将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:花と火の帝

12030309 2012年3月3日のポメラの2への目森一喜さんからのコメントに次のように書いたことで、

 後水尾上皇の活躍が、でもでも分かりにくくさせたように思いますね。昔修学院離宮を歩いたときにも、絶えずこの天皇上皇のことが思い出されていたものでした。

 この天皇上皇は、私にはどうしても苦手な人ですね。あの広大な修学院離宮もどうしても好きになれません。
 そもそも私は、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)というふうに、読みを入れないと、まともに読めないのですね。いや私はこの読みを入れたいがために、この文を書いたように思えます。
 隆慶一郎『花と火の帝』の作品も読みましたが、どうしても理解しにくいのです。この作品は隆慶一郎が亡くなったことにより未完ですが、あのまま書いていくのも大変だったでしょうね。隆慶一郎は小林秀雄を尊敬し、彼が生きている間は、作品を決して書かなかったのですが、なんとなくもっと書いてほしかった思いがします。
 私は彼の作品は、ほとんど読みましたが、もし、もっと早くから書いていたら、あれだけでは終わらなかったろうと悔やまれてならないのです。
 もう終わってしまったことです。仕方がないのですね。

11060914 この上皇の読みは、「ごみずのおじょうこう」と読みます。天皇に在位していたのは、慶長16年3月27日(1611年)から寛永6年11月8日(1629年)です。第108代の天皇で、1596年6月29日から1680年9月11日まで生きられた、当時としては長命な方です。
 ちょうど時代は安土桃山時代から、徳川時代の5代将軍綱吉の時代まで生きていられた方です。隆慶一郎が『花と火の帝』を日経新聞に連載されていて、最後まで書き終えることなく終わりました(ちょうど、『死ぬことと見つけたり』も未完に終わりました。これも残念です)。
 徳川幕府は、豊臣政権から権力を奪い取り、そして最後には、大坂の陣で豊臣家を打ち滅ぼしました。大坂夏の陣が終わりましたのは、1615年5月8日の暑い盛りでした(当時は旧暦)。だが、そのあとには、徳川政権の最大の敵として立ちはだかりましたのが、実にこの後水尾上皇でした。
 この上皇は明確に武士によって奪われた政権を天皇に戻したいという意思で行動されました。ただ、秀忠・家光の武家政権は強力でした。結局は、後水尾上皇は自分の思いをかなわせることはできませんでした。
 だが、後水尾上皇は、自分が天皇だったあとの109代の天皇を明正天皇という女帝を立てることで、幕府には抗議したと私は思います。いつでも自分が復活してもいいということだったのでしょう。
 この日本には全部で8人10代のの女帝(女性の天皇)がいます(8人の天皇で、2人が2度重祚(ちょうそ)しています)が、この明正天皇は実に859年ぶりの女帝でした。
 もう一つこの後水尾上皇がやられたことが修学院離宮の造営でした。実に54万平方メートルの面積をもつ大きな庭園です。
 私は27歳の7月に、この庭園を訪れました(普通では拝観できません)。ちょうど祇園祭りのときでしたね。庭園を歩くときの離宮の係員の方の説明の声をよく覚えています。
 いや、私の歩むのが遅くて、一人の係りの方はいらいらしていたのでしょう。ごめんなさいね。私もいくつものことを抱えていたのです。(2011.06.10)

