将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:義父

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 私は蜘蛛業に次のUPをしました。

 ハイチに大地震が起き、私もかなり驚きました

 そして私は、わが家のおかあさん2010.01.15 に、次のように書きました。

ハイチの大地震のニュースも昨日書きましたよ。神戸の大震災のときに全世界から助けに来てくれたことを私たちは忘れてはなりません。

でもそのときには、神戸の大震災よりも死傷者の数は多くなるのだろうな、残念だなあ、ということくらいしか思いませんでした。
 でもでも、死者が5万人に達しそうというので、実に驚きまして、でもでもさらに実は20万人を超えるというニュースでもうただただ驚くばかりです。そして私はできることは何をしたらいいのだろうと焦るばかりです。
 私の義父が神戸大震災のときに私の娘二人を連れて行ってくれたことは、実にありがたいことでした。神戸は、私の義父の故郷でもあるのです。
 なんとしても、私もただただ驚いているばかりです。

052778bb.jpg ハイチの地震で亡くなった方が20万人になるといいます。もう驚きです。15年前の神戸の大地震を思い出しました。私の二人の娘にも大きな出来事だったはずです。娘を神戸までつれて行ってくれた義父を思い出します。
 義父が亡くなったあと、お骨を神戸のお墓に持って行きました。そのことをつくづく思い出します。そのとき震災の跡を見たものでした。
 いつも新聞を見るのも、そこに織り込まれているチラシを見るのも楽しいです。それを見て何かを書こうと思いました私です。
 写真は昨日18日に撮りましたお花です。(01/19)

4c37dd1b.jpg 義母が入浴して嬉しいです。相変わらず義父の亡くなったことを一日に何度も私たちに確認して驚いている義母です。もう仕方ないことでしょうね。
 日曜日テレビでやっている『JIN−仁−』の原作の漫画を読みました。16巻を読み終えて、坂本龍馬が歴史通り寺田屋で殺されてしまうのかどうなのかが気になります。
 写真は昨日12月6日午後7時28分に撮りました東武ストアの前の雪ダルマの像です。(11/07)

65214596.jpg 先日(6月20日)義母が出て行ってしまったときに、柳田公園で同じマンションの4Fの方が見付けて連れてきていました。その方は義父をことをよく知っていたのです。改めて義父を思い出しています。
 この写真は6月17日の夕方飛鳥山公園と王子駅の間で撮りました紫陽花です。なんとか鎌倉の成就院のあじさいを見に行きたいのですが、無理かなあ。(06/24)

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 義母は先々週の13日から一昨日20日まで、お泊まりをしてくれていました。それで一昨日の午後2時に帰ってきました。でも私はいつもの通り義母を迎えて、特別に何も考えていませんでした。
 ところがたぶん2時30分頃急に電話がなりまして、出るとここのマンションの管理人さんが、私の義母を今預かっているといいます。もう私は驚愕して、すぐに1Fに降りて、義母を預かりました。義母の手を握って部屋まで帰りました。管理人さんは、4Fの方が義母を連れてきてくれたということでした。
 私は自分の部屋に入っていても、ドアをあけたりする音は判るわけですが、このごろは、義母はひっそり判らないように出ていくので、気づかないことがあるのです。でもだからこそ、ドアには二つも鍵(これは外からも鍵であけられます。私たちは中から開けられます)のほかに高い位置に鍵をかけています。これは中からしかかけられません。
 でも、私は義母が帰ってきたのに、この鍵をかけてなかったのでした。

 それで、すぐに私の妻も帰ってきました。それで、事態を説明し、私は4Fの方へのお礼の手紙を書いたことを、妻にいいまして、妻と話して、何かお礼のお菓子を手に入れにいきました。王子権現坂の狸屋へ行きまして、ご主人と少しお話して、「じゃ、このお菓子がいいのでは」というので、手に入れて、帰ってきて、4Fのお宅へすぐに持って行きました。
 でもそこでお話すると、義母は何故か柳田公園の方まで行っていたようです。それで、「なんだかこれはおかしいな」と気付かれて、このマンションまで連れて帰ってきてくれました。そして管理人さんに渡して、それで私に電話があり、それで判明したわけです。
 この4Fの方は、私の義父のことは顔を知っていて、義母が柳田公園まで歩いているので、なんだか変だと気付かれたようです。
 私も妻もそもそも、ここの住民ではありませんでしたから、義父や義母のことを少しでも知っている方のことを何も知りません。
 だから、こんな有り難い方々のことも、実にちゃんと知りません。もう実に有り難く感謝するものです。

