将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:荒戸源次郎

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今日はこのNHKテレビのこの連続ドラマのない日曜日ですが、一昨日白岡よの「(風吹ジュンさん)」、昨日眉山菊(萬田久子さん)の画像をここに掲げましたから、今朝はあさとはつの母親の今井梨江(寺島しのぶさん)を掲げましょう。
 私は「荒戸源次郎『赤目四十八瀧心中未遂』」を見た時からのファンです。いくつもの思いがあります。
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11061412 この人とは何度お会いしたかな、と思い出していました。「しましげお」と読みます。1931〜2000年10月17日の生涯でしたから、亡くなったときは69歳だったのですね。
 荒戸源次郎さんの事務所の最初の映画である『どついたるねん』(阪本順二監督)の最初の試写会のときに、そのあとの打ち上げで、当日は六本木だったのですが、私がみなで、六本木のあるゲイバーに行きまして、打ち上げとしたものでした。そのときに、島さんは、私を指差して、「彼には酒を飲まさないで……」と言っていました。何かその以前に私が彼に絡んだことがあるのかなあ(あるのかもしれないけれど)。
 この島さんは、実にいい方であり、いい男でした。はっきりいいまして60年安保全学連の方はいい人が多いのですが、でも私はそんなに気が合いません。思えば、その多くが共産主義者同盟(ブント)の方がただからかなあ。私はどうにも共産主義というのが嫌いなのです。だから、まだ「共産主義」というよりも、「ブント」というほうが、気持ちが楽です。でもこの島さんは、そんな私の嫌いな共産主義の雰囲気も少しも感じない方でした。
 この島さんはまったく私には、大好きな方でした。その彼の葬儀のときに、吉本(吉本隆明)さんが長女のハルノ宵子さんと来られまして、そのときの吉本さんの姿にも私は感激していたものでした。吉本さんがこの島さんに関して言われることが私は大好きです。
 その後も、なにか関連の会があるときにも、島さんの奥様博子さんも私に挨拶してくれまして、私は私ごときにわざわざという思いで、いつも島成郎さんを思い浮かべております。
 思えば、私などはいわばどうでもいい生涯を送ってきたわけですが、この人とお会いできたことは良かったことだと思っています。
 もう無理なことなわけですが、もしいつかあの世でもそばに行くことができたのなら、もう私は飲まないでおとなしく彼のそばにいたいと思います。(2011.06.15)

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 テレビで「どついたるねん」を見ました。映像の中の原田芳雄さんも麿赤児さんも懐かしいです。

2010/06/10 06:00さて、もう30分前から起きています。
 今パソコンが再起動になりました。パソコンはほぼ常時機動してありますので、すぐに書き込みもできるし、インターネット検索もできます。
2010/06/10 11:18今「どついたるねん」を見ています。この映画の最初の試写会は六本木でした。あれは89年だったんだ。そのあと私の知っている防衛庁そばのゲイバーへみんなで行ったものでした。あのときは、島成郎さんもいたのでした。彼は最初に私を指さして「彼には飲まさないで」と言ったものでした。
 でも原田芳雄さんも何故か格好いいですね。彼の自宅へ行ったこともあります。奥様がとても綺麗な方でした。
 映画の思い出も懐かしいし、あの飲んだ思い出も懐かしいです。
 この映画は、荒戸源次郎さんとの関係で行ったものでしたね。監督は阪本順治さんでした。荒戸さんともあの頃からの付き合いなんだなあ。

 荒戸さんのこのあとの最初の監督としての映画も見たものでしたね。あれは国技館でした。

ee1321aa.jpg ここに載せた写真は、5月13日に千駄木の夜店通りの『アラスアラサン』で買いましたハンカチです。私はなんだか、こういう大きなハンカチを持っていたいのですね。もちろん、このハンカチを手に入れて、すぐに『浅野』で飲み始めたわけなのです。
 あ、今思い出した。このお店を『アラトアラサン』で間違えて言っていたことがあるかと思います。申し訳ないです。どうしても友人の映画監督の荒戸源次郎さんで、私は『アラト』という音を言ってしまうのですね。申し訳ないです。
 でも私は、けっこうここで手に入れたものをハンカチとして使っています。

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