将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:試行

20170328172017032819   もう私はこの方には頭があがりません。私は「試行」の定期購読者でしたが、いつも会計で別にカンパしようとすると、いつも和子さまからから止められて少しのいさかいになったものでした。そして「ではこうしましょう」と私に有利なように計らってもらったものでした。もう忘れられません。そんなことばかりが何度も続いたものです。そしてあるとき「試行」が終了されたことが知らされました。もうこの試行も吉本(吉本隆明)さんも吉本和子さんも忘れることはできません。
201702081220170208022017040502続きを読む

2017051405川上春雄氏(かわかみ・はるお=文筆業、本名折笠義治郎=おりかさ・よしじろう)9日午後8時42分、急性心不全のため福島県郡山市の病院で死去、78歳。福島11101210県出身。自宅は郡山市安積町南長久保2−110。葬儀・告別式は12日午前11時から郡山市富久山町久保田本木29−1、さがみ葬斎会館で。喪主は長男和弘(かずひろ)氏。
評論家の吉本隆明氏の年譜、書誌の作成で知られた。(注)通夜は11日午後6時からさがみ葬斎会館で(「河北新報」9月10日)
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11080106   Saturday, October 18, 2003 10:41 AM
初めまして。苫米地 聰(とまべち さとし)という者です。たまたま貴兄の吉本隆明がいっぱいのホームページを拝見しました。

 高校1年のときに、出版された「情況」(河出書房新社)を読んで以来、吉本隆明氏の著作を読み続けて来ました。また、「試行」も終刊になるまで20年くらい購読していました。もっとも隅から隅まで読んでいた訳ではなく、「情況への発言」滝村氏の国家論、宮城賢さんのエッセイなどを読んでいただけですが。しかし、ここ10年くらいは数学の専門書ばかり読んでいたので、吉本氏の本を買ってはいても未読のものが多いです。

 貴兄のホームページを見て、またぼちぼち未読のものや、引越のとき以来開いていない段ボールから引っ張りだして、以前の著作も読み返してみようかなという気になりました。
 また、数学の勉強に疲れたら盛りだくさんボリュームのある貴兄のページをウィスキーを呑みながら読ませていただきます。

ちょっと刺激されたことに感謝しつつ 苫米地 聰

   Saturday, October 18, 2003 2:07 PM
 はじめまして。メールをありがとうございます。

高校1年のときに、出版された「情況」(河出書房新社)を読んで以来、

 あの本は1970年11月出版で、私は大学4年生でした。そうすると私とは6年の差になるのかな。私は埼玉大学に6年在学しましたが、その後も関わり続け(もう学生運動では関われませんでした)、埼玉大学の学園祭をやる後輩たちとつき合い続けました。とくに私の6、7、8年下の世代とは深くつき合ったものでした。
 思えば、埼大の学園祭の後輩たちとは今でもつき合っています。今年の大学1年生なんか私より37歳も年下なんですね。

 吉本さんの本は、もう一貫して読み続けてきました。ただ、私が理解できているのかは、はなはだ自信がありません。もっと吉本さんについて詳しい方が大勢いるはずなんですが、このインターネットの世界では露出されていませんね。なんだか、この世界では、いつのまにか、私が先頭を走っている感じになってしまいました。これはどういうことなんでしょうか。
 数学をおやりなのですね。数学関係のフリーソフトでお名前を拝見しました。私の友人にも、数学に実に執拗にこだわっている人がいます。彼はもう圧倒的昔からパソコンにもこだわっていました。ただし彼はパソコンとはいわず、「計算機」といいますが。この彼と会うと、さまざまな話をして、とくにパソコンについては幾らでも話せるのですが、数学の話は、私はまったく判らないのです。
 私の学生運動の大先輩である小野田襄二さんも、つい近ごろ

  「あなたも解けるフェルマーの定理完全証明」

という数学の本を出しまして、それがまた私にはちっとも判らないのです。ただなんとなく不安でしてね、不安というのは、その内容が、はたして、あちこちの数学者を少しは納得させられるのか否かがはなはだ不安でししてね、いや私にはちっとも責任はないのですが、いちおう敬愛する先輩なもので、そして私と同じアル中なもので、なんだか不安です。

また、数学の勉強に疲れたら盛りだくさんボリュームのある貴兄のページをウィスキーを呑みながら読ませていただきます。

 少しは私も何かを人にも与えられているかな、と嬉しくなります。
 メールありがとうございました。萩原周二
(第168号 2003.11.03)

6bfdc344.jpg きょうは雨で、長女が区役所に行くので、孫を預かっています。靴を履いて外へ行こうといいますが、「雨だから」と言い聞かせています。
 写真は私の部屋にある「試行」です。最終巻まであります。私は結婚して、最初に王子に住みだした頃から定期購読しました。それまでは早稲田の文献堂で購入していました。(06/26)

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 周の雑読備忘録「吉本隆明の『心的現象論』了解論」に次のように書いていました。

私は『試行』を早稲田の古書店街で手にしてきたのが、1970年のことでしたが、

 思えば、あの頃は文献堂の親父さんもお元気でしたね。私はその頃1969年(実は東大闘争で保釈になってからあとの69年11月12月のわずかな時期と、70年にまた保釈になったあとと71年の時期に、この文献堂はすぐそばでしたから、よく行きました。思い出せば、あの店のすぐそばの歩道によく寝ころんでいた秋田犬のクロにもよく会いましたね。
 そして私はまた結婚をしたのが、1978年でしたが、その当時も、この早稲田の古書店街のすぐそばに住みました。その当時も、よくこの古書店街を歩きまして、『試行』を買っていましたね。
 そのうち定期購読するようになりました。

 昨年の4月あの古書店街を歩きましたが、どうしても思い出がたくさん甦り、どうしても哀しい思いでいっぱいになります。もう大昔のことなんですがね。

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 無類に哀切な死を描き得るのは、無類に冷静な心だけである。転倒した悲嘆の心では如何しても死の切実さは描き得ない。是のことは書くという状態に付き纏ふ逆接的な宿命である僕には恐らく姉の死を描くことは出来ないし、況して骨髄に感得することなどは出来はします。
 姉は哀しもうとすれば無限に哀しいやうな状態で死んだ。一月十三日既に危ない病状を悟って電報を寄せた。母に看病を頼んだのだ。
 その夜病勢が革まり、母が翌朝駆け付けたときには最早空しかった。氷雨の降る夜、母の面影を追って唯独り暗い多摩の連丘を見ようとしてゐたのかも知れぬ。僕にはもう判らぬのだ。だが判らぬままに、悲しみと憤りとも付かぬ強く確かな感じが僕をおしつけて来る、近親の者が死んだとき必ず僕にやってくるあの感じが。昔はその感じに抵抗し、藻掻いた、けれど今はそれに押し流されるままでじつとしている。僕の心の鐘が曇つたのかも知れぬ、或いはそうでないのかも知れぬ。
(「姉の死など」1948.3.1「龍」3月号に発表 「初期ノート増補版」1970.8.1試行出版部に収録された)

 私も50歳を過ぎる頃から、近親者や友人の死をみてしまうことが多くなってきました。いつも悲しみの中で亡くなった相手のことを考えています。おそらく今後さらにその経験が多くなっていくことだろう。だが、この吉本さんが自分の姉の死に出会ってしまったことは、私の今経験していることと、大きく違っている。ただ、私も私の従姉を失った日のことを思い出しました。あれは、私の17歳のときのことでした。

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