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09030902 またきょうも雨になってしまうのかなあ、と思っている時刻です。でも今外へ出たら、もう雨は止んでいます。まだ暗い時間ですが。
 きょうは2人の孫に会えるかな、と思っています。ポコ汰は、誰かがいると私と手をつなぎませんが、私と2人っきりだと私と手をつないで歩いてくれます。そんな歳なのかなあ?
 写真は昨日撮りました。昨日3月9日は、義父が亡くなりましてちょうど3年目の日でした。それでこうして綺麗な花を遺影のそばに飾りました。(3/10)

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 きょう行きました六義園の写真もいくつもあるのですが、義父の土鈴の写真もあるもので、ここであとの土鈴の写真をいっぺんに載せます。

 でもまだいくつかあると思いますから、それはまた別な機会に載せていきます。
 最初の土鈴は神田明神のものです。思えば、私もこういうふうに、何かを蒐集してみたいものですね。

 このあとは本日行きました六義園の写真を載せていきます。

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c4f7239d.jpg このところ、このブログの画像に連続的に土鈴をUPしています。今後もいくつも続きます。思えば、義父とはそんなことは話したことがなかったです。
 義父も子ども二人と義母を連れて日本中を引越してばかりいました。それは私の家族と同じです。ただ、義父の家族は、北は東京までで、南は福岡まででした。ただし、義父だけが水俣に単身赴任したことがあったと聞いています。
 私の家族は、北は札幌で、南は鹿児島まで住みました。私単独では沖縄にも住んでいたことがあります。
 それぞれ住んだ土地をいくつも思い浮かべているものです。
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01c009a3.jpg 昨日は着替を入れなくて申し訳ありません。朝には、義母がいくつもの荷物を持って行こうとするので、その中で選んだのですが、中身まで私が確認すべきでした。
 写真は私が昨日書いていましたものです。義母と義父が昔書いていた短歌と俳句です。もう今では遅いわけですが、義父ともっとたくさん話しておけばよかったですね。

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「有楽町かわら版」8月1日号 に次のように書きました。

もう私の義父が亡くなりまして2年半が過ぎていますので、前にもメールでそのことはお知らせしたはずなのですが、今回も義父あてに送付されてきました。またインターネット上のサイトに連絡のメールを入れます。

 ところがこのメールが昨日戻ってきてしまいました。つまりメールではこちらの意思は通じません。もう仕方ありませんので、今9時35分に、私の義父が2年半前に亡くなりましたことを電話にてお話しました。いえ、こうして書いておかないと、この電話したことの記憶もあやふやになってしまいます。
 他でもこうしたトラブルがありまして、メールですと記録が残るからいいのですが、電話ですと、あとから「いつそのことを連絡したのか?」と聞かれても判らなくなります。郵送の場合でも、書留ならいいのですが、こんなことにまでそうするわけにもいきません。
 思えば、だから私はけっこう書留を使っているのでしたね。
 そうですね。他のことで、前に電話で伝えたのですが、あとで、「その電話は誰も受けていない」と言われてしまい、私が困ったことがありました。これは、相手の名前を聞いていなかった私がいけないのですが、だから私は大事なことは文書にしますし、そして重要なものは書留にもします。
 ただメールは便利なのですが、まだまだ信頼しきれないですね。いやこれはメールがいけないのではなく、相手が受信したことが確認できないから、不安なのですね。

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bfb0e4a8.jpg この「連絡ノートを楽しく読まさせて頂いております」という言葉に嬉しくなります。でもきっと私の娘たちは、「こう書かれちゃうと、パパは図に乗るんだよな」と警戒することでしょう。何、構うものですか。
 写真は、昨日11日の朝の次女が送ってきました母の日のお花です。義父が写真で優しく見てくれています。(05/12)

55068ce4.jpg「気分は落ち着いている様子」という言葉にまた嬉しく思います。ただし、まだやっぱり義父が亡くなったことはちゃんと認識できていないようです。
 写真は、3月29日の午後0時くらいの我孫子の兄の家の玄関近くにあったお花です。(04/04)

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 何度も義父のことを聞いてきます。もうすぐ2年になるのですが、どうしても理解できないようです。義母がいつも義父のことを聞いてくると、そのたびに義父の亡くなったことを説明して、いつも義父のことを思い出してしまいます。
 写真は、1月6日の王子の家の玄関です。(01/10)

