将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:自作パソコン

12092703「サイドバーに「ダダさんの掲示板」を置きました』に書きましたように、私のこのブログのサイドバーに置きましたが、そしてその報告と了解を求めに、「ダダさんの掲示板」に書き込みました。
 そうしたら、すぐに以下の書込みがありました。

サイトの更新だけでも 投稿者:管理人  投稿日:2012年 9月27日(木)09時42分53秒
  なかなか面倒だと思っているのに、周さんは、器用にページのデザインを変えられますね。こんな便利なものがあることさえ知りませんでした。掲載、有難うございます。
今日も、良く晴れました。周さんのブログで、お孫さんが運動会の練習をしていると書かれていましたが、この週末くらいが本番でしょうか?応援に行かないとなりませんね。

 ありがとうございます。私は藤田さんと同じ昭和23年生まれです。
 それで昔の私を知っている人には、私がパソコンやインターネットをやっているなんて想像ができないでしょう。私はそういうものに一番向いていないと思われるのじゃないかな。
 私が自作パソコンをやったときも(私は13台自作しました)、ただただ驚かれただけです。でもこの私とパソコンやインターネットへの思いはまた別に書きましょうか。もういっぱいのことがありすぎるのです。
 もう私はただただ原則どおりにやるのです。何度ミスしてもまたやるのです。
 この私のブログのサイドバーに「ダダさんの掲示板」を置いたのも、書いてある通りにやっただけです。何度もミスしましたが。昔から同じなのです。12092613

 運動会は、三匹のは10月6日(土)なのです。今度の10月1日は、私の次女ブルータスの長女のじゅにの運動会です。当然にばあばと行ってきます。そしてそのことを、三匹にいっぱいお喋りするのです。このブログにも書きますよ。

12012805 3日に私の実に親しかった堀雅裕さんが亡くなりましてから、ずっと悲しい寂しい思いでいます。仕事で、いくつもの街を歩いていても、彼の顔を思い出してしまいます。どの街にも彼と一緒に歩いた思い出があるからです。
 思えば、彼はもっと私の事務所へ来て、自作パソコンのことを聞きたかったのだろうなと思います。亡くなる前に、10月26日(木)に私の事務所に来ましたが、実は次の金曜日にも私の事務所のビルに来ていたことが判りました。私が明日も夕方来客があることを伝えていますから、遠慮したのでしょう。ただ電話だけはしてきました。大声で、自作パソコンのことを聞いてきました。そういえば、私が毎日忙しいので、遠慮がちな電話をいつもくれたものだなと思い出しました。
 彼はけっこう毎日飲んでいましたが、しかも私の事務所から歩いていけるところで飲んでいたことが多かったようです。一人で飲むよりも、私と会話して飲みたかったろうけれど(かつ、「あの人と飲むと、また2軒目3軒目になっちゃうからな」と警戒もしたろうけれど)、遠慮していたんだよな、と今思います。
 彼が亡くなってみて、はじめて私も「自分は長生きしよう」という気持をひしひしと感じます。彼が亡くなってみて、その死に涙する人の姿を見ていますと、「やっぱり死んではいけないな」なんて思いました。こんな私でも、悲しんでくれる人がいることでしょう。やはり、人を悲しませるのはいけないなあと思うのです。
 私の娘たちも、彼に会ったことがあるので、驚いていました。次女は、ずっと泣いたようです。彼の死が、「医療ミスかもしれない」ということで、

  パパがそんなことになったら、私はその医者を殺しに行く

とまで言ったようです。
 今回、彼の死で、彼ではなく、私だって、家族やたくさんの友人に支えられて生きていることをよくよく思い知らされました。
 彼の死で、私ははじめて、「これからは酒を控えていこう」という気持にはじめてなれました。大事なのは、生き続けることかなと思うものです。私自身が流す涙には耐えられても、家族や友人の涙を見るのは、やはり避けたいものです。
 彼の骨は、とても少なくて、小さくて、これまた悲しい思いで見ていました。悲しい思いで、彼の骨を拾いました。
 思えば、彼の骨を私が拾うことも、彼との約束でした。彼のお通夜(キリスト教だったので前夜式という)で、私が詩吟をやるのも、約束でした。彼は昔歌手で、ジャズが好きだったのに、何故か私の詩吟をとても好きでいてくれたのです。だから私は前夜式での友人代表の挨拶で、詩を詠いました。

