将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:豊臣秀吉

11042202  1542年(天文11)〜1624年(寛永元年9月6日)の生涯でした。なんとなく、私はこの人がどうしても好きになれず、当初はこの「愛した女」のシリーズでは書くつもりはなかったのですが、でも信長からこのおねねへの手紙の内容を思い出し、信長の優しさに触れて、こうして書く気持になりました。
 私は、「桑田忠親『信長の手紙』」で、信長がこのおねねへ手紙をだしている内容を読んでいました。これを読んで信長の優しさと、部下秀吉のことが大事だったのだな、ということが判ります。
 おねねは、夫秀吉の浮気を信長に報告しているのですが、信長はおねねのことをちかごろは大変に美しくなったと言っており、でもあのハゲネズミ(秀吉のこと)があなたに不満を言っているのは言語同断だとしています。でもあなたも堂々として、嫉妬などしないようにして、この手紙は夫にも見せるようにと言っています。あなたみたいな素晴らし女性を得られることはないのだからとも言っています。
 思えば、信長は母親には冷たくされ、好きだった生駒はもはや亡くしており、秀吉のことは奥さんのことでは羨ましい思いなのに、浮気しやがって…ということだったでしょう。秀吉も、「え、あんな怖い信長さまに訴えるなんて…」ということで、でももう何もいえませんから、きっとこのことでも二人はおおいに口喧嘩していたことでしょう。もうひどい名古屋弁での二人の口喧嘩が見えるような思いがします。秀吉の母なかも、もはやおねねの側でした。
 いや、後に側室となったお茶々淀殿も、実にこのおねねとは親しく、実にあとまで連携しています。
 この人は子どもができなったことだけが大変なことだったな、日本の歴史を決めてしまったなと思うばかりです。秀吉の死後に京都の高台寺に入りますが、そこには徳川家康が実に恋人とも思われるくらいに親しげに通います。豊臣家の行く末を相談しているのです。そのときには、もはや大坂の陣も予想していたおねねだったと私は思うのです。(2011.04.24)

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雑誌名 週刊アスキー通巻786号
発行所 アスキー・メディアワークス
定 価 360円
発行日 2010年6月15日
読了日 2010年6月1日

「パーツのぱ第126回」でこのこんぱその社長が初めて顔を出しました。
「ハニカムvol.141」で米斗さんがイライラします。今「歴史さとう」を書こうとしていて、豊臣秀吉が美少年にはまったく興味がなかったというのを知り、その話も面白く読みました。
 でも今リビングで書いていますが、アスキーもこうして読むこともいいものです。

 書 名 桑田忠親著作集5豊臣秀吉
    豊臣秀吉
    太閤秀吉の手紙
    秀吉研究における七つの問題点
    肖像画に描かれた秀吉の顔
    秀吉の長男をめぐる謎
    秀吉の生年について
08030801著 者 桑田忠親
発行所 秋田書店
定価  1,900円
発行日 昭和54年8月25日初版発行
読了日 2008年3月7日

 この著者は、私が高校生のときによく授業中に読んでいたものでした。またこの人と高柳光寿さんの監修されている歴史の本は、それこそたくさん読んでいたものでした。
 この本の巻末で二木謙一さんが次のように言っています。

 桑田氏の師の一人である高柳光寿氏は、秀吉を「友人」と称していたが、桑田氏にとって、秀吉は人生の師であり、心の支えでさえあるのかも知れない。桑田氏は「太閤秀吉の手紙」の「まえがき」で、秀吉の手紙に接すると「自分のかじかんだ気持など、どこかへふきとんでしまう」と述べているが、「豊臣秀吉」に描かれている秀吉像も、氏の理想とする人間像かもしれない。出自の毛並みの悪さゆえに猿とか禿ねずみなどと馬鹿にされる。しかしどんな苦境にあっても、へこたれす、明るさを失わない。言動に積極性があり、機智に富み、常に人のいやがる難問に応じ、難役を進んでひきうけ、立派に成し遂げる。泥くさいが、こころにはいつも優しさを持ち、正義を愛し、不義を憎み、無類の宣伝上手と、人をひきつける個性を持っている。そして精一杯たくましく生き、すべてを燃え尽くして死んだ男の姿がある。(二木謙一「虚飾を篩にかけた桑田太閤記」)

 これは桑田忠親のことを実によく言い切っている文章だと思います。いや、もっと抜き書きしたい文章ばかりです。

 秀吉は不思儀な魅力をもった男である。だいいち彼は常人の感覚とは少し違う神経の持ち主であったようだ。天正十八年の小田原征伐の時、長期戦を決め込んで側近の諫言も聞かず、陣中の慰めに愛妾の淀殿を呼び寄せている。しかも、その淀殿の小田原下向を、こともあるうに正室北政所に依頼し、「そもじに続き候ては、淀の者我らの気に合ひ候」といって、平然としている。(同上)

 思えば、この著者が、秀吉・信長らの手紙を扱ったのが初めてのことなのではないでしょうか。私たちは、歴史の上で知った人物が、その手紙という私信の中で、あからさまに自分をさらけ出している姿を見ることができます。とくにそれはこの秀吉の場合に言えることですし、あの非情なとしか思えない信長も、秀吉の妻おねねに宛てた手紙を読みますと、むしろ、実に優しい大将ではないのかと思えてきます。
 これはこの著者の大きな功績だと私には思えます。
 それと、ここに抜き書きした二木謙一さんも、私は大変に尊敬している歴史家です。NHKの大河ドラマでも、彼の名前が「時代考証」として出てきますと、いつも安心して見ていられるのです。
60314d27.jpg それにしても、この本は、下北沢の「ほん吉」に初めて行きましたときに、手に入れたもので、その帰りの電車の中で読んできていました。大昔読んだものがいくつもあったのですが、もうこの著者を懐かしく思い出しました。思えば私は大学は埼玉大学で、文字どおり学生運動ばかりの時間と空間で生きてしまったわけですが、もし、この桑田忠親さんの元で学ぶことができていたら、また違う人生になっていたでしょうね。
 なんとなく思うのですが、桑田さんの元にいたのなら、その授業講義はどうしても最初は好きにはなれないのだったろうと思うのですが、先生のたくさんの文章を読み続けて、桑田さんと接すること自体に感激していた自分が居たことでしょう。
 とはいえ、すべて叶わないことだったわけですが。(2008.03.08)

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8393178a.jpg 私の駿河台経営研究所の年賀状を、さきほどポストに投函しました。
 これでどうやら、やるべきことはやり終えました。でも実はまだやるべきことがあるのですが、でも年内に期限切られているものは一応終えました。あとは年明けに期限のあるものをきょう明日必死にやります。
 でもとにかく気掛かりなのは、私の初孫です。一体いつ産まれてくれるのかなあ。長女はもうなんだか元気にあちこち歩き回っています。
 母親があれだけ元気なのだから、子どもも元気に生まれてくるのでしょうね。でもとにかく気掛かりです。
 なんなら元旦生まれでもいいんだけれど。聖徳太子と豊臣秀吉と誕生日が一緒になります。

    あ、私がもっと大声で呼びかけようかなあ。

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