将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:鎌倉

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今は身体と脚を休めて、小町通りでは少し元気になります。実朝には元気な私を見せなくちゃあな。
武蔵小杉です。まだまだですね。
新川崎です。
今日はいい天気で、絶好の鎌倉歩きです。
電車はものすごく空きました。こんなものなのですね。前にこの横須賀線でもこのような窓の外の景色を見たことがあります。

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かなり混んでいます。そうなのだなあ。実朝の銀杏がどんなに育ったのかを見たいのです。それだけです。あとは小町通りを歩ければいいのです。いくつか知っている店にも寄りましょう。
今列車は止まり気味です。今は西大井駅です。

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でも私はケータイには出られませんでしたから、終わってから電話しました。
あとでその 内容は詳しく書きます。ちょっとここでは書けないのです。
 今は京浜東北線で秋葉原です。鎌倉へ行きます。前から決めていたことなのです。

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 3日にポメラに書いたことを5日にUPしています。

2014/03/03 06:04昨日はもう孫たちが来て大変でした。ものすごく嬉しいじいじなのですが、でも一番下のポポには少し大変です。私の部屋でパソコンをやる時が大変なのです。
 でもばあばと話して、もう私のパソコンでゲームはやらせません。
 昨日はおひな祭りでした。王子駅そばのコージーコーナーで1月31日に注文した「おひな祭り」のケーキが実に可愛かったです。大人(ばあばとおはぎ、ミツ君)が一つずつ、ポニョが二つ、ポコ汰、ポポが一つ食べて、残った2つはおはぎの家に持って帰りました。
 可愛い素敵なケーキでしたから、ものすごく嬉しかったのじゃないかなあ。私じいじも嬉しいです(私は食べませんが)。
 今このおひな祭りのケーキの上の真ん中のケーキの上ににあった桜の模様のものがここにあります。14030301
2014/03/03 06:33こうしてテレビを見ながら、これを書いています。
 昨日10時(予約は9時30分でした)にコージーコーナー王子店に行きまして、16時近くに孫たちはこのケーキを食べてくれました。
2014/03/03 07:44こうして今またこうしてポメラを書きます。やはり、こうして両手で打てるのがいいですね。
2014/03/03 11:34今は吉田医院を終えて黎明薬局へ来ています。私はこのあとに鎌倉へ行ったりしたものですが、今日はその気はありません。
 今次回お薬手帳を持ってくるように言われました。あれはこの頃まじめに見ていないのだよなあ。14030103
2014/03/03 18:06今はおはぎの家に来ています。17時8分に来ました。でももう一時間が経っていますね。
 もう三人の孫は実ににぎやかなことです。


 こうして今頃UPしています。

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 こうして鎌倉の光則寺と江ノ電を思い出しています。江ノ電は私のここのサイドバーにバナー(私が江ノ電のホームページ内で選んだ写真なのですが)が置いてあります。

2014/01/11 04:377日に鎌倉に行ったことを思い出します。私の好きな光則寺しかいけなかったので、またすぐに今度は小町通りと実朝様が公暁に殺された銀杏の樹のそばまで行きたい思いなのです。それに私の好きな手ぬぐいの染の安坊にも行きたい思いなのです。
 このことは強烈な思いですね。染の安坊は本店が浅草なのですが、浅草は歩きたいという思いがわいてきません。
2014/01/11 05:09今私のIS01の電池とデジカメの電池(それぞれ3個ずつあります)の上(白い包装がされています)に、油性マジックで順番の数字を書いているのですが、それが薄れて来て困っています。私の持つ油性マジックが駄目なのですね。それで楽天で手にいれましょう。あ、文具屋でもいいのだ。とにかく楽天で見てみましょう。
2014/01/11 05:42上に書いた油性マジックも注文しました。そういえば、昨日ケータイのCメールでゴトさんが長谷川慶太郎さんの最新の著作を紹介してくれましたが、もうアマゾンで注文しました。今はインターネットばかりですね。14011009

