将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:進学教室

12040806 ポポの入園式はとっても良かったです。

2012/04/07 18:49今日はおはぎのところの三人の孫のところで、一番小さいポポの入園の日でした。それで、一番小さいポポですが(でももちろん、私にはもっと小さいじゅにがいるわけですが)、それでかなり緊張していました。 それで私はこの「きんちょう」ということで、昔千葉県船橋で「修学館」という学習塾(当時は私のところは進学教室と言っていました)をやり始めたときに、1984年(かどうか今は自信がありません)の9月1日に、普通教室の午後6時からの授業で、小学5年の男の子が、「すごく緊張している」と言いましたが、それと私が中学1年のときに、鹿児島市の甲東中にいたのですが、数学の先生が、「謹聴」とたびたび言ったのですが、この保育園でのポポは、「緊張と謹聴とどっちかなあ。まあポポは当然緊張しているんだよなあ」なんて思っていたものでした。

 ポポをいっぱい思っています。

 もうすぐ蘇我です。少し眠りました。

  こうしてIS01で書いているのですが、どうしてももっと早く打つべきですね。少し眠くなってしまっていたのです。

  今蘇我で外房線に乗りました。もうすぐじゅにに会えます。またじいじはお喋りしましょう。d2e86b87.jpg

  でも私はこういうだけで、何も話せなくなっているのです。仕方ないですね。 でもとにかく、私はじゅにと会えるのです。

  今レストランで食事を終えました。今テレビを見ているのですが、私も大昔船橋での進学教室に、東大卒の弁護士が就職をしにきたことがあります。もうその人のこともいっぱい思い出したことがありますね。 また別にいつか書きましょうね。

11052419 とりとめもないことを書いてみようかなと思いました。私もかなり私教育の世界には関わってきました。そんなことの思い出です。
 少し思い出したことがあります。私が進学教室をやっていたことがあるのですが、そのころ毎日新聞で読んだ記事です。たしかいまから16、7年くらい前のことです。
 千葉県のある小学校で、

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   ―+  ―= ―
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と教えた先生がいたのです。当然生徒から違うのではないかという疑問がでたのですが、その先生はこれが正しいといいきってしまったそうです。
 この結果その先生は担任をおろされたそうですが、毎日新聞では、ではどうしてこんなひどい先生が生まれてしまったのかということを、何度にわたってか書いていたのです。このことは、私たちはよく進学教室の先生方と話をしました。できたら、この記事自体をみつけられればいいのですが、ちょっと古くてデータベース検索などできません。
 この算数に関したことばかりではなく、その他の教科でも、いろいろと問題がありました。そして私たち進学教室で教えるのにも、さまざまな問題点がありました。単純に入試問題だけをやればいいわけではありません。私たちは教材をかなり真剣に作っていきました。
 当初は当時私のいた神田の会社で、とくに千葉県の中学高校の現役の先生方を使って、教材を作ってもらいました。ところが、これが話にならないほど質が悪かったのです。例えば、彼等は中学生への数学のテスト問題で、「α、β、γ」などというギリシア文字を使うのです。こんな中学生が使ったことがないものを、使うという感性がどうかしているのです。ちょうど私は会社で人事異動で、この進学のとくに人事の担当になり、最初かなり驚いたものです。この先生方の質の悪いこと、礼儀知らずなこと、勉強しないこと、報酬額の高額なこと等々、おどろくことばかりでした。私はもはや、この先生方をかたっぱしから首切りしていきました。
 当時はちょうどその会社で労働運動をやりはじめたときだったのですが、会社の幹部とは仕事に関しては一緒に懸命にやったものです。会社の幹部は、私がそうした千葉県の現役の先生方を排除していくのに不安がりましたが、私が埼玉大学の大学の先生の紹介による動員や埼大付属中の先生方の動員や、埼大の後輩たちの大量動員でまかなえるのを知って大いに驚いたようでした。私の関係でくる先生や学生には、礼儀知らずはいないし、報酬も適切でまともです。
 そしてそのほか、たくさんの学生を使って私たちは教材を作り出し、また教室運営をしだしました。なんせ、そのときには、神田、池袋、新宿に二つ、市川、船橋に二つ、松戸に二つ、千葉に二つの教室があったのです。この時に出逢った数々の学生と私は今も付き合いがあります。今九州で大学の先生になっている、A君ともこのときに会いました。
 この教材を真面目につくることは、かなり大事なことでした。小学4、5年の子どもたちには入試問題なんかやらせてもしかたないのです。この教材つくりの経験は、この進学教室のみでなく、そののちある教材作成会社でも生かされることになりました。たったいまもその現役の教材会社で、私の紹介した人たちが教材作成しています。その作る教材を現役の先生の立場から校閲することも、私の後輩たちがたずさわってきました。かの私の後輩のケンジ君もやってくれていたのです。

 こうした私の私教育への関わりの思い出に関しては、もっと書いてみようかなと思います。きょうは、ただまとまらない話のみ、少し述べてみました。

1103150192-10-07 09:06:58 TR通信・18
TR通信・18  行ける高校はない
12月の始めごろ担任の先生(A先生)←男の先生 と母と私とで面談をしました.私は自分の希望を言って行きたい高校を書いた紙を先生にわたしました.そしたらその先生がその紙を見るなり「あなたの行ける高校はありません」と母のいる前で言われました.悔しかったです.なんにもしらべないでただ紙を見ただけでそんなことを言われた私は いったい何みたいな感じになって頭の中がパニックになりました.

