将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:西遊記

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 私はいつも「西遊記」を思っていて、原作と違和感をもつのは、沙悟浄のこと(中国に河童はいない)と三蔵法師が乗る馬の白馬・玉龍のことです。沙悟浄のことは前に書きました(中島敦の小説で)。
 三蔵法師が乗る馬の白馬・玉龍は龍神の子なのです。ところが三蔵法師を最初の馬もろともに飲み込んだのですが、孫悟空が三蔵のことを毒づきながら助けて、玉龍は観音菩薩に白馬に変えられて、三蔵法師が乗る馬になるのです。
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「西遊記」はいつも三蔵法師がいつも真面目くさって、孫悟空・猪八戒はけっこう悪いやつで、沙悟浄は前にも書きましたが、不思儀な化け物です。
 いつも三蔵法師がいつも危機に陥って(私には三蔵法師がアホだとしか思えません)孫悟空・猪八戒が活躍しまして、ことを解決するのです。沙悟浄と白馬・玉龍はいつも荷物持ちと留守番だけなのです。
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 昔朝霞警察の留置場の中で「西遊記」を読んで、他の留置人に説明していたものでした。

孫悟空 (新・講談社の絵本)
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書 名 孫悟空
画   本田庄太郎
発行所 講談社
定 価 1,500円+税
発行日 2002年4月20日第1刷発行
読了日 2009年5月8日

 思えば、この「西遊記」をはじめとする四大奇書は面白く読んできたものです。「水滸伝」「三国志演義」は実に面白く読んできました。「金瓶梅」はさほど面白さを感じたことはありません。
 ただこの西遊記は、「大唐西域記」の僧玄奘である三蔵法師が主人公ではなく、孫悟空が主人公です。このことが実に面白いのですね。私は昔芝浦工大事件にて勾留されていたときに、この「西遊記」を読んでいたものでした。孫悟空と並んで猪八戒が実に面白い存在ですが、私には、沙悟浄がどうしても不思儀な存在です。物語の中で、彼は一番性格が明確に描かれていません。
 ただし、この絵本の「孫悟空」は、まだ孫悟空が三蔵法師に出会う前のお話です。いつかポコ汰にお話してあげられるときがくるのかなあ。

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 中島敦は、私は最初に高校1年のときに読んでいました。その『悟浄出世』と『悟浄歎異』を今朝思い出していました。そしてとくにその『悟浄歎異』の冒頭のシーンを思い出していました。
 だが実際に読んでみると、冒頭の悟空と八戒の変身の術の練習の場よりも、今の私には、そのあとの悟空を見て評価している悟浄の目と心のほうが面白いと感じました。

 我々にはなんの奇異もなく見える事柄も、悟空の眼から見ると、ことごとくすばらしい冒険の端緒だったり、彼の壮烈な活動を促(うなが)す機縁だったりする。もともと意味を有(も)った外(そと)の世界が彼の注意を惹(ひ)くというよりは、むしろ、彼のほうで外の世界に一つ一つ意味を与えていくように思われる。彼の内なる火が、外の世界に空(むな)しく冷えたまま眠っている火薬に、いちいち点火していくのである。探偵の眼をもってそれらを探し出すのではなく、詩人の心をもって(恐ろしく荒っぽい詩人だが)彼に触れるすべてを温(あたた)め、(ときに焦(こ)がす惧(おそ)れもないではない。)そこから種々な思いがけない芽を出させ、実を結ばせるのだ。だから、渠(かれ)・悟空(ごくう)の眼にとって平凡陳腐(ちんぷ)なものは何一つない。毎日早朝に起きると決まって彼は日の出を拝み、そして、はじめてそれを見る者のような驚嘆をもってその美に感じ入っている。心の底から、溜息(ためいき)をついて、讃嘆(さんたん)するのである。これがほとんど毎朝のことだ。松の種子から松の芽の出かかっているのを見て、なんたる不思議さよと眼を瞠(みは)るのも、この男である。