176c1724.jpg 一昨日の日曜日午前中、妻が「教会に行く」と行って出かけました。父が所属していた王子教会です。でもそこからは1時間ほどで帰ってくると思っていたのですが、なかなか帰ってきません。長女がポコちゃんと一緒に来てくれたいたのですが、あまりにばばが帰ってこないので、長女とポコちゃんは家に帰りました。あまりに時間がかかるので、私はてっきり我孫子の自宅へ行ったのだと思いました。この日は前日に続いて我孫子の自宅へ行くと言っていたからです。
 でも何の連絡もなしに、行くなんて変だなと思っていました。それでもうてっきり我孫子へ行ったものだと思い込んでいましたら、午後3時半頃帰ってきました。赤羽に買い物に行っていたそうです。
 でも王子教会に行きまして、義父のことを思い出して、それでとても哀しくなって涙が出てきたので、家に帰るわけには行かなくなったようです。
 たしかに王子教会へ行くと、義父のことを思い出します。牧師さんとお話すればなおさらでしょう。もっと私が早くに気がついて、できたら一緒に歩いていけばよかったなあ、と思っています。そういうことが、すぐに気がつかない私なんですね。
 義父は信仰心のことは判りませんが、王子教会を大事にしていました。とても大事に思っていました。私なんか、信仰心なんて、少しもありませんから、その義父の気持の中身は理解できませんが、王子教会を大事に思っていた義父の気持を感じることができます。
 もっといっぱい話しておけばよかったなあ、という悔恨ばかりです。
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 きのう夜家族でトランプをやりました に次のように書いたことです。

 思い出すのですが、たしか兄弟3人の家族で茨城の海へ行ったとき、従姉妹同士で、ボックスでトランプをやっていました。ばばぬきをやっていたら、いつまでたっても終わらないのです。そのうちにおかしいことに気がつきました。ばばのジョーカーがないのです。「これじゃ、ゲームにならない」となりましたが、そこで判りました。一番小さいブルータスが、ジョーカーを「こんなの嫌だ」と、座席の下に隠したのです。もう大笑いなところなのですが、まだ小さい(まだ小学生になっていなかった)ブルータスには、真剣なことだったのです。

 これを妻が読んで、「あれはこの家でのことではなかったか」といいます。それで私も思い出しました。この王子の家で、私たち4人家族と義父、義母とトランプをやっているときにもあったことなのでした。思えば、愉しいことでしたね。ブルータスはいつも義母が心配していましたが、トランプに負けると、悔しくて泣き出してしまうような女の子でした。だから、そんなことがなくなってくると、、義母が「さよちゃんも大きくなったんだねえ」と言ってくれたものです。
 思えば、そんな私たち4人家族のことを、義父もよく見ていてくれました。そして写真をよく撮ってくれていました。そんな写真がいまでは大切な宝物です。その写真のアルバムには、ブルータスとおはぎからの手紙も入れてあります。まだ保育園に行っていた小さい二人の手紙は実に面白いです。これもみんな大切な宝物です。

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be00f231.jpg きょうは、桜を見に、長女夫妻と孫と音無川を午後歩こうかと思っています。彼のお父さんとお母さんも来てくれるかもしれません。私がどこかで桜を入れてある詩を吟じたいのですが、そうするとまた娘から怒られるなあ。私の孫にとっても初めてのお花見です。義母も29日にお花見したと書いてありました。思えば、義父がまだ元気なうちに一緒に桜を見に歩きたかったなあ、とつくづく思っています。(3/31)
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a8306191.jpg きのうの夜、長女家族3人が来てくれていました。それでこの連絡帳を読んで、「パパはいつも関係ないことばかり書いているじゃないか」と言われました。そうかなあ? でもいいじゃないか。私は、孫が保育園に行きましても、いっぱい書きますよ。
 もうすぐ桜が咲きますね。昨年長女が桜の絵を描いて、義父の病院の部屋の枕元に置いてあったのを思い出します。一緒にその桜を見ることはできなかったですが、義母とは今年の桜を見ることができます。ひ孫と一緒に見ることができるのです。(3/13)
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07022702 もうすぐ3月なんですね。もうすぐ義父が亡くなりまして丸1年になります。きのうどうやら、義父が亡くなったことは、義母も認識できたのかなあ、と思われました。だが、自分の父と母に関することがかなり曖昧になっています。昨日は、一緒にここに住んでいるようなことを言っていました。少し聞いていくと、それがちゃんと認識できないようで、困っています。(2/27)
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06121301 私は、マガジン将門の「周の健康の話」の最初に、(現在私周は、高血圧ということで病院に通い、医師の指示に従って行動するようにしています。……)と書いていましたが、次のように改めました。

