将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:蕎麦屋で酒を飲む

11102801 私が前の将門Webに書いていた「酒飲みの世迷い言」のログ記録を終えます。
 はじめの日付が、私がUPした日付で、(1994.08.21)などというものが、それのもともとのに書いていた日付です。

2011.10.16 「酒飲みの世迷い言」の「はじめに」(2001.01.09)
2011.10.17 ひとに酒をすすめること(1994.08.21)
2011.10.18 酒の肴(1994.09.15)
2011.10.19 フランスの酔いどれまずひとり(1994.10.30)
2011.10.20 フランスの酔っぱらいふたり目(1994.11.11)
2011.10.21 肝臓に良いこと(1994.11.12)
2011.10.22 肝臓に良いこともう一つ(1994.12.13)
2011.10.23 飲み会の連絡(1995.02.11)
2011.10.24 バレンタインデー(1995.02.18)
2011.10.25  蕎麦屋で酒を飲む(1995.05.20)
2011.10.26  続「蕎麦屋で酒を飲む」(1995.05.21)
2011.10.27  思えば不思儀な現象なんですが(2003.12.15)

 前回の「蕎麦屋で酒を飲む」の続きです。

    蕎麦屋で呑む、という行為は、半天を着た胡麻塩頭の江戸っ子
  の親父さんだけの特権のような気がするのです。

 いや、もうこんな親父はいなくなってしまいましたよ。私がいくつか引用した勝見洋一さんのエッセイに、

  なかには暖簾を手で払う、というより蹴っとばして店に入り、
 コップ酒を二口ほどで飲みほして、もり蕎麦二枚を数分ですすり
 こんでから代金を放り出し、また暖簾を蹴っとばして帰っていく
 威勢のいい爺さんもいた。みんな死んじまったに違いない。

とあるのですが、まったく死んでしまったのでしょう。むしろ「神田まつや」なんかで見ていると、夕方独りで来て酒2本飲んでそのあともり蕎麦を食べて静かに帰っていくサラリーマンの姿なんか絵になっています。

11102505 蕎麦といえば、私の埼玉大学の、落研とむつめ祭をやっていた牧野という今は埼大付属養護中学の教頭やっている7年下の後輩がまたこの蕎麦を喰う姿が絶品です。落研というのはこの蕎麦を喰う姿が絵になっていないとまずいらしいのです。彼を見ますと、「蕎麦ってのはこうして喰うのか」ってのが分かると思います。
 彼は典型的な江戸っ子で、その凄まじい偏見はきわめていいものです。うどんのことは、「あれは馬方の喰うもの」っていっちゃうんだから(いやこれは馬方を馬鹿にしているんじゃないんです。新宿あたりにいた馬方は蕎麦ではなくうどんでないと、腹にたまらないから力仕事ができなかったという)。

 蕎麦のことでいろいろと思い出すことが出てきます。私がたしか大学5年のときに、神田の「薮蕎麦」で彼女と一緒に酒を天種をつまみに飲んでいました。当然最後にはもり蕎麦を食べました。座敷に座っていたのですが、そこへ私の埼玉大学教養学部の英米文学の教授2人が来ました。酒好きの和田先生と西田先生です。二人は天麩羅蕎麦と酒を頼んでいました。注文してから私たちに気がつきました。
 そのあと、大学でか、飲み屋でか、西田先生とまた飲んだときに、私は「蕎麦屋では、酒ともりそばを頼むのが筋であり、天麩羅蕎麦はないんじゃないか」と絡みました。そして、「そもそも俺達日本人が何でアングロサクソンの文学なんかやるんだ」といいましたところ、西田先生は黙って私の持っているグラスを指さしました。そのとき私の手にはスコッチウィスキーのストレートが入っていたのです。私は頭を掻いてしまいました。
 和田善太郎先生には本当にさまざまお世話になりました。あれほどのひどい酔っぱらいは見たことがありません。先生はいつも北浦和駅前の「一心寿司」というところでゴロツキのような顔して、大声でさわぎまくっていました。みんな「一心の虫」と言っていたものです。でも私はどうしてか可愛がってもらいました。学部も違うのによく面倒みてもらいました。でも私だけでは無かったかと思います。先生は実は英米文学の世界ではかなりな権威だったらしいのですが、そうしたことに真にやりきってくる学生がいなかったことは、とても寂しかったのかなと思います。だから私たちのような学生活動家の方が面白かったのでしょう。もう先生は亡くなりました。先生と本郷か谷中根津あたりの飲み屋で静かに先生と飲みたかったものだと悔やまれます。

