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Tag:重層的な非決定

11092101 平たくいえば「現在」の多層的に重なった文化と観念の様態にたいして、どこかに重心を置くことを拒否して、層ごとに同じ重量で、非決定的に対応するということです。私はしばしばそれを『資本論』と『窓際のトットちゃん』とおなじ水準で、まったくおなじ文体と言語で論ずべきだという言い方で述べてきました。
「重層的な非決定へ」1985.5「海燕」福武書店に掲載 「重層的な非決定へ」1985.9.20大和書房に収録された

「アンアン」に書いた文も柳田国男を論ずる文も同じ水準、同じ文体と言語で論ずるべきだという言い方をしている。これは埴谷雄高に対して書かれた文章である。「埴谷雄高さん。貴方は決定的に誤解しております」

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 目森一喜さんの書かれたこの文を読み返してみています。

 そうなると重層的な非決定で行く方が脳の発達にはいいのかもしれない。もっとも、決断力も必要というから、継続的な非決定とその場その場での決断を、同時に維持していくというのがいいということだろう。

 私は 吉本隆明鈔集 にて、この 重層的な非決定 については次のように書いています。

重層的な非決定
 平たくいえば「現在」の多層的に重なった文化と観念の様態にたいして、どこかに重心を置くことを拒否して、層ごとに同じ重量で、非決定的に対応するということです。私はしばしばそれを『資本論』と『窓際のトットちゃん』とおなじ水準で、まったくおなじ文体と言語で論ずべきだという言い方で述べてきました。
(「重層的な非決定へ」1985.5「海燕」福武書店に掲載 「重層的な非決定へ」1985.9.20大和書房に収録された)

「アンアン」に書いた文も柳田国男を論ずる文も同じ水準、同じ文体と言語で論ずるべきだという言い方をしている。これは埴谷雄高に対して書かれた文章である。「埴谷雄高さん。貴方は決定的に誤解しております」

 我が身にふりかえると、その場その場での決断力は皆無に等しく、また、継続的な探求も面倒だから、何でもすぐにわかりたい。これでは、脳が衰える一方なのもしかたがない。

 脳が衰える一方……って、いわないでよ。その通りなのですから、慶太郎さんが口述筆記をしていることも、私には、想像しても、自分でそれをやるということは到底考えつきません。でもやっていきべきだなあ。

 データベースの勉強をしながら、合間にミシェル・フーコーを読んでいるところだったので、とても息抜きになった。

 あのサ、1年前に我孫子から引越したときに、ミッシェル・フーコーの『言葉と物』は古書店に売りましたよ。だって、個々の本なんか、どれがどれだか把握しようがなかったですね。また買っているんだろうな。でももう買えない本もありますからね。また『言葉と物』は買いましょう。

「惹句」という言葉いいですね。私ももうずっと使っていこう。でもついコピーと言ってしまうんだなあ。

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