将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:舞浜

12021804  私は今1階の長椅子(3人かけ)に座って妻を待っています。

 やっぱりけっこう寒いのですね。 今は上野です。10時29分です。じゅにに会えます。
  また京葉線に乗りましたら、ブルータスにメールします。 舞浜です。 昨日はおはぎの家に行きました。
  私が帰ったあと、ばあばは、おはぎ家族5人と柏へ行ったようです。三人の孫がものすごく可愛いのですね。
  もうばあばに、その三人の話を聞いて、ものすごく嬉しくて喜んでいます。

12021406  京葉線で快速電車が出発しました。
  今は舞浜です。ここはディズニーランドへ行くんだ。今度じゅにが元気になったら、孫4人と行きたいなあ。

  今は海浜幕張です。実にいい天気です。昨日はここでは、ものすごい雪でしたが、今日は違います。もうこれで春になってほしいです。

d3c7381e.jpg  今「舞浜」でたくさんの人が降りました。みんなディズニーランドへ行くのですね。
  じゅにも来年の3月になったら出かけます。じいじとばあばとナオキパパとブルータスママと、それにおはぎ家族5人で行くのです。 じいじは荷物もちでいいです。

  今と同じで、このIS01をずっと打っています。 じいじは、それが夢なのです。鎌倉で実朝のこと考えるのが一番好きなのですが、でもそれじゃ孫たちは訳が判らないよね。
  だからディズニーランドに行こうね。 その日が待ち遠しいです。

11120308  今鎌取の駅のベンチです。 今日はここへ来るときは、暖かだったのですが、もう帰りには寒いばかりです。どうしても寒いですね。
  こうして毎日千葉県こども病院まで往復しているわけですが、実に遠いですね。

  今やっと舞浜です。
  遠いけれど、これからもっと遠くへ行く人もいるのですね。

67f3301e.jpg  舞浜です。

  ディズニーランドに行くのだろう、何人もの子どもたちを見ました。 私の孫のポポとじゅにも連れて行きたいな。そんな日が早くこないかなあ。

   市川塩浜のあたりでは海が見えます。昨日は帰りに見ていたものでした。
   いつも持っているボールペンを忘れたことに気がつきました。どうしてもあまり使わないから、忘れるんだなあ。

   南船橋でベンチに座りました。

182d4f09.jpg  舞浜でたくさんの親子が降りました。お母さんとその子ども、それにお祖母ちゃん、お祖父ちゃんです。こういう普通の日は、やはりパパは見かけないものですね。
  私も孫たちとディズニーへ行きたいです。ポコ汰とポニョとポポとじゅにと一緒に行きたいです。
 私は荷物持ちで、各ブースには入らなくていいです。 でも連れて行ってはくれないかなあ。

  いつもこの京葉線の中では、メールの送受信で大忙しです。さっき柳田公園で会った、ポポに伝えたいことがあるのですが、そばにいるミツ君のケータイアドレスが分からないので、困っています。
 早く孫たちが携帯電話を持ってくれないかな。私は書き言葉のじいじです。いっぱい孫とケータイメールの交換をしますよ。

11090508 舞浜です。ここへ孫4人を連れて来るぞ。私はディスニーランドの各ブースには入らなくていいのです。  
 私は荷物持ちです。じゅにもポポも喜ぶぞ。
 私は昔は日光江戸村が好きでした。ディズニーランドは酒が飲めないから嫌いでした。
 でも今は酒を飲むことなんかどうでもいいです。孫たちがみんな喜んでくれればいいのです。 それだけです。それしかありません。 私はそんな人間になったのです。そんなことが一番大事なことなのです。    
 もう、じゅにの入院したところは大好きです。
 今は神田です。早いなあ。

cf3545fe.jpg  空は真っ暗です。王子で降りたら雨かなあ。
  この電車の中の子どもも叫び声にも、ポポのことを思い出しています。家へ帰っていくつものことをやりましょう。
 舞浜でたくさんの人が乗ってきました。あ、ディズニーかと気が付きました。
  外はますます暗くなります。

 長女おはぎこと久仁子は4月29日ミツタカ君と結婚しました。会場は、浦安の舞浜のホテルオークラ東京ベイの中庭でした。

   ホテルオークラ東京ベイ

 ここで午前10時から結婚式で、11時から披露宴、午後4時半から披露宴というスケジュールでした。妻は前日から、妻の両親とホテルに泊まっており、私は午前8時半までに、衣装室に来てくれということだったのですが、少々遅れまして、みなをあわてさせました。ホテルの係の女性がとても心配したようです。11070114