 そういえば、以前に(3年くらい前かなあ?)王子のある文具店であるものを買ったのですが、そのときの女性店員の不愉快な態度は忘れることができません。私が選ぶのに、時間をかけていると、それをなじるのです。早くしてくれということなのでしょうね。
 そういえば、デパートの高島屋でもあるものを買いまして(高価なもの)、そこの責任者に「これをデジカメで写真に撮ってもいいですか?」と言いまして、「ええ、いいですよ」ということで、撮りましたが、そばにいたある方に非難されたことです。このことは今でも非常に不快な思いです。現場の責任者がいいと言っているのに、何なのでしょうか。私はやたらに写真を撮ってはいけないことは充分に知っています。だからそこの責任者の許可を求めたのです。許可されたから撮ったのにそれを非難されるなんて、私はこれからでもそのことは言います。


 あ、今度このことを伝えましょう。いいましょう。指摘しましょう。

13090810雑誌名 るるぶ情報誌鎌倉’13〜’14
発行所 JTBパブリッシング
定 価 840円
発行日 2013年3月1日
読了日 2013年9月3日

 この雑誌は、「日経PC21」10月号と同時に購入していました。いや正確にいうと、先に買って、そのあと「日経PC21」のスマホの特集に気がついて買い足したのでした。
 でも私はこういう旅に関する情報誌を、たとえば、これは実際に鎌倉を訪れてそのときのためにこうして手にいれるのですが、このときはかなり足(脚と書くべきかな)が駄目になっていて、長距離長時間は無理だという思いでした(今は回復しました、理由も想像できます)。ただ読むだけでも鎌倉を思い出したいという思いでした。
 でも今は私の身体は回復しました。ぜひ実際に鎌倉を歩きたいです。

 この雑誌は以下の通りです。

ページ数: 160p
「花の寺社」「鎌倉グルメ」「愛されみやげ」など、人気のネタを徹底紹介!付録はみやげ&お守りコレクションとおさんぽ便利地図!

掲載エリア
鶴岡八幡宮/小町通り・若宮大路/北鎌倉(円覚寺・建長寺など)/金沢街道(報国寺・瑞泉寺など)/銭洗弁財天/源氏山公園/大町・材木座/長谷(長谷寺・高徳院など)/極楽寺/和田塚/由比ガ浜/稲村ガ崎/七里ガ浜/鎌倉山/江の島
特集
鎌倉はやわかりヽ倉ってこんなところ/鎌倉はやわかり何ができるの?/鎌倉はやわかりどうやって回る?/花の古都さんぽ_屬了社/花の古都さんぽ極上グルメ/花の古都さんぽ秀逸みやげ/P24などのエリア別「おさんぽコース」/P26などのエリア別「必見スポット」/P28などのエリア別「グルメ」/P32などのエリア別「カフェ」/P36などのエリア別「おみやげ」/鎌倉のホテル・旅館/特別付録,みやげ・お守りコレクション&花の寺社MAP/特別付録△さんぽMAP&お役立ちガイドBOOK

13090603 これでまた鎌倉を歩いてみます。
 ただ、鎌倉は気に入った飲み屋がないのですね。それがものすごく残念なのです。もう歳なのだから、もう大いに控えろよということなのかなあ。
 いや飲み屋も、もし知った顔のママやマスターが、ものすごく歳取って会うとしたら、それはものすごくショックです。
 もう自分も歳取っているのだから、覚悟すべきなのかなあ。

13042209 思い出すのは、いくつものあじさい寺、鎌倉の名月院、極楽寺、成就院(「男はつらいよ」の舞台になった)のあじさい、長谷寺のあじさいも忘れられません。それに北小金の本土寺も実にいいあじさいです。
 そして私の住む王子のあじさい(王子駅と飛鳥山公園の間)もいいです。私はどうしてもこの紫陽花は、それほど好きになれないのですが、でも毎年かならずどこかで見ています。
 私の母が、私の住んだ我孫子のある家で「あじさいはこう刈るんだよ」と綺麗に整理してくれたのを思い出します。
 私はいつも、「これはやりすぎたかなあ」なんて、反省して(ようするに滅茶苦茶に切りすぎた)いると、そのあとすぐにもうウンザリするほど、伸びてくるあじさいにそれこそうんざりし、もう憎悪したものでした。母は偉かったなあ。

12062813 昨日鎌倉の江ノ電極楽寺の成就院のあじさいを見に行ったわけですが、そのときに、「たしか、二年前に来ていて、そのときに『またちゃんとあじさいを見にこよう』」と思っていたのですが、それは三年前のことでした。
 このログを見つけるのも大変でした。もう私はそんな年齢になっているのですね。

