将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:蘇東坡

13022803 ここの写真を見て私は「あ、蘇東坡の蘇州夜曲だ」と声に出してしまいました。そして次の歌詞も出てきます。

  君がみ胸に抱かれてきくは 夢の船歌恋の唄
13022804  水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳がすすり泣く

 もちろん、私は最後の「鐘が鳴ります寒山寺」まで自然に歌えます。
 これは李香蘭(山口淑子)の歌ですね。私は渡辺はま子もよく唄ってくれた歌(作詞西条八十、作曲服部良一)だなあと思い出します。
 そして私は蘇東坡の詩を思い浮かべるのです。私は蘇軾というよりも蘇東坡(これはこう蘇軾が称したのです)と言ったほうが親しく思える詩人です。
 私は以下のように、いくつかこの詩人の詩を紹介しています。

  蘇軾『六月二十七日、望湖樓酔書』
  蘇軾『贈劉景文』
  蘇軾『澄邁駅通潮閣』

 しかし私がよく思い出し、口から出てくるのも、この下の詩なのです。

  飲湖上初晴後雨  蘇軾
 水光瀲灧晴方好 水光瀲灧として、晴れ方(まさ)に好(よ)く、
 山色空濛雨亦奇 山色(さんしょく)空濛(くうもう)として、雨もまた奇なり。
 欲把西湖比西子 西湖を把(と)って、西子に比せば、
 淡粧濃抹總相宜 淡粧濃抹、総て相(あい)宜(よろ)し

 おそらく私には、この詩人が中国の詩人では一番好きでしょう。私は王朝雲という女性とのロマンスが好きです。
13022805 蘇軾の生涯は、1037年1月8日から1101年8月24日でした。また私は彼の詩を幾度も読んでいくでしょう。そして西施のことも松尾芭蕉(「象潟や雨に西施がねぶの花」の俳句)のことも思い浮かべているでしょう。

2018080607 蘇軾は、東坡居士と号したので、蘇東坡とも呼ばれています。どうしても私にはこれのほうが呼びやすいので、ここではこれで書きます。
1036年(景祐)1月8日〜1101年(建中靖国元)8月24日の生涯でした。私は「林語堂『蘇東坡』(合山究訳、講談社学術文庫)」を1993年頃読んでいます。私は中国の近代人では、魯迅の次にこの林語堂が好きであり、実に興味深く読んだものです。
この本については、以下に書いています。

http://shomon.livedoor.biz/archives/51889184.html 林語堂『蘇東波』11040403

  ここでも私は書いていますが、王朝雲という女性とのロマンスが好きです。それに私はさらに

http://shomon.livedoor.biz/archives/51727951.html
周の漢詩入門「蘇軾『澄邁駅通潮閣』」

でも書いていますが、「この海南島のあと、蘇東坡が会いました朝雲という女性とのロマンスが好きです」なんて書いているわけなのですが、これは私の認識不足でしかありませんでした。
彼女とは、1071年、蘇東坡が官位を下げられ、杭州におもむいた時が初対面だったのですね。ある宴会で軽やかに踊る彼女に出会ます。このときには、王朝雲は12歳のときです。蘇東坡の「飲湖上初晴後雨」の詩は、このときの詩なのですね。

水光瀲エン晴方好
山色空濛雨亦奇
欲把西湖比西子
淡粧濃抹總相宜

私はこの詩を読むときに、いつも4歳のときに秋田で会った女の子を思い出していました。その子が秋田の象潟に住んでいるということと、そこに昔赴いた芭蕉が詠った「象潟や雨に西施がねむの花」を思い出したものだったのです。
この蘇東坡の絶句が彼女のことも頭にあり詠ったのではと気がついたのは、つい近頃の私になってからことでした。
実際には、蘇東坡よりはるかに若かった彼女は病に倒れてしまいます。そして亡くなります。でも私は永遠に彼女と彼女を詠った蘇東坡の詩を忘れることはないでしょう。(2011.04.05)

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蘇軾35歳の任地杭州での作品です。杭州の西湖を目の前にした情景を七言絶句にしています。

六月二十七日、望湖樓酔書 蘇軾
六月二十七日、望湖楼に酔うて書す
遽惜殍鰐ぜ彁 黒雲墨を翻して 未だ山を遮ら
白雨跳珠亂入船 白雨珠を跳(おど)らせ 乱れて船に入る
卷地風來忽吹散 地を巻き風来って 忽ち吹き散じ
望湖樓下水如天 望湖楼下 水天の如し

黒い雲が墨をぶちまけたように広がったが、まだ山を遮るまでは行っていない。
白い大粒の雨が、真珠をまき散らしたように乱れて船の中に飛びこんできた。
地をまきあげる勢いの強い風が急に吹いてきてにわか雨をまき散らす。
望湖楼の下の水面は大空のように広くて静かだ。

西湖といえば、同じく蘇軾『西湖』の詩をすぐに思い浮かべ、私が4歳の頃会った女の子のことを思い出します。
漢詩は、詩吟を長年やってきた私には、まずは日本のいくつもの漢詩が浮かんでくるわけですが、その他はやはり唐の何人もの詩人たちの詩が頭の中に浮かんできます。そしてそれ以外の時代の中国の詩人というと、この蘇軾の詩が一番多く思い浮かんでくるのです。
そしてまた私は、林語堂「蘇東波」のいくつものシーンが浮かんできます。蘇軾はいいなあ、蘇東坡はいいなあ、と繰り返して思ってしまうのです。

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