式の始まる前の控室での私たち家族4人
 午前9時25分から親族紹介。そしてそのあと写真撮影です。私はそこでデジカメで私が撮ろうとして、プロに止められました。そして10時から結婚式です。
 二人の結婚した姿を見て、私はとても嬉しく感動しました。11070115




ヴァージンロードを歩く直前の2人

誓いの言葉をを交わし、結婚指輪を交わして、私たちのほうをむいた二人

ケーキへの入刀です。今は本物のケーキなんですね。美味しいケーキだったようです。でも私はケーキは食べません。
 この4月29日は、私たち夫婦が26年前(昭和53、1978年の天皇誕生日)に結婚式を挙げた同じ日です。また久仁子が披露宴でお色直しのあとに来た赤いドレスは、同じく私の妻が26年前にお色直しのあと着た同じドレスです。

お色直しのあと入場してきた二人。ちなみに新郎はお酒で顔が赤い。

 いい結婚式でした。もうそれは私も妻も同じことを言い合いました。そして出席してくれた方みなさんから言われた言葉でもあります。
 また前日まで寒い曇の天気だったのですが、この日は暖かく空は澄み渡りました。東京ベイの石畳のコートヤードでのガーデンウェディングは、野外ですから、家族親族友人たちだけではなく、このホテルを訪れた他の方々も見ていてくれます。本当に、空も空気もホテルも、そして誰もかもが二人を祝福してくれていました。私はただただ嬉しかったです。

 私はおはぎが結婚すると聞いたときから、もうものすごく嬉しかったのです。相手のミツタカ君とは何度か会っていまして、とても優しい素晴らしい男性であることは充分判っていました。また彼のご両親も、そして彼の母方のお祖母ちゃんも、

  ああ、この方たちなら、おはぎをちゃんと可愛がっていただけ
  るな

と確信できたものでした。だから私はただただ嬉しかったのです。
 私はよくこんなことを言われてきました。

  やっぱり新婦の父親というのは寂しいのじゃないですか。
  本心では、お嫁なんかにはやりたくないでしょう。
  本当は、新郎のことなんか殴りたいくらいでしょう。

 でもでも、私は「何を言っているんだろう」という思いばかりでした。私はただただ、自分の娘が、いい人と結婚できるということが嬉しかったのです。もうその思いばかりでした。

 そして、私にはもう一つ重大な関心事があったのです。私はこの長女の結婚式の披露宴では、私の詩吟にて入場行進をやりたかったのです。それには、七言律詩のおめでたい詩を詠おうと考えていました。そして、お色直しの入場では、少々時間がかかりますから、

  広瀬武夫「正気歌」

を絶対にやる気でした。
 ところが、おはぎは絶対にこれを認めようとしません。私はなんとかホテル側との打ち合せで、ホテル側の「それは珍しいですが、いいですね」というような言動を引き出して貫徹しようと思っていましたが、それはおはぎが絶対にやらせません。次女ブルータスも

  ここでパパに許してしまうと、私のときにも絶対にやることに
  なるから絶対に阻止しよう!

と姉と強力に共闘しています。妻は「本人(おはぎ)のやりたいように」というばかりです。
 しかし私は、絶対におはぎの結婚式でも詩吟を披露したいのです。私の一番大好きな長女の生涯の大事な思い出に、私が詠わないのは、あまりに長女が不憫です。
 しかし、ここまで絶対破れないような包囲網があると、「困ったな、どう突破しようか」と考えました。もう入場行進のときと、お色直しのときは無理だなとあきらめまして、違うチャンスを考えました。それが、披露宴最後の父親の挨拶なのです。前には、新郎の父親のみが「謝辞」を述べるということで終わりだったようですが、今は新婦の父親も挨拶するのが普通のようです。
 ただ、ここでの問題は、私の涙なのです。ミツタカ君のお父さんは、大変に感激する方のようです。このお父さんが泣きますと、必ず私に伝染します。かつ私の泣き方というのは、非常に大泣きになりますので、これでは困るのです。私は、そこで私はお父さんにいいました。

  お父さん、泣かないでくださいよ。お父さんが泣くと、私に伝
  染(うつり)ますからね。私も大泣きする質なのです。

 ミツタカ君のお父さん、ごめんなさい。お父さんは、式でも披露宴でも、あちこちで涙を流されていましたね。私も異常なほどの泣き虫なのですが、でも私はこうした全然違う思いがあったのです。
 私は当初、私の一番好きな