  西郷南洲「弔亡友月照」

 おそらくあの教会で、詩吟が詠われたことなんて、はじめてで、そしてもう2度とないことでしょう。でもこれも彼との約束でした。
 とにかく、私は彼の分もこれから元気で生きていきます。

 本日は、島成郎さんのお葬式です。(11月11日 07時03分)

11091604 そういえば、一昨日このホームページのアクセスカウントが10,000を超えました。たしか一昨日の7時頃ではなかったかな。ちょうど昨日ここに書いた騒動で、事務所でいろいろなことをしていたときで、なんだかしばらく気がつかないまま、あるとき画面を見てハッとなりました。カウントが1万を超すときには、さぞかし感慨深いことだろうな、なんて想像していたのですが、なんだかそれどころではなかったのですね。
 あらためて、ここへ来てくだされた方にお礼をいいます。毎日伸びていくカウントの数にどんなに励まされたことでしょうか。それと私のホームページをリンクしてくれた数々の方々、ありがとうございます。またそのほかさまざまなことを教えていただいたたくさんの人、たくさんのホームページがあります。みなすべてに感謝しています。
 思えば、ただ酒を飲んでところ構わず詩吟と軍歌を詠うことくらいしかしてなかったような私も、どうやらこうしてここまでホームページを作りあげてきました。私と同じ団塊の世代の仲間たちにもけっこういい刺激を与えてきたかと思っています。とにかく愉しくやってきました。
 今後は、このままテキスト面で充実をよりはかることと、そのほかいくつか考えています。私のホームページの各ページはごらんのとおり、かなり空いている部分がありますよね。そこをどう使うかということは、実は最初の最初から考えていました。それを少しずつ実現します。
 それと、私のホームページはまったく音が出ません。これもいつか実現したいことなのですね。これまた最初から考えていました。私のホームページを開いたときに、「昭和維新の歌」や「ワルシャワ労働歌」が聞こえたり、あるページでは私の詩吟が聞けるのはいいでしょう(みんな嫌がるかな)。
 そういえば、このところ自作パソコンのさらなる進化(4台目、5台目を作ること含めて)に手を染めていません。なんだか、いろいろなことに追いまくられているからです。明日もあさっても忙しいしなあ。実は私の作りましたパソコンは音源は充実していません。だから上のホームページに音を出すのも、まだまだの目標なのです。まずは音源周りを解決していきましょうかね。 今後もまた突き進みます。やり抜きます。

 このところ、そうですね。昨年12月くらいから、パソコンとインターネットに関して、平均して1日に1件くらい相談を受けます。「パソコンを買いたいのだけど、何がいいのか判らない?」というのから、「ホームページを開きたい」というようなことまでさまざまです。かなりな誤解もありまして、驚いてしまうことも多々あります。何故か必要もないのに(かつ本人も判っているはずなのに)プロバイダ二つに加入してしまった人。いつメール出しても、なぜか相手につかないと言われる人。いくらやってもインターネットにアクセスできない人、とさまざまです。
 そのほか、部下にパソコンを安く自作してもらったのに、家に持って帰ったら息子にとられてしまった人(息子のはもっと高いパソコンだったので、息子に交換を持ちかけられたらしい。当然得しているのは息子)。とにかく娘が家に帰るなりインターネットにかけ放題で、それが心配な人(これは二人いまして、一人は電話代が心配。一人はタイタスなので電話代はいいのだが、学校の勉強が心配)。
 こうしてさまざまです。ただ言えるのは、私が団塊の世代だからかもしれませんが、私の世代およびその前後で、「パソコンをやりはじめた」、「やっとインターネットで周さんのホームページを見た」、「はじめてメール書きました」という人が人が増えているように思えることです。これは実にいい傾向だな、嬉しいなと思っています。
 また明日も、誰かにきっと聞かれることでしょう。(99/02/22 00:51:41)

