将門Web

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Tag:蘇武

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中島敦の『李陵』で知られている李陵の詩です。この作品の『李陵』には、主人公李陵のほか、先に匈奴に使いして、北辺に閉じ込められる蘇武と、この李陵が匈奴に下ったことを非難する多くの中で、普通に弁護したために、宮刑にあってしまった司馬遷のことが書いてあります。
李陵は、漢の将軍として5千の歩兵を率いて匈奴に遠征しますが、匈奴の8万の騎兵とよく戦い、しかしついには匈奴に降ります。やがて匈奴の王の単于に丁重に扱われ、だがために漢では彼の家族はみな武帝の為に殺されてしまいます。
でも実は彼がこの匈奴に下る1年前に漢の使者として来て、捕まり北辺(シベリア)に囚われている蘇武がいました。
そして実は漢には、李陵を当たり前に弁護して、宮刑に会ってしまった司馬遷がいたのです。
このことは、以下の小説に書いてあります。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1737_14534.html
中島敦『李陵』

その李陵の詩です。

別歌 李陵
徑萬里兮度沙漠 万里(註1)を径(わた)りて 沙漠を度(わた)り、
爲君將兮奮匈奴 君が将と為(な)りて 匈奴に奮(ふる)ふ。
路窮絶兮矢刃摧 路(みち)窮(きはま)り 絶えて 矢刃(しじん)摧(くだ)け、
士衆滅兮名已貴 士衆 滅びて  名已(すで)に貴(註2)つ。
老母已死 老母已(すで)に死せり、
雖欲報恩將安歸 恩に報(むく)いんと欲(ほっ)すと雖(いへど) も                             将  (は)  た 安(いづ)くにか帰(き)せん。

    (註1)萬里(ばんり) 遥かな道程。
(註2)貴(本当はこざとへんに貴、おつ) くずれる、おちる。

遥か彼方へ出かけて、砂漠を渡り、
漢の武将となって、匈奴と奮戦する。
路は行き詰り、矢玉も尽き果て、刀も砕けた、
母はすでに死んだ(実際には武帝に殺された)。
親の恩には報いたと思っているが、はたしてどこにもどればいいのだろう。

中島敦の『李陵』を読まれれば判りますが、李陵のこの匈奴での20年間は実に大変な年月でした。でも思えば、彼はここで確実に生きていけたのかなあ、と私は思うばかりです。

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 漢の武帝(BC156〜87)は、前漢王朝の第7代の天子で、姓は劉、名は徹。16歳で即位し、在位期間は54年の長きにおよんだ。この作品は、武帝44歳のときの作品です。

   秋風辭      漢武帝
  秋風起兮白雲飛  秋風起こりて 白雲飛び
  草木黄落兮雁南歸 草木黄落(こうらく)して 雁南に帰る
  蘭有秀兮菊有芳  蘭(らん)に秀(はな)有り 菊に芳(かおり)有り
  懷佳人兮不能忘  佳人を憶うて 忘るる能(あた)はず
  泛樓船兮濟汾河  楼船(註1)を泛(うか)べて 汾河(註2)を濟り
  埣耄兮揚素波  中流に圓燭呂蠅董〜杷函蔽陦魁砲鰺箸
  簫鼓鳴兮發棹歌  簫鼓鳴りて 棹歌を発す
  歡樂極兮哀情多  歓楽極りて 哀情多し
  少壯幾時兮奈老何 少壮幾時ぞ 老いを奈何せん

  (註1)楼船(ろうせん) 二階造りの船。屋形船。
  (註2)汾河(ふんが) 黄河の支流。汾水。
  (註3)素波(そは) 白い波。

  秋風が立って白雲が飛び、
  草木は黄ばんだ葉を落として雁が南に歸る。
  蘭や菊が香るこの季節、
  美人を思い起こして忘れることができない。
  楼船を泛べて汾河を渡り、
  中流に横たわって白い波をあげる、
  簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
  歓楽が極まるうちにもなぜか憂いの思いが多くなる
  若いときはいつまでも続かぬ、老いていく身をどうしていこうか。

 この皇帝のときに、前漢が最隆盛の時代を迎えます。漢の高祖でも成し遂げられなかった匈奴を打ち破り、西域をも漢の支配権下に置きます。

 だが、この武帝の周りは、すべて帝を礼賛する臣下だけが集まり、匈奴と雄々しく戦った李陵を彼が匈奴に下ったからということで、妻子まで殺害し、さらにこの李陵をかばった知人の司馬遷を宮刑にしました。李陵は無実であり、司馬遷はどんな悔しい思いで生き延びたことでしょうか。そして、この皇帝のときに匈奴に使いした蘇武は、19年間バイカル湖のほとり送られていましたが(雄の羊が乳を出したら、漢に帰してやると匈奴が言ったといいます)、この武帝の死後次の昭帝のときに、帰国できました。
 この蘇武と李陵が一緒に詠った詩が今も残されています。
 そして李陵の無実を普通に言っただけでしたが、重い刑罰を受けてしまった司馬遷は、間違いなく悔しさの中で、『史記』を作りあげます。この時代は、まだ紙のない時代です。竹を切って、その竹の裏に書いたものが、この『史記』なのです。今読んでも、あれほどの膨大な歴史書は他には考えられません。
 したがって、どうにも私には好きになれない、この武帝ですが、この詩は、なかなかいいものだなあ、ということだけは感じています。

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