将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:鉄道員(ぽっぽや)

12101706  私は見落としたテレビを見るにはで次のように書きました。

 やはり映画は本とは大きく異なります。テレビの番組の映像でも同じでしょう。

 このことを、『鉄道員(ぽっぽや)』で大きく感ずることができます。私はこの『鉄道員』を原作の小説では、

   浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』

で書いています。以下のように書きました。

 電車の中で読んでいました。もう「鉄道員」に中の言葉に、どうても涙が出てきます

 映画は以下に書いています。

   降旗康男『鉄道員(ぽっぽや)』

 淋しく悲しい映画でした。原作を読むときと同じで、ただただ涙ばかりになります。12101707

 同じく涙を流すのですが、でも映画では原作の『鉄道員(ぽっぽや)』では存在しない江利チエミさんのことが見ている私たちにも伝わってきて、それがまた私たちの涙になるのです。

12071814 私は、Noraさんが『鉄道員(ぽっぽや)』を読んでくれましたを書いていまして、私はこの「テネシーワルツ」を思い出していました。
 また書いてみます。江利チエミさんのだと、著作権の問題でまずいのかもしれないので、前にも私が書いたものを再録します。
今は「訓読漢詩」ではないわけですが』に書いたものです。

 パティ・ペイジ(1927.11.08〜)の「Tennessee Waltz」ですが、あの歌を聞いていますと、自然にその物語が頭の中に浮かんできます。
 自分の大好きな彼氏を、自分が紹介した親友の女性に奪われてしまうというあの歌は、聞いていると、どうしても涙が湧いてきます。

I was dancin' with my darlin' to the Tennessee Waltz
When an old friend I happened to see
I introduced her to my loved one
And while they were dancin'
My friend stole my sweetheart from me.

I remember the night and the Tennessee Waltz
Now I know just how much I have lost
Yes, I lost my little darlin' the night they were playing
The beautiful Tennessee Waltz.

 江利チエミの唄う「テネシー・ワルツ」も私は大好きですが、どうしても彼女の歌を聞いていると、私は今も彼女の墓の前で座っている高倉健を思い浮かべてしまい、「テネシー・ワルツ」とはまた別の悲しい気持になってしまいます。

 以上で私の将門Webからの引用でした。
 やっぱりいい歌ですね。こうして歌詞もいいですが、歌自体、曲そのものもいいです。 こうして外国の歌も実にいいものですね。

12071801 Noraさんが『鉄道員(ぽっぽや)』を読んでくれました

鉄道員(浅田次郎) 投稿者:Nora  投稿日:2012年 7月18日(水)21時07分30秒
   周さん、さっそく読んでみました。
『鉄道員』は『ラブ・レター・悪魔・角筈にて・伽羅・うらぼんえ・ろくでなしのサンタ・オリオン座からの招待状』の短編集なのですね。わたしは浅田次郎さんの著作は初めてですが、どれも人間の切ない情をみせていて、最後は希望や救いが描かれていてほっとします。作品の底には人間の温かい思いが流れていてファンタジー仕立てで構成されているところも魅力です。読めば読むほど味わいが出てくるのだと思います。

映画の『ぽっぽや』ぜひ観てみたくなりました。小説の方が素朴で想像力をかきたてられるとは思いますが。映画は映画として楽しめるのだと思います。

 嬉しいです。浅田次郎っていいでしょう。漱石とは大きく違うことが分かると思います。もちろん、漱石も偉大で今読んでもものすごいですけれど(そうねえ、私は太宰治にも感じます)、それに比べて昔の作家はひどかったものですね。いえ、今ある作家とその作品名が思い浮かびましたが、その作家名も作品名も書きません。
 それに比べて浅田次郎は実にいいです。
 そしてね、映画「降旗康男『鉄道員(ぽっぽや)』」もいいですよ。例えば、漱石は修善寺で独りで書いているところがあるでしょう(これはある意味で浅田次郎も同じかもしれない)。でも映画は、大勢の人が集団で作り上げている芸術なのです。
12071802 この『鉄道員(ぽっぽや)』でも、映像の背景に、「テネシーワルツ」が流れるところなんか、浅田次郎さんでは、小説の中では表現のしようがないのですよ。
 私は以下のように書きました。

