将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:足立区の新田

08062801「足立区の新田」へ、目森窟さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜    2008年06月29日 15:30
 原住民は、ほとんどいなくなったようです。
 水浸しになったのは、伊勢湾台風です。
 北千住は、映画館の客席が水浸しになったそうです。
 荒川と隅田川が分かれるのが北区の赤羽にある岩淵水門です。川の両岸、赤羽と新田には化学工場がならんでいました。
 赤羽に陸軍工廠があったからです。十条に自衛隊の武器庫があるのは、そういう関係です。部品、弾薬の調達が近隣でできるんです。
 米軍の野戦病院があったのも、旧日本軍の重要施設があったからです。
 北区豊島に庚申通りという商店街があるんですが、新田から映画を見るために庚申通りに、よく行きました。
 小さな頃は、渡し船があって、乗った記憶があります。

 原住民、新住民といっても、みな同じ日本人だから当然区別がつかないのはあたり前ですね。言葉もそんなに違わないわけですから、もう判らないよね。でもこういう話がついちょっと昔にはあったんだということを知っておいてほしいなあ。
「赤羽の陸軍工廠」なんて、今ではもう想像もつかないよね。大昔、たぶん私の20代の前半のことだと思いますが、夜中に赤羽の桐ヶ丘あたりから赤羽駅まで歩いていて、なんだかとてつもなく広い荒涼たる場所があったことがありました。あれがその当たりだったのでしょうね。今はもう全然風景が変わっているわけで、その場を思い出すのも判らないものなのです。
 王子の野戦病院のあたりも、歩いても、まったく当時の面影はありません。なにか、すべて忘れられてしまう感じがしています。

北区豊島に庚申通りという商店街があるんですが

というのも、歩いていて、なんだか、とっても不思儀な感じがあの商店街にはしていたものです。また歩いてみよう。たぶん、見つけられるものもいくつもあるように思います。

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「沙羅の花♪〜」へのコメントへのコメントへのコメント へさらに目森窟さんから次のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜    2008年06月29日 00:49
 はい、危ないと言われれば危ないのですが、2Bやダイナマイトといった花火を投げあって遊んでいた感覚でしたので、その時には危なさを感じませんでした。
 2Bもダイナマイトの爆竹です。投げ返そうとした時に、手の中で爆発したりしてました。
 足立区の新田という町でした。
 ゴルフボールを池から拾ってキャディーに売った金をポケットに万何円も持っている小学生がいたり、一度だけでしたが、銭湯で水上生活者の子と隣り合わせたり、色々ありました。
 薔薇の刺は、手にくっつけてみたりもしました。花を知ったのは大人になってからで、子供の頃は棘にしか興味がありませんでした。自分でも不思議です。

2. Posted by 目森一喜    2008年06月29日 04:29
 少しずつ思い出して来ます。
 おでこです。おでこに、薔薇の刺をくっつけたんです。
 何かのおまじないだったのかな・・・?

 目森さんが、この足立区の新田(しんでん)の出身だということは聞いていまして、そのいくつもの思い出は聞いていました。もんじゃ焼きを、新田では、「ぼった」ということなど、不思儀な思いで聞いていたものです。
 私の今住んでいるのは王子です。この王子と足立区との間、隅田川と荒川に挟まれてこの新田というところがあります。川の間に挟まれた、いや川の中に浮かんでいる島のようにも思えます。今どんどんと宅地開発で、いくつもの大きなマンションが作られています。そうすると、新しい住民と、もともとの原住民の新田人との間のいろいろなことが起きてこないのかなあ、なんて思っています。
 新しい住民と原住民と言ったって、同じ日本人ですから皮膚の色や髪の毛が違うわけではないから、あとは、言語が少し違うくらいかなあ。普通の東京言葉と新田語の違いくらいかなあ。
 目森さんからは、台風のときに、新田一体が水びたしになったことを聞いています。昭和20年代後半、30年代前半のころかなあ。
 荒川の河川敷きに、ゴルフ場があるんだ。
 この新田は私は一度も行ったことがありません。私のところから自転車でいける距離なんですね。でも今も行く勇気がありません。北区って、足立区が隣なんだということを、今地図を見て確認しました。

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