20170627032017062702 私は今年で満五○歳になりました。二四、五歳のころには、きっと三〇代になれば、もっと精神的に落ち着いた大人になれるのだろうと思い込んでいました。その三〇代になったときには、きっと四〇代になったときには、もっと生活も余裕ができ、心も余裕を持つことができるのだろうと思い込んでいました。それが、ことごとく、違ってきてしまったのが、私の人生だという気がしてしまいます。それどころか、年を取るごとに、それこそがけっぷちに段々追い詰められていくようなあせる思いばかりになってしまいます。

これは私だけではないのかもしれません。李白の「行路難(こうろ11052904なん)」という詩を読むと、あの奔放に生きたと思える李白もまた、私と同じように、毎年毎年年齢を重ねるごとに、悩み深くなるばかりであることを考え込んでいたのだろうなと感じいってしまいます。
この李白の「行路難」という詩は三つありますが、これは「その一」とされる詩です。

    行路難(其一)    李白
  金樽清酒斗十千  金樽の清酒斗十千(註1)
  玉盤珍羞直萬錢  玉盤の珍羞(註2)直(あたい)万銭
  停盃投筋不能食  盃を停め筋(はし)(註3)を投じて食う能わず
  抜劍四顧心茫然  剣を抜き四顧して心茫然たり
  欲渡黄河冰塞川  黄河を渡らんと欲して冰は川を塞ぎ
  將登太行雪暗天  将に太行(註4)に登らんとすれば雪は天に暗し
  閑來垂釣坐溪上  閑来釣を垂れて渓上に坐し
  忽復乘舟夢日邊  忽ち復た舟に乗りて日辺(註5)を夢む
  行路難               行路難し
  行路難             行路難し
  多岐路               岐路多し
  今安在               今安(いず)くにか在る
  長風破浪會有時  長風浪を破る会(まさ)に時有るべし
  直挂雲帆濟蒼海  直ちに雲帆を挂(か)けて蒼海を済(わた)らん

  (註1)斗十千(とじっせん)  一斗一万銭。高い上等の酒。曹
植「美酒斗十千」による。
  (註2)珍羞(ちんしゅう)  めずらしいごちそう。
  (註3)筋  本当は上が竹かんむりではなく草かんむり。
  (註4)太行  山西省と河北・河南省の境を走る山脈。
曹操『苦寒行』

                北上太行山  北のかた太行山に上れば
                  艱哉何巍巍 艱き哉何ぞ巍巍たる

         とある。
  (註5)日辺(じっぺん)  太陽のほとり。転じて、天子のそば、
帝都を意味する。

  金の酒樽にたたえた清酒は一斗が一万銭もする
  玉の皿に盛った珍しいごちそうは万銭にも値する
  だが盃をおき箸をおき食べてはいられない
  剣を抜き四方を見回し心は茫然ととりとめない
  黄河を渡ろうとしても氷が川を塞いでいる
  太行山に登ろうとすると雪がふって天が暗くなる
  そこでのんびりと釣糸を垂れ谷川のほとりに坐っているかと思う
と舟に乗って太陽のそばに行くことを夢みている
  人生の行路は困難だ
  ほんとに行路は困難だ
  別れ路が多すぎる
  私の太陽はいまどちらにおられるのだろう
  大風に乗じて万里の浪をのりこえる  そういう時がいつかは来る
  その時にはまっしぐらに雲のように速い帆をかけて大海原をわたっ
ていこう

やはり、いくら年を重ねても、人生はわけが判らなく、余りに路が多すぎます。だが、それでも李白は 

  長風破浪會有時
  直挂雲帆濟蒼海

と言っているのです。この姿勢気持は私も同じです。たとえ、年々白髪の数を悩むようになろうとも、やはり段々がけっぷちに追い詰められるようになろうとも、そのがけっぷちでこそ、自信をもって踏みとどまり、自分で立ち上がれる存在になれるよう努力していく所存です。私はそれが「自立」ということなのだろうなと思っているのです。
李白はいいな、そしてこの詩を自信をもって吟じられる自分になりたいなと思っています。 (1998.11.01)

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