この映画の中で何度も「テネシーワルツ」が流れます。これは故江利チエミ(高倉健の元の夫人です)の代表曲です。この曲が流れるたびに、私たちは江利チエミを思い出しています。これは浅田次郎の原作にはない物語です。でも見ている私たちにはそれが充分に分かっています。「ああ、健さんも江利チエミを思い出すのだろうな」。乙松も亡き妻静枝を思い出しているのでしょう。

 私はそこで始めて「テネシーワルツ」が分かりました。あの恋人を他の女に取られたという歌が何がいいのか、私には分かりませんでした。まして、江利チエミの「テネシーワルツ」はわけが分かりませんでした。でもこの映画の中で流れている、そして健さんが口ずさむ「テネシーワルツ」(ええとこんなシーンは実はないかもしれません)は実にいいのです。
 このところは、小説を読むだけでは至らない映画の素晴らしさだと思うのです。
 そして、私も本を読んだ感想だけではなく、映画のことも書いていける原動力を得られているのです。

12071708 もう私はどうしようもないじいじです。それを感じています。

2012/07/18 07:52また「梅ちゃん先生」を見に行かなくてはと思っています。
2012/07/18 08:06今もこの「梅ちゃん先生」を見始めました。「心に麻酔なしでメスを入れるようなもの」というのはよく分かるのですが、でも梅ちゃんのやるのは、大切な大事なことです。心には麻酔なしでも入る必要があるのです。そしてそれは「メス」ではなく入れるのです。
 小夜子さんのことは見ていてつらいです。でも梅ちゃん先生がなんとかしてくれないかなあ。
2012/07/18 10:05今はリビングへ来てテレビを見ています。
2012/07/18 12:41今食事しました。このブログで、「周のポメラ」で浅田次郎の「黒書院の六兵衛」を毎朝書いているのですが、昨日はこの浅田次郎の「鉄道員(ぽっぽや)」のことで、映画の「『鉄道員(ぽっぽや)』」の映画評を書きました。
12071709 また「梅ちゃん先生」を見て涙になっています。私はいつも同じなのですね。
2012/07/18 16:28もうこの時間なのですね。昨日はおはぎの家へいくつもりでしたが、行かないことになりました。おはぎからケータイメールがあったからです。おはぎも毎日けっこう疲れているのですね。

 小夜子さんを見ていて、実は私の次女ブルータスの名前もブルータスなのです。音(おん)が同じで、驚きかつ感激です。

12071702 この映画はいつ見たのだろうと思い出そうとするのですが、皆目分からないのです。私のこのブログで見ますと、2001年の3月に本の『鉄道員(ぽっぽや)』を読んでいますね。読みながらどこでも涙を流していたものでした。そしてその自分の涙を流した顔をごまかずのにものすごく大変でした。その後はこの作家の本は人前では決して読まないようにしてきました。
 でもその本の『鉄道員(ぽっぽや)』を読んだあとに、この映画を見たものでした。もう映画でも私は涙ばかりになっていたものでした。
 今その映画のいくつものシーンが甦ります。12071701

題名  鉄道員(ぽっぽや)
封切 1999年6月5日
監督 降旗康男
原作 浅田次郎
音楽  国吉良一
配給会社 東映
キャスト
 佐藤乙松  高倉健
 佐藤静枝  大竹しのぶ
 佐藤雪子  広末涼子
 杉浦仙次  小林稔侍
 吉岡敏行  安藤政信
 杉浦秀男  吉岡秀隆
 加藤ムネ  奈良岡朋子
 吉岡肇   志村けん
 杉浦明子  田中好子
 川口    平田満
 集配人   板東英二

12071714 佐藤乙松は北海道の廃止寸前のローカル線「幌舞線」の終着駅の幌舞駅の駅長です。彼はもう妻静枝に二年前に先立たれて、でももっと前に娘の雪子のことも病気で失っています。もうこのことが分かると、もう見ている私たちは涙になるしかないのです。 彼は孤独な生活を送る中、ただこの駅に勤めるしかないのです。それがたくさんの雪の中でただただ厳しい雪と彼の孤独を感じます。もうこの終着駅もこの路線も廃止されるだけなのでしょう。
12071809 でも乙松が一人で幌舞駅の雪かきをしているときに、「忘れ物をした」という少女が現れます。それがこの物語の奇蹟の始まりだったのです。

