随分前になりますが、「浪人生と語る会」というのがあって、けっこういろいろなこと話したのですが、その中で漱石が好きだという浪人生と次のような話をしたことがありました。

 周「漱石の中で、なにが好きなの?
 彼「どれも好きなのですが、とくに『坊っちゃん』なんか好きで
  すね

 周「しかし、『坊っちゃん』って暗すぎないかい
 彼「いや、なんだか読むと気持がすかっとしたんです
 周「そうかな……
   ……といって、坊っちゃんよりまだ悪役の野太鼓や赤シャツ
   のほうが、いきいきと生きているのではないかと話しました。
   うらなり君も結局はマドンナと別れてしまう。どうにも、結
   局は山嵐も坊っちゃんもうまく職場に適応できなかっただけ
   じゃないかとか、いろいろ話しました。

 周「坊っちゃんがあのあと何になったか、覚えているかい?
 彼「いや、分からないのですが、それは『二百十日』に書いてあ
  るんですか

 周「『坊ちゃん』の最後に書いてあるんだよ。彼は東京の都電の
  運転手になるんだな。それと、彼は山嵐と新橋駅で別れたきり、
  二度と会わないんだ。どうみても、あのは二人は親友になった
  と思えるんだがね、それっきりなんだ

11051405 なんだか、「坊っちゃん」をこの彼のように思ってしまう傾向があるようです。それがまた何故かなと興味深いところもあるのですが、漱石の作品では本来はこうなのです。私には、こうした漱石像が、読んでいくのにつらいなと思わせるところなのです。

 私は「坊っちゃん」をこのような印象で読んできていました。なんだか読み返すのが辛い暗い小説という感じだったのです。
 でもそうした私の思いを、また別な観点から切り開いてくれた本があります。

書  名  漱石先生ぞな、もし
著  者  半藤一利
発行所  文春文庫
1996年3月10日第1刷

 この本は文庫本になったら読もうと、立ち読みだけで待っていました。
 第一話が

  「べらんめい」と「なもし」

ということで、「坊っちゃん」の中に出てくる江戸下町言葉をいくつも抜き出しています。これが実に細かく分析されていて面白いのです。

「ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭 は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮なところだ。もっともこの熱さでは着物は着られまい。日が強いので水がやに光る。見詰めていても眼がくらむ」
 走りだす汽車のとまる汽船、淋しげで小さな婆やと威勢のいい裸の船頭、対照の妙をいかし、前章の過去形と違って「しめている」「やに光る」「眼がくらむ」と現在形で書いている。風物も、人間も、目の前のように生きてくる。そして「いやに光る」とすべきところを「やに」と江戸訛りをはさんで、都落ちした江戸ッ子のせめてもの心意気を示している。
 全編こんな風に多彩で流動的な文章。後にも先にも、日本人の誰も書かなかった。いや、漱石すらもその後これほど闊達な文章は書かなかった。

 うんうん、なるほどなと思います。東京を出るときのお清婆さんの小さな声、小さな姿、そして坊っちゃんにくれる手紙の内容「……箱根山から西には化け物が棲んでいる……」など、たくさん思い出してきます。たしかに最初の最初読んだときにも赤ふんに「野蛮なところだ」というところでは笑ったなと思い出しました。
 いややっぱり漱石はいろいろな読み方ができるのだなと改めて感心しました。 そうそう、今私も思いました。上で引用した中の「眼がくらむ」は杜甫の「飲中八仙歌」からとったものでしょうね。

 知章騎馬似乘船   知章が馬に騎るは船に乗るに似たり
 眼花落井水底眠   眼花井に落ちて水底に眠る

 ねえ漱石先生、知章は飲んでいたから、「眼がくらむ」で井戸に落ちたのでしょう。いや間違いなく、漱石は「坊っちゃん」のこの部分で、杜甫の詩を思い浮かべたはずです。そしてにやにやしていたんじゃないかな。

 さらに少し付け加えたいと思いました。
 この漱石の「眼がくらむ」なのですが、ずっと気になりました。漱石は、なんだか「眼がくらんでしまう」というような症状があったようです。そのことを「眼華」という言葉を使っています。この「眼華」は、「眼花」と同じではないのかな、と思うわけなのですが、それは私はこの「坊っちゃん」の場合だけで思うわけなのです。
 実は、漱石はこの「眼華」という言葉を、吉川幸次郎によると、この杜甫の詩から持ってきたのではと言われています。吉本(吉本隆明)さんは、これは良寛から持ってきたのではと言っています。そしてその良寛からとは、良寛がいわば本来よりどころとした、道元の「正法眼蔵」の中の言葉からだということなのです。私は吉川幸次郎は少しも好きではなく(全く嫌いです。ときどきあの膨大なる「吉川幸次郎全集」のどこかの巻を立ち読みしては、「そら、やっぱり嫌な奴だ」と確認しています。それこそ周の方が嫌な奴だね)、どうみても吉本さんの言う通りだと思っています。
 だがだが、そうだとしても、私はこの「坊っちゃん」の場合の「眼がくらむ」は、杜甫の詩からではないのかな、と思うのですね。漱石の病気のことではなく、このときだけは、まさしく飲んで眼がくらんでころんだとか、そういうことを漱石は思い浮かべていたのじゃないのかな。(1998.11.01)