将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:茨城弁

20170624092017062405201706241520170624122017062403   今は7時55分です。今日で今週の「ひよっこ」は終わりです。そうだなあ。
 今日はテーマソングから始まるのかなあ。

 この娘はとんでもない娘だ。
 今やっとテーマソングです。
 この二人の会話は難しいなあ。
 ここのマスターの語ることにはもう涙になります。
 もうこまるなあ。難しいことだなあ。
 難しいばかりです。そして涙になります。
 みね子の語ることはいいけれど悲しいです。
201706241620170624042017062414201706241320170624112017062408201706240620170624102017062407続きを読む

11071719「吉本隆明語録」だけでもなんとか、はやく完成させたいと思っていたのですが、実は私の使っている「ホームページビルダー」のエディタ上ですべてが表示できないという問題がありました。そのために、どうしたらいいのか考え込んでしまっていました。どうやら解決できました。これで、まずは「語録」を完成(完成と言っても、ここで皆さんに読んでいただける形になるまで)させます。
 この「吉本隆明語録」は、もともと「周の吉本隆明語彙集」として書いていたものでしたが、それを印字したものを読んだ人から、「このあとが読みたい」といわれ続けてきたもので、けっこう書き続けてきました。だが、それを書き込んでいた柏市民ネットでのさまざまな出来事で、中断をしていました。ちょっと中断が長いよな、と私自身思っております。
 また引き続きここで、吉本さんのいくつもの語録をUPしていきまして、さらにあの「語録」を吉本さんの世界を知る道しるべになれるようさらにやってまいります。

 昨日午後このホームページのオープンの通知を、多くの友人知人にメールしましたところ、多くの方が訪問してきてくれました。「周の掲示板」にも何人もの方に書いていただきました。また多くの方にメールもいただきました。メールの中には初対面(対面というのも変だけれど)の方もおいでになりました。また実にひさしぶりの便りという懐かしい友人もいました。
 すぐに掲示板へRESのUPと返事のメールをさしあげるべきなのですが、ちょっと時間がたりなすぎます。4日までにはできるかと思いますが、すぐには無理かと思います。ご勘弁ください。

 本日午後私のクライアントのS木工所へ行きます。ここは会社設立以来12年間、一貫として好成績の業績をあげているところです。実は戦後はじめの頃からはじめた会社だったのですが、ちょうど12年前に、さまざまなことがありまして、ちょうど私がある友人の紹介で、コンサルに入りました。すぐ新会社を設立したわけですが、それ以来、実に元気な会社です。
 役員はすべて茨城人です。その奥さん方もすべて茨城人。工場では茨城弁のみがとびかっています。ついでに私も茨城人です。みな私より年上の方々ばかりですが。
 もとの会社の社長が、現在の会社の監査役になっています。私はこの方とほとんど打ち合せや連絡をとっています。他の方々は、いつも現場なのです。
 それでここで、私は何をやっているのかといいますと、それはね、ようするに酒を飲んでいるんです。1時半にある駅に私を車で迎えに来てくれまして、工場へ行って、少しお話して、そのあと社長の家へ監査役と一緒に行って、それから社長の奥様の用意してくれている料理で、飲み出します。時間は3時からなら、私もあまり罪の意識がないのですが、だいたい2時半頃から飲んでしまいます。
 でも私には、いつも愉しい時間なのです。監査役は大正生まれの方ですが、いつもいろいろなことを聞いてきます。日本および世界の経済情況や国際政治の話や、国内のさまざまな政治勢力の話、そのほか地方自治の話、福祉の問題、環境のこと等々です。私も実にここでお話することで、次第にいろいろなことを学べてきた気がしています。

 ただ、ここで飲むのはいいことなのですが、ここで飲んでしまうと、もう帰る頃には、会社へ帰る気にはならず、どうしても谷中で飲むことになってしまいます。だから、この日はいつも長時間飲んでしまいます。いいのかな…いいんですよ。