 思えば、「蕎麦屋で飲む」と言っても、「どこの蕎麦屋でならいいかな?」という問題があります。蕎麦屋で飲むと、あんまり酔わないから(これは胃の中に入った蕎麦が酒を吸ってしまい、そのせいで酔いが回らないといわれる、ホントかな)、けっこう莫大に飲んじゃうのですね。だからやたらなお店にはいけないですよ。
 私がこのごろ気にいっているのは、赤坂(と言っても住所は永田町ですが)の「遊庵」という蕎麦屋です。(1995.05.21)

 ただし、この「遊庵」は現在はありません。思い出がたくさんあるお店ですが、これもまた残念です。(2003.03.03)

11102308 本日二日酔いの身体で事務所に出ていると、いろいろ手紙等々をもらった中で、素敵なものがありました。
 不当な地上げに対して、当り前にかつ雄々しく闘っていて、私もさまざま関わっているお店なのですが、その裁判等々の報告の手紙の中に、次のようにありました。

  そば屋と酒の関係というのにちょっとひとうんちくという様な
 文章がありました。よろしかったら萩原様に御覧いただきたいと
 思いまして。

ということで、勝見洋一という方の「蕎麦屋で酒を飲む」という長文のエッセイが同封してありました。これがまたたいへんに感動する文章なのです。もう全文ここにUPしたい気がしてきます。

  冷静に考えてみると、蕎麦屋に行きたい時は酒が飲みたい時で
 ある。

  まず冷や酒をコップで一杯、すいっと飲み、玉子焼か何かを作っ
 てもらって、もうちょっと飲みたい気分になって、ぬきを注文す
 る。

  この丼を左手に持ってたまにぐびっと飲みながら、だらだらと
 いつまでも右手の酒を飲む。

  こんな酒の楽しみを関西人たちは知らないに違いない。

  日本橋室町や巴町の砂場へ行くと、もり蕎麦を食べる前に酒と
 ぬきを注文することにしている。

  それにしても、どうして近頃は客が蕎麦屋で酒を飲まなくなっ
 てしまったのだろう。

  そうなのだ、蕎麦屋とは手っ取り早く酒を旨く飲ませる店だっ
 た。蕎麦を食べさせたいために、蕎麦屋はいい酒を入手して出し
 た。酒が旨かった証拠に客は蕎麦を食べて帰ったのだ。

  飲む、という漢字をそろそろ、呑む、に替えなければいけなく
 なった頃、満を持してもり蕎麦を注文する。

  蕎麦のつゆは蕎麦とのからみあいもあって、香よりこくのある旨
  味を採る。鰹節の風味は、最後に蕎麦猪口に残ったつゆに蕎麦
  湯を入れて薄めたときに感じればよい。

 さまざま蕎麦のことが述べられています。私が飲む蕎麦屋といったら、「神田まつや」でしょうか。神田の「薮蕎麦」でも飲みますが、なんとなく当り前に店に入って、当り前に延々飲んでいるのはどちらかと言えば「神田まつや」があっている気がします。私はよくここへ親しい友人のデザイナーと入って、それこそ延々飲んでいます。もうお店の仲居さんも覚えてくれていて、それこそ当り前の世界になっています。
 私にこの文章を送ってくれた蕎麦屋さんも、たいへんに蕎麦が旨いのです。私はあの店がそばにあったら、いつでも酒が飲めるのになと思っています。
 でも、私がそばにいて、いつも来られたら、いやがるだろうな。

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