前回の「蕎麦屋で酒を飲む」の続きです。

    蕎麦屋で呑む、という行為は、半天を着た胡麻塩頭の江戸っ子
  の親父さんだけの特権のような気がするのです。

 いや、もうこんな親父はいなくなってしまいましたよ。私がいくつか引用した勝見洋一さんのエッセイに、

  なかには暖簾を手で払う、というより蹴っとばして店に入り、
 コップ酒を二口ほどで飲みほして、もり蕎麦二枚を数分ですすり
 こんでから代金を放り出し、また暖簾を蹴っとばして帰っていく
 威勢のいい爺さんもいた。みんな死んじまったに違いない。

とあるのですが、まったく死んでしまったのでしょう。むしろ「神田まつや」なんかで見ていると、夕方独りで来て酒2本飲んでそのあともり蕎麦を食べて静かに帰っていくサラリーマンの姿なんか絵になっています。

11102505 蕎麦といえば、私の埼玉大学の、落研とむつめ祭をやっていた牧野という今は埼大付属養護中学の教頭やっている7年下の後輩がまたこの蕎麦を喰う姿が絶品です。落研というのはこの蕎麦を喰う姿が絵になっていないとまずいらしいのです。彼を見ますと、「蕎麦ってのはこうして喰うのか」ってのが分かると思います。
 彼は典型的な江戸っ子で、その凄まじい偏見はきわめていいものです。うどんのことは、「あれは馬方の喰うもの」っていっちゃうんだから(いやこれは馬方を馬鹿にしているんじゃないんです。新宿あたりにいた馬方は蕎麦ではなくうどんでないと、腹にたまらないから力仕事ができなかったという)。

 蕎麦のことでいろいろと思い出すことが出てきます。私がたしか大学5年のときに、神田の「薮蕎麦」で彼女と一緒に酒を天種をつまみに飲んでいました。当然最後にはもり蕎麦を食べました。座敷に座っていたのですが、そこへ私の埼玉大学教養学部の英米文学の教授2人が来ました。酒好きの和田先生と西田先生です。二人は天麩羅蕎麦と酒を頼んでいました。注文してから私たちに気がつきました。
 そのあと、大学でか、飲み屋でか、西田先生とまた飲んだときに、私は「蕎麦屋では、酒ともりそばを頼むのが筋であり、天麩羅蕎麦はないんじゃないか」と絡みました。そして、「そもそも俺達日本人が何でアングロサクソンの文学なんかやるんだ」といいましたところ、西田先生は黙って私の持っているグラスを指さしました。そのとき私の手にはスコッチウィスキーのストレートが入っていたのです。私は頭を掻いてしまいました。
 和田善太郎先生には本当にさまざまお世話になりました。あれほどのひどい酔っぱらいは見たことがありません。先生はいつも北浦和駅前の「一心寿司」というところでゴロツキのような顔して、大声でさわぎまくっていました。みんな「一心の虫」と言っていたものです。でも私はどうしてか可愛がってもらいました。学部も違うのによく面倒みてもらいました。でも私だけでは無かったかと思います。先生は実は英米文学の世界ではかなりな権威だったらしいのですが、そうしたことに真にやりきってくる学生がいなかったことは、とても寂しかったのかなと思います。だから私たちのような学生活動家の方が面白かったのでしょう。もう先生は亡くなりました。先生と本郷か谷中根津あたりの飲み屋で静かに先生と飲みたかったものだと悔やまれます。

 思えば、「蕎麦屋で飲む」と言っても、「どこの蕎麦屋でならいいかな?」という問題があります。蕎麦屋で飲むと、あんまり酔わないから(これは胃の中に入った蕎麦が酒を吸ってしまい、そのせいで酔いが回らないといわれる、ホントかな)、けっこう莫大に飲んじゃうのですね。だからやたらなお店にはいけないですよ。
 私がこのごろ気にいっているのは、赤坂(と言っても住所は永田町ですが)の「遊庵」という蕎麦屋です。(1995.05.21)

 ただし、この「遊庵」は現在はありません。思い出がたくさんあるお店ですが、これもまた残念です。(2003.03.03)