11051117 この日孫のポポを見ていながら、「ごじゃっぺ」という言葉を思い出していました。

2011/05/11 19:14ポポは今日やっと一歳ですから、ごじゃっぺです。
 この「ごじゃっぺ」というのは茨城弁です。

 でもここで書いた「ごじゃっぺ」という茨城弁はほかの人は分かるのかなあ。私が30年くらい前にいた我孫子の家の隣の奥様が茨城の方で、この言葉を使っていました。私は「ポポはまだごじゃっぺだからな…」なんて思っていたのでした。思えば、私の長女も妻も分からないだろうな。

11022004 なんとか、風邪が完全に治ったと思います。一週間かかりましたね。

2011/02/20 06:30昨日は義弟が来てくれて、私の孫のポニョもポコ汰も、ものすごく親しみました。義弟も可愛いということを実感したのじゃないかなあ。義弟は孫が一人いますが(まだ歩けません)、その子を抱くと泣いてしまうそうです。うちのポポもまだそうですものね。いつも顔を見ると、私を見ても笑顔になるのですが、でも私が手で抱き抱えると、泣いてしまいます。困るよなあ。
 でもこれで義弟も、とにかく孫が可愛いということが判ったはずです。でもやっぱりうちの孫は面白いよね。いやこれはどこでも同じかなあ。
2011/02/20 06:57もう私のブログにもいくつかUPしました。考えてみれば、私の昔のホームページはたくさんのページがあったから、それを再現するの(現在作業中なのです)は大変なのですね。
2011/02/20 17:35「笑点」が好きです。今は、マギー四郎でいいですね。彼は茨城弁だから私は大好きです。私と同じ故郷なのですね。

 とにかく、頑張ってやり抜きましょう。

10072501  マタイ伝第28章を茨城弁にする へ目森一喜さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2010年07月24日 21:34
 鹿児島弁だと
「よか、おいどんにはわかっちょる」
 という調子になりますね。
 名古屋弁だと
「おみゃーら、十字架だぎゃー」
 広島なら
「のう、こんな、迷惑はかけん」
 という感じでしょうか?それぞれご当地版ができると、親しみやすい反面、大混乱になりますね

 私は鹿児島と名古屋には実際に住んでいます。名古屋には、小学校2年の2月から6年の6月まで、南区、千種区、北区に住みました。小学校も3つです。鹿児島は小学校6年の6月から、高校1年の7月までいました。
 鹿児島弁では、「おいどん」なんていう言葉は実際に使いません。でも親しくなるほど訳の判らない言葉が出てきます。名古屋は最初から、訳の判らない言葉が出てきて困りました。「きゃあ、きゃあ」という音(おん)が出てくるのは本当のことです。
 広島の言葉は、『仁義なき戦い』で見て実に身に染み付いた感じです。あの『仁義なき戦い』は本編5部の他、いくつもの番外篇があって、私はそのすべてを2度以上見ています。
 鹿児島のあとは、私は横浜の高校へ入りましたが、もう言葉は実に汚くて、嫌でした。なんだかいつも「じゃん、じゃん」という音(おん)が聞こえて、「ここはとんでもない異邦だなあ。そんなとこに来てしまったのだ」と思ったものです。
 私は秋田にも住みましたが、そこの言葉方言は好きでした。それに沖縄にも住みましたが、私はここの言葉が一番好きです。
 札幌は恐ろしいくらいの標準語で、私は少しも好きになれませんでした。
 さて、でも一番汚い言葉だと思うのは、私には茨城弁です。そして実に品がなくて、私は嫌になります。私はいつも俯いてしまうのです。なぜなら、茨城弁こそが、私の生まれた故郷の言葉だからです。だから私はその品のない茨城弁を自在に使える人間になりたいです。

 私は名古屋でも鹿児島でも東京言葉を使う人間だと思われていました。まあ、札幌にいましたからね。私の札幌の幌西(こうさい)小学校は、一クラス70人の生徒だったのに、クラシックバレエを習っている子がたくさんいて(昭和29年、30年のことですよ)、男の子にもいて、私は心の底から大嫌いでした。
 でも一番ひどかったのは、横浜の高校でした。ここでは私のことを九州男児だなんていう女の子がいたりして、でも今(今の今、2010年だよ)もその考えを抜け出せない阿呆がいるのです。今に至るも何にも知りません。まあ、横浜っていうのは、悲惨に無教養なところですからね。