11081405 昨夜帰宅すると、長女は流星群を見に友人の所へ泊まり、次女は夜12時近くに出かけていきました。私ら夫婦二人で、「星見るのにはどうしたらいいんだ?」なんて言っているだけで、どうにもなりません。
 でもこうして子どもたちが大きくなって、どこかへ行ってしまうと、夫婦二人になるのですね。寂しいな。
 私が会社へ泊まったり、朝までどこかで飲んでいるときには、妻は家にたった独りということもあるようです。

 私のホームページについて、いろいろとご意見をいただきます。ありがたいことです。「リンクス」のところで、リンク先を解説してくれるのはいいが、その一覧を作ってほしいというのには、「そりゃそうだよな、みんな俺の能書きなんかどうでもいんだものな、それより見やすいことだ」と、すぐに作りました。
 それと、こんな調子でホームページが大きくなるのはいいけれど、「夜眠らないと身体壊すよ」と、心配してくれる方もいます。ありがたいことです。でもこのくらいだと、昔からやっていますから、大丈夫ですよ。それに11月に入ってからは昔の感じに戻ってきました。たしかに9、10月は自作パソコンとホームページ作りで、1日2時間半くらいしか眠っていなかった(眠っても、自然に目が覚めてしまうのだ)のですが、今はけっこう眠っています。もっとも一昨日は、仕事で会社で徹夜してしまいましたが。今夜もそうなりそうだな。(11/15/98 07:35:15)

11071409 さて、これからここで書いていきたいことはいくつもあるのです。今回やった自作パソコンのことは記録しておきたいな。私のような機械オンチでもやれるものなのですよ。なんとか来週に自宅でも1台立ち上げます。今自宅にはパソコンがないのです。
 なんとかディスプレイが複数台手に入いることが、先ほど確認できました。でもそのモニターを複数台くれる会社へ行って、私をはじめとしたホームページ見せて大胆に啓蒙しないといけないよな(「啓蒙」って言葉は嫌いだけれど)。
 それと、このホームページ作りですね。これは実に時間がかかります。でもこれまた実に愉しい仕事です。時間がかかりすぎるのは、それは私の性格なのね。おそらく吉本(吉本隆明)さんに関しては、全てがひととおりUPされるのは相当な期間がかかります。そしてけっこうな量です。
 そしてそして、「周のガラクタ箱」はもっと大量になります。そして日々いろいろなことをまた新たに述べていきたいと考えております。
 私は1年間に300冊の本を読破することを自分に課しております。ただし昨年は292冊で終わりました。今年はそれよりもペースが遅いのです。そして、読んだ本の書評、べた誉め、けなし等々をやっていきます。

 それから、あんまりもう酒は飲まないようにしたいな。でもときどきは、ゴールデン街にも谷中にもいかないとな、なんて気弱になります。
 それから昨日夜嬉しい電話がありました。昨年11月末に相談のあった件が 解決した報告です。彼女はあるコンピュータインストラクターの仕事を四国で何カ月かやったのですが、その賃金を相手(これが派遣会社のさらに下請の手配師のような存在の男だった)が一部のみ支払って、あとは払おうとしないのです。私の友人の紹介で、私のところへ来ました。ひどい話ですが、彼女本人が頑張らないと解決はしないのです。でも私が代理人として内容証明郵便を出しました。相手からはすぐに私あてに電話があり、私の会社に来るということでした。私も「なんだ、そんな悪い奴でもないじゃないか、これで解決かな」なんて思いましたが、当日その相手は来ません。3度内容証明を送りました。ただ会社と称する場所には、会社もないし、彼も来ていません。自宅に電話しても人の良さそうな年寄の母親が出るだけです。
 彼の携帯電話に連絡しても、いつも留守録。それで、もう仕方ない、大口昭彦弁護士の登場です。弁護士というのは、悪い奴、無能な奴が多いのですが、大口先生(大口さんは私が「先生」と呼ぶと、いつも怒ります)は、実に真面目で優秀な方です。
 そして夏休みはさんでこの9月最初に本裁判です。そして相手は裁判ではなく、和解を言い出します。そんなら昨年のとき言えよな。ほとんど、こちらの言い分のみで、がその和解条件の金額を全額(ただし振込手数料を引いたといいます。ひでえ話だ)振り込んできました。
 その振込があった件の報告でした。やっぱり不正には闘うべきなのですね。彼女が闘わなかったら、それは彼女の人生には、つらいみっともない思い出を残しただけだったでしょう。
 まだまだいいたいことがあります。でもおいおい書いていきましょう。

