2017061901 Thursday, October 16, 2003 11:29 AM
萩原様
桶谷秀昭の『昭和精神史 戦後篇』が文庫になったので読みました。
いいところも沢山あるのですが、吉本さんを避けているのが奇異な印象でした。
村上一郎にも谷川雁にもそれなりに触れています。江藤淳にも触れています。
吉本さんは60年安保に付随して、ちらりと出てくるだけなんて……
桶谷が吉本さんを読んでいないのは考えられない事です。
どういう了見かなと不思議です。
そう言えば、保守派の枠でくくられる人たちは、吉本さんを読んでないはずはないのに、言及しませんね。恐いんでしょうね。けっこうみんな小さいですからね。
『昭和精神史』は敗戦までが良かったですね。目森一喜

Thursday, October 16, 2003 12:46 PM
ちょうど昨日から読み始めました。最初に「第十三章六〇年安保闘争」を読みまして、それから最初からちょうど半分くらいまで読んできました。

いいところも沢山あるのですが、吉本さんを避けているのが奇異な印象でした。

間違いなく避けていると私は思います。

桶谷が吉本さんを読んでいないのは考えられない事です。
どういう了見かなと不思議です。

ある時期、私たちの世代に桶谷さんは、吉本さんと同じように読まれたものなんです。「桶谷って、吉本さんと似てるな」なんていう言い方を聞いたことがありますよ(ただし、私はそう思いませんでしたが)。
ただ、1972年8月に「源実朝」が出たときに、桶谷さんは、たいへんに驚いた発言をしているんですよ。おそらくあのときに、「到底吉本さんには敵わないな」と感じたんじゃないかな。たしかに、あの「源実朝」には、誰も驚いたんじゃないかな。ただ桶谷さんの驚きはもう半端じゃなかったでしょうね。
そして、その頃からもう吉本さんに関しては語れなくなったんじゃないかな。

そう言えば、保守派の枠でくくられる人たちは、吉本さんを読んでないはずはないのに、言及しませんね。恐いんでしょうね。けっこうみんな小さいですからね。

そうですね。私が知る限り、いわゆる「保守派」で吉本さんを活字上で貶したのは、谷沢栄一と渡部昇一かな。ただ二人とも「一体何を言っているのかよく判らない」というような言い方だけです。それに比べて左翼エセ評論家は、ひどいですね。「ただただ吉本さんを貶したい」ということが前提で、それで言及している感じです。思い出せば、三島由紀夫さんは、吉本さんを絶賛していましたね。あれは気持よかったな。

『昭和精神史』は敗戦までが良かったですね。

これは、私も少し読んだときに感じました。でも、もっと考えれば、やっぱり、もっとちゃんと書けば一番良かったんだと思いますよ。吉本さんを普通に評価して展開すればよかったんです。桶谷さんならできるはずだったと私は思いますよ。萩原周二

Saturday, October 18, 2003 6:56 PM
実話時代の書評です。

『昭和精神史 戦後篇』。桶谷秀昭著。文春文庫刊。八百六十七円(税別)。
桶谷秀昭の『昭和精神史 戦後篇』が文庫になった。名著『昭和精神史』の続編である。
前作は戦争に向かってひたひたと収斂してゆく昭和が、悲劇の音調を帯びるところまでを描いた。著者の筆は類を見ない緊張を持って伸び、暗く美しい調べを奏でていた。
そして、その続編たる『戦後篇』にあって、著者は反時代的な精神を追い求めて筆を進める。著者は反時代的な精神から戦後を見ようとしており、その反時代的精神を輪郭づけるために時代精神を持ち出して来るという複雑で手際のいる方法をとっている。
そして、時代精神を読む読み方も反時代的に読んでいる。
これは、著者が戦後を嫌悪しており、そもそも二冊の『昭和精神史』そのものがその嫌悪から発しているためである。
著者にしてみれば戦後を書く時に、他に方法はなかっただろう。そして、この方法は失敗も成功もしていない。
本書は散漫で調和のとれていない印象に終始する。部分部分は共感も出来るし、いい所は沢山あるのだが、なぜか全体の張りがない。筆の伸びもない。
散漫さは戦後の散漫さから来ているのかとも思ったが、どうもそうではない。反時代的な精神とは緊張を持続した精神と見ていいからだ。
もちろん、著者の力が衰えたなどという話ではない。手際を必要とする方法を失敗していないというところで、著者の力量は屈指のものであり続けている事は証明される。
本来なら、このような方法で書ききったら、それは大成功作になるはずなのだ。それが、失敗ではないが、成功とも言えないという結果にとどまっている。あまりにも奇異だ。
この奇異さを抱えながら最後まで本書をたどった所で、著者が語らなかった事を考えた。
本来ならここに書かれるべきであり、書かれねばならない事があるように思える。だが、著者は書いていない。書かれてあるべき事がない事がもどかしさとなり、調和が成り立つのを邪魔している。
表面的には、触れるべき精神には触れている。巻末にある人名表だけを見ればそこに漏れはないように思える。だが、違うのだ。人名表に漏れがあろうとなかろうと、そのような事は些末であり、問題は著者が書くべきことがらを書ききっているかどうかという事だけなのだ。
例えば、桶谷秀昭であればもっと言及があってしかるべき吉本隆明について六十年安保の段であっさりと触れられているにすぎない。しかも、著者が間違えるはずのない間違いを書いて過ごしている。
著者のような周到な読み手が、吉本についてはあまりにも表面的な読みで通り過ぎている。批判するなら批判するでいいし、嫌悪があるならあるでいい。
しかし、ここでの著者の振るまいは批判にもなっていない。何か、気にくわないとつぶやいてみたという程度の事で過ぎているのである。
こうした形で、著者が通り過ぎてしまったものに、時代も反時代も含めて、昭和戦後の重要な出来事と精神があったのではないか。著者はどうしてか、その部分への言及を躊躇し、避けたように感じられてならない。
本書が成功でも失敗でもないのは、その前で立ち止まってしまったからだ。著者は何を封じたのだろう。それでも本書は水準を超えた作品となっている。目森一喜
(第171号 2003.11.24)

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