10072401 私は、ここで勝手なことを書きましたが、このデザインマシロさんのコメントは、マタイ伝第28章を茨城弁にする を書いているちょうど途中で、このコメントを読んだものです。でも私は書いている途中だったのものを書き終えてUPしました。
 そしてそのあとすぐに私は長女の家に自転車で急ぎました。その途中でもこのデザインマシロさんのコメントを考えていました。そして、「俺が茨城弁のこと書いているのは不真面目だな」と思っていました。
 長女の家に行く(私は妻からのお菓子、バナナを持って行きます)と、今度は孫たちと懸命に遊びます。もうポコ汰は私の背中に飛び乗ります。ポニョは私が苦労して作ったクロスワールドを壊します。私が壊されたのをまた苦心惨憺して作ると、またひっくり返します。もう私は無理でした。
 私は、「じいじはもう、ポニョじゃなくてポポと仲良くするんだ」というと、ミツ君が「でもお父さん、その言葉をポニョは覚えているかもしれないですよ」といいます。
 さて、私はまた自転車で帰ります。
 それでまた、パソコンで書いたわけですが、でも茨城弁のことを書いているのを読むと、この茨城弁変換が愉しくなってきました。やっぱり私には茨城の血が流れているのです。しかも、それは水戸天狗党の血です。どうしても水戸諸生党が許せないのです。こんなことで、世界からは私なんかは遅れるばかりですね。

 でもそうですね。私は住宅展示場のあるメーカーの広告で、そのメーカーの展示場へ行って必死に仕事をしていたことがあります。栃木県のあるメーカーで、2泊3日の撮影日程でした。いや何、毎日夜はカメラマンとメーカーの人と飲んでいるばかりで、昼の撮影のときは、私は二日酔いで吐き気ばかりでしたが、でもでも必死にやりました。
 撮影は、エイトバイテン(8×10)のカメラで必死やるわけですが、メーカーの経営陣も見に来ます。それをうまくあしらわないと、カメラマンがカメラを回せなくなるのです。だから、私が面倒な住宅の作り方のコンセプトなんかを聞くふりして、論議し、カメラマンの撮影の邪魔にならないようにしたものでした。
 でも夜飲んでいるときに、「萩原さんって、真面目な人かと思っていましたが、全然違うんですね。難しい顔しているから、面倒な真面目な人だと思っていましたが、ただ二日酔い三日酔いだったのですね」と言われたものです。私はそのときは、国際プロレスのラッシャー木村の話ばかりをしたものでした。
 カメラは180度しか写せないのです。いやもちろん、今はそれ以上写せますが、でも紙の上には180度までで、見せないとならないわけです。ところが人間の目というのは、それ以上見られてしまうのです。だからメーカーの言わば家作りの専門家は、プロとしていっぱい見えてしまうのですが、カメラマンもプロとして、「そこは見えないのだ」というところがあります。このままだと喧嘩になってしまいます。そこで私なんかが、全然違う視点でまとめてしまうのです。

 でも今はアナログのカメラではなく、デジタルカメラなのですね。撮影も大きく変わったのでしょうね。パースも大きく変わったことでしょう。
 デジタルでもカンプも大きく変わったでしょう。そんなことを想像してしまいます。

 建築パース工房「デザインマシロ」さんからのコメント へ

10072301 昨日聖書マタイ伝を茨城弁で書いたらどうなるのかというので、やってみました。私のブログに載せてあります。やはり文語訳のイエスはいいですが、茨城弁ではイエスの言葉にも説得力がないなあ(これは茨城弁変換辞書を使っています)。
 昨日初めての方が、私の建築パースへの書いている内容が素晴らしいと言ってくれたのですが、私はそのことよりも、茨城弁のイエスで笑っていました。以下のようです。