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 周の雑読備忘録「『サライ2009年5月7日号』」へ高野さんという方から以下のコメントがありました。

1. Posted by 高野   2009年10月01日 14:43
周様
 はじめまして。この雑誌が欲しいのですが
譲っていただけないでしょうか?

 この雑誌は、私の妻が入院したときに、購入したものです。それで、もう随分前に捨てたと思いました。バックナンバーをこの雑誌社に求めるしかないのではないでしょうか。
 私も約37年前に茶の湯を習っていたことがあります。新宿の伊勢丹会館でした。まだ大学生でしたね(たしか大学5年のとき)。
 思い出せば、10数年前に、このサライから取材を受けたことがありました。あ、だんだん思い出した。新宿ゴールデン街に関する取材と、自作パソコンに関する取材でしたね。いえ、何週かやりまして、まだよく思い出せません。それとすごく綺麗なライターからの取材も思い出しました。
 いや、思い出せば、まだ他にもありましたね。
 でもでも、もう遠い日のことになりました。

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cde4ed74.jpg 義母は、昨日帰って来たときに、私に実に丁寧な挨拶をして、まるで私が義理の息子とは判っていないのかなあ、なんて少し寂しい気持になったものです。
「パソコンって、自分で作れるんですね!」って、そうですよ。私は今まで13台自作しました。要するに、安価だから作ったのです。だから今は直接買ったほうが安いので、もう自作しません。最初は1998年9月に作りました。20万円を切る19万円以下で作りました。たしか当時は減価償却資産の限度額が20万円だったのです。そのあとすぐに、事務所用と自宅用に2台一遍に作りだしました。もうその頃こそ莫大に飲んでいたもので、記憶がないまま秋葉原をうろつき、かつ明け方始発で自宅に帰ったり、夜23時台に御茶ノ水の事務所へ出かけたりして、2台とも作成しました、これができた1998年10月1日、私は自分のホームページをインターネット上に公開しました。
 でもでもその後数年で価格は10万円以下で自作するようになりました。自作の価格というのは、普通はディスプレイを含んでいないものでした。でも私が浅草の友人に自作したときは、ディスプレイ、ウィンドウズソフト含んで5万円で、たしか秋葉原からタクシー代含めて3,000円おつりを渡しました(もっともその自作後の酒代は別で、彼の奢りでした)。
 今は、もっと安く購入できますよ。
 私にこうしたパソコン自作を教えてくれたのは、大正末年生まれの方でした。秋葉原の安いパーツ屋をいくつも教えてくれたのは彼なのです。彼は実際に秋葉原のあるところで、自作の授業もやって、ある雑誌にその模様を載せたことがあります。思えば、彼らとも一緒に靖国神社に行ったこともあるのですね。
 写真はここの玄関の人形たちがこうして列になって並んでいるところです。長女がこうしたのかな。でも一人の子がいないのですね。どこ行っちゃったのだろううか?(02/28)

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雑誌名 週刊アスキー通巻715号
発行所 アスキー・メディアワークス
定 価 390円
発行日 平成20年12月16日
読了日 2008年12月2日

 この号の付録に「秋葉原ショップ&飲食店ガイド」があります。でもこれを見てみても、私の知っている秋葉原が大きく変化しました。前には、私もパソコンを自作するのに、けっこう歩き回ったものです。もう今はインターネットで直接取り寄せています。昔のように、秋葉原の奥のほうまで歩き回らなくなりました。もう面倒なんですね。08120209

 重い自作グッズをいくつもカートで牽いてやがては飲み屋に行くなんてこともあったものでしたが、もうそれもなくなりました。
 思えば、私の親友だった堀雅裕さんとパソコン自作の話をしながら、飲んでいた時代が懐かしいです。