 これはひどい先生です。私が進学教室やっいるとき、ここまでひどくなくてもこれに似た話はよくききました。でも私の方は学校の先生には何も言えませんから、随分悔しい思いをしました。
 元気な子は私たち進学塾の資料持っていって、先生と言い合いしたようです。でも塾なんて頭から馬鹿にしている先生の前ではかえってマイナスです。どこを受けようと、その子の自由だし、偏差値は一つの目安だけなんですがね。どうして硬直した先生が多いのだろうと思いました。

 中学から私立高校に行く場合、教師同士の談合があります。それで、高校は偏差値の高めの子を確保し、中学は高校浪人を出さないようにします。公立高校受験の場合も、子供の偏差値より低めの学校を受けるように指導がされます。受験に安全をきす為でしょう。これが不本意入学がおきるメカニズムです。

 結局これなんでしょうね。その本人が受験に失敗してもいいといっても、認めないんですね。
 のこるは本人と親の強い意思だと思います。残念ながら、しぶしぶ学校の指導に従ってしまう子どもと親が多いのでしょうね。本当いえば、現場の先生方の見ておられる実際も教えて頂ければいいんですがね。私は自分の後輩の中学の先生に進路指導の話もよく聞きますが、大変なことは大変なようです。けっこうその生徒がいきたいという意思を尊重して必死にやっているようですが、手を抜けばいくらでも抜けるみたいです。彼等にそんな先生にはなってほしくないといつも言っています。
 しかし、「子供と親のふんばりどころ、最終的には自力だけが頼りなのです」。

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 私は夢の中で、進学教室の理事長をやっています。でも理事長といいましても、その進学教室はもう小さな規模でしかありません。
 新学期が始まるこの日、何人かのスタッフとアルバイトの講師と打ち合せをやっています。どういうふうにやっていくのかという確認の打ち合せです。

 私は実際に船橋に本拠を置いて進学教室をやっていたことがあります(ただしもう20数年、30年近くが経過しています)。日曜日のみの教室を千葉、船橋、市川、松戸で開催し、毎日夕方からの教室を船橋と松戸でやっていました。私は当初月曜日だけがお休みでしたが、そのうち月曜日は松戸へ行くことになって、休みの曜日はなくなるということで、やっていたものでした。
 夢の中での打ち合せが終わる頃、あるおばあさんが始めての小学4年生を入会させにきます。ああ、あれはお兄ちゃんが小6の生徒の弟だなとすぐ気がつきます。すぐにスタッフの女性が出て、応対しています。私も簡単な挨拶をします。おばあさんは私を信頼しきっているようです。だが、現実の私の心は、そんな信頼感に実に気がとがめているところもあります。「俺なんかでいいんだろうか?」

 いよいよ授業の開始です。私は「あれ、○○が来ていないな」と思い、突如気がつきます。「あ、俺はどうかしている。彼はきょうは松戸で、同じく新学期の開始なんだ」。そうです。きょうは、同じく松戸でも授業の開始日の新学期なのです。

 私は当初は理科を担当していました。だが、理科を教えるのは大変なのです。開成中学のあるときの理科の問題で、こういうのがありました(これも夢の中で思いだしているのです)。たしか以下のようでした。

 ある飛行機に乗っていたら、それが事故で、ある島へ不時着した。そこで棒を立て、その棒の影を見たら、このようになった(「このよう」というのはちゃんとその軌跡が書いてあります)。ここは一体地球上のどこで、そしてその棒の軌跡はこのあとどうなるのか。それを答えなさい。

 この問題で場所は、南回帰線(だから私は真っ先に「ヘンリー・ミラーかと応えたものでした)上の島というのはすぐに判るのでしたが、その後の棒の軌跡というのは、私には難しいのです。いや、講師でも実際に理科を教えていた小学校の校長先生や現役の先生でも、この棒の影の軌跡の答えがみな違います。

 でもそんなことを私は夢の中で思い出しながら、「○○が何故来ないんだ?」と私が思ったことをしきりに反省しています。「もう一つ大きな教室があることを、俺自身が忘れている」ということの反省です。でもきょう、あの4年生を新しく入れてくれたおばあちゃんの笑顔を思い出しています。その信頼に応えなくてはならないのです。

 そんな思いの中でさきほど目が覚めました。朝の6時でした。

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