 イエスは彼らに言われだ、「恐れるごどはねえ。行って兄弟たぢに、ガリラヤさ行け、そごでおらと会えるだっぺ、と告げなせえ」。(ただし、これを読む場合は、まったく品なく、調子っぱずれで声を出してください)

 やっぱりイエス・キリストは茨城弁で話さなかったですよね。あ、茨城の方、怒らないでください。私はそもそも茨城生まれです。
 写真は23日の午後7時2分に撮りました。長女の家のお隣のお花です。(07/24)

10072107 きょう蜘蛛業の目森一喜さんと電話で話していました。それで私の故郷茨城の芸人赤いプルトニウムの話になりました。実は私はこの芸人の女性の大ファンなのです。
 彼女のサイトは、私のこのブログのサイドバーに置いてあります。
 そのときの目森さんとの会話で、私は私が日々読んでおります聖書のマタイ伝を私の故郷茨城弁の表現したら、どうなるかという話になりました。
 それで以下聖書を読んでみました。私はいつも日本聖書協会の文語訳の舊新約聖書を身近に置いて読んでいますが、でもとにかくマタイ伝を読むわけです。
 でもいつも読むのですが、今回はインターネット上で探しました。マタイ伝は、私の好きな吉本(吉本隆明)さんが、『マチウ書試論』を書かれていて、私の昔からの愛読書です。(マチウ書とは、新約聖書マタイ伝のフランス語訳のことです)。
 それでインターネットで以下見つけたものです。私はこの28章だけでも茨城弁にしたい思いでした。
 以下マタイ伝28章です。

「新約聖書」マタイ傅28章文語訳
  さて安息日をはりて、一週の初の日のほの明き頃、マグダラのマリヤと他のマリヤと墓を見んとて來りしに、視よ、大なる地震あり、これ主の使、天より降だり來りて、かの石を轉し退け、その上に坐したるなり。その状は電光のごとく輝き、その衣は雪のごとく白し。守の者ども彼を懼れたれば、戰きて死人の如くなりぬ。御使こたへて女たちに言ふ『なんぢら懼るな、我なんぢらが十字架につけられ給ひしイエスを尋ぬるを知る。此處には在さず、その言へる如く甦へり給へり。來りてその置かれ給ひし處を見よ。かつ速かに往きて、その弟子たちに「彼は死人の中より甦へり給へり。視よ、汝らに先だちてガリラヤに往き給ふ、彼處にて謁ゆるを得ん」と告げよ。視よ、汝らに之を告げたり』女たち懼と大なる歡喜とをもて、速かに墓を去り、弟子たちに知らせんとて走りゆく。視よ、イエス彼らに遇ひて『安かれ』と言ひ給ひたれば、進みゆき、御足を抱きて拜す。ここにイエス言ひたまふ『懼るな、往きて我が兄弟たちに、ガリラヤにゆき、彼處にて我を見るべきことを知らせよ』
 女たちの往きたるとき、視よ、番兵のうちの數人、都にいたり、凡て有りし事どもを祭司長らに告ぐ。祭司長ら、長老らと共に集りて相議り、兵卒どもに多くの銀を與へて言ふ、『なんぢら言へ「その弟子ら夜きたりて、我らの眠れる間に彼を盜めり」と。この事もし總督に聞えなば、我ら彼を宥めて汝らに憂なからしめん』彼ら銀をとりて言ひ含められたる如くしたれば、此の話ユダヤ人の中にひろまりて、今日に至れり。十一弟子たちガリラヤに往きて、イエスの命じ給ひし山にのぼり、遂に謁えて拜せり。されど疑ふ者もありき。イエス進みきたり、彼らに語りて言ひたまふ『我は天にても地にても一切の權を與へられたり。されば汝ら往きて、もろもろの國人を弟子となし、父と子と聖靈との名によりてバプテスマを施し、わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』

「新約聖書」マタイ伝28章口語訳
 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。すると、大きな地震が起こった。それは主の使いが天から下って、そこにきて石をわきにころがし、その上にすわったからである。その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真っ白であった。見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたは十字架にかかったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしと会えるであろう、と告げなさい」。
  女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。万一のことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話しは、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。そして、イエスにあって拝した。しかし、疑う者もいた。イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