12062903http://shomon.livedoor.biz/archives/51464934.html
写真は7月8日の成就院です。もっと前に来ていましたら、ここは紫陽花でいっぱいだったでしょう。

 思えば、私なんかただただ年齢を重ねるだけなのですね。このことを深く思いますね。

 二つの写真はあまりに違いますが、三年前のは、あじさいがすべて刈り取られていたのでした。この日、成就院で多分自分の恋の成就を熱心に祈っていた28歳くらいの女性を思い出します。ここのご本尊は「良縁を結ぶ」ことをしてくれるのです。そこで私は「男はつらいよ あじさいの恋」でのかがりの気持が痛いほど分かったつもりでした。

12032021 テレビをよく見ますが、いや見るようにしているのですが、でも見ていないですね。

2012/03/21 16:42今「最後から二番目の恋」を見始めました。もう私も鎌倉へも一年以上行っていませんね。江ノ電でこの極楽寺で降りて歩いたものですね。そして長谷まで歩いたものでした。でも長谷寺は入らずに、光則寺に入りました。私はこのお寺が好きなのです。
 もうまた鎌倉を歩きたいな。
2012/03/21 17:19いつもあわただしくいくつものことをやっています。とにかく頑張ってやっていきましょう。
 私ももっとやって行かないといけないなあ。
 いや、私がケータイメールを書く中で、長女おはぎに指摘されたことは、常に私が意識していないといけないです。私がパソコン・インターネットをやって長いわけですが、私が実際にケータイメールである事実を書いても、ちゃんと書けていないのですね。ことことはちゃんと私自身がが意識して書いていかなといけないことです。

 どうしても鎌倉を歩きたいな。前に光則寺へ行ったのは昨年の1月末ですから、もう一年以上前なのだ。

b3db29b3.jpg  またこれで忘れずにやって行きます。 でも少し私の阿呆なところがありました。困ったものです。いや間違えて一つ先の上中里まで来てしまいました。
  さて、今ここの画像、上中里駅のホームからの画像を撮りました。これでUPしますね。
 ただ、こうしてIS01は簡単のUPできますね。このホームの上は実に涼しいです。いいものですね。
  でも王子へ帰る電車がこないな。
  今線路の案内図をみて、今度は大船のほうにも行きたいな。大船の先が鎌倉(駅は北鎌倉)です。

11020417 2月4日に私は鎌倉の長谷の光則寺へ行きました。
 この日は、私は11時15分から歯医者の予約があり、それが終わってから出かけました。だから東京発の横須賀線に乗ったのは午後1時を回っていました。

 昨年は6月4日に鎌倉を歩いています。以下にあります。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50801802.html
                鎌倉小町通りで

 その前年は、

  http://shomon.livedoor.biz/archives/51464526.html
            8日のあじさい寺・成就院

でした。いや、その前にも行っているのですね。最後は小町通りで飲んでいます。誰か連れがあるときは、北口の店で飲んでいましたものです。

 長谷というと、高徳院も長谷寺もいくつもの思い出がありますが、この日は光則寺のみに行きました。ちょうど多分、小学校入学前だろう子どもたちがこの光則寺を歓声をあげて走りまわっていました。私はその声がものすごく嬉しかったものです。

 ここにこの光則寺の門に置いてありましたマップを載せます。ただし、これはB4の版型なので、それを二つに切りまして、スキャン(これがA4ですから)して、画面上で結合しました。

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  周の『独楽吟のススメ』の448 に 鈴ひとみさんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 鈴 ひとみ   2010年06月16日 10:47
周ちゃん お元気ですか?
サッカーのカメルーン戦を きゃらめるの大画面で面白く観戦しました
前半で本田が1点を決め 執拗なカメルーンの攻撃に最後まで気が許せませんでした
アー 面白かった 偉いね 日本サッカー軍団
今度のオランダ戦は 19日ですね きゃらめるの大画面で一緒に観戦しませんか?
周ちゃんにも お会いしたいし・・
鎌倉に行ってらしたんですね
倒れた銀杏の木 私も心配していました
でも 若芽が萌え出でている様子 安心しました 300年後に要人が暗殺されませんように
私も自らの思いを自分らしく表現したいと思っています
お手紙 ありがとうございました
                  ひとみ