 この『悟浄歎異』には『沙門悟浄の手記』という副題がついています。そのことも今朝知りました。
 悟浄という化け物は、『西遊記』の中でもあまり性格がはっきりしません。いつも、三藏法師と馬のそばでで、三蔵と荷物を守っているだけです。もっぱら悪い奴を退治に出かけるのは、悟空と八戒だけです。
 そして悟浄を中心人物としてえがいたのは、この中島敦だけです。だがもちろん、それは悟浄が見つめている他の3人の人物、悟空、八戒、三蔵法師をどういう風に悟浄が見ているのかということのみです。
 最後に、以下のようにあります。

なぜか知らないが、そのときふと俺は、三蔵法師(さんぞうほうし)の澄んだ寂しげな眼を思い出した。常に遠くを見つめているような・何物かに対する憫(あわ)れみをいつも湛(たた)えているような眼である。それが何に対する憫れみなのか、平生(へいぜい)はいっこう見当が付かないでいたが、今、ひょいと、判(わか)ったような気がした。師父(しふ)はいつも永遠を見ていられる。それから、その永遠と対比された地上のなべてのものの運命(さだめ)をもはっきりと見ておられる。いつかは来る滅亡(ほろび)の前に、それでも可憐(かれん)に花開こうとする叡智(ちえ)や愛情(なさけ)や、そうした数々の善(よ)きものの上に、師父は絶えず凝乎(じっ)と愍(あわ)れみの眼差(まなざし)を注(そそ)いでおられるのではなかろうか。星を見ていると、なんだかそんな気がしてきた。俺は起上がって、隣に寐(ね)ておられる師父の顔を覗(のぞ)き込む。しばらくその安らかな寝顔を見、静かな寝息を聞いているうちに、俺は、心の奥に何かがポッと点火されたようなほの温かさを感じてきた。

 どうか、この悟浄も見事インドへ到達できることを祈ります。

 思えば、『西遊記』自体は、私が1970年1月に、埼玉県警の朝霞署の留置場の中で読んだものでした。そのときも、『西遊記』の中でも、何も語らない悟浄の思いを考えていたものでした。

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07060501 私は、周の雑読備忘録「陳舜臣『英雄ありて』」で次のように述べました。

 この「西遊記の旅」で、筆者が次のように言っています。

   西遊記の三蔵法師一行のなかで、この沙悟浄はいささか気になる人物である。

 このことは私もずっと気になっていたことでした。一番沙悟浄という化け物ははっきりしていません。

 この日本で西遊記が演じられると、この沙悟浄は河童の化け物ということになって、河童だと孫悟空の猿、猪八戒の豚と並んで、けっこう私たちも親しみをもってしまうのですが、そもそも中国には河童という化け物はいません。僧玄奘三藏が流沙河という砂漠で出会った化け物妖怪のようです。
 それで沙悟浄は、首に九つの髑髏をかけています。この髑髏は実は三蔵法師の首なのです。三蔵は過去にこの流沙河でいつも立ち往生して、沙悟浄に9度まで食べられていたのです。そして10回生まれ変わったところで、この沙悟浄は三蔵法師の部下としてインドへの旅に参加するのです。
 いつも沙悟浄に一番興味を持ってきました。悟空も猪八戒も、かなり性格がはっきりしているし、それほど正しい志も持っているわけではありません。原作でも、悟空は、三蔵のことを実におちょくっています。だが、この沙悟浄だけは、妙に真面目というか真剣です。いや、なんかまだ自分をつかみきれていない、自分の存在を明確にしない不思儀な存在です。

 思い出しますが、私が学生運動で、2回目に逮捕起訴され勾留されていた朝霞警察の留置場の中で、接見禁止にも拘わらず、当時の私の彼女が裁判所の許可を取って、いくつもの本を入れてくれていました。もう大量の本があったのですが、その中にこの『西遊記』がありました。これは私の兄の本でした。
 そのときに、本の差入れがあるのは、私だけでしたから、他の留置人にも、その本を貸してあげていました。そのときに、何人かの留置人のヤクザや自民党選挙違反の人たちと、夜にこの沙悟浄のことなどを話していたことを思い出します。みんなも、やはり「西遊記」は面白いようでしたが、孫悟空と猪八戒と沙悟浄の比較とか三蔵法師の真面目でつまらないところなど、いろいろと喋ったものでした。

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