私のことを自然に思い浮かべていました。ディズニーランドの各キャラクターのことを、私はいくらでも孫に詳しく喋ることができます。そんなおじいさんになります。
 まずそんな日は、来年には可能でしょう。間違いなく、「じじは、どうしてそんなことまで知っているんだろう?」って、ポコちゃんが思ってくれるはずです。

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 私の次女ブルータスの ぶるぶる日記このUP があります。結婚をすることの報告です。

私、あと3ヶ月後に結婚します。

 私は父親として、とても嬉しいです。とっても素敵な彼氏です。そしていいお父さんと素敵に美人なお母さんと、そしていい弟さんがいます。
 結婚式は、姉おはぎが結婚した同じディズニーランド近くのホテルでやります。たくさんの方が来てくれます。私の父も義父も天国で見てくれるでしょう。

 ここの写真の画像は、姉おはぎが作ってくれるウェルカムボードです(ただし、もちろんこの画像のはまだラフ案のスケッチです)。

 さていい結婚式、いい日になります。とても嬉しいです。そのときには、私の最初の孫も一緒にこの結婚式に出ています。嬉しい日になります。嬉しい愉しい気持でいっぱいです。

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 私の次女ブルータスの ぶるぶる日記このUP がありました。
 私がコメントしたりトラックバックしても、全然喜んでこれないので、いつも読んでいるだけなのですが(また勇気をふるっていくつかトラックバックしてみるかなあ?)、これを読んで実にブルータスの中学時代の友人たち、そして担任の先生の顔が思い浮かびました。

昨日は、地元で中友との忘年会でした〜!私は遅れてしまい8時に到着、そして2次会を経てついにはカラオケ5時まで、生き残り6名。すごいよ。最後ほとんど寝てたけど・・・、若いよみんな。

今回は先生も来てくれました。中2,3と持ってくれた先生は、本当にいい先生です。全てを受け止めて、みんなを信じてくれます。本当にいい先生に出会えたなあと改めて感激。先生が来てくれるからこれだけみんな集まるんだよね。(2006.12.30)

 これらの方々と来年3月の結婚式で会えるのですね。とても嬉しいです。思い出せば、私は運動会も文化祭にもいきましたよね。懐かしく思い出します。いつもたくさんの思い出が浮かんできます。
 そんな思い出は、周の家族・教育の話 にいくつか書いてあります。これを読んではいくつもの思い出に私はひたってします。

私が結婚するといったら、リングを作ってくれるといってくれた芸術家が!そして、ヘアメイク担当してあげると言ってくれた美容師が!そして「マブダチ」歌ってくれると言ってくれた日テレADが!なんていい仲間たちなんだあ〜〜〜っっ本当に私は感激しました。中友はいろんな人がいて、本当におもしろい。すごい個性的でバラバラなんだけど、みんな昔の一つの思い出でつながってる。だからまとまるんだよね。みんな大好き。

昨日は、本当に幸せな日でした。ありがとう。

 ええと、私も結婚式の2次会にも出席したいのだけど、そりゃ、だめだろうね。
 でもこのブルータスが結婚して、やがて子どもができたのなら、また私はその私の孫の運動会にも授業参観にも参加します。
 あんなに小さかったブルータスが結婚します。私はただただ嬉しいのです。

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