 もう乙松には、妻も娘も失っているわけですから、もうこの駅とこのローカル線をただ守るしかないのです。だって彼は妻と娘の死にも立ち会わず、この駅のプラットホームにたち続けただけなのですから。きっと乙松はそんな自分に罰を与えるかのように、極寒のホームに立ち続けるだけなのです。 そこを訪れた少女は「今度一年生になるの!」という少女は時代遅れの人形を抱いています。「この町の子ではないな」と思うだけの乙松です。
12071715 この娘が乙松の亡くなった娘雪子なのです。そしてその雪子が乙松の前でだんだん大きく成長していきます。これは奇蹟の話なのですが、もう乙松も娘や妻のところに行く寸前なのでしょう。

1207171612071717 この映画の中で何度も「テネシーワルツ」が流れます。これは故江利チエミ(高倉健の元の夫人です)の代表曲です。この曲が流れるたびに、私たちは江利チエミを思い出しています。これは浅田次郎の原作にはない物語です。でも見ている私たちにはそれが充分に分かっています。「ああ、健さんも江利チエミを思い出すのだろうな」。乙松も亡き妻静枝を思い出しているのでしょう。
 そして乙松はまた亡くなった娘雪子を思い出すのですが、その雪子が目の前で次第に成長していくのです。
 そんなことはありえないのですが、これは奇蹟の話なのです。そして乙松は最後雪の中で亡くなっていくのです。

 淋しく悲しい映画でした。原作を読むときと同じで、ただただ涙ばかりになります。
 もうまたこの映画も見ることはあるのかな。当然またあるでしょうね。

12071608 これはいつもリビングでやっていますが、どうしてもパソコンでやらないとすまなくなることが多くなりました。

2012/07/17 05:40私の友人のnoraさんの「ネット赤ちょうちん」に「鉄道員(ぽっぽや)」のことを少し書きました。私はこの映画を見ているはずなのですが、どこでだろう。私は映画を見ると、かならずその映画のカタログ(説明書というのかなあ)も必ず手に入れるのですが、今はそれがないような気がします(ひょっとしたらどこかにあるのかもしれません)。
 でも「ネット赤ちょうちん」に少し書いて、高倉健さんの画像も二つUPしたら今度はこの映画の「映画評」も書きたくなりました。映画評と言えば、「男はつらいよ」もまだ途中だし(私は48作全部やるつもり、今は第19作まで終わっています。そして第29作第45作もやっていますが)、やらなくちゃあいけないなあ。今後また書いて行きます。
12071703120717042012/07/17 06:03この新聞が入ってきたときに、すぐに「黒書院の六兵衛」を読みました。今日の内容で、的矢六兵衛のことが分かった気がします。そしてそれは間違いないでしょう。しかし、この勝海舟は実際にはここまで言い切れなかった、言わなかったろうなあ。最後に鳥羽伏見の戦いのことを海舟が語りますが、これは実にいいです。

「・・・。あの戦には武家の大儀も面目もなかったのだ。まったく百姓一揆と同様、われらの食い扶持(ぶち)を保証せよという言挙にすぎなかった」
 ああ、と隼人の口から息が洩れた。すべてが腑に落ちる。何を偉そうに言うても、人間とどのつまりはやはり金なのだ。

 まずは以上でUPしましょう。

書 名 鉄道員(ぽっぽや)
著 者 浅田次郎
発行所 集英社文庫
2000年3月25日第1刷
読了日 2001年3月19日

 以下の短編集です。

「鉄道員」
「ラブ・レター」
「悪魔」
「角筈にて」
「伽羅」
「うらぼんえ」
「ろくでなしのサンタ」
「オリヲン座からの招待状」

11010902 電車の中で何度も泣きました。18日に帰宅するときに、この文庫を買いまして、それを電車の中で読んでいました。もう「鉄道員」に中の言葉に、どうても涙が出てきます。もう涙が伝わるのが判ります。なんだか目の前の人に判ってしまうのが羞しい。「俺は二日酔いで、しかも花粉症なんだ」なんて思い続けました。そして次の日にあるクライアントへ行くときに、また「うらぼんえ」でまた涙が出てきます。波際で「おじいちゃん!」と呼び掛けるちえ子の声が私にも聞こえてきます。そしてまた19日、帰宅するときに、また「鉄道員」を読んで涙です。なんども、同じところで涙がでます。そして今もまた同じです。(2001.03.19)

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