将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:聖書マタイ伝

10072301 昨日聖書マタイ伝を茨城弁で書いたらどうなるのかというので、やってみました。私のブログに載せてあります。やはり文語訳のイエスはいいですが、茨城弁ではイエスの言葉にも説得力がないなあ(これは茨城弁変換辞書を使っています)。
 昨日初めての方が、私の建築パースへの書いている内容が素晴らしいと言ってくれたのですが、私はそのことよりも、茨城弁のイエスで笑っていました。以下のようです。

 イエスは彼らに言われだ、「恐れるごどはねえ。行って兄弟たぢに、ガリラヤさ行け、そごでおらと会えるだっぺ、と告げなせえ」。(ただし、これを読む場合は、まったく品なく、調子っぱずれで声を出してください)

 やっぱりイエス・キリストは茨城弁で話さなかったですよね。あ、茨城の方、怒らないでください。私はそもそも茨城生まれです。
 写真は23日の午後7時2分に撮りました。長女の家のお隣のお花です。(07/24)

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 きょうの11時頃、日本キリスト教団王子教会の「『道』第40号」を受け取りました。大久保正禎牧師からいただきました。

 私が書きましたのは、以下の内容です。これは今年の5月24日にメールで送りましたものでした。

 昨日(5月23日)、家に来てくれていた長女を上中里の自宅まで送っていくのに、孫の長女をベビカーで乗せて歩きながら、「新約聖書」のマタイ伝とマルコ伝のことを考えていました。ときどきベビカーを前から見ますと、孫はいつも私の顔を見て、にっこりと笑ってくれるのです。
 そして帰ってきてから、聖書を開きました。私は聖書というと、この二つばかり読んでいます。それでマタイ伝の第18章の次の言葉が目に入りました。
「百匹の羊有てる人あらんに、若しその一匹まよわば、九十九匹を山に遺しおき、往きて迷へるものを尋ねぬか。もし之を見出さば、まことに汝らに告ぐ、迷わぬ九十九匹に勝りて此の一匹を喜ばん」
 これはいいことばですね。これで思い出したのが、今村均のある小説(角田房子「責任ラバウルの将軍今村均」)での一節です。以下の通りです。

「将軍がここにはいられたので、日本人みな力にしているとのことですね」
「九十九人匹の羊は祖国へ帰し得ましたが、ここに残されている迷える一匹は、どうしても私がみまもる責任があるのです」
「あなたは羊を飼っていたのですか。どこで?」
 けげんな顔でたずねるマッピン(少佐・牧師)に、片山が「マタイ伝第十八章の言葉をひかれたのです」と説明した。
「ああ、そうでしたか」マッピンが明るく笑った。「将軍は聖書を読んでいるのですか」
「十八歳まではよく教会にいってました。聖書は今も手にしています」
「そうですか。それで今も、キリスト教を信仰しているのですか」
「仏教と申しておきましょう。一般の仏教とは少し違いますが……」
「それは何という信仰ですか」
「法然、親鸞という仏教の聖者が説いた教えで、イエスの説かれたものと同じ愛と救いの信仰です」
  (角田房子「責任ラバウルの将軍今村均)

 今村均は、第二次大戦中インドネシア方面軍の司令官でした。彼は戦後オランダ軍に戦犯とされた部下たちが無罪であるということ証明するために、自ら収容所に入ります。そのときのラバウル収容所での豪州軍少佐マッピンとの会話が上なのです。

 私が教会に行きましたときに依頼されていて忘れていまして、この5月24日に急に思い出して、「あ、これはまずい」とすぐにメールしたものです。
 私は信仰はないわけですが、聖書は常にそばにあり、よく読んでおります。文語訳の聖書はいつ読んでもいいですね。

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 大学生 (チェーホフ・コレクション)

書 名 大学生
著 者 アントン・チェーホフ
訳 者 児島宏子                                                           絵   イリーナ・ザトゥロフスカヤ
発行所 未知谷
定 価 2,000円+税
発行日 2005年11月10日初版発行
読了日 2008年1月16日

 これは以下でも読んでいました。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51250486.html 周の雑読備忘録「チェーホフ『たわむれ』」

 でもまたこれで読んでみて、またチェーホフを思いました。なんていうすごい作家なのでしょうか。

 ワシリーサが涕泣し、その娘が戸惑いを感じたのであれば、今しがた彼が語った1900年以前の出来事が、この瞬間あの二人の女たちに、荒野にやっと息づくこの村に、彼自身に、全ての人々に、不可避の現象として正に在るのではないだろうか。
 老女があのように泣いたのは、彼が人の心を動かす話術を駆使した結果ではない。
 彼女にはペテロが身近な存在で、ペテロの心中に去来したことどもに、心身とも深く衝たれたからであろう。

d6f37a39.jpg たしかに聖書マタイ伝のあのシーンはいつも胸を打ちます。でもおそらくチェーホフもまたサハリン島を訪れたときに、マタイ伝のあのキリストの声が甦えったのだろうと私には思えます。
 この22歳の大学生は、チェーホフその人の姿でもあると私には思えます。

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