将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:聖書

2017073103 私が今ずっとUPしています「聖書」のマルコ傳ですが(この前には「マタイ傳」をUPしました)、それで私が「新新宗教」について考えて、私のこのサイドバーにある「グーグル検索」で、「このブログ内を検索」をしますと、以下のようなものが出てきました。その一部を以下にあげてみます。

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2012年05月17日吉本隆明鈔集463「宗教」
宗教というのは人間(人類)の精神的活動の始源になったものだ。これは様々な形をとって現在(二〇〇六年)にまで至っているが、大別すればその変遷は二つにわかれるといえよう。ひとつは外形を著しく変化させて倫理道徳になったり、さらに法律になったり、民族国家やその下の日常的な生活社会になったりして現在に至っている。もうひとつの精神活動は外形は宗教の形をとりながら、キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教、儒教や神道など、地域種族のちがいによって、さまざまな宗教を生み出している。
(『還りのことば』2006.5.1雲母書房「まえがき」)

これほど明確によく言いきってくれているものです。概念としては判っているつもりでしたが、こうして言葉で書かれるとはっきりしてきた思いが私にはしています。宗教の中で、いろいろな形があることよりも、宗教が、倫理道徳になったり、法律になった元なのだということが今の私にははっきりしてきている思いがします。

2011年04月10日吉本隆明鈔集「宗教」
ちょっとかんがえると、宗教は阿片であるとか迷妄であるとか簡単に片づけられそうにみえますけれど、しかし、なぜ人間が宗教的あるいは観念的には、馬鹿馬鹿しいくらいの迷妄になりうるかということの根柢は、そうたやすいものではありません。なぜたやすいものでないかといえば、そのほんとうの基盤は、最初に申しあげましたように、社会そのものの現実的な要素の中にあって、迷妄はその一つの象徴たるにすぎない面があるからです。それからもう一つは、観念の問題としての伝承、つまりこれは、言葉を通して、言葉として残されたものを通してというのが多いわけですけれど、伝承されたものから影響を受けやすいという、そういう両方の面から、迷妄性の根柢は、かなり深いように思われます。だから、人間の観念的な可塑性とは、ほんとうは、いかようにも迷妄になりうるし、また、いかようにも科学的にもなりうることを指しています。
(「国家と宗教のあいだ」原題・緊急の思想的課題1970.4.29西荻南教会主催講演於杉並公会堂  「海」中央公論社1970.7月号に掲載  「知の岸辺へ」1976.9.30弓立社に収録された。「信の構造Part3全天皇制・宗教論集成」1989.1.30春秋社に再録。「語りの海吉本隆明1幻想としての国家」1995.3.18中公文庫に再録)

このことをよく踏まえておかないと、宗教のみならず人間の観念性を見誤ってしまうのだ。人間は観念的にはどのような異常性も狂気性をも持ちうるのだ。その自分の特殊な観念を世界に普遍なものと思い込んでしまう。だから一見馬鹿馬鹿しい迷妄さも、全くの科学性も同じところに存在してしまうことがあるのだ。

2011年11月08日吉本隆明鈔集272「新新宗教と超人的」
中世の浄土教とか日蓮宗とか曹洞宗とかの当時の新興宗教は、超人的というのはやめようじゃないか、つまりこれは倫理の言葉とか倫理の行いとかに直さなかったらだめなんだというかたちで、それぞれの宗旨、宗派はちがうんですがやったようにおもいます。なんといったらいいか、倫理的な教義の純粋化といいますか、純粋化と倫理化がいっしょになってというかたちであったとおもうんです。現在の「新新宗教」はその逆であって、旧来の倫理がだめじゃないかとおもわれはじめたときに、いままであった倫理を解体してもう一度新しく通用する倫理をつくろうとするところはどこにもなくて、従来の倫理は基本的に終っちゃったというかたちになっている。やっぱり超人的なことにもう一回入っちゃっているような気がします。

(1992.9、10田原克拓によるインタビュー 「時代の病理」1993.5春秋社に収録)