  黒澤忠三郎「絶命詩」

をやるつもりでした。でも

  結婚式に、「命を絶つ」詩というのもどうかな

と思いまして、

   それなら、別れの詩ということで、みんなが知っているだろ
    う「陽関三畳」にするか

というしたものなのです。こう決めましたのは、式の前日のことでした。

 さて、いよいよおはぎのお礼の言葉です。
 おはぎが私たち夫婦に以下の言葉を読んでくれました。

お父さん、お母さんへ

 今まで本当にありがとうございました。26年前の今日、お父さんとお母さんが結婚した日に私も式を挙げることができて、本当に幸せです。
 夏にお母さんが入院した時、家族の大切さを改めて知りました。胸に穴が空いたように悲しかったし、自分が病気になればよかったと本気で思った。お父さんも佐世子も不安でいっぱいだったと思います。家族もみんな一緒だからこそ楽しいし、幸せなのだと思いました。今お母さんが元気になってくれて、私は本当にうれしい!
 その大好きな萩原家から、私はお嫁に行くことを決めました。それは悲しいことだし、寂しいことでもあります。でも、ミツタカという人は私にとって家族と同じように、とても大切な人です。いなくなられたら本当に困ってしまう。病気になったり、怪我をしたりしても、やっぱり「自分がかわりになればよかった」と思える人だと思います。だから、大好きな家族を、ミツタカさんとつくりたいのです。
 そして大好きな人の大好きな家族が、私のお父さん、お母さん、お兄ちゃんになってくれることが本当にうれしい。それはミツタカさんも同じです。お父さん、お母さんの息子になるんだね。大切で大好きな人たちが増えることは、本当に幸せなことです。
 夏、慈恵大病院で「新生児」を見ました。今日生まれた何時間か前にこの世に生まれた赤ちゃんを見ると「自分もあんな小さな命だったのだなあ」と思いました。「萩原加壽子さんの赤ちゃん」として生まれてきて「久仁子」という名前をもらって、お母さんのお乳を飲み、おじいちゃん・おばあちゃんに抱っこしてもらい、おばちゃんにあやしてもらい、お父さんにお風呂に入れてもらって、ビービー泣いてはみんなを困らせて、それで、みんなに愛されて、かわいがられて、育てられたのだと。悩んだり、つらいときも、いつでもかわらず私のそばにはたくさんの人がいてくれました。周りの人に愛されて、支えられて今の私はいます。そのことを忘れずに感謝の気持をもち、これからも生きていこうと思います。
 これから先も、お父さん・お母さんにはたくさん迷惑をかけると思う。常識がチンプンカンプンな私に「くにこはだめだなぁー」って言われるだろうし、私の食事が心配でおかずを何品か持たせてくれるかもしれない。
 でも嫌がらず迷惑をかけられてください。そしてお父さん、お母さんも遠慮せず私に迷惑をかけてください。苗字は変るけれど、私はお父さん・お母さんの娘です。ずっと娘です。これからもよろしくお願い致します。
 そしてなにより、病気や怪我に気をつけて、1分、1秒でも、多く、長生きしてほしいと思います。4.29 おはぎ

 私はこの言葉に感激しました。
 そして、おはぎは妻に花束をくれました。新郎のミツタカ君も自分の母親に花束を送りました。そして二人は、両方の父親には、ひまわりの花(おはぎは向日葵の花が大好きなのです。ひまわりの花の絵を描いていたことがあります)を一輪胸のポケットに差してくれました。
 私は「おッ、俺にも花くれるんだ、この花は何かな、醤油つければ食えるのかな」と思って、花びらを口に入れてみました。11070116

今こうして見ますと、ミツタカ君のお父さんは泣いていますね。でも私のために静かに涙を流しています。私はちょうど、花びらを口に入れようとする寸前です。「これって、つまみになるのかな?」
 私は「なんだ、これはいいつまみになならねえな」という思いで、そして光隆君の父親の挨拶があり、次が私の挨拶です。
 私は、何の挨拶も抜きに、次の詩を詠いました。

