将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:藤沢周平

12103024 これはかなりな推理小説ともいえるように思います。私はちょうど先ほど書いた2作とこの作品の間に、パトリシア・コーンウェル『検屍官』を読んでいたので、またこの話の事件の展開、犯人の追及などの展開にかなり興味をもてました。

 伊之助のところでちょっとしてことから面倒をみている白髪の老人が突如殺されてしまいます。さてそれでまた八丁堀の同心から頼まれてしまいます。こうして伊之助が事件の解明をしていっても、手間賃がでるわけではないのです。でもやっぱり伊之助は次第にこの事件に関わっていきます。これには25年前に起きた未解決の押し込み強盗事件にさかのぼらなければなりません。そのときの被害者にあたっていきます。
 この伊之助はまたかなり腕っぷしもたつのです。前の事件のときにも、伊之助のこの腕で活躍する姿が表れてきます。その意味ではまた、これはハードボイルド小説でもあるのです。
 またこれに続く伊之助の活躍する物語を書いてほしいなと思います(もう無理なことですが)。そこではもう伊之助はおまさと一緒になっているでしょうか。まだ彫師の親方にさぼるので(どうしても事件解決に動くので、本業の仕事がおろそかになる。職場の人たちは彼のそうした姿のことは何も知らない)、怒られてばかりいるのでしょうか。12103025

 でもやはりどうなろうと、伊之助の住む裏店の長屋は変わらないし、そこの住む人の姿も変わらないように思います。それがおそらくそのまま、江戸時代がおわり、明治大正昭和となってもそのまま、おそらくはついこのあいだまでそのままで存在していたように私は思ってしまうのです。

12103023 伊之助が腕のいい岡っ引きだったことは、八丁堀の同心ならよく覚えています。それでどうしても、彼に事件をみてほしいという依頼がきます。伊之助は職場では前歴を隠していますから困ってしまいます。また死んだ女房とのことで岡っ引きという仕事は嫌で堪らないのです。でもまた伊之助は探偵の仕事はやはり好きなのです。したがってやはり深みにはまっていきます。また八丁堀の同心も現役の岡っ引きたちも、そんな伊之助に頼っていくのです。

 ある朝あがった不審な水死体の身元を探ってほしいとの依頼があります。現役の岡っ引きたちでは、伊之助のようにきめ細かく執拗な探索はできないのです。しかし調べていけばいくほどますます謎が浮んできます。

 これも見事伊之助がこの謎を解き明かします。

12103021 伊之助は独りで下町の裏店に住んでいます。ときどき仕事帰りによるめしやのおまさというおさななじみと顔を合わせるのが、なんだかひとときのやすらぎのようにも思えます。でも伊之助はおまさと深い関係になるのは恐れています。死んだ女房とのことがあるからです。
 その伊之助のところに、昔の岡っ引きの仲間の弥八が頼み事にやってきます。家出したおようという娘を捜してほしいというのです。おようはあるやくざものと逃げてしまいましたが、ある日一本の簪とともに手紙がとどけられます。それにはひとこと「おとっつぁん たすけて」と書かれています。弥八はもう年をとっており、なんとか伊之助を頼りにしてきたわけです。伊之助は断るわけにはいきません。彫師の仕事の合間に弥八の娘を捜すことになります。

 裏店にひっそり住んでいる伊之助、その伊之助に惚れているおまさの姿などの描写は藤沢周平らしい筆の運びでその光景が目に浮んでくるようです。思えば江戸時代というのはそんなに遠い世界ではなく、ついこのあいだまですぐそこに存在していたように思えてきます。私たちがついこの間まで生活していた空間だって、こんな形がよくあったように思います。私なんかが住んでいたアパートの生活もこんな伊之助たちが住んでいた裏店の長屋の雰囲気がありました。もちろん私たちには、電気も水道もガスもあったわけですが、わずかの米を炊いで、魚を焼き、味噌汁をあたため、飯をかきこんでいる伊之助の姿などは私たちのアパート生活とまったく同じです。
 私はいまでも谷中千駄木根津の街なみが好きなのですが、ときどき飲みにいっていくつも細い路をわざと入り込んで歩いたりします。細い路地に植木がたくさんおいてあったり、三味線の音が聞こえたり、としよりが手拭片手に銭湯へ向12103022ったりしています。いまにも伊之助のような職人がひょいと姿を現しても不思儀ないようにも思ってしまうのです。ただ、たったいまは急速にその街なみが変化しつつありますが、とにかくもっと今のうちにあのような街をよく歩いておきたいと考えています。
 伊之助はかなり大変な苦労をしておようの消えたわけを探っていきます。やはりこれは伊之助でなければさぐりだせないようです。

書 名 藤沢周平全集第十一巻『彫師伊之助捕物覚え』
著 者 藤沢周平
発行所 文芸春秋社

 藤沢周平の捕物小説です。以下の3篇が収録されています。

消えた女(彫師伊之助捕物覚え)(「赤旗日曜版」昭和53年1月〜10月)
漆黒の霧の中で( 〃 )(「小説新潮スペシャル」昭和56年冬号〜昭和57年秋号)ささやく河(〃)(東京新聞」ほか5紙、昭和59年8月1日〜昭和60年3月30日)

