私の8月14日配信のマガジン第474号にある方から次のメールをいただきました。

>目森さんの話ですと、新田は30年代にも、水浸しのことが何度もあったようですね。

私の生まれた荒川区南千住もよく水が出ました。
堤防が破れるというのではなく、静かに増水してくるものですから、
玄関に入ってくる水を監視するのも子供にはドキドキする楽しさがあったり。。。。
我家で暮らせなくなって親類の家から学校に通った記憶もあります。

77d3451b.jpg 南千住ももうすっかり変わりましたね。先日私の母の3回忌で、また南千住の話をして、私は姪から呆れられていました(姪の一人がここのマンションに住んでいるのです)。もうつくばエクスプレスに乗り換えるときに、ここでも乗り換えるのです(北千住のときもありますが)。いつも、南千住前の飲み屋には、「地下足袋、雪駄ばきの方お断り」と書いてあるという話を私はいつもするのです。いつも姪に「それはいつの話だ」と言われています。
 でも私はこの目森さんの話している新田(しんでん)には、ついこのごろ歩いて行ってきました。この王子からは歩いていける距離なのです。墨田川を渡ったらすぐに高校がありました。歩き回って、「ああ、もんじゃ焼きを『ぼった』という店があれかな?」とか考えて歩いていました。
 でも、ここでいう水が出るときはいつのことでしょうか。目森さんの話は伊勢湾台風のときだといいます。昭和34年(1959)9月26日のことです。私は名古屋北区に住んでいました。小学校5年生でした。もう忘れられないものすごい台風でした。今もあの台風の風の音は忘れられません。
 狩野川台風も忘れられません。あれは昭和33年(1958)9月26日でした。このときは、私は小学校4年生で、名古屋市千種区今池に住んでいました。
 私はたしか5年くらい前に、中伊豆の温泉に行きまして、朝部屋から見える狩野川を、「あのときは、すごく荒れた川になったんだなあ、とつくづく思ったものでした。
 洞爺丸台風は、昭和29年(1954)9月26日でした。私はこのときは、札幌市に住んでいます。このときには、前に住んでいた秋田市から、私たちの家にいつも遊びにきて、私たち兄弟を可愛がってくれたYさんという女性が遊びにきていて、彼女が帰るというときに、ものわかりのいいはずの私が何故かごねて、彼女を帰しませんでした。彼女は仕方ないので、どこかで電話を借りて、その日の予約していた鉄道をキャンセルしました。この鉄道が、その夜洞爺丸に乗って沈んでしまいました。
 この3つの台風が私には、ものすごく思い出されます。
 そういえば、私が「伊勢湾台風の歌」というのを、今もよく覚えていて、歌うのですが、どうしても名古屋の人も知らないな。

 そんなことをいくつも思い出していました。

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