  昔の新興宗教といわれていたものと、今日の新宗教はかなり違う。それで新新宗教と名付けているわけだ。おおきな特徴がこの超人的ということである。教祖なりがかなり超人である。昔の新興宗教の教祖がただの主婦であったり、ただのおっさんであったりしたのとはおおきく違っている。それは現在の若者なりの抱く悩みなりの要素がかなり違ってきているからだと思う。
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私は明治から昭和戦前の新宗教と、ついこのごろの新新宗教とは大きく違うことを考えています。これは今日の午前10時頃、ここの自宅のポストに今の新13020205新宗教の本が投げ込まれたからです。それでしばし考えたものなのです。
私が歩く路でも昔の新宗教の看板を掲げているところがあり、でも今の若い人(と言ってももう新新宗教の人もそんなに若くないだろうが)はもう「超人」でないと魅力はないのだろうな。
でもまた今は違ってきていると思います。

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13011110 いややっぱり私にはマタイ伝は難しいです。いや『聖書』すべてが難しいというべきなのかもしれないけれど、私にはとくにこのマタイ伝には感じてしまうのです。
 イエスがいうのが難しかったから、多くのユダヤの群衆は結局は避けてしまったのかなあ。難しいというのは、多くの人間には実行することが難しすぎると私が感じていますのです。