12103019 この3篇とも捕物帳としては珍しいほどの長編です。そして岡本綺堂「半七捕物帳」や野村胡堂「銭形平次捕物控」の主人公と違って、主人公伊之助は十手をもつ同心でも岡っ引きでもありません。毎日版木を彫る通い職人です。むかし十手をあずかっていたということがありました。しかしそのときの女房おすみが男をつくって逃げ、その男と一緒に心中してしまいました。おすみは岡っ引きという仕事を心から恐れ嫌っていたのです。そのことで伊之助は岡っ引きを辞めました。そしてそのことが今も伊之助の心には大きな傷あとを残しています。
 この伊之助は岡っ引きとしてはかなり優秀だったの12103020です。だから昔の同心から、どうしてもいろいろ手伝ってほしいという依頼がはいります。彼はなんとかことわりたいのですが、どうしてか結局はそれぞれの事件に深く関わってしまいます。

 以下3つの作品を書いて行きます。これは1991年の1月に読んでいたものです。

10122805 この本を読み終わった夜の私には、夢の中でこの物語がぐるぐると巡りまわっていました。

「馬の骨」と称する剣術の秘技があります。いや過去あったのですが、その秘技の持ち主から引き継いだ剣士を探し当てるのが、この物語です。その秘技をうけ継いだ者をその師の弟子たちの間に一人一人当たっていきます。それが毎回実に興味深い武芸試合になっていきます。これはその秘技の剣士を探す推理小説でもあるのです。
 どうやら、最後の最後に、この秘技の持ち主が現れてきます。「なるほど、結局そうだったのか」。でもでも、本当にそうなのかな。なんか変だな。そこで、その秘太刀「馬の骨」の剣士が私の夢の中に現れてきます。「うーん、うーん」とうなされるように、私の夜はその剣士が何人も出てきました。
 そして、やっと明け方「ああそうか、そうなのか」と思い当たってきたのです。やっと私はその剣士が判ったのです。
 これは実に面白い夢の中の推理でした。(1997.11.15)

 テレビでもやっていました。NHKでしたが、私は「日本映画専門チャンネル」で見ました。それだと、上に書いていたことと、また違う解釈なのですね。いやもう私はもう一度ちゃんと読みなおしてみます。(2010.12.29)

10122415  私の大好きな藤沢周平の作品です。

書名  蝉しぐれ
著者  藤沢周平
発行所 文春文庫

 この作品は時代小説というよりは、青春小説といったほうがいいのかもしれません。石坂洋次郎の数々の作品や、山本有三の作品などが青春小説なのでしょうか。あるいは、芹沢光治良「人間の運命」や下村湖人「次郎物語」などがあたるのかもしれません。しかし、今はもはやこうした青春を描くことは無理になっているのでしょうか。友情や淡い初恋や、人生に対する夢を語るような環境に今がないのかと思います。 そこでこのように、時代を過去にうつして、しかも空間もある藩も限定したとき、こうした青春小説ができるのかと思うのです。
 東北の海坂藩(架空の藩なのですが)を舞台にして、主人公を中心とした15、6歳の少年3人が登場し、成長していきます。主人公の幼い淡い初恋も描かれていきます。「ああ、やっぱり藤沢周平だな」とつぶやいてしまうような世界が第一行目から展開されていきます。

  海坂藩普請組の組屋敷には、ほかの組屋敷や足軽屋敷には見られな
 い特色があった。組屋敷の裏を小川が流れていて、組のものがこの幅
 六尺に足りない流れを至極重宝にして使っていることである。
                                      (「朝の蛇」)

 この小川で15歳の主人公牧文四郎は朝顔を洗います。隣家の12歳の娘ふくともここで顔をあわせます。これが文四郎の淡い初恋の相手なのです。まだ恋とも気ずかないのですが。この恋は初恋であって、成就しません。でもこの恋は最後まで大きくこの物語を流れていきます。
 また友との友情があり、また仲の悪い連中との諍いもあります。また友の学問の為の江戸いきや、藩内部の闘争による、父親の死罪の不幸もめぐってきます。こうした中で少年は成長していき、やがて大人になっていきます。

 「おもしろくないな」
 逸平はつぶやいたが、不意に、終ったと言いたいんだなと言った。
 「バカをやった時代は終ったと、そう言いたいんだろう」
 「そうだよ、逸平」

 こうした会話はだれにでも一度は口に出すことなのかもしれません。
 それにして誰にでもあり、やがては去っていってしまう青春を日本の自然の中に描いた藤沢周平らしい秀作だと思いました。(1998.11.01)

10122414書  名  藤沢周平全集第三巻
著  者 藤沢周平
発行所 文芸春秋社

 以前に読んでいた作品が多いのですが、この全集ではじめて収録されたものもいくつかあるようです。短編ばかりですが、江戸の市井の人たちを描いている、ひとつひとつが珠玉のような作品群です。
 以下収録作品と初出雑誌名、掲載年月です。

