将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:観光ホテルセンター

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これから野村澄子さんのお通夜へ行きます。もうすぐ赤羽です。こうしたことで昔の友人たちと会えるのは、もうなんといったらいいかわからないです。
しかし、人間は分からないものですね。一昨日鎌倉へ行く直前でこのことを知りました。澄子さんの優しいお顔を思い出します。
私もいつ同様のお迎えが来るのだろう。そのことを如実に思いますね。
そうだなあ。もうこれでUPしようかと思いましたが、もう少し書いてからにしましょう。 蕨だ。懐かしいな。
北浦和を越えるのですね。
ここらへんの駅は降りていないところはないなあ。いや、私は東京都内のあらゆる駅はすべて降りています。観光ホテルセンターという会社にいたからね。いくらでも思い出します。

12031401 温泉新聞社の記者だったことを思い出しています。

2012/03/13 19:02前のUPを読んで、いくつものことを思い出しています。三島と修善寺を思い出していたのです。思い出せば、このときに、温泉新聞社のときに、修善寺温泉を私は歩いています。あのときは、どこへ泊まったのかなあ。土肥温泉まで行きまして泊まりましたが、その前に長岡温泉も集金したな。ここに泊まったのかもしれません。修善寺と土肥の間だでもどこかで集金に行きましたね。そこのホテル(か旅館)の受付のおばさんをよく覚えています。
 そこで「ああ、椎名誠も来たのかなあ?」なんてことを思い出しました(あとで気がついた、思ったのかもしれません)。
 そのあと、何年も経ちまして、私の家族4人で来たものでした。その時は、たしか何か何か台風のあとで、結構修善寺はあちことがその為に荒れていたものでした。
 でも私は思い出したのですが、この温泉新聞のときと、それからはるかにあとに、結婚しれから家族旅行で来た他に、「観光ホテルセンター」というところに勤めていたときに、ここ修善寺温泉に来ています。そのとき泊まったホテルの名前は覚えていないですが、あそこらへんのホテルだということは分かります。あとでインターネットで調べてみましょう。

 このあとすぐにインターネットを調べました。いくつものことを思い出しました。

10112916 このてっぱんを見ているときに、私はもう独りでした。

2010/12/03 08:09「てっぱん」を見ていて、どうしても涙が出てきます。私はそんな人間なのですね。最後の千春さんの最後の言葉を読んで、もう私は涙ばかりが出てきます。
 涙をテッシュパーパーで拭いてばかりでした。
2010/12/03 09:56「ちい散歩」でちいさんは井荻を歩いています。ここを歩いたのはいつのことだったかなあ。私は観光ホテルセンターで働いたときに、よく東京中(神奈川、千葉、埼玉も歩きましたが)を歩きました。でも思えば、この頃も歩いていますね。歩いているといいものです。
2010/12/03 12:24ちょうどいろいろなことをやったあと、このポメラを開いています。昨日の長女の家でのポコ汰とポニョのしぐさを思い出します。
 年賀状を手に入れなといけない季節なのですね。もう昔は一千枚を越えていたのに、今は200枚というところですね。

 さて、きょうは年賀状を買わないといけないな。でもいついこうか。義母の世話で外出できないのだ。

10112301 ちい散歩を見ていて、いつもそこでちいさんが歩いている街を私も思い出しています。

2010/11/24 08:30なかなかこのポメラにも向かっていられません。
 でもきょうもブルータスに手紙を書こう。
2010/11/24 09:55「ちい散歩」の時間になりました。きょう歩いている街も私は歩いたことがありますね。いつ歩いたのかなあ。
 思い出せば、私は「観光ホテルセンター」というところで働いていたときに、いっぱい歩いているし、今の仕事になってからもいっぱい歩いていますね。ただ今はわずかな時間で街も路もすっかり変わるものですね。
 今ちいさんがおむすびを食べています。思い出せば、私が昔三里塚闘争に行ったときに、いただいたおにぎりが恐ろしいくらいの大きさでした。あれはおむすびじゃないね。大きいおにぎりでしたね。
2010/11/24 12:23義母の介護でニチイ学館の方が来てくれています。大変にありがたいです。思えばこのニチイ学館にも私は大変な思い出があるのですね。もういっぱいたくさんのことがあるのですね。
 私は「わが家のおかあさん」をやめて「うちのおかあさん」というのを開始したのですが、何を書いたらいいのかわからなかった。でもこのニチイさんの介護を見ていて思うことを書いてみようかなあ。

 この「うちのおかあさん」は昨日はもう書きました。またきょうも書きます。

7c18441e.jpg 少し前に義母をデイサービスのお迎えの車に、1Fまで送って行きました。そのときに、エレベーターの中で思い出していました。修善寺の光景です。これは 「周の掲示板」に「よよ『知りたい』」の書込み を書いていて、思えば、漱石は修善寺で病気療養していたことがありますね と書いていたからかなあ。
 修善寺を思い出していて、岡本綺堂『修善寺物語』に描かれた時代、漱石が病気療養していた時代、そして私が温泉新聞の記者で集金に歩いていた時代、観光ホテルセンターで修善寺のホテル2件の営業をしていた時代、そして、伊豆へ旅行したのは4年前でなく5年前でした に書いたように、家族で歩いた時代、それぞれの修善寺があるのでしょうが、今の修善寺が一番いいのではないかな。
 思えば、温泉新聞で歩いた時代(1975年夏かな)は、ケバケバしい温泉街でよくなかったですね。家族で歩いたときが一番良かったです。
 そんな修善寺への思いを脳裏に浮かべていました。
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0d682acf.jpg この写真は、7月5日午後12時を少し過ぎた時間に、谷中よみせ通りから、池之端通りに出る路です。
 私は随分昔、このいまでは正確には判らないのですが、このビルやマンションになっているところの古い日本家屋で、旅行社をやっているところに、営業に入りました。私は「観光ホテルセンター」というところにいたときです。
 たしか1975年の冬だと思いました。いくつもの観光ホテル・旅館のパンフレットを持って入ったものでした。そこが歳をとったご夫婦が住んでおられた旅行社でした。私はまだ25歳くらいでしたが、あのご夫婦は60歳代だったかな。
 その家、そしてそのご夫婦の感じが、私には、夏目漱石『こころ』を思い出させていたものなのです。ここのご夫婦は私には、『こころ』の主人公が隠れて住んでいるところに思えたものでしした。
 もちろん、そんな話は一切せずに、当たり前の私の仕事上の営業の話をして去ったものでした。翌年の3月頃にも、また私は訪れたものでした。そしてやっぱり、『こころ』の先生を思い出していました。
 その後、私がもう結婚して子どもができた頃、ここを歩いてみましたが、もうその旅行社も、日本家屋もありませんでした。
 時間だけがどんどんと過ぎてしまったのですね。

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