 

 (私は、若いときより全く病院に罹ったことがありませんでした。だが、今
 この年になって、いろいろと身体と精神の状態に不安があります。もう実に
 気持が消耗しています。そんな私が自分の状態を、ここで発信して、その後、
 「
http://shomon.net/kenkou/kenkou.htm/ 周の健康の話」にUPしていき
 ます)

 もう随分医者には通っていません。昨年9月ごろで止めたのかな。薬をもらうだけで、そしてその薬の多さに、かなり嫌になりました。
 私の年代以上の方々とお話しますと、私以上に何種類もの薬をお持ちの方が大勢います。そして朝と晩にそれを飲むのです。
 私の義父も亡くなりましたが、実に大量の薬が残されました。つい先日その大量の薬をすべて棄てました。間違いなく、義父は真面目な性格ですから、毎日せっせとあの大量の薬を飲んでいたのでしょうが、でもあんなに余るのです。
 なんだか堪らない辛い気持になります。

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8dccedcf.jpg 亡くなりました義父あてのDMが来ました。銀座瑞花というお菓子屋さんです。越後の菓子処「瑞花」とあります。妻に聞きましたら、義父が好きだったおせんべいのようです。ぜひ買いに行きまして、義父のことを話し、このお菓子を買ってこようと思っています。きっと義母が喜んでくれると思うのです。(10/14)
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 ここに掲げた写真は9月2日に私が撮りました。

 義母の部屋から出てきたものです。二人は実に仲良く、いつもどこかへ出かけていました。
 これは、義母の故郷の山口県に二人の旅行したときに、作った短歌と俳句を、義母が短冊に書いたものです。

 そして実は、私はこれが正確に読めないのです。
 私が介護しているといいましても、私にはよく判らないものもあるんだな。羞しいな。
 だから、今晩ちゃんと聞いて、またここに書いてみます。

76a06729.jpg 昨日は帰ってきたときも、「暑いね」と言っていました。やっぱり、この暑さは辛いのでしょうね。ただ、もうすぐ秋ですね。もう義父が亡くなりまして、随分経ちました。でもあっという間だった思いです。
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7da2dd2d.jpg 義母が「わが家」ではゲームやお話をしているということがとても嬉しいです。思えば、義父と二人でいるときに、こうしてやってあげていられたら良かったのになあ、と反省します。でも今からでも義母にはそうした経験をいっぱい体験してほしいと思っています。(9/02)
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3b7d17ac.jpg 義母は美術が好きです。美術の大好きだった義父とたのしく話ができたのではないかと想像します。こうして「わが家」で何か美術をしている義母の写真を見ますと、とても嬉しい気持がわき上がります。
(8/29)
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d4306cb0.jpg 義母の体調は前よりも良くなくなったという印象は受けていないのですが、どうしたのかな、という思いです。ただ、このごろは義父の死については、もう明確に認識できてきたかなと思っています。そのことがつらいのは間違いないでしょう。娘である私の妻のことを、すぐに探している義母の姿があります。それととにかくやはり、この暑い日々が辛いのだと思います。(8/22)
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efd1978d.jpg 暑い日々なので、義母は暑がりもするのですが、冷房も苦手なのです。でも身体の健康は少しはいいように思えます。ただ、どうしても義父が亡くなったことがまだ実感できないようです。そのことが、やっぱり悲しいです。(8/21)
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27c99062.JPG今王子駅前のある銀行です。

   義父の銀行口座を義母に移して、それのことで銀行に来ました。

    写真は、昨日義母が「わが家」で作りましたハンカチです。草木染めかな。

 

ad412e21.JPG 妻と話していたのですが、前にここにきたのはいつのことかな。思いだそうとしても、浮かんできません。でもこの桐ヶ谷はいくつもの葬式がありました。今その最後(要するにこの一つ前の時)が思い出せません。マイクロバスに乗っていて、周りの風景でいくつも甦るものです。今義父のことも思い出しました。思えば私も、いい義父・義母を持ちましたね。

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