第13章
 その日イエスは家を出でて、海邊に坐したまふ。大なる群衆みもとに集りたれば、イエスは舟に乘りて坐したまひ、群衆はみな岸に立てり。譬(たとへ)にて數多(あまた)のことを語りて言ひたまふ、『視よ、種播く者まかんとて出づ。播くとき路の傍らに落ちし種あり、鳥きたりて啄む。土うすき磽地(いしぢ)に落ちし種あり、土深からぬによりて速かに萠(も)え出(い)でたれど、日の昇りし時やけて根なき故に枯る。茨の地に落ちし種あり、茨そだちて之を塞ぐ。良き地に落ちし種あり、あるひは百倍、あるひは六十倍、あるひは三十倍の實を結べり。耳ある者は聽くべし』
 弟子たち御許に來りて言ふ『なにゆゑ譬にて彼らに語り給ふか』答へて言ひ給ふ『なんぢらは天國の奧義を知ることを許されたれど、彼らは許されず。それ誰にても、有(も)てる人は與へられて愈々(いよいよ)豐ならん。されど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし。この故に彼らには譬にて語る、これ彼らは見ゆれども見ず、聞ゆれども聽かず、また悟らぬ故なり、かくてイザヤの預言は、彼らの上に成就す。曰く、
  「なんぢら聞きて聞けども悟らず、
  見て見れども認めず。
  この民の心は鈍く、
  耳は聞くに懶(ものう)く、
   目は閉ぢたればなり。
    これ目にて見、耳にて聽き、
    心にて悟り、飜へりて、
    我に醫(いや)さるる事なからん爲なり」
13011111 されど汝らの目なんぢらの耳は、見るゆゑに聞くゆゑに、幸福(さいはひ)なり。まことに汝らに告ぐ、多くの預言者・義人は、汝らが見る所を見んとせしが見ず、なんぢらが聞く所を聞かんとせしが聞かざりしなり。されば汝ら種播く者の譬を聽け。誰にても天國の言(ことば)をききて悟らぬときは、惡しき者きたりて、其の心に播かれたるものを奪ふ。路の傍らに播かれしとは斯(か)かる人なり。磽地(いしぢ)に播かれしとは、御言(みことば)をききて、直ちに喜び受くれども、己に根なければ暫し耐ふるのみにて、御言のために艱難あるひは迫害の起るときは、直ちに躓(つまづ)くものなり。茨の中に播かれしとは、御言をきけども、世の心勞(こころづかひ)と財貨の惑とに、御言を塞がれて實らぬものなり。良き地に播かれしとは、御言をききて悟り、實を結びて、あるひは百倍、あるひは六十倍、あるひは三十倍に至るものなり』
 また他の譬を示して言ひたまふ『天國は良き種を畑にまく人のごとし。人々の眠れる間に、仇(あだ)きたりて麥のなかに毒麥を播きて去りぬ。苗(なえ)はえ出でて實りたるとき、毒麥もあらはる。僕(しもべ)ども來りて家主にいふ「主よ、畑に播きしは良き種ならずや、然るに如何にして毒麥あるか」主人いふ「仇(あだ)のなしたるなり」僕ども言ふ「さらば我らが往きて之を拔き集むるを欲するか」主人いふ「いな、恐らくは毒麥を拔き集めんとて、麥をも共に拔かん。兩(ふたつ)ながら收穫(かりいれ)まで育つに任せよ。收穫のとき我(わか)かる者に「まづ毒麥を拔きあつめて、焚くために之を束(つか)ね、麥はあつめて我が倉に納れよ」と言はん」』
 また他の譬を示して言ひたまふ『天國は一粒の芥種(からしだね)のごとし、人これを取りてその畑に播くときは、萬(よろづ)の種よりも小けれど、育ちては他の野菜よりも大く、樹となりて、空の鳥きたり其の枝に宿るほどなり』
 また他の譬を語りたまふ『天國はパンだねのごとし、女(をんな)これを取りて、三斗の粉の中に入るれば、ことごとく脹(ふく)れいだすなり』
 イエスすべて此等のことを、譬にて群衆に語りたまふ、譬ならでは何事も語り給はず。これ預言者によりて云はれたる言の成就せん爲なり。曰く、
  『われ譬を設けて口を開き、
  世の創より隱れたる事を言ひ出さん』
13011112 ここに群衆を去らしめて、家に入りたまふ。弟子たち御許(みとも)に來りて言ふ『畑の毒麥の譬を我らに解きたまへ』答へて言ひ給ふ『良き種を播く者は人の子なり、畑は世界なり、良き種は天國の子どもなり、毒麥は惡しき者の子どもなり、之を播きし仇(あた)は惡魔なり、收穫は世の終なり、刈る者は御使(みつかひ)たちなり。されば毒麥の集められて火に焚(や)かるる如く、世の終にも斯くあるべし。人の子その使たちを遣さん。彼ら御國の中より凡ての顛躓(つまづき)となる物と不法をなす者とを集めて、火の爐に投げ入るべし、其處にて哀哭(なげき)・切齒(はがみ)することあらん。其のとき義人は父の御國にて日のごとく輝かん。耳ある者は聽くべし。
  天國は畑に隱れたる寶(たから)のごとし。人見出さば、之を隱しおきて、喜びゆき、有(も)てる物をことごとく賣りて其の畑を買ふなり。
  また天國は良き眞珠を求むる商人のごとし。價(あたひ)たかき眞珠一つを見出さば、往きて有てる物をことごとく賣りて、之を買ふなり。
 また天國は、海におろして各樣(さまざま)のものを集むる網のごとし。充つれば岸にひきあげ、坐して良きものを器に入れ、惡しきものを棄つるなり。世の終にも斯くあるべし。御使たち出でて、義人の中より惡人を分ちて、之を火の爐に投げ入るべし。其處にて哀哭・切齒することあらん。
 汝等これらの事をみな悟りしか』彼等いふ『然り』また言ひ給ふ『この故に、天國のことを教へられたる凡ての學者は、新しき物と舊き物とをその倉より出(いだ)す家主のごとし』
 イエスこれらの譬を終へて此處を去りたまふ。己が郷にいたり、會堂にて教へ給へば、人々おどろきて言ふ『この人はこの智慧と此等の能力(ちから)とを何處(いずこ)より得しぞ。これ木匠(たくみ)の子にあらずや、其の母はマリヤ、其の兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダにあらずや。又その姉妹も皆われらと共にをるに非ずや。然るに此等のすべての事は何處(いずこ)より得しぞ』遂に人々かれに躓(つまづ)けり。イエス彼らに言ひたまふ『預言者は、おのが郷おのが家の外にて尊ばれざる事なし』彼らの不信仰によりて其處にては多くの能力ある業を爲し給はざりき。13011113