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 パソコンを新しくしました に「もう今の年齢の私では新しいパソコンに対応するのは大変だ」というようなニュアンスのことを書きました。事実として、想像していたよりもウィンドウズヴィスタを使いこなすのは大変です。
 でもでも、思い出すと、私はパソコンに最初に触れたときから、同じなんですね。もともと、酒飲みで、いつも詩吟と仁侠の歌を唄っている私ですから、もうパソコンに触れ出した最初の最初から大変でした。
 私が最初にパソコンを実際に使い出したのは、1992年3月からです。だからあのときは43歳だったんだなあ。それで、実はそのときもパソコンには、私は実に不慣れでした。そして私のそばにいる数々の友人たちも、私のことを、こういうコンピュータにはまったく不慣れな人間だと思っていたことでしょう。
 でもそれでも私はただただしつこくやりつづけました。そもそも時間なんて私にはまったく関係ありません。酒も毎日飲んでいましたが、パソコンも判らないままやりつづけました。
 ただ昔はパソコンというのは高額でしたね。たしか、1台で40万円くらいしたんじゃなかったかなあ。
 私が最初エプソンの98互換機を購入しました。自宅と次に事務所にもいれました。あとパソコンではないけれど、ワープロ専用機で携帯できるものを持って歩いていました。それらが、もう使いようがなくなった頃、私はパソコンの自作を始めました。
 最初のマシンは1998年の9月に、20万円を切る金額で作ることができました(これはディスプレイこみの値段です。1台を事務所に作ると、そのすぐあと、自宅にも自作マシンを作りました。
 私はこの自作マシンを全部で12台作りました。ただし、このうち私以外の方に作ったのは2台です。2002年に自作したものでは、5万円でディスプレイ込みで作ったものでした。これは思えば、よくできたものでしたね。
 思い出せば、最初は自作マシンのパーツを持って歩くのが大変でしたが、そのうちにキャリーカートで運ぶことが楽なことを覚えました。このキャリーカートは3台も購入したものです。
 もう秋葉原であちこちでとにかく安いことだけで、パーツを集め、そのあとこのパーツ類をキャリーカートに積んで、そのあと飲みにいくようになりましたね。実にあちこち3軒の飲み屋を歩いて、最後記憶がないまま、我孫子の家に帰り、翌日日曜日二日酔いの頭で、パソコンを自作していたものでした。パーツを買うときには素面ですから、ちゃんと買えていたものでしたからいいものを買っているのですが、よく飲み屋で落としたりしなかったものでしたね。
 だから思えば、私はウィンドウズヴィスタになって、パソコンが難しくなったわけではなくて、大昔から実にパソコンというものには、そもそも訳が判らない人間なのかもしれないなあ。ただただ、無理やり目茶苦茶にやってきただけです。
 この自作マシンを作りだしたときから、まったく同時にホームページを立ち上げました。今ではウェブサイトといいますが、あのころはみな「ホームページ」と言っていましたね。
「このパソコンで何台目かなあ?」という問いを自分に聞いてみまして、今までデスクトップを16台、ノートを4台購入していますね。そのうち自作マシンがちょうど10台です。

 でもプリンタはいくつ購入したのかも、また別に考えよう。プリンタも実にしこたま手に入れて使いましたね。

 このパソコンで何台目かなあ の3へ

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雑誌名 日経パソコン 第524号
発行所 日経BP社
定 価 980円
発行日 2007年2月26日発行
読了日 2007年2月23日

「いまどきの数字」に、「30代、40代の男性200人に聞きました。これまで自作したパソコンの数は」という記事があります。そしてその答えは次のようにあります。

 パソコン自作経験者は200人中60人。その60人に「これまでに作った台数」を聞いたところ、最も多かった答えは「2台」の30.0%。

 平均は、3.6台ということです。私は今まで12台のパソコンを自作しました。もうでも、古い話になってしまいましたね。最初10万円未満でパソコンを作ろうとしたものでした。そしてある人には、プリンタ・ディスプレイ含めて5万円で自作したこともあります。
 今は自作するより購入したほうが安価ですから、自作する情熱がなくなってしまいました。
 そのほかの記事も、けっこうこの雑誌のこの号は読むところがありますね。

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