11040405 私が隆慶一郎の作品で最初に読んだのは、『吉原御免状』でした。そしてそのあとは『かくれさと苦界行』を読んでいきました。ただどうしてもこの作家の作品には馴染める思いにはなりませんでした。
 思えば、どうしても私は小林秀雄を好きなことは間違いないことだったのです。やはりどうしてもアルチュール・ランボー『地獄の季節』(岩波文庫)の訳者の小林秀雄は忘れることができません。
 でもそんな小林秀雄に囚われているとしか思えない著者の作品には嫌になったものでした。この二つの作品で、主人公松永誠一郎に執拗に襲いかかるのは闇の柳生軍団ですが、これこそが小林秀雄なのです。だが、小林秀雄は実際にはそれほどの人物ではなかったように、その柳生のあとと言っていいだろうときに書いたのが、この作品なのです。
 その最初の二つの作品の主役の松永誠一郎とされたのは、実は誠一郎は後水尾(ごみずのお)天皇の落胤と言われているのです。
 この天皇は、大坂夏の陣が終わったあと、徳川幕府の最大の敵になりました。この帝のことを書いたのがこの作品です。ただし、この作品も作者の死で未完で終わりました。

 私が27歳のときに、京都の修学院離宮へ行きました。この後水尾上皇が作られた大きな庭園です。私はいつもこの離宮の中を後から、「もっと早く歩くように」と園の係に執拗に言われ続けました。その係の方の声とこの作品をいつも思い出しています。
 思えば、この天皇に関しても、少し書いていこうかなあ。

09091003 きょうの日経新聞の2面の記事下広告は、新潮社の「隆慶一郎全集」(全19巻)でした。それで、私も「ああ、読んでいないのは、これで読んでみようかな」と思ったものです。
 でも、全巻は以下のようです。

1巻 吉原御免状
2巻 影武者徳川家康(一)
3巻 影武者徳川家康(二)
4巻 影武者徳川家康(三)
5巻 影武者徳川家康(四)
6巻 鬼丸斬人剣
7巻 かくれさと苦界行
8巻 風の呪術陣
9巻 捨て道子・松平忠輝(上)
10巻 捨て道子・松平忠輝(中)
11巻 捨て道子・松平忠輝(下)
12巻 見知らぬ海へ
13巻 死ぬことと見つけたり(上)
14巻 死ぬことと見つけたり(下)
15巻 一夢庵風流記(上)
16巻 一夢庵風流記(下)
17巻 花と火の帝(上)
18巻 花と火の帝(下)
19巻 柳生非情剣

 え、作品はこれだけでしたっけ。たしか最後に読んだのは、鎌倉へ行った電車の中で、「見知らぬ海へ」を読んでいました。北鎌倉で、この作品の内容について考えていたものです。
 その前に「死ぬことと見つけたり」を読んでいました。なんとなく、私は「えっ、『葉隠』の解釈は違うんじゃないかなな。おれは違うな」なんて読んでいました。その前には、「花と火の帝」を読んでいまして、はるかな昔行きました、京都の「修学院離宮」(これは後水尾上皇が作られたと言われています。この天皇が徳川家康亡き後、豊臣家滅亡のあと、秀忠に対して戦われた方です)を思い出していたものです。
 でも私は一番読み応えのあったのは、「影武者徳川家康」です。
 それで、この方の小説は必ず、いつも柳生一族が敵として、非情に主人公に襲いかかります。柳生は非情ですが、そして主人公は強いのです。いつも柳生を打ち破ります。
 私はあまりに、この非情な柳生一族が嫌でたまらなく、「なんであんなに柳生が非情に強いんだ」と、目森さんに聞いたものでした。そうしたら、彼は教えてくれたのです。

   この柳生というのは、隆慶一郎の尊敬する小林秀雄なのだ

 うーん、それで私は理解できたのです。登場人物はいつも柳生に勝利しますが、でもでもそれでも次々と襲いかかります。結局は歴史の通り、本当はいつも柳生が勝利していたのです。
 隆慶一郎は、尊敬する小林秀雄の存命中は、小説を書きませんでした。なんとなくそれが悔しいです。隆慶一郎の作品は、私は好きなものなのですが、でもでも少々不満です。それは、やっぱり、この小林秀雄のことがあるからなあ、なんて思っています。
 結局は、もうすべて読んでいたので、読む気がなくなりました。みな新潮文庫で読んだから、もうすべて古書店に売り払ったものでした。

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