 でもイエスの言うことが、多くの人間にはついていけないのです。最後に『預言者は、おのが郷おのが家の外にて尊ばれざる事なし』にある通りです。私もこのイエスについていくことはできないでしょう。でもこの教えを世界宗教にしたのは弟子たちがよくやったのかな。偉かったのかなあ。

12071004 7月11日の破茶さんの『独楽吟のススメ』です。

たのしみは 聖書の中の 「タラントン」 たとえ話の意味を知る時

 聖書ってちょっと難しい。キリストは喩えを使って弟子たちに話をされたと書いてあり、その意味が私にはなかなか理解できないことも多いのです。

 ある機会に、解らなかったことの一つの意味を知ることが出来ました。神に与えられた才能を生かすことなく埋めてしまってはいけないとのこと腑に落ちたなぁと、思う。

 私は「舊新約聖書(文語訳)」はそばに置いてあり、ときどき開いているものです。またインターネット上でもよく開いています。やっぱりものすごくいいです。やはり最初は「吉本隆明『マチウ書試論』」から、聖書の偉大さを知ったものです。

たのしみは 生け花教室 通いつつ 花と向き合い 語り合う時

 私の先代が生け花の先生だったので、私には似つかわしくないけれどやってみようかなと始めた生け花。まだ半年にも満たないけれど、結構その時間は楽しいのです。不要な部分を取り除き 空間の美を作り出していく作業、先生やその他の生徒さんたちの会話を聞いているのも楽しいことです。

 私は花はよく知りません。でもいつもたくさんの生花は見ています。花をこうしていつも見ることにより、私の気持は変わった、変わりつつあると思っています。

11022109 長与善郎は、1885年(明治21年)8月6日〜1961年(昭和36年)10月29日の生涯でした。私は彼の作品は、この他では『項羽と劉邦』を読んでいます。この作品は中2のときに読みました。
 この作品は実にわかりやすいテーマだと思いました。私は宗教というものに、自分が信仰するということは少しも考えられませんが、『聖書』は読むのが好きです。どうしても、文語訳の『聖書』、とくに『新訳聖書』は何度も読んでしまいます。それに比べて仏典なんかは、とくに『禅家語録』なんかは、少々難しくて面白くなくて、どうしても読めません。
 だが現在のキリスト教ではなく、この時代の切支丹には、実に切羽つまる大きなものを感じています。
 この小説の主人公萩原裕佐は、江戸時代に実在した踏絵作家です。この小説の最後に次のようにあります。

 萩原裕佐は最後までけっして切支丹ではなかったのである!彼はただ一介の南蛮鋳物師にすぎなかったのである!

 もちろん、切支丹を取締う役人たちも、このことには気がついていたでしょう。でも彼が作った踏み絵マリア像がありまりに精巧なもので、その絵が素晴らしかったので、当時の日本人では、それを自分の足で踏むことができないのです。
 ただ、私が読んだ中2の頃も、別段大きな信仰の問題だなんて考えられませんでした。日本の歴史の中に、こんなこともあったのね、くらいなものでした。(2011.02.22)

10091523 私はときどき『聖書』を開いています。私は佛典も読むようにしているのですが、どうにも難しすぎる思いです。とくに『禅家語録』はいくら読んでも判りません。それに道元の書かれたものはいつ読んでも親しめないものです。「自立本願」ということは、「ひたすら勉強せよ」といわれているみたいで、どうにも親しめないのですね。
『聖書』では、いつも『マタイ傅』を開いています。私の好きな吉本(吉本隆明)さんの『マチウ書試論』はいつも何度も読み返しているものですが、でも「マルコ傅』はどうしてもまだ親しくなれないものです。でも今回『聖書』のこの二つを読んでみました。二つの最後をあげてみます。

