将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:邪馬台国

11082718   Thursday, September 09, 2004 1:09 AM
はい、了解しました。

すごく綺麗で優秀な姉でしたから、「いつか白い馬に乗った王子さまが、お姉ちゃんを迎えにきて連れていく」ものだと真剣に思っていたよ

 フェミニスト運動をやっている人がこのような王子様幻想が女性のさまざまな不幸の大きな原因の一つだと書いていました。この妹はこのような幻想を持たずに育ったのなら幸福になったのではないでしょうか。

 中国では昔にさかのぼるほど記録が多いという話はなるほどなー、と思いました。それにしても日本の記録の少なさは悲しいですね。せめて卑弥呼のいた場所ぐらいはっきりわかればいいに。

 じつは香乱記は読んでます。あれは毎日新聞の連載だったんです。前半は始皇帝の時代の話で男装の美少女などの小説的仕掛けもあって楽しく読めました。後半は楚漢戦争の時代ですが、新聞連載ではだんだん何が何だかわからなくなってしまいました。私は男装の美少女が大好きです。だからジハードという小説も好きです。木蘭の話も好きです。当然ベルバラも大好きです。

   Thursday, September 09, 2004 5:42 PM
Re: はい、了解しました。

フェミニスト運動をやっている人がこのような王子様幻想が女性のさまざまな不幸の大きな原因の一つだと書いていました。この妹はこのような幻想を持たずに育ったのなら幸福になったのではないでしょうか。

 うーん、なんと言ったらいいのかな。まあ、私がとんでもない存在でしたからね。

中国では昔にさかのぼるほど記録が多いという話はなるほどなー、と思いました。それにしても日本の記録の少なさは悲しいですね。

 これはまず、中国が文字を持っていた国だということがありますね。日本には残念ながら文字がなかったのです。ただ、その替わりに、日本のたくさんの民俗の中にたくさんのものが残されているのだと思うのですね。柳田国男という人は、日本各地の、民俗の中に私たちの祖先のたくさんのものを見ることができたのだろうと思うのですね。また折口信夫は、万葉集の中にも、古事記のなかにも、さらに昔のたくさんのものを見つけられていた人だろうと思うのです。私は少しはこの二人の見ていたものを、少しは私も見られるようになれないかなと思っております。

せめて卑弥呼のいた場所ぐらいはっきりわかればいいのに。

 ええとですね、私はこう思っています、大胆に言い切っちゃいますが、卑弥呼という存在はいなかったのだと思いますよ。あれは中国がでっちあげた存在ですよ、。
 三国志の歴史の中で、魏は漢から政権を簒奪します。そして晋が魏から政権を簒奪して、呉を滅ぼして中国を統一します。この晋の司馬氏は、どうしても自分を中国の正統な後継者と言いたかったのだと思います。このときに、東国の島国の摩訶不思議な、女王卑弥呼が誕生したのですよ。遠方の東国の国からも、卑弥呼という女王が、晋に貢ぎ物を差し出し、晋に服従したがっているというようなことが大事だったのです。そのために、卑弥呼と邪馬台国が作られたのです。
 もっと言えば、この日本には、あのような巫女としての女性とその弟が王をつとめる小さな国はたくさんあったことだろうと思います。天照大神と須佐之男命も、姉と弟で、この日本を治めようとしていました。いや、日本では、姉妹と兄弟との関係(これもまた対幻想なのですが)が、やがて日本という国家の成立に至ったものだと思います。
 だから、実は卑弥呼は、日本中にいたのです。九州にも大和にも、私の故郷の茨城にも東北にもいたのです。ただ、「卑彌呼」という漢字を当てられた女王は、あくまで、陳寿の書いた「三国志」の「魏史倭人伝」の中で作られた人物なのです。と私は言い切ります。
 そもそも、「卑弥呼」の「卑」、「邪馬台国」の「邪」などという字をなぜあてるのでしょうか。いえ、その前の「奴国」も同様です。また漢の光武帝から貰ったという金印は

  漢委奴国王

と書いてありますが、本来は委ではなく、「倭」であるはずです。東方の島国の人間は、しっぽでもはえている野蛮人だろうということで、「人」をはずしてあるのですよ。
 私たちだけではなく、日本の過去の知識人たちも、この中国のいう「卑弥呼」とは誰だろうと考えてきました。間違いなく聖徳太子は、この中国の書物に書かれている「卑弥呼」を、中国が勝手に作った人物だと看破していたでしょう。 その当時の若き日の蘇我蝦夷と中臣御食子(この息子が藤原鎌足)が二人で話していた姿が見えるような思いになります。

  この卑弥呼って一体誰のことかな?
  神功皇后のことかな?
  いや、太子は何も言われないけれど、みんなもう判っているんだろうね。

 聖徳太子には、卑弥呼の話のくだらなさが判っていたのですよ。おそらく、このことは、江戸時代の新井白石も、水戸光国も判っていたと思いますよ。

じつは香乱記は読んでます。あれは毎日新聞の連載だったんです。

 私も毎日新聞なんです。もう子どものときからそうなんです。朝日も読売も読んでも面白くないのです。「香乱記」はまた文庫本になったらちゃんと読み返します。

「男装の麗人」というと、私は真っ先に川島芳子を思い浮かべます。なんだか彼女のことは可哀想でなりません。木蘭の話は、これまた可哀想な思いになります。ベルバラは読んだことがないので、よく判らないのですが、あの時代のパリでは、男装は大変だったでしょうね。この日本の江戸時代なら、トイレは完備されていましたが、あの時代のパリでは、トイレがないのですよ。ベルサイユ宮殿にもトイレはありません。だから女性は長いスカートをはいていたのです。まあ、こんな話はいつもどうでもいいときにやっています。娘たちに話すと面白がっていますがね。ヨーロッパの都市って、実に不潔窮まりなかったのですよ。江戸時代には、厠は別にありましたが、ロンドンやパリでは、それが存在せず、窓から投げ捨てていたといいます。汚いことが平気な民族なんですね。

 本日は、どうも何ごとにもやる気がなかったのですが、あなたへのメールをこうして書いていまして気力が回復しました。またいろいろなことをやらなくちゃね。萩原周二
(第217号 2004.10.11)

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 私の 「漢委奴國王」のことで伊都国女王卑弥呼〜邪馬台国の時代〜 のせいじさんから、次のコメントをいただいていました。

1. Posted by せいじ    2006年09月17日 23:51
はじめましてせいじと申します。読ませていただきました。
最後の部分で「敵国であった呉国に脅威を与える」との記述を見つけました。邪馬台国が大国であったのは「七万余戸」からわかりますが、だからこそ気がつかないといけないことがあるように思えます。
現在では「七万余戸」がどこにあるのかをみなさん探しているわけですが、「七万余戸」が大国であるからこそ、それは首都ではなく、国というまとまりだと気がつかないといけないのだと思います。現代でいう「日本」と同じ意味です。
そして「女王国」という言葉が何度もでてきますので、これこそが、首都として表現されているのではないでしょうか?
「邪馬壱国女王之所都」は邪馬壱国にある女王国といっていると思います。
この考えから、女王国はどこなのか?という答えには「世有王」と書かれた伊都国が該当します。考古学的にも伊都国には平原遺跡(女性の墓)があります。

 このコメントをいただいたときに、「えっ、私はあんまり判んないんだよなあ」とつぶやいてしまいました。
 せいじさん、ありがとうございます。そしてあなたのホームページを拝見しました。もう私は目がくらむような感じで、読んでいました。今は何もいえない気持です。
 やっぱり、もっと学んでいかないといけないのですね。
 そんなことだけを今強く感じています。

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