 ありがとう。私はなんと言いましても、実朝が好きなのです。だから今回もあの銀杏の樹の前で実朝を思い涙が浮かびました。でも銀杏の樹にいわせれば、それも関係ないことなのかもしれません。ただ私には、あの場所はどうしても実朝を思うのです。
 実は実朝の首は最後まで今に到るも、行方が判らないのですね。公暁がとにかく、必死に首を手元から離さなかったようです。その公暁も殺されて、もう判らなくなりました。
 思えば、鎌倉武士団にとっては、実朝の首なんかどうでも良かったのでしょうね。それを大事に抱える公暁のことが哀れだったのかもしれません。
 でもその実朝には、歌があったのです。このことは鎌倉武士団には理解できないことでした。
 私は実をいうと、武士という存在が嫌いです。武士なんて、日本の心とはまったく関係ありません。その武士のだらしのない存在・思想を表わしていたのが、江戸時代の武士たちです。
 江戸時代の初期に、九州で領内の百姓土民をスペイン・ポルトガル人に売り払う武士領主がいました。私にはどうしても認められない、嫌な武士たちです。それはその武士たちが、その百姓土民を、同じ日本人、同じ人間とは考えていなかったのです。
 私は武士という存在思想が大嫌いです。この今の今も、「武士」という存在を褒める言い方があります。私には絶対に認められません。
 ただ、武士はまだ鎌倉時代にはまっとうでした。それが室町へ経て、最低の存在になっていきます。
 少なくとも実朝の心さえもっていたらと、そのことを思います。

e3ace2c9.JPG 雨が音を立てて振っています。私のパソコンの後の窓からもそれが見えます。いい天気になって、ものすごく蒸し暑くなったと思うと、この雨の天候になるのですね。いよいよ梅雨の季節なのでしょうか。「梅雨」といえば、私の好きな杜甫に、この語句をそのまま使った詩があるのですね。中国にも同じ天気があるのでしょうか。
 写真は昨日6月4日に鎌倉でポコ汰に買ってきたお土産です。この絵の二人がポコ汰とポニョに見えたものです。でもポニョはこんなに後に控えている女の子ではありません。(06/14)

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 鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れる に次のように書いていまいした。

だからこの銀杏の元に行きましたのは、私の長女が大学に入った1992年の3月のことです。

 それでこのときのことを思い出しました。それでどこかに書いてあるなと思い、インターネットで検索してみました。そうしましたら、私のメルマガの第361号のバックナンバーの以下に

書 名 鎌倉感じる&わかるガイド
著 者 岡田寿彦 関戸勇

以下のようにありました。

 与謝野晶子のこの鎌倉の大仏を歌ったのは以下です。

   鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は
    美男におわす夏木立かな

 いい歌だと思いました。昨年行ったときにも、そう思いました。これは1905年に刊行された歌集「恋衣」に収録されました。
 でも、「釈迦」は男性で、「釈迦牟尼」ですと女性ですから、その前の美男とは合いません。そしてあの大仏は阿弥陀仏であり、釈迦牟尼では間違いなのです。この指摘で、与謝野晶子は困ったはずです。
 以下のようにも歌っていたようです。

   鎌倉や銅(かね)にはあれど御仏は
    美男におわす夏木立かな

 もうすいぶん前に、妻と長女と母を鎌倉に連れて行ったときに(どうしてか次女は用があり、いませんでした)、この大仏の裏で、たくさんのリスがいて、何匹もが私の足から身体に登ってきます。
 長女おはぎが、「どうしてパパにだけ、あんなにリスが登るの?」と言いました。私の母が応えました。「周二はいつもそうなんだよ。小さいときから、いろんな動物に好かれているんだよ」と説明してくれていたものです。

 あのときの私の母と長女の会話をはるかに思い出しました。そしてそのときのリスたちが懐かしいです。今度は、一年後か二年後に、そのときは3人の孫(長女おはぎの子ども)と次女ブルータスを連れて(もちろん、それぞれの彼も一緒に)、この大仏の裏で、与謝野晶子の碑を見て、そしてまた何匹ものリスが私の足から脚、身体に登る様を孫たちに見せたいです。「どうだ、じいじはすごいだろう」というのですね。

