将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:英語を使う仕事

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 やはりもう少し書き続けます。

 私の友人に、この王子のすぐそばに住んでいる方がいます。王子駅前で美女に逢えたよ で書きました女性です。実は彼女は、5人兄妹で、兄を真っ先に亡くして、そのあと自宅で父と母の世話をして、ぞの家の商売(魚屋)をやっていました。
 でもやがてお父さんも亡くなり、お母さんの介護をしながら魚屋をやっていました。私は彼女とは昔赤坂の広告制作会社にいたときに、隣の会社で英語を使う仕事をしていました。圧倒的な美人で、私は私たちの広告チラシのモデルに使ったこともあります。
 その彼女が、元気に長靴を履いて、築地の河岸に行っている姿は実に格好良かったものでした。その彼女と、お母さんの介護についてよく話したものでした。
 その彼女がいうのには、介護サービスでよくやってくれるのだけど、あれはよくないんじゃないかということがありました(いやたくさん話して、たくさんのことがあるのですが)。お母さんが家に帰ってくると、ただ座っているだけになったそうです。というのは、その介護サービスでなにもかもやってあげてしまうために、お母さんはただ座っていればいいという状態になってしまったようです。彼女は、これはまずいと感じたそうです。自分の母親がまだたくさんのことが自分でできるのだから、自分でやれるはずのことは自分でやれるようにしてほしいのだということなのです。
 私はこのことは大切なことだなあ、と思うのです。その母親が自分でできること、下に落ちたものを拾うようなことを、その介護の人が拾ってやることは、その介護の仕事ではないのです。「それは自分で拾いましょうね」ということこそが仕事なのです。そして自分でできることを、少しでも増やしていくこと(実際には、減らさないことでしかないことが多いのですが)が大事なのです。

 私の母の介護でも、義母の介護でも、すべてを私たちの側でやってあげることがいいのではなく、自分でやれるはずのことは自分でやるようにしむけるのが大事だと思うのです。そのときに、母や義母に替わって何もかもやってあげてしまうのは、実は優しいのではなく、ただただ母や義母を物としてしか扱っていないことに等しいのだと思います。母や義母が自分でやれるようにするようにしていくことは、実に面倒です。簡単なことだから、私たちのほうが安易に手を差し伸べてしまいそうです。でもそれはやってはいけないということこそが、介護だと思うのです。それこそがまともな教育だと私は思うのです。

 実はこうしたことは、私たちがあちこちで見かけている風景です。私たちの周りでも、「もう少し優しくやってあげればいいのになあ」と思ってしまうことが多々あります。でもたぶん、その瞬間その相手は、敢えてその言を、その行為をしているのです。
 ただし、私はやはり「優しい言葉で言う」ということは大事なことだと思っています。厳しいことを指摘し、それを自分でやるように指導はしていきますが、あくまで言葉は優しくと私は思っています。ただし、私はそれができていません。いつも長女に指摘されています。

 だから私こそが反省の日々なのです。

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 さきほど秋葉原のヨドバシカメラに、長女夫妻の部屋の加湿器を買いにいきました。もうヨドバシカメラはたくさんの人でした。
 そのあと、王子に帰りまして、「今夜は長女夫妻の部屋で一緒に食事しよう」ということになり、王子駅前の東武に買い物に入ろうとした瞬間に、「萩原さん!」と圧倒的美女に声をかけられました。それがTさんでした。彼女とは赤坂の広告の制作会社にいたときに、隣の会社で英語を使う仕事をしていた彼女と知り合いになりました。この東武の前で、しばらく話しました。
 実は、昨日の浦和会が浦和ではなく、赤羽でありましたから、彼女の家に行って誘おう(彼女も赤羽なら歩いていけるところなのです)と思っていたのですが、なんやかやとやっているうちに時間がなくなってしまったのです。
 でもその彼女に、こんな王子の駅前で逢えるなんて実に感激です。

 私がケータイメールだしたら、今返事をくれました。嬉しいな。

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