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 新聞広告を見て、この本を手にいれました。たぶん2時間かからず全部読めると考えました。この本の帯には、

 1時間後に英語が話しはじめられる!
 「世界標準の英語」だから全世界で通じる!

とあります。
 でもでも私はこの本を30分も読みましたが、そこで閉じてそのあと開ける気になれないのです。

書 名 英語はインド式で学べ
著 者 安田正
発行所 ダイヤモンド社
定 価 1,500円+税

 私は思ったものです。私は別に「英語(米語)が話したい」と思っているわけではないのです。私は前に知り合いの(昔御茶ノ水で私がよく買い物をするコンビニの店長)恋人のある大学の英語の教授のカナダ人に、「(パソコンから)スカイプが使えない」という相談に訪れました。なんでも若い英語もパソコンもできる人が何人も(3人らしいです)できないというので、私も不安でした。私ができるのでしょうか。
 でも彼女のマンションの部屋で、彼を前にして、彼女のパソコンで10秒くらいでスカイプできました。もうその場で彼の故郷のカナダの両親(友だちだったかあなあ?)とスカイプでおしゃべりできました。
 だがだが問題は、「英語が喋られる」ことではないのです。14091611
 ここで夏目漱石を思います。漱石はロンドンで英語は話せたわけなのですが、それでも英語について悩んでしまうのです。ここで思うのです。漱石はインド人でも話せる英語を求めたわけではないのです。漱石の作った漢詩を思います。漱石の七言律詩も絶句も実に美しい音(おん)をしています。杜甫の作った七言律詩にも匹敵する律詩の作成を目指したのでした。
 インド式英語を私は求めません。少しもこの本を読んで面白いと感じられないのです。 インドの家庭では、多くのメイドさんと会話ができないのです。言葉がヒンディー語、ベンガリー語、ドラウィダ語、………等々いっぱいあって、いわば英語が共通語なのです。14091612
 そう思うと、私がこの本を面白いと感じられないのは当然なのです。
 私は中学で英語を習い始めたときより不得意でした。通知表では、4か5でしたが、自分でも不得意という感じはぬぐえませんでした。でもいざ米国人と話すとき(英国人は機会があまりない)は、不思儀とできてしまうのです。これは大昔京都へ行って米国人と話したとき(大学6年のとき)に感じたものです。その後もたびたび米国人と話すときに感じていることなのです。
 だから、別にインド式の英語は必要は感じないのです。私が必要なのは、漱石が漢詩に求めたようなものなのです。それは「インド式の英語」ではないのです。