驟り雨     小説宝石  昭和54年2月号
遅いしあわせ  週刊小説  昭和54年2月2日
号泣かない女  問題小説  昭和54年3月号
贈り物     別冊宝石  昭和54年薫風号
歳月      太陽    昭和54年5月号
ちくしょう!  問題小説  昭和54年6月号
虹の空     週刊小説  昭和54年7月20日号
運の尽き    問題小説  昭和54年9月号
おばさん    週刊小説  昭和54年10月12号
亭主の仲間   小説宝石  昭和54年11月号
時雨みち    別冊文藝春秋昭和55年新春号
幼い声     問題小説  昭和55年4月号
夜の道     週刊小説  昭和55年4月4日号
怠け者     小説宝石  昭和55年7月号
盗み喰う    問題小説  昭和55年10月号
滴る汁     小説宝石  昭和55年10月号
追われる男   小説新潮  昭和55年10月号
おさんが呼ぶ  週刊小説  昭和55年11月28日号
禍福      別冊文藝春秋昭和56年夏季号
おとくの神   小説宝石  昭和56年9月号
失踪      問題小説  昭和56年12月号
帰って来た女  小説宝石  昭和57年1月号
おつぎ     問題小説  昭和57年6月号
逃走      問題小説  昭和57年12月号
夜消える    週刊小説  昭和55年1月14日号
女下駄     小説宝石  昭和58年1月号
遠い別れ    月刊カドカワ昭和58年6月号
鬼ごっこ    問題小説  昭和58年12月号
冬の日     小説宝石  昭和59年2月号
寒い灯     週刊小説  昭和60年2月22日号
にがい再会   週刊小説  昭和61年1月10日号
永代橋     週刊小説  昭和62年2月20日号
踊る手     週刊小説  昭和63年2月29日号
消息      週刊小説  平成元年2月17日号
初つばめ    週刊小説  平成2年3月30日号
遠ざかる声   小説宝石  平成2年10月号

 以下いくつか心に残った作品をあげてみます。いや心に残る作品ばかりといえるのですが、とくに何か書き残しておこうかなという作品です。

驟(はし)り雨
 この全集を図書館から借りてきてすぐにこの短編を読んでしまった。「いいな、やっぱり、藤沢周平の世界はいいなあ」と涙が出てしまった。
 盗人が一人、神社の軒下にひそんでいる。実は腕のいい職人なのだが、自分の女房が突然に病死してからは、

  世の中には、しあわせもあり、不しあわせもあるとは考えなかった。
 ……。しあわせな者に対する一途な怨みが、笑い声にひき出されてどっ
 と胸に溢れた。

という人間になってしまった。彼は今昼間仕事に入った家に盗に入ろうとしている。ところが軒下にひそんでいるうちに、さまざまな人間模様をみてしまう。最後の母娘の会話に彼は涙がいっぱいになる。最後にこの疲れた女を背負って、娘の手を引く。もう盗人稼業は二度とやらないだろう。にわか雨がふっていただけなのだ。

遅いしあわせ
 おもんはぐれた弟のために、嫁いだ先から実家に戻ってきて、いまめし屋で働いている。弟は今も迷惑をかけっぱなし。その店に重吉という桶職人が通ってくる。おもんはこの重吉をみているだけで嬉しい。 弟の借金のために、やくざものにその返済を迫られたときに、重吉が助けにきてくれる。腕に青黒い入れ墨が入っている。寄場かえりなのだ。重吉も堅気ではなかったようだ。

 「でもこのひと、一体何者かしら?」

 おもんは重吉のことは何もわかっていない。だがそれとはべつに、もうひとりぼっちではないという気もこみあげて来た。いまごろになって、やっと遅いしやわせが訪れて来そうな予感に、おもんは胸がふるえる。重吉が親分に、連れ合いだと言ったひと言を思い出し、おもんは顔を赤らめて重吉に寄りそって行った。
 遅くたっていい、誰だってしあわせになれるべきなのだ。

泣かない女
 道蔵は山藤という錺師の店の職人だ。もうお才という女房と所帯を持っている。本当は山藤のお柳という娘が好きだったが、いいところへお嫁にいってしまった。ところが、このお柳が相手の急死で戻ってくる。これで波乱が起きないのがおかしい。またお柳はお嫁に行かされそうになるから、なんとか道蔵と一緒になりたいという。それにはお才を離縁しなければならない。
 お才は足の不自由な女だ。この身体の不自由な女だからかばう気になって所帯をもってしまった。だが一緒になってみて、もう世間の眼は可哀想な女をかばう健気な男というようには見てないことに気がつく。もう別れて自分の幸せをつかみたい。だがお才は泣くだろう。自分に棄てられたって、どこへいくこともできないはずなのだ。
 だがいざとなって、お才は泣かない。

 「ずっと前から、いつかこんなふうな日がくると思っていた、だから、
 仕方ないよ。その日がきたんだから」

と出て行ってしまう。道蔵はお才との出会いを思い出す。……やっぱり、お才を追いかける。小さなお才の姿が遠うざかっていく。走っておいついて、……

 「とにかく、おれも一人じゃ困るんだ」
  泣くだけ泣いたお才が、手に取りすがって来たのを、道蔵は握り取っ
 て歩き出した。そのときになって、やっとひとつ思いうかんで来たこと
 を、道蔵は大きな声で言った。
 「夫婦ってえのは、あきらめがかんじんなのだぜ。じたばたしてもはじ
 まらねえ」