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 十一弟子たちガリラヤに往きて、イエスの命じ給ひし山にのぼり、遂に謁えて拜せり。されど疑ふ者もありき。イエス進みきたり、彼らに語りて言ひたまふ『我は天にても地にても一切の權を與へられたり。されば汝ら往きて、もろもろの國人を弟子となし、父と子と聖靈との名によりてバプテスマを施し、わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』(マタイ傅第28章)

 其ののち十一弟子の食しをる時に、イエス現れて、己が甦へりたるを見し者どもの言を信ぜざりしにより、其の信仰なきと、其の心の頑固なるとを責め給ふ。かくて彼らに言ひたまふ『全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傳へよ。信じてバプテスマを受くる者は救はるべし、然れど信ぜぬ者は罪に定めらるべし。信ずる者には此等の徴ともなはん。即ち我が名によりて惡鬼を逐ひいだし、新しき言をかたり、蛇を握るとも、毒を飮むとも、害を受けず、病める者に手をつけなば癒えん』語り終へてのち、主イエスは天に擧げられ、神の右に坐し給ふ。弟子たち出でて、あまねく福音を宣傳へ、主も亦ともに働き、伴ふところの徴をもて、御言を確うし給へり〕(マルコ傅第16章)
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『マルコ傅』のほうが『聖書』の中では古いものなのでしょうか。これから『マタイ傅』のようにまとめられたというように思えます。またマグダラのマリアの扱いも違うように思えてきます。
 でも『聖書』はインターネット上でもいつも参照することができ、実にいいです。もうすぐ、この日本でも「キンドル」で、この『聖書』もいつでもどこでも読めるようになるでしょう。そうなったときに、さらにこの『聖書』も私たちに身近なものになってくれると思っております。

10080103  私のここのサイドバーにあるツイッターで、私の友人のyossitakaさんに以下を書きました。

あ、そうなんだ。あのお寺は私の父が菩提寺と定めたのです。曹洞宗のお寺で、代表は戦争で長男次男が戦死したので、自分が継ぐことになったと前に言っていました。私は11時20頃入りまして、お参りして正午にはもう飲んでいました。暑い日でしたが、いいお墓参りでした

 これは140字という制限がありますので、「、」や「。」も大変なのです。いつもあとで、文字やこうしたものを削除して140字に合わせています。もちろん、私のこのブログにUPする題名をそのままUPするときには、ほぼ字数の問題はありません。
 この正泉寺は実にいいお寺です。住職は、先の大戦のために、突如お寺を継ぐことになり、鶴見の総持寺に修行をされた苦労を語ってくれたことがあります。
 私も大昔は、禅宗といえば、道元の曹洞宗がちゃんと哲学を語っているのだろうと思い込んでいたものでした。「道元『正法眼蔵』」は、岩波書店の「日本思想大系」で最初1970年に刊行されたと思いました。
 でも読んでもよくわからなかったな。でもこの本はあちこちの私の友人たちの本棚でもいつも見かけたものでした。
 でもそののちは、臨済宗の栄西の方に私は興味が移って行ったものです。鎌倉や京都の禅宗のお寺を歩いても、そちらへの興味のほうが大きくなったのです。
 でもあと禅宗といえば、黄檗宗にも興味をもったものです。でもどれももう私には無縁になりつつあります。そもそも私には宗教なんて、難しすぎるのです。
 私は今はけっこう『文語訳舊新約聖書』はよく開いて読んでいます。でもいつも読んでいた『マタイ傅』ではなく、今は『マルコ傅』をよく読むようになりました。
 でもでも、自分の死を考えると、マルコ傅をよく読んでも私にはわからないなあ。私の父母がこの正泉寺なのですが、私の義父は神戸の教会です。だから私はよく『聖書』もよく読むようにしているのですが、やっぱりこれまた私には向いていないかなあ。あまりに私は不勉強ですからね。
 やはり、親鸞の教えには、分かりたいと思うところが一致することも多いです。
 私はやはり吉本(吉本隆明)さんの考えにそのまま従ってしまう自分で行きます。いきそうです。親鸞の教えと、吉本隆明さんの考えに何故か似たところを感じている私です。