  王維「送元二使安西」

 私の別れの詩(うた)でした。私はこの詩を吟(うた)いながら、私は長女おはぎとの別れを思いました。
 
   元二の安西に使いするを送る
          王維
  渭城の朝雨 軽塵を邑す
  客舎青青 柳色新たなり
  君に勧む更に尽くせよ 一杯の酒
  西陽関を出れば 故人なからん
  なからんなからん 故人なからん
  西のかた陽関を出れば 故人なからん

 おはぎが生まれたときからのたくさんの思い出を思い浮かべ、そしてこの日、別れになってしまうことを思いました。(以上 2004.05.03)

 この披露宴は午前11時から午後1時30分まででした。ミツタカ君の小学校時代の担任の先生が挨拶してくれまして、久仁子の勤める学校の校長先生が挨拶してくれました。小学校時代の担任だった先生が、こうして結婚式で挨拶されるというのは、私には初めての経験です。ミツタカ君の小学生時代の友人たちが、多数参加してくれたのですが、この担任の女性の先生がいい思い出を作ってくれていたのでしょうね。
 ブルータスも、「私もいつか大人になった子どもたちが、結婚式によんでくれるような先生になれるかな?」なんて言っていました。

 このあと、新郎新婦の紹介を、それぞれのお兄ちゃんと妹が紹介してくれました。
 そのブルータスの姉の紹介が以下の内容でした。ブルータスは、紙芝居で、この紹介をしました。実は、前日の夜からこの紙芝居を作っていたものでした。だから、私がこの紙芝居を最初に見たものなのです。
  さて紙芝居の開始です

11070101 私は新婦の妹、ブルータスです。姉を紹介いたします。



1.昭和56年11月29日の出来事です。姉は3歳、妹の私は1歳のときでした。11070102
 
 妹のさよこが焼きそばをたたみに「ぽいぽい」捨てていました。

2.それを見た 母
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 「コラッ!」とギュッとさよこの手をつまみました。


3.それを見た くにこ 
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 「ママ! ちがうでしょう! おててはペンするのでしょう!」と抗議!

4.「さよちゃん 泣かないのよ はい、これあげるからね」
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 と自分のやきそばを分けてあげていました。


 このように、小さい頃は私が母に叱られると、姉はよくかばってくれたそうです。そんなやさしい姉を、私はよく追い掛け回して泣かせていたのでした。
 私は姉に影響され、同じ大学に行き、小学校教員という同じ職業につきました。姉は東京都文京区の小学校の図工の先生として、毎日たくさんの子どもたちとともにがんばっています。二人で仕事についていろいろなことをよく話し合います。姉の仕事ぶりを聞いては、「私も頑張ろう」と励まされる毎日です。
 姉の良いところは、とてもやさしく、人のことを自分のことのように考えられるところです。人を思っては、一緒に笑ったり泣いたりできる人です。そして、自分の考えをしっかりと持ち、表現できる人です。少々のんびりやで、方向音痴、整理整頓が苦手なところはありますが、優しさ、誠実さというのは私が太鼓判を押します。そんな、私の自慢の姉、大好きなおねえちゃん、久仁子です。

 私の兄の詩吟(私の弟が尺八の伴奏)がありまして(兄が私たち詩吟の流派の宗家ですからね)、そのあとミツタカ君の職場の同僚3人が、ヒップポップダンスを披露してくれました。この3人はプロとしていつも踊っているのですが、まだ踊りだけでやっていくわけにはいかず、アルバイトでビル掃除の仕事をしているということでした。その仕事での作業服を身につけて、デッキブラシを手にもっての踊りでした。披露会場といういわば踊りにくい場で、この彼らのパーフォーマンスは実に力強くで、格好よかったです。