 もう道蔵はお柳には会わないだろう。「夫婦はあきらめ」なんて言葉に反発する若い恋人同士もいるのかもしれない。でも、こうして道蔵とお才はこれから二人で懸命に生きていけるのだ。愛するから夫婦になるのではない、夫婦になったのなら愛を作っていくのだ。

虹の空
 政吉はおかよと所帯を持とうとしている。二人とも身よりのないひとりぼっちの育ちなのだ。だが実は政吉には、まま母がいるのだ。それが少し気にかかる。だが本来赤の他人だし、何のいい思い出もありはしない。それにこのまま母も政吉の世話になろうなんて考えてはいない。おかよだって、やっとつかんだ幸せの中にそんな他人には入ってきてほしくない。だがなんだかおかよは不安になる。
 政吉はまま母に会って、そこらの懸念をなくしてくる。もう済んだ。……でもふいに意地悪なまま母の思い出の中に、小さな自分を大きな犬の襲撃から血をだしても守ってくれたことのあるのを思い出す。……もうおかよとは喧嘩してしまう。
 ある日、まま母の働いている店のあたりで火事がおこる。政吉は懸命に町を走る。焼け跡の道を、おかよがまま母を背負って歩いている。

 「あんたのおっかさんは、あたしにもおっかさんじゃないか」

運の尽き
  参次郎は不良仲間と悪さばかりしている。だが、ある娘とひっかけたのが運のつき、急にその父親が現れて無理やりその家に連れていかれる。そこは米屋だった。そこで無理やり働かされる。いままで遊んでばかりいたのだから、辛くてたまらない。逃げ出してもまた捕まってしまう。 だがやがて、この米屋で落ち着く気になってしまう。昔の仲間に会ったとき、

 「おめえ、どうやらあの米屋に居ついたらしいな」
 「まあな」
 参次郎は苦笑してみんなの顔を見た。
 「子供が生まれるんだ。今日はちょっと商売で外に出たから、懐かしく
 なってここをのぞきに来たよ」
 「たらしの参次も、あれが運の尽きだったな。かわいそうに」
 と直吉が言った。
 「そうそ、あれが運の尽きだった」

 だがもう参次郎はその運の尽きでいいのだ。

亭主の仲間
 これは怖い話である。この怖さが最後まで解決されない。だがこの怖さは今もよくあることに思える。いわゆるこの話で亭主の仲間である怖い男がやくざものということだろう。

  安之助はすらりとした身体つきで、男ぶりもよかった。おっとりした
 口を利き、話ながら、感じのいい笑顔を見せた。

 こんな感じのやくざものが一番怖いのだ。

おさんが呼ぶ
 おさんはどうしてなのか、口がきけない。本当は無口だけなのかもしれない。そしてたいへんな働きものである。働いている伊豆屋に兼七という紙漉屋がやってくる。伊豆屋に泊まって、必死に営業活動している。住んでいる村のためにやっているようだ。おさんは、この兼七の顔みていると、なんだか顔が和んでくる。
 だが兼七の仕事は邪魔が入ってうまくいかないかもしれない。おさんはなんだかそれがたいへんに心配なのだ。実はおさんが口がきけないのは、子供のときに自分を捨てていった母親への憎しみのせいであるようだ。でももうその憎しみも消えたようなのだが、何故か喋れないのだ。だれももうおさんは喋らないものだと思い込んでいるからかもしれない。おさんはだだの働きものというだけで、だれもそれ以上のことはどうでもいいのだ。でもはじめておさんの声をきこうとする男が、兼七だったのだ。
 兼七は邪魔されたお蔭で、仕事がうまく行かず村へ帰って行く。そのあとをおさんが追う。

 「兼七さん、待ってください」
 …………  「私を一緒に連れていってください」

おさんは口が利けたのだ。私は涙でいっぱいになってしまう。

禍福
 幸七は今小間物売りである。実は本来なら、老舗の店をその婿としてつげたはずなのだ。だが、どうしてかそのとき付き合っていたいそえが身篭っていることから、どうしても別れることができなくて、結局いまの生活になってしまった。なんだか毎日が面白くない。 毎日そんなになにか人生を踏み違えたような気持で荒んでいるときに、昔の朋輩にあう。

 「あんたの荷は何ですか? 小間物売りか。気楽でいいねえ」

 あのまま老舗の店に入っていたら、たいへんな事になっていたようだ。自分ほど不運な男はないと思っていたのだが、実はそうではなかったようなのだ。

  ひとは少しずつ幸運に恵まれたり、不運に見舞われたりすることを繰
 り返しているにすぎないのだろう。長い間、そのことが見えなかっただ
 けだと思った。

 こうしたことにだれもが気づくとは限らないのだ。

帰って来た女
 ここで帰ってくるのは、藤次郎の妹のおきぬだ。むかし止めるのもきかず、男と家を出てしまった。それが今病気で伏せているという。ただし、本人が助けてといっているわけではない。

