11042115書 名 上海の長い夜(上下2巻)
著 者 鄭念(ていねん)
訳 者 篠原成子、吉本晋一郎
発行所 原書房

  この本も読みはじめたら、たちどころに読まねばならない感じです。主人公がどうなってしまうのかという思いで、一気に最後のページまで至ってしまいました。いろいろなことを考えました。吉本(吉本隆明)さんの「アジア的」ということ、「収容所群島」をはじめとするソルジェニーツィンの数々の作品。それにジョージ・オーウェル「1984年」を思い出しました。

  日本でどれくらいの人がソルジェニーツィンを読んでいるのでしょうか。「収容所群島」においてはかなりなことがあきらかにされています。人類史上はじめて人間を解放するものと考えられたものが、逆に史上最大の陰惨な大衆弾圧と殺戮の場となってしまった。そしてそれは従来考えていたように、スターリンにその責任があるのではなく、レーニンの中にこそその根源があるということが述べられています。ソルジェニーツィンはレーニンの出したたくさんの指示文書の中からそれを抜き出しています。私も読んで「え、レーニンがこんなことまでいっているのか」と驚いたものです。そしてそのレーニンの犯した誤謬とは、吉本さんのいう「アジア的」な問題と、国家の捉え方によるのだろうと思うのです。アジアの巨大な専制政治の残忍さと

  国家はある階級がある階級を支配するため暴力装置

というマルクス国家論の間違えた捉え方レーニン「国家と革命」によると思われます。随分大昔にテレビで見たのですが、ソルジェニーツィンは内村剛介の問いかけにこう答えていました。

 内村「ではスターリンではなく、レーニンにその問題があったの
   でしょうか」
 ソルジェニーツィン「いやレーニンに帰せられるものはほとんど
          ありません。悪いのはマルクスです」

友人と一緒に見ていて、私たちは声をあげて笑ったものでした。
 私は吉本さんが「アジア的ということ」という文の中でソルジェニーツィンを引用しているところを読んで、随分と納得できたものです。しかしそれにしてもソルジェニーツィンをこうして読み込めるのはまたしても吉本さんだけなのかもしれません。

 そしてこの「上海の長い夜」なのですが、まさしくこれらのことのすべてが提示されているように思いました。これは中国の文化大革命で作者の実体験が書かれています。彼女を弾圧取り調べする側からはいつも「国家はある階級がある階級を抑圧する道具である」というレーニンの言葉が、レーニン亜流の毛沢東の言葉がしばしば出されてきます。したがって彼女を拘置している刑務所は、昔は国民党が共産党を抑留していたのだが、今はこうしてプロレタリアがブルジョワ階級を抑留しているのが当然というわけです。しかしこの国家論はいまでもこの日本でもたくさんの党派がたくさんの人が信奉しています。「愛国心教育」などどはずかしげもなくいう、共産主義者とやらがいますからね。
「祖国と学問のために」なんていう機関紙だしているのは一体だれだろう。
 国家に期待してしまっているたくさんの人たちがいます。数々の政治献金等々の問題で検察が駄目だと非難する輩、国鉄が民営化されることに反対していた連中、みんな国家に期待しています。国家と資本が対立すると、やはり国家を支持してしまう人たち、いったい何なのでしょうか。
 この作者は最後は国を棄てます。そうなんです。彼女に対して国は何をやったのでしょうか。一人娘を殺し、彼女を6年半収容所に抑留しただけです。文化大革命のときほど、大衆が政治に夢中になった時代もないでしょう。そんな事態は最低の時代なのです。選挙のときに投票率が圧倒的に高いところなんかは、私はけっしていいところだとは思わないわけなのです。

「1984年」で描かれている世界は、この「上海の長い夜」の世界です。やはりジョージ・オーウェルの予想した未来社会は本当にあったのですね。「1984年」の主人公の仕事は、昨日まで敵国や味方であった国が、その逆になると、あらゆる記録文書を逆に作り替えたりすることです。 この「上海の長い夜」でも、文革の最初は、劉少奇、トウ小平が批判され、やがて「非孔非林」ということで、林彪派が失脚、周恩来も「非孔」という名目で狙われます。そして最後は「四人組逮捕」で、今度はまた江青以下が批判される。そのたびに中国の民衆は、それぞれ誰もが最初から悪かったというのを覚えさせられ、スローガンを叫ばねばならない。まったく「1984年」の世界です。
 作者が中国を出る決意をするのは、やはり無実が証明されたとしても、もうこの国家そのものが信用できなかったのだと思います。

  私自身が祖国に忠実でありたいと懸命になったことは、神様は
 ご存知でいらっしゃる。それにしても、私は失敗した……………
 それが私自身の落ち度によるものではなかったが。

 彼女がカナダやアメリカに落ち着いたときの気持を想像できます。あの全体主義の中からやっと抜け出せたのですから。そして私は考えたのです。日本がこんな国になったとしたら、私はどこへ逃げ出せるのだろうかと。やはりそうならないように、日々生きていくべきなのでしょうね。
 それにしても、できたらこの本が中国語に翻訳され、たくさんの中国の人に読まれることを願います。(1998.11.01)