 それでこれを茨城弁に翻訳します。でも私では単に大変な苦労をして、時間ばかりかかるだけです。それでインターネット上で茨城弁翻訳ソフトを探してやってみました。
「昔、名古屋弁翻訳ソフトとか、大阪弁とかいろいろあったよな」という思いで、茨城弁翻訳ソフトもあるかなあ、と探したものです。
 それで以下を見つけました。

   http://www.castanea.jp/keyaki/dappe/ 茨城弁変換

 私が苦労して不正確なことをやるよりも、これがいいでしょう。ただし、作者は以下のように言っています。

また、「茨城弁」とはいっても、作者の出身地「水戸」周辺の方言を中心に組み立てています。ご容赦下さい。 今の水戸はこれほど訛りませんが...

 私の不正確なのよりもいいです。私は故郷が茨城だといいましても、生まれただけです。すぐに東京に引越しまして、そののち、秋田市、札幌市、名古屋市、鹿児島市、横浜市、千葉県我孫子市と引越しばかりしました。その他、浦和市、東京早稲田、千葉船橋、沖縄名護市等々にも住んだものです。今は東京の北区です。
 それでは上のソフトで変換しましたものが以下です。ただし、これは文字だけの変換です。実際に読む場合は、できるだけ品悪く、いい加減に、高く低く喋り続け、調子っぱずれで読むようにしてください。一人で読む場合は、笑うのは自分だけです。

「新約聖書」マタイ伝28章茨城弁訳
 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほがのマリヤとが、墓を見にきだ。するど、大きな地震が起こった。それは主の使いが天から下って、そごにきで石をわぎにころがし、その上にすわったがらだ。その姿はいなずまみだぐ輝き、その衣は雪みだぐ真っ白であった。見張りをしでいだ人たぢは、恐ろしさの余り震えあがって、死人みだぐなった。この御使は女たぢにむがって言った、「恐れるごどはねえ。あなだがたは十字架にかがったイエスを捜しでいるごどは、おらにわがっているが、もうごごにおらんねえ。かねで言われだどおりに、よみげえられだんだ。さあ、イエスが納められでいだ場所をごらんなせえ。そしで、急いで行って、弟子たぢにこう伝えなせえ、『イエスは死人ん中からよみげえられだ。見よ、あなだがたより先さガリラヤさ行かれる。そごでお会いできるであろう』。あなだがたに、これたけ言っておぐ」。そごで女たぢは恐れながんも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たぢに知らせるだめさ走って行った。するど、イエスは彼らさ出会って、「平安あれ」と言われだんで、彼らは近寄りイエスのみ足をいでえで拝した。そのどぎ、イエスは彼らに言われだ、「恐れるごどはねえ。行って兄弟たぢに、ガリラヤさ行け、そごでおらと会えるだっぺ、と告げなせえ」。
 女たぢが行っている間に、番人のうぢのある人々が都さ帰って、いっせえの出来事を祭司長たぢに話した。祭司長たぢは長老たぢど集まって協議をこらし、兵卒たぢにたぐさんの金を与えで言った、「『弟子たぢが夜中にきで、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。万一のこどが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなだがたに迷惑が掛からねえようにしよう」。そごで、彼らは金を受け取って、教えられだどおりにした。そしでごの話しは、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまってる。さて、十一人の弟子たぢはガリラヤさ行って、イエスが彼らさ行くように命じられだ山さ登った。そしで、イエスにあって拝した。んだげんど、疑う者もいだ。イエスは彼らに近づいできで言われだ、「おらあ、天においでも地においでも、いっせえの権威を授けられだ。それゆえに、あなだがたは行って、すべでの国民を弟子としで、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなだがたに命じでおいだいっせえのごどを守るように教えよ。見よ、おらあ世の終わりまで、いつもあなだがたど共にいるのである
」。

 さて、これでキリスト教徒の方怒らないでください。私だって、これを蜘蛛業の「コラムさとう」にUPするのでなく、自分のサイトにUPするのですから。

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