  ばかめ、こうなることはあのときにわかってたんだ。病気くらいで甘
 い顔は見せねいぞ、と思った。

だが、職人でおきぬと子供のときからの幼馴染みの音吉が必死な表情になっている。どうやら馬鹿な妹の様子を見にいこうか。音吉は口がきけない。
 おきぬは「あたしに、かまわないで」という。そうだ、かまってなんかやるものか。

  藤次郎は膝を立てようとした。その身体を、横からしっかりと押さた
 者がいる。音吉だった。音吉の眼から、みるみる涙があふれ出して、頬
 を濡らすのが見えた。音吉は片手で藤次郎の胸をつかみ、おきぬを指さ
 し、また藤次郎の顔を見た。

 おきぬは家にもどり、やがて音吉と所帯をもつのだろう。読んでいる誰もが嬉しさに顔が和むに違いない。

おつぎ
 これを読み終っても、だれも三之助がおつぎを探しだすことを願うだろうし、またそうなるだろうと思ってしまう。人はだれでもいろいろなことがあるのだが、あるときには何か自分で立ち上がらなければならないときがあるのだ。それはいっけん小さなことでも、大切なことなのだ。

  ………しかし、今度は………。
  裏切れない、と三之助は思った。もう一度、おつぎを裏切るようなこ
 とになれば、おれは人間ではない。

 三之助に頑張ってもらいたいものだ。

 最初もっと全作品について書いてみようかなと思っていました。ごくいくつかの作品が大した感慨を抱かせてくれなかっただけで、ほとんどがなにかしらこの江戸の市井の人たちの姿を描く世界に魅せられしまいます。
 私はチェーホフの小説を思い出しました。チェーホフの数々の短編小説も、私たちのまわりにいる市井の人たちの毎日のひとこまひとこまを描いています。「人生はこうあるべき」ではなく、人生は毎日こうして過ぎていくものなのです。そして人はその中で懸命に生きています。その中で少しずつ努力していくのです。だから人間に生まれてきて良かった。人生はいいものなのです。

 解説にも書いてあるのですが、藤沢周平は山本周五郎の影響下にある作家と見られがちなのですが、こうして見てみると、その資質の違いにきずくはずです。藤沢周平は山本周五郎ではなく、チェーホフなのです。山本周五郎の描く江戸の市井の人の世界はひとことでいえば、「嘘っぱち」です。市井の人というのは、周五郎が描くより、もっともっといやらしくだらしのないものなのです。だが、その中にもたくさんの珠玉のような世界が存在しているのです。「人生はこうあるべき」ではなく、人生に生きていると、こうした素晴らしいことにいくつも感激したり、また自分がその中の登場人物になることがたくさんあるのだと思うのです。(1998.11.01)

81d26791.jpg「みずべの苑」の屋上は思い出します。いいところですね。
 毎日書いているブログですが、書いておきたい新聞も雑誌も多く残ってしまいました。一気に書かないといけないなあと思っています。なかなか書いていられないのです。いえ書くべきことはいくつもあるのですが、このままだと書かないままにしてしまう雑誌や本も出てきてしまいますね。書き終わらないうちはそばに置いておきますから私の周囲は大変なことになっています。けっこう時間がたってから藤沢周平の小説への感想を書いたりしなければなりません。
 写真は3月15日の午前10時49分に撮りました梅です。こうして街のどこででもお花が見えることは嬉しいことです。(03/19)

761be118.jpg

 毎日たくさんのことがあって、ポメラには書いていられない思いです。ポメラはいいのですが、漢字変換が不満です。

2010/02/08 07:24きょうは「読書さとう」で、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』のことを書きました。思えばあの主人公はあまり好きではありませんが、いい小説ですね。
2010/02/08 07:44今朝食を終わりました。どうしても寒く感じますね。
2010/02/08 08:12「ウェルかめ」が始まります。いつもこうして見ていられることが嬉しいです。
2010/02/08 11:31歯医者に来ています。でもこの「もりや歯科医院」で私の歯医者さんへの印象も変わりましたね。それと自分でもちゃんと歯を手入れするようになりました。これは実にいいことです。
 さて、「ニュースさとう」と「読書さとう」はUPされていますが、「歴史さとう」に三国志のことを書かないとならないな。それに「コラムさとう」も書かなくちゃなあ。そしてきょうはメルマガの配信日です。やらなくちゃあなあ。
2010/02/08 12:29歯医者へ行って帰ってきまして、そのほかあることをやりまして、今になりました。
2010/02/08 18:05少し前に長女の家に来ました。まだみんなは帰っていません。いつも歩いているときに、二人のことばかり思い浮かべているので、少しがっかりします。でもまだ早いのですから仕方ないですね。ポコ汰とこういうお話しよう、ポニョとはこんなことしよう、なんてばかり考えています。でも仕方ないですよね。
 いつも歩きながら、孫のことも考えますが、私が書いています蜘蛛業へのUPの内容も考えています。今は、長塚節『土』のことと、小川未明の童話を思い出していました。そして私は藤沢周平が好きですが、彼の『長塚節』は手にはしたのでしたが、とうとう読まなかったことを思い出しました。読んでおけば良かったな。今更読むわけにもいかないよな。
 あ、でも藤沢周平は全集を読む気だから、いつかは読むんだ。
 私が全作品を読もうと思っている作家は、この藤沢周平の他には、佐藤雅美、他いますが、孫たちが帰ってきました。

