以下は1992年7月に書いた文章です。

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店 名 とくにないみたい
種 別 屋台のおでん屋
住 所 JR御茶ノ水駅御茶ノ水橋口キヨスクすぐそば
電 話 なし

11103001 ここはまたなんというか、ヒサンなお店になりますね。親父は浅草に住んでいる国貞という屋号の人です。もう65歳をこえているのですが、背が180センチ位の大男で、いかにも筋もので、知らないと怖いと思います。息子さんが防共挺身隊出身で、いまもその先の関係のようです。
 以前は毎日やっていたのですが、今は1週間に2回くらい屋台を出しているでしょうか。こんないい場所ですから、そんなに休んでいたら、だれかほかの人が屋台出しそうなものなのですが、ただただあの親父じゃ怖いんでしょうね。 もう35年以上あの場所でやっているようです。国鉄の時代から駅長が新しくなると必ず挨拶にくるようです。すぐ目の前のおまわりさんもなにもいえません。
 ここで飲んで親父と話すと面白いんですね。なんとあの樺美智子さんも、日本赤軍の重信房子も飲みに来ていたといいます。樺さんがきたのは、195960年の頃でしょうね。重信さんは65、66年くらいでしょうか。すごい屋台なんですよ。
 ただし、現在は問題があるんですね。なにしろ、親父酒が好きで、店やりながら飲んじゃうんですね。昔なら平気だったのでしょうが、今は年だから、夜の2時頃まで飲んでいると、もうそのままになっちゃうのです。
 そのままというのは、私が次の朝出勤するとき、屋台がそのままみすぼらしくあって、親父が丸椅子の上か、道路にそのまま寝ちゃっているんですね。それで「思ったとおりまたか」なんて思っていると、それがそのあと昼にも、3時にも5時にもそのままなんてことあるのです。ひどいときは、夜の7時にも。ほんとうにあの近辺の人たちは困っていると思いますね。でもおまわりさんも何もいえないし。私もときどき意見はするのですが、そのときはしっかりしているんですがね。
 でもお酒のみなら、一回くらいはきてみてください。それだけの価値はあると思います。しかし気にいらない客には勘定いい加減だから、まあ私と一緒がいいかな。
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 この国貞のおやじさんは、明治の末年の頃の生まれでした。それで1995年の頃には、もうこの屋台は姿を消してしまいました。
 この屋台を紹介してくれたのは、以下の泊氏でした。

  泊氏のこと

 最初にこの屋台に入ったのは、1982年の頃だったと思います。国貞のおやじは泊氏の結婚式にも出席したというくらい親しい仲でした。それで、私もここに頻繁に入るようになりました。とくに私は1983年の秋からは、御茶ノ水で働くようになりましたから、とにかく毎日この屋台を目にすることになります。よく一人で入りこんど、このおやじとお話していました。私がどうも昔は革命運動をやっていたということを知りまして、それで、どうみても極右的な志向の持ち主だった彼は、私に興味を持ったようです。だから、樺さんの話をしてくれたものなのです。

  樺美智子遺稿集「人しれず微笑まん」

 でも現実の樺さんや、重信さんが、あの屋台に入り込んで飲んでいたことを考えると、とても嬉しくなります。
 ただ、最後はたしか1995年の頃なんですが、朝私の出勤時屋台がそのままありまして、おやじが椅子でそのまま寝ていて、それが午後もそのままで、私が帰宅するときも、屋台がそのままあって(もうおやじはいなかった)、そしてそして翌日私が出勤するときに、屋台がそのままになっていることが何回かあって、「これはおやじ、疲れすぎているな、もう年だしな」なんて思ったときに、あの屋台はなくなりました。
 ただただ懐かしく思い出す、屋台とおやじさんの姿の光景ですが、誰かまたあの御茶ノ水駅頭で、屋台をやってくれないかな。また私はときどき入り込んでいる酔いどれになりますよ。