10072403 7月24日の16:51に届いていたHA茶さんの『独楽吟のススメ』です。

「2010/07/24 【No.1977】わたしの独楽吟(どくらくぎん)」を読んでの周の感想。

たのしみは 慣れ親しんだ 仕事場を 離れ夫と 暮らしいく時

どうかしら?これからのこと頭で考えても妙案は浮かびません。しばらくのんびりしてゆっくり生き方を考えていけばいいのかもしれません。異動と考えたら気が楽です。

 これからのことなんて、おそらく誰もわからないと思いますよ。仕方ないのよ。でもそれで焦らないことだと思っています。

たのしみは 睡眠薬の 代わりかも 眠り誘う 聖書読む時

まだまだ聖書のことは良く解っていません。受洗していますのに・・・。

 私はいつも聖書のマタイ傅を読んでいます。この頃はマルコ傅も読むようになりました。それでそれを私は今茨城弁にしたりして、まったくまともな信心の心はありません。

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 思えば、毎日夢を見ているのですね。それを少しでも記録すべきだなあ。

2010/06/15 07:33今朝は夢の中で「日の丸土建」の仲間たちと会っていました。夢は毎日見ているのですが、朝まで明確に覚えていられません。
 でも沖縄にいる友人に手紙を書こうかな。沖縄の飯10061102場でずっと飯炊きをやってくれていた女性です。胸のでっかい綺麗な女性でした。家は沖縄にあって、でも彼女は山口県で保育園の先生をやっていました。最後は園長になっていました。もう孫がいます。
 手紙を書くというのはいいですね。でも彼女に手紙を出したのは2年前かな。いや年賀状は別ですが。
 けっこう手紙を書いてきました。ただ返事はメールが多いです。600通を越える手紙に、返信の手紙は10通ばかりです。メールでの返信は30通くらいです。別に返信を求めているわけではありませんのでいいのです。でもたまにはメールででもくれないものかな。
 上の彼女はクリスチャンだから、いつも葉書には聖書のことばがあるので、私もまた聖書の話も書こうかな。
 聖書の中のことを書きましょう。きょうやります。
 あと「読書さとう」が今まで書いている途中です。
2010/06/15 08:02「ゲゲゲの女房」で赤ちゃんが泣きました。またきょうも私の長女の家に行きましょう。私はポニョを少し怖がっていることがあって(だって下手をすると私をぶつのです。あ、でもまだ小さな手ですからね)、でもやっぱり私の大好きな孫です。きょうも行ってポニョを抱きましょう。
「ゲゲゲの女房」の最後に調布市の風景が少しだけ写されます。調布は私の弟夫妻が結婚して初めて住んだ街です。それでなんだかとっても懐かしいのです。
2010/06/15 09:47もう義母のわが家から電話があるはずです。その前にやっぱりリビングで私がいて電話を待たないとなりません。そうしてすみやかに出かけられるようにするのです。
 今上に書いた沖縄のM子さんに手紙を書いています。彼女は孫は何人いるんだっけ。私は今年で4人になることを手紙に書きましょう。4人目の孫が男の子か女の子かはまだ判らないです。でももうブルータスが大変に喜んでいるのが判ります。昨日の夜、お腹の中にいる赤ちゃんのレントゲン写真をケータイメールで送ってきました。それではまだ男の子か、女の子かは判らないのです。このことも手紙に書きましょう。
 私はいつも長女には怒られています。いや、いいじいじなのになあ。私が悪いというより、長女が寛容じゃないんだよなあ。でもとにかく私も努力していきます。この努力が大切なことです。

 ブルータスの子どもが生まれたら、もう私はまたものすごく喜びます。このお腹の中にいる子にずっとケータイメールを出していこうかな。

原典 ユダの福音書
原典 ユダの福音書
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 昨日八重洲ブックセンターヘ行きまして、それから日暮里までの電車の中でこの本を読みました。