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 いえ、昨日ひさしぶりに「そば処『うつ木』」へ行きました。

2009/07/09 13:43ちょっとお腹が空いたなという思いで、そば屋に来ました。そば屋といえばやはり飲んでしまうなという思いです。
 でもいろいろと思いますね。いつもいい人でいないといけないよな。思えば私の行ける飲み屋もあまりないですからね。あ、そんなことを考えずに行くべきだよなあ。どうしても夕方は義母を迎えるからいないとならないのですね。そう思うともうものすごく大変です。7月早々に鎌倉へいくつもりでしたが、無理でしたね。
 こうして、落ち着いて独りで考えると、そうだこの夏から秋に飲み会をやらないといけないのだなあ。一つは私の高校のクラスの同窓会。もう一つは日の丸の同窓会です。
 高校のクラス会は、横浜では中華街でやって、2次会はどこでやろうかなあ。
 日の丸は、まずそもそも延々にやる飲み屋が必要だなあ。4時間はやる店だなあ。そうすると2次会は午前2時くらいやっている店だから限られますね。しかも私はそんなに飲まないようにしないとなあ。でも私はすぐに飲んじゃうから、考えものです。
 あ、このところ日の丸の関係にはけっこう手紙を書いているから、高校の友人にも手紙を書こう。ほぼ女性なのですね。女性のほうが手紙は書きやすいのですね。思えば、こんなところが、「萩原先生は、本当は女なのよ」といわれるところなのかなあ。
 女性の方には、なるべくすけべいな視点を持たなくてはいけない、という思いを持ちながら、どうしてもそうなれないのですね。
 でも非常につまらないことをいいますと、このごろやたらに小ばえが目立つのですが、それが私の家ですが、それだけでなく、このそば屋さんでもです。なぜなんだ。無言で、「粉砕する!」と言ってもだめなんだよなあ。声に出してもだめだろうし。そして声に出したら、みんな驚くしなあ。
2009/07/09 14:31とにかく、こうして飲んでいることがいいです。
 早く孫に会いたいなあ。どうみても孫二人が一番いいです。いえ、私の次女ブルータスにも会いたいですよ。

 もちろん、また夕方長女宅へ行きまして、孫とお喋りしていました。長女家族は箱根に行くから、私たちもどこかへ行きたいな。

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 昨日夕方義母が帰ってきて、でも私がどうしてもある電話を待っていましたもので、その間が大変でした。その用が済んで、リビングで義母の相手をしていました。火が心配で、かつ家から出ていきそうなことも心配でした。とにかく、神経と声を使います。

2009/03/13 17:08今あるところからの電話を待っています。電話を待つというのは、実に消耗な時間ですね。だから、その間、ポメラを打つことにしました。
 いえ、この時間はいつも義母を迎えている時間で、迎えてから簡単な食事をしてもらい(本格的な夕食は午後7時になります)ます。
2009/03/13 17:30ちょっと前にある役所からは電話をもらいましたが、義母を一人にしておくと、やっぱり大変です。だからもう、自分の事務所ではなく、リビングにいます。ここにいないと、面倒なことになってしまいます。とくに台所は火を使うので心配です。
 今は、もうパソコンではなく、ケータイでメールのやりとりをしています。仕事上のケータイメールのやりとりです。ケータイメールなら、私の部屋でなくてもいいのです。もちろん、ここでもノートパソコンなら広げられますが、パソコンは起動するのにも、少しやっかいです。ケータイなら簡単にメールの送受信ができます。
 今も義母が大変です。もうどうしたらいいのでしょうか。そばにいないと大変な事故になってしまいそうです。
もう困りはてているばかりです。
2009/03/13 17:54こうしてそばで見ていないとならないのですね。仕方ないことですね。今はもう妻が帰ってくるのを待っているばかりです。
 実は昨日妻が、大変な事態を言ってくれていたのでしたが、私はよく理解できていませんでした。もう反省して、私もちゃんとやっていかないとなりませんね。
2009/03/13 18:10でも私は一つのことだけをやるということができません。だから、テレビをつけ、読んでいる本を開きました。だから、ちゃんと開けない本は困ります。
 でも私という個人は一人だから、それが少々大変ですね。
 でも今読んでいるのは、「丸山健二『田舎暮らしに殺されない法』」というのですが、ちょうど田舎に住んでいて、悪い奴が家を襲ってきたときのことを書いています。手製の槍を使うことを言っています。これでは相手を殺してしまうのですね。
 でも今は本を読んでいるどころではないほど、義母のことが大変です。ここは火があるところですから、もう実に心配です。
2009/03/13 18:38こうしてテレビを見ているのもいいですね。NHKテレビです。
 あ、鎌倉を映しています。鎌倉には行きたいと思っているのですが、月末近くなったら行ってみようかなあ。一人で行くのはつまらないし、たれかを誘おうかな。
 鎌倉で最後駅の周辺で飲んでいたいなあ。
2009/03/13 18:48思えば、何かのときに私もどこかに行きたいな。休みを作っていこうかなあ。
2009/03/13 19:08妻が帰ってきて、私も少し落ち着きました。もう今までのよいにのんびりとはしていられないですね。
 しかし、北朝鮮のミサイル発射に非常に腹が立ちます。もう絶対に許せない行為です。

