将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:足利直冬

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 この像は私が子どものときは、源頼朝の像だと言われていました。でも今は、これは頼朝ではなく、足利直義だといわれてもいるようです。
 ウィキペディアでは、以下にあるように

   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D

「近年は足利直義像との説もある」と書かれています。私は源頼朝はどうしても好きになれないのですが、この像は好きなのです。私は昔から直義は好きなのですね。その愚直ともおもえてしまう真面目さが好きなのです。もちろん尊氏の息子の足利直冬(彼は尊氏の子ですが、直義の養子になります。そして尊氏と激しく戦争をします)も大好きです。そして尊氏のこともどうしても好きなのですね。
 NHKの大河ドラマでもこの時代を一度しかやっていない(やったのは「吉川英治『私本太平記』」)ですが、普通に描くのも難しいのだろうな。
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この像は源氏山公園にある頼朝像です。

11061804 この人物は南北朝時代に生きていますが、実に不可解な存在でした。生まれた年もはっきりしませんが(嘉暦2年1327だろうといわれています)、実は亡くなった年も亡くなった場所もはっきりしていません。
 NHK日曜日の大河ドラマは、いわば戦国〜江戸初期と江戸の幕末を何度も繰り返しています。ときどき源平の時代をやります。やはり日本の歴史の中で、激動の混乱期だったので、面白いドラマが何度も描けるのでしょうね。
 ただ、この日本の大混乱期だったろう南北朝時代のことは、1991年に「太平記」として描かれただけです。これは原作は吉川英治の『私本太平記』です。
 この作品では、筒井道隆が、この足利直冬を演じていました。母親役が宮沢りえでした。この母親は歴史上でははっきりしていません。それで、父親の尊氏は、妻登子への気兼ねもあったのでしょうが、この自分の子どもを明確に認めません。妻は赤橋登子で、鎌倉幕府北条家の出身でした。彼女の兄が最後の執権だった赤橋守時です。
 父に寺に入れられますが、還俗して叔父の足利直義(尊氏の弟)の養子になります。
 ところが、これからが彼はこの歴史の中で大変な動きをしています。この日本の南北朝の時代は、北朝と南朝の争い、武家方と宮方との戦いなんていうものではありませんでした。武家方は、仲のいい兄弟だったはずの、尊氏側と直義側に分かれて争いを続けます。やっと尊氏が直義を毒殺(これは今も確認されていません)して、終わるはずでしたが、直義の養子であった直冬が、「養父の敵」とばかり尊氏と戦い続けます。そして、それは強力でした。尊氏が南朝方に寝返る事態にも至ります。
 この直冬も南朝方にも寝返り、そのときに尊氏をやぶり京都を占領する事態も生まれます。だが、なぜか足利直冬党は不審な瓦解の仕方をします。直冬がある神か仏のお告げで、父親を責めてはいけない(この父親とは、実の父である尊氏のこと)と言われたというのです。それで、直冬はこの歴史から姿を消します。直冬党の武将たちも突如いなくなってしまいます。そして今に至るも、この直冬のその後は判っていません。
 実は私は直冬は今もひっそり隠れているように思えてしまうのです(そんなことは現実にはありえないが)。(2011.06.19)

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