書 名 原典ユダの福音書
編著者 ロドルフ・カッセル
    マービン・マイヤー
    グレゴール・ウエスト
    パート・D・アーマン
編 集 尾澤和幸
    稲葉 稔
翻 訳 藤井留美
    田辺貴久子
    村田綾子
    花田知恵
    金子周介
    関利枝子
発行所 日経ナショナルジオグラフック
定 価 1,800円
発行日 2006年6月5日第1版第1刷

 それでユダの裏切りというのは、そもそも何なのかな? それが判らないと、この本もまともに読めないな。ちゃんと知って、そして私には、ユダとイエスの本当の姿、それにマグダラのマリアも判るかもしれません。
 そうすれば、聖書の個々の言葉をまた違う視点から見られるかもしれません。

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 いつも、この会からの報告を、IC Home の大村さんからのメールで読んでいます。この毎月開催されている「親鸞を読む会」に行きたいなという思いばかりがあるのですが、でもでも、京都へ行くと、もう私はあちこちで飲みたくばかりになってしまいことばかりが予想されてしまいます。
 その大村さんからの先ほど11:29のメールで以下のようにありました。

 パク・ピョンシュク(朴 乗植)教授が、日本人は無宗教ではない、お地蔵さん、神社、お寺、教会でも何処でも手を合わす、これはある種の宗教性である、言っておられたのも、なるほどと、心から感得しました。

 その通りだと思います。私は神社ではどこでも手を合わせるようにしていますが、でも成田山だと駄目ですね。成田山は、成田だけではなく、実にどこにでもたくさんあるのです。でも私は私の将門さまを討った俵藤太をどうしても許すことができないのです。でもそのほかの神社はどこでも手を合わせます。お地蔵さんにもそうですね。お寺も、少し道元には、少し面倒な人なんだなあ、なんて思いながらも手を合わせます。教会は、いつも「文語訳『聖書』」を読んでいますので、教会にもいい感じを抱きます。ただし、『聖書』もその教会もいいのは、戦前のある時期にみな天皇制に屈服して、それで統一した『聖書』を作ったことにあるのですね。日本のカトリックは少し面倒です。

 いつもメールをありがとうございます。親鸞もちゃんと読みこなせないといけないなあ、と思っています。歎異鈔はいくらか読んできたつもりでいますが、教行信証はまだまだ読み込めていません。

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 私の 周の掲示板に、次のUPがありました。

驚きました。  投稿者:てつ  投稿日:2009年 4月 2日(木)21時31分13秒
周さんのHP、一部読ませていただました。量が多くて、全部読み切れませんでした。すごいですね。驚きました。実は、吉本隆明とオウム真理教について調べようとして、周さんのHPに行き着いたのです。刑法上は裁かれるのですが、それだけでいいのか、というのが私の意見です。参考のHPと参考の書籍を紹介していただけたなら、幸甚に存じます。

 ええと、私も簡単には言えないことであるわけですが、オウム真理教というのが、なんらかのものを志向していたのでしょうから、その志向をもち続けるのなら、もっとなんらかのことを述べるべきだろうと思います。ただし、そうはいいましても、もうできないのも仕方ないかなあ、とも思います。
 参考のHPというのは、判らないです。絶えず、今後たくさん出てくるのじゃないでしょうか。参考の書籍というのはね、いっぱいあるのじゃないですか。私が絶えず読んでいるのは、「聖書」です。全然参考にならないのは、「禅家語録」です。
 それよりも、ご自分で、ブログを開設されるのが一番いいのではないでしょうか。
 吉本(吉本隆明)さんの本は絶えず読んでいます。私は日本人に生まれてよかったと思うのは、吉本さんも同じ日本人で、その本がそのまま読めることです。
 明日はいい天気で、いいお花見ができることだろうと思っています。

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 義母の替わりに献金を持って王子教会へ行きました。あまりにきょうは寒いため、妻に替わりに私が行きました。ちょうど12時頃教会に着くように行きました。ちょうど日曜拝礼の終わったところで、手続きができました。
 私の義父が好きだった教会です。ここでいつも義父を感じています。そしてしばし待つ間、そこにあった聖書を開きます。ただ何十冊もある聖書はみな口語訳の聖書でした。でも仕方ないよね。
 義母のレターケースがあり、そこからいくつもの文書を受け取りました。その「日本キリスト教団王子教会せっきょう風信No..84」の最初に次のことが書いてあります。