 その他たくさんの方々に挨拶いただき、かつ祝電もたくさんいただきました。中でも、私は私の義理の父のスピーチが一番印象に残りました。
 義父は、私の亡き父のこと(父の名は久二といい、長女の久仁子という名前は、その父の名前から、義理の父親がつけてくれたものなのです)を述べてくれまして、かつ私の母のことを説明してくれました。
 私の母は現在86歳で、もうかなりボケてしまいました。おはぎは、このお祖母ちゃんのことが大好きなんです。それで、お祖母ちゃんの元気なうちに結婚したいと思ったのが、彼女の今回の結婚式だったのです。でももう私の母は、結婚式に出られるような具合ではありません。それで、私の兄夫婦も、弟夫婦も、私たち夫婦も、母を老人ホームに入れようかと考え、具体的に検討しました。
 ところが、おはぎがそのことを知ると、お祖母ちゃんに会いに行ったあと、私に強烈な抗議の電話をしてきました。おはぎは泣きながら、怒っていました。「何故息子が3人もいるのに、お祖母ちゃんの面倒が見られないのだ?」というのです。
 そして、私たち息子ができないのだから、おはぎ自身が、結婚もやめ、教員も辞めて、「私がお祖母ちゃんの面倒を見る」というのです。もうこの主張が強力だったために、もう私も妻もは困り果てました。おはぎは言ったことを本当にやってしまう子なんです。
 でも、なんとか妻や義姉が話してくれまして、おはぎはそういう事態にはなりませんでした。そして私の母は、今も兄の家にいて、日によって介護ホームのお世話になり、また兄の自宅へ帰ってくる生活をしています。母のところには、弟夫婦、おはぎ、ブルータス、私の妻とみなよく顔を見せています。あまり真面目に行かないのは私くらいかな。私は行っても、ビール飲んで、ノートパソコンを開いているだけです。

 そして、この披露宴の最後に、前に書きましたように、おはぎからの私たち父母への言葉がありまして、そしてそして突如私の詩吟がありまして、そしてお開きになりました。もっとも、その前後、もういろいな方とお話したり、写真撮ったりしまして、いろいろと忙しかったものでした。

 その後午後4時30分から2次会です。ミツタカのご両親も、私たち夫婦も参加します。ブルータスの彼氏も友人も参加してくれます。11070105



左からブルータス、その彼氏ナオキ君、そしてミツタカ君、おはぎです。
 神田会の仲間も、ぱらむさんご夫婦、和尚さん、石先生が参加してくれました。この2次会は、披露宴よりも多い約100名の方が参加してくれました。11070117



神田会の3人のおじさんです。

 ところで、この2次会では、私がまず最初に詩吟をやりました。「え、最初にやっていいのかな」という思いでしたが、とにかく黒澤忠三郎「絶命詩」です。
 そして披露宴でもやってくれました職場の同僚3人が、ヒップポップダンスです。今度は広い舞台ですから、もっと激しく踊ります。そして3人が踊っていたのですが、そのうち職場の10数人がさらに舞台にあがります。これはもう圧巻でした。1107010711070108


迫力ある素晴らしい踊りでした。今度どこかで披露してくれるときには、私も行きますよ。

 娘二人の属する「東京奄美三線会」も歌を披露してくれまいした。娘二人も以下のようにやってくれました。11070109


ブルータスが三線での伴奏、おはぎが島唄を披露しました

 私は、長女の友人たちでは、みんな名前は判るのですが、なにしろ綺麗な女性ばかりです。話しかけるたびに、「ああ、こんなに綺麗になったんだ」と感激ばかりでした。
   最後はみんなで、ブームの「風になりたい」の合唱11070110


  みんな全員で撮影会。でもこのとき上の人が何度も床に飛び降りたので、下の階で打ち合せした人は「何事か?」と驚いたようですよ11070111

 そしてそして、私はこの2次会のあと、神田会の友人たちと、浦安で飲んでおりました。
 愉しい、嬉しい、長女の結婚式でした。(2004.05.10)
おはぎの作ったカード(2004.05.11)
11070112 このイラストは、おはぎが結婚式のときに、披露宴のテーブルのすべての方に置いたカードです。
 でも「テツandトモ」じゃないかとも言われたようです。



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 このイラストはおはぎが私と妻にくれたカードです。実はミツタカ君とおはぎは、このカードを披露宴に出席してくれた方全員に一人ひとりあてに書いて渡してくれていました。ホテルの担当の女性にもあげていました。その彼女は、仕事上のトラブルで少々落ち込んでいたのですが、このカードをもらって、ものすごく嬉しくなったそうです。
  ミツタカ君はビルの清掃の仕事で、おはぎは小学校の図工の先生です。だから二人とも、それぞれデッキブラシと絵を画く絵筆を持っています。

df70c8b6.JPGたくさんのことを思い出しています。なんだか年月の経つのが速いです。友人と私ははるかな昔、69年1月に東大闘争の安田講堂で一緒に火炎瓶を投げていた仲です。もうこんなに時間が過ぎたのですね。

 写真は、24日舞浜駅で、次女ブルータスと待ち合わせたときに、駅前で撮りました光景です。まだ明るかった時間、午後5時10分くらいでした。
 ただし、この本文を書いたのは、26日の午後7時少し前です。お通夜でずっと待っている時間でした。

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