 藤沢周平の長塚節を書いた『白き瓶』ですが、これは手にしていて、でも読まずに結局は古書店に売りました。私には手にしていて、読まないというのは珍しいです。でも藤沢周平は全集をよむつもりだから、読むことになるのでしょうね。私には長塚節にこだわりがあるんだなあ。

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10012402 以下ポメラで打っているときに、私の前歯が取れました。それで入れ歯が左右の針金で固定しているのですが、でもその右側の針金がとれたのです。

2010/01/24 07:05前回「藤沢周平「秘太刀馬の骨」の最終回を見ようと思っていたのですが、かないませんでした」と書いたのでしたが、それは間違いでした。26日の午前9時から、「時代劇専門チャンネル」で第6回の最終回を見ることができます。さて、「秘太刀」の本当の継承者が見られるのですね。いいなあ。
2010/01/24 08:26朝の今からテレビでは米語が聞こえます。いえ、今私の友人への手紙で、そうしたことに関連したことを書いたのです。その彼は中学の英語の教員だったのですね。もう退職しました。
 でもあと少し彼への手紙は続きます。考えてみれば年賀状以外では、彼には初めて手紙を書きますね。実際に話をするよりも私は手紙やメールのほうが数段いいのです。そのことで、私は「話し言葉」と「書き言葉」、「指示表出」と「自己表出」ということで、書いたものです。
 あ、ここまで書いていたところで、私の入歯が取れました。困っちゃうな。また入れに行かなくちゃなあ。あの先生お元気かなあ。
2010/01/24 09:01明日9時に電話して、できたら明日その歯医者へ行きます。明日入れるのは無理だろうな。

「岡地歯科医院」に明日電話しますが、明日入るのだろうかなあ。あ、さっきから書いている手紙にも書こう。でも彼は真面目な人だから、驚いちゃうかなあ。

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10012401「時代劇専門チャンネル」で、藤沢周平『秘太刀馬の骨』の最終回を見ようと思っていたのですが、かないませんでした。

2010/01/23 14:47「秘太刀馬の骨」の最終回を見ようとテレビの前に来ました。
 でも次回の最終回は午後3時からなのですね。そうか、まだ時間があるんだ。
 あれ、もう終わっているんだ。午後2時からだったんだ。仕方のない私です。
2010/01/23 15:05ではまた自分の部屋に帰ります。

 でも夜に長女家族4人が来てくれて嬉しいです。もうポコ汰がとってもいい子です。

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 あ、今以下に書いた泥鰌の店の名前を思い出した。駒形は、『駒形どぜう』といい、西浅草は『飯田屋』でした。私は大学生のときから来ていましたね。

2010/01/23 07:57朝テレビの映像を見ています。もう1月もこんな日になってきましたね。今映像ではタレントさんがどじょうを口に入れています。私もどじょうは好きですが、串にさしたどじょうは食べたことがないなあ。
 どじょうを食べに行きたくなりました。どじょうはいいよなあ。浅草のいくつかの店で食べたものです。駒形の○(名前が思い出せない)と、西浅草の○○もいいですね。いや、他の街でもいくつも行きましたよ。鰻も好きですが、鰻はご飯によく合うのですね。泥鰌は酒に実に合います。
2010/01/23 08:15「ウェルかめ」です。
2010/01/23 11:31「時代劇専門チャンネル」で「秘太刀馬の骨」を見ています。これは実に原作がいいです。この秘太刀の持ち主は誰なのか、という不可思議が最後まで明かされません。でもでも実はそれは最初から、物語の中にいるのです。それが最後に判ります。いやこの物語の題名の「秘太刀馬の骨」にもそれは見えているのです。もう随分前に読んだ作品ですね。10年以上前かな。藤沢周平は私は好きな作家です。でもいろいろと言いたいことがあるなあ。

 私の書いているのは、以下です。

   http://shomon.net/books/shuhei2.htm#hida 秘太刀馬の骨

 藤沢周平は私の好きな作家です。でもいろいろと言いたいことがありますね。あのねえ、そもそも江戸時代の武士なんて、何も生産していないし、まともな人間は誰もいないよ。藤沢周平の小説では、そこらへんを誤解していまいますよ。…と私は思うのです。

続きを読む

965e15b2.jpg もう2日前になってしまったわけですが、2009年10月8日の日経新聞夕刊の12面に「高橋敏夫『歴史・時代小説の巨匠たち』」という文があり、内容が「藤沢周平と山本周五郎」で、「『市井もの』逆境の生鮮やかに」があります。この二人とも私はかなり読んできました作家ですから、何かを書き記したいと思ったものです。
 まず二人の写真を見て、私はブツブツ言っていました。私は藤沢周平さんは、この顔もよく知っていましたが、山本周五郎は初めてです。