 安息日(あんそくにち)終わりし時、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア及びサロメ、徃きてイエスに抹(ぬ)らんとて香料を買ひ、一週(ひとまわり)の首(はじめ)の日、日の出(い)でたる頃いと早く墓にゆく。誰か我らの爲に墓の入口より石を轉(まろば)すべきと語り合ひしに、目を擧ぐれば、石の既に轉(まろば)しあるを見る。この石は甚だ大(おほい)なりき。墓に入り、右の方に白き衣を著(き)たる若者の坐するを見て甚(いた)く驚く。若者いふ『おどろくな、汝らは十字架につけられ給ひしナザレのイエスを尋ぬれど、既に甦へりて、此處に在(いま)さず。視よ、納めし處は此處なり。されど徃きて弟子たちとペテロとに告げよ「汝らに先(さき)だちてガラリアに徃き給ふ、彼處にて謁(まみ)ゆるを得ん、曾て汝らに言ひ給ひしが如し」』   女たち甚(いた)く驚きをののき、墓より逃げ出(い)でしが、畏たれば一言も人に語らざりき。(マルコ傳福音書一六章一〜八節)
(ただし、この教会のせっきょう風信は、口語訳で書いてあります。それから「畏」は違う「おそれる」の字ですが、私はそれをどうやってここに出したらいいのか判りません)

 でも思えば、このあとのマルコ伝がいわばあとで書かれたものなのですね。イエスが復活して、11人の弟子たちが全世界に旅たつところです。(その部分は、ここに書いてあります。だだし、全部は書いてないよ。どこかインターネット上に聖書が載っていないものかな。もちろん文語訳で)

 それで、献金の袋等を受取り、私は教会を去りました。

 教会へ行きましたが の2 へ

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 ここに掲げたのは、妻の大叔父である田中忠雄の絵です。
 この王子の自宅には、田中忠雄の絵がいくつもあります。みな義父が大事に持っていたものです。
 できたら、みなデジカメで撮って、ここに掲載していきます。いつかはすべての作品の画像が蒐集できたらと思います。

 田中忠雄の経歴をインターネット上から引用します。これは、いのは画廊このページにあったものです。

田中忠雄(1903〜1995)

 札幌市に牧師の息子として生まれる。神戸に移り小磯良平と出会い絵を始める。京都高等工芸大学に進学。卒業後、東京市の技手をしながら、前田寛治写実研究所に学ぶ、1930年教会、二科展に出品。1930〜32年渡仏。33年二科展で滞欧作が特別陳列。41年二科展友賞。42年二科会会員。45年行動美術協会創立会員。60年現代美術展で優秀賞。69〜74年武蔵野美術大学教授。84年北海道近代美術館で個展。85年毎日芸術賞。98年神戸市立小磯美術館にて回顧展。北海道近代美術館、日本基督教団など所属。

 彼の息子さんが、私の出身大学の埼玉大学の教育学部美術・図工の先生をやっていたことがありまして、そんなことで、私とは少しは関係があります。私のほうは、もっぱら学生運動ばかりでしたが、学生運動をやっていますと、自分の学部だけではなく、全部の学部の先生方ともより親しくなりました。もちろん学生課の方も、各守衛さんもみな仲良く知り合ったものでした。
 田中忠雄さんは、私たち夫婦の結婚式で、素敵な挨拶をしてくれました。
 ただ私は絵というと、実にまったく不勉強な人間でしたから、全然判らなかったわけでしたが、今このごろは少しは何かがつかめてきたかなというところです。

 スキャナで撮りたいのですが、この絵「1994年ガリラヤ湖夕照」は額縁に入っていまして、はずせません。それで正面から撮ると、ガラスでこちらが写ってしまうので、こうして斜めから撮りました。

    こうした聖書に関係した絵が多いなと私は感じていました。

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