将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:足利尊氏

11070802 この人の生涯は、1306〜1352年(正平7年/文和元年2月26日)でした。足利貞氏の三男でした。兄尊氏とは、同じ母親であり、実に仲のいい兄弟でした。
 だが、高師直・師泰兄弟と対立することで、兄尊氏とも対立することになり、高師直・師泰兄弟を破り殺害することになりましたが、やがて兄尊氏に毒殺される(ただし、これは『太平記』の記述)ことになります。
 この人のことを評価するのは、難しいなと思います。何といったらいいのか迷ってしまうのですね。
 それとここの掲げた像ですが、この像の解説にも次のようにあります。

神護寺三像伝源頼朝像従来、源頼朝像とされてきたが、近年、直義像とする説が提示され有力となっている

 以下も読んでみてください。

  源頼朝像 沈黙の肖像画

  どうも私たちが今まで抱いてきた「常識(みたいなもの)」はけっこう違うことが多くなっているようです。(2011.07.08)

11041709  新田義貞は1301年(正安3)〜1338年(建武5)8月17日の生涯でした。その義貞が建武の新政権で後醍醐天皇から恩賞として与えられたのが、この勾当内侍(こうとうのないし)でした。
 義貞の建武の新政権での栄光は実に短いものでした。だからこの女性との生活も短いものでした。やがて、すぐに足利尊氏が都を征服すると、義貞は北陸を転戦し、やがて破れ戦死することになります。
 勾当内侍は、その義貞の戦死を知り、義貞の菩提を弔って余生を過ごしたとされます。また、琵琶湖に入水したという伝説もあります。
 私は2010年の6月4日に鎌倉の成就院の門から、稲村ヶ崎を見ました。このときも繰り返して寄せる波は義貞が北条氏の鎌倉を攻略したときと同じだったのでしょうね。そのときを思ったものです。(2011.04.18)

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