 私は今年の4月の終わりから5月始めにかけて、妻が柏の癌センターに入院しました。そのときに、病院の売店の書籍を見たのですが、藤沢周平はどの文庫本もたくさんありました。もちろん、私も購入しまして、妻の枕元に置くのですが、でもでも読んでいるのは私でした。だが山本周五郎はその売店にはただの一冊も置いていないのですね。
 私は理解できました。藤沢周平なら、入院中でも実に爽やかな気持で読んでいけます。でも山本周五郎だと、結局は、周五郎にお説教されているような気持になってしまうのではないでしょうか。

 私はここに記してある本は、ほとんどを読んでいます。山本周五郎では、『樅の木は残った』を読んだのは、中三のときでした。もちろん、あとでも20代にもう一度読んでいます。私はときどき、「原田甲斐は本当にどんな人だったのだろう?」なんて思います。もちろん、私は周五郎が描くような人物だったと思っています。
 その他の作品もよかった。でもでも、私はいつも周五郎に言われているような気持になります。「人間というのは、本当はこんなに素晴らしい存在なのだ!」。私は「それは、本当かよ、ホントかよ?」という気持なのですね。
『さぶ』で、私はこの中の栄二(「武松(ぶしゅう)」と呼ばれている)に惚れる「おのぶ」が私は大好きです。でも栄二の妻になる「おすえ」が私は今も許せません。この女が栄二を寄場に送る原因を作るのです。簡単に許してしまいます栄二が私には理解できません。この物語から、もう私は周五郎を読んでいません。ただ、栄二をいつも見つめているさぶの視線は大好きです。

 藤沢周平は、今私は全集を読んでいるところです。かなり読んだ本もありますが、中でも私が読み忘れている作品を残らず読んでいきます。
 そうですね、藤沢周平では、二つの点が不満です。一つは彼が強力な日本共産党支持者だったことです。私はこれはどうにも嫌なことです。でもそのことはいつも忘れるようにしています。
 もう一つは、彼がいつも江戸時代の武士たちを力強く美しく描くところです。もちろん、多くのどうしようもない武士が多いわけですが、主人公の武士たちは、みな貧しいけれども、剣に強く、そして極めて真面目です。でもでも、私はそういう武士が大嫌いです。真面目に働いていた私の祖先の百姓農民のほうがずっと好きです。でもまあ、そんなことを言っても仕方ないのでしょうね。
 とにかく、私は藤沢周平を全作品読んでまいります。

4ceacc72.jpg きょう妻が食事を終えて、私と9Fのレストランへ行きまして、コーヒーを飲みました。私はコーヒーというものは、まず飲まないのですが、ここは病院でビールがあるわけではありません。
 それで9Fからの周囲の景色を見ながら少しお話をしていました。それで1時少し前に、妻の部屋にもどりました。
 そうしましたら、部屋には、妻の勤める会社のF社長ご夫妻に来てくれていました。私の妻が普通に歩いているので、少し驚きすごく喜んでくれました。
 そのご夫妻が持ってきてくれた花束がここの掲げたものです。09050503それで私は、下のお店に、大きな花瓶なんかあるかなあ、という思いで、妻に言いますと、家に持って帰って玄関に飾ってくれといいます。もうすぐ2日後には妻も帰宅できるのです。
 それで、私はまた藤沢周平を読みながら帰ってきまして、大きな花瓶を洗って、それでこの花束を入れました。
 それに大きな果物をいただきました。これから、長女の家に持っていきます。

 だから上の写真はもらいました花束で、下はその花束を私が王子の家に持ち帰って花瓶に入れたところです。

暗殺の年輪 (文春文庫 ふ 1-1)
暗殺の年輪 (文春文庫 ふ 1-1)
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書 名 暗殺の年輪
著 者 藤沢周平
発行所 文春文庫
定 価 760円+税
発行日 1978年2月25日第1刷
読了日 2009年4月29日

 この本は、妻が入院した日本がんセンター東館の地下1Fで手に入れて、妻のベッドのそばで読み終わりました。思えば、私は藤沢周平は、全作品を読むつもりでいます(全集がありますから)が、でもこうしてまだ読んでいない作品があって、実によかった思いがしました。そうでなければ、私は今回は大変に困ったことになったでしょう。
 この医院の売店には、この藤沢周平の文庫本がいくつも並んでいるのです。
 この文庫本には、以下の作品が載せられています。

  黒い蠅
  暗殺の年輪
  ただ一撃
  瞑い海(へんが目ではなくさんずいです)
  囮

 みな藤沢周平の初期の作品です。
 ただ、妻のそばに置いていましたから、持って帰ってくるのが昨日になりまして、また別な本を読みましたから(もちろん、藤沢周平の作品もです)、またこの文庫本を少し開けて読み直すべきなのですね。
 私は藤沢周平の作品では、東北山形県の海坂藩(もちろん架空の藩です)の武士たちを描いている作品は、どうしてもそれほど好きになれません。私が武士という存在が昔から嫌いだったからです。
 だから、そのうちに、藤沢周平をすべて読んで、私の思いを書いていくべきだと思っています。
 そうですね、あと司馬遼太郎よりも私はその作風が好きですが、でもでも彼が日本共産党支持だったことは、どうしても私の嫌だったことです。私は彼をそこから脱しさせたいのです。
 とにかく全作品を読んでいきます。そして私の次のページを充実させて参ります。

   http://shomon.net/books/shuhei.htm 周の書評(藤沢周平篇)

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 私は 『「新版 雑兵たちの戦場」を読みました』 に次のように書きました。

そんな私の一族が私は好きです。武士なんて、私は少しも好きではありません。格好悪くていやですよ。

 本当に私は武士なんて大嫌いです。
 でも私は、藤沢周平は好きです。私は実によく読んだ時代小説の作家として、山本周五郎は少しも好きになれません。なんだか、周五郎の考える人生哲学を言われている感じがして嫌なのです。司馬遼太郎も実に読んできましたが、これもまた彼の歴史感をずっとこちらに言われ続けている感じがして、これもまた私は「私はまったくそう思わないよ」と言いたい気持ばかりです。
 でもこの藤沢周平は、私は大ファンと言っていいほど、大好きな作家です。でもでも、やはり私は、それでも藤沢周平の描く小説の中の武士が好きになれません。いやもちろん、主人公は武士であっても、どうしても好きになれることが多いのですが、でもその主人公が武士ですと、「こんなのは、本当は違うよなあ」なんていう気持がわき上がってしまします。
 藤沢周平の描く東北の今の山形県の日本海側の海坂藩(これは架空の藩、本当は酒田藩でしょう)の武士で、周平の描く主人公はひたすら剣が強いのです。真面目で朴訥で、そして人生渡りがどうしても上手いとはいえません。でも何故か剣だけは強いのです。
 いつも、「どうして藤沢周平は、こうして武士を理想化しちゃうのかなあ」とばかり思っていまいます。

 私は江戸時代に、例えば元禄時代の頃も、例えば1万人のおかげ参りの農民の前で、ひたすら頭を下げてばかりいた(ただただ早くこの大量の農民が通りすぎてほしいばかりでした)大坂の幕府の武士たちを思い浮かべます。藤沢周平の描く海坂藩の武士たちだけが違った姿をしていたなどとは少しも想像ができないのです。

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あやし

 

 


書 名 あやし
著 者 宮部みゆき
発行所 角川文庫
定 価 552円+税
発行日 平成15年4月25日初版発行
読了日 2007年3月22日

 私はもうずっと宮部みゆきのファンといっていいのですが、でももうこの本は実に面白かったです。ずっとパソコンで何かを読んだり、書いたりしながら、この文庫本を読んでいました。そしてなんだか、ものすごい速度で読みきってしまいました。以下目次をあげておきます。

  居眠り心中
  影牢
  布団部屋
  梅の雨降る
  安達家の鬼
  女の首
  時雨鬼
  灰神楽
  蜆塚

 すべて違う短編ばかりです。もうどんどんと読むことに引きつけられていきました。
 宮部みゆきの「本所深川ふしぎ草紙」や「震える岩」も大変に面白く読んだものでしたが、この「あやし」それらをもっと超えています。すごい作家ですね。そして私はやはり、藤沢周平の世界を思い出していました。似ているんだけど、いやけっして似ているとだけはいえません。でもなんだか、読みながら私の胸がせつなくなるような、涙を浮かべてしまう世界が私の前に展開される感じは同じなのです。            

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 いわゆる時代小説とか歴史小説というと、作家では私は昔から誰を読んできたかなと考えてみます。中里介山、長谷川伸、吉川英治、司馬遼太郎、海音寺潮五郎、山本周五郎、子母沢寛、池波正太郎、伊藤桂一、五味康佑、綱淵謙譲、山田風太郎、隆慶一郎、佐藤雅美……というところでしょうか。はっきりいってこの中では、私は司馬遼太郎と山本周五郎はあまり好きではありません。
 しかしあるときに、隆慶一郎と藤沢周平の作品を立て続けに読んでみて、いろんなことに気がついてきたたように思います。
 まず私は今は藤沢周平のファンですが、最初の頃どうしてもこの作家の作品を読み込むことができませんでした。何故かその文体に入り込めなかったものなのです。ところが昔私がときどき行く根津の飲み屋で知った大工のおやじさんが藤沢周平のかなりな読み手で、この人と話をするにはもう藤沢周平を読まなくちゃとばかり思い込んだら、たちどころに読めだしたというところなのです。
 そしてそのときに気がついたのは、私は司馬遼太郎が好きではないといっても、かなり彼の世界にばかりに影響されていたのだなと思ったのです。私は司馬遼の作品の世界はいくらでも喋ることができます。そしてかなり昔は彼の世界に惑わされていた自分を感じます。その訳はかなり今では簡単に解明できるのです。そして、そのことは私のサイトの中であちこちで述べてきました。
 私の好きな藤沢周平の作品を紹介しているのが、このページです。
 ただ、今のままでは、あまりに作品の紹介が少ないですね。今後もっとやりきっていきます。(2002.07.22)

   http://shomon.net/books/shuhei.htm  周の書評(藤沢周平篇)

 私は、パトリシア・コーンウェルも好きな作家ですが、彼女の作品を読みますと、いつも藤沢周平の世界を思い出しています。ただし、ついこのごろのケイ・スカーペッタの作品には、どうにも私は頷いていません。
 ちょうど今王子に住むようになりましたから、王子図書館で、この作家の全作品を読もうと考えています。

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