 どうやら、また14日の朝になっています。

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 昨日私は夕方、「あ、ビールを買いに行こう」と思いまして、「セブンイレブンに行ってくる」というと、妻が「サミットへ行きなさい」といいます。あ、そうだ、コンビニよりもスーパーのほうが安いのだ、と気がつきました。いえ、もうとっくに気がついているはずの私なのですが、いつも忘れ果てています。
 それにこのところ、お酒ですと、すぐに眠ってしまうので(ビールより量を飲むからでしょう)、いろいろとやりたいことがあるので、ビール500CC2本ならいいのです。

 それでサミットまで急ぎます。昨日は、日曜日なので、それにもう夕方5時を過ぎていますから、それほどたくさんの人がいないと思っていましたが、けっこうたくさんの人がいます。私はただただビールを買いに行きます。
 でもすぐ目の前の女性が、「あっ、萩原さん!」と声をかけてくれます。Kさんなのでね。「あ、まずい」と思ってしまいました。日曜日なので、私はひげをそっていなかったのです。私はまさか、サミットストアで知り合いに会うとは思っていないのですね。圧倒的美女に会えても、私のほうが悲惨な姿なのです。

 彼女と少しお話しました。彼女は日曜出勤していて、帰りのようです。たくさんの食料品を買っていました。彼女は、「今度飲みましょう」というので、私は「あっ、鎌倉行こうよ」といいました。私はさらに「ヴィーナスフォートも行こうよ」と言いました。でも彼女は、普通の日は無理だというのですね。日曜祭日がいいというのですが、それは簡単に決められません。
 思えば、近くのどこかの飲み屋ですね。でも、この王子で私のよく行く飲み屋というわけにもいかないから、少し真面目に考えなくちゃ。いえ、もちろんもう考えてありますけれど。

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 私は、今週の8日に鎌倉江の電の極樂寺下車のあじさい寺・成就院へ行ってきました。でももう肝心のあじさいは、すべて刈り取られていました。でも仕方ありません。私の知識が見事どうかしていたのです。
 ここの写真は、成就院の門を出て、由比ヶ浜に向かう路です。ここの両側にいっぱいのあじさいが咲いていたのでしょう。来年こそは、必ず見るようにします。

 それから、以下がここのホームページです。

   http://www5e.biglobe.ne.jp/~jojuin/ 成就院

 それと、以下もまたここのブログです。

   http://taisekian.at.webry.info/ あじさい寺/ウェブリブログ

 来年は、誰とこられるのかなあ?

344b9795.jpg 7月8日に、鎌倉江の電のあじさい寺成就院を尋ねてみたく行ってきました。この画像が、その江の電の極楽寺で降りまして、まず駅前の極楽寺へ行きました。
 門を入08070802って、本堂に向かって歩くところと、08070803振り返って門を見たところを写真に撮りました。人がほとんどいない時間と空間でした。
 もっと昔に来たかったところでしたね。高徳院と光則寺と長谷寺までは来ますが、その先の極楽寺までは来たことがなかったです。

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 しばらく、上杉謙信の短歌を読んでいました。周の詩歌の館「上杉謙信の短歌」を読んで、さらに他の詩歌も探してみました。
 以下は謙信の俳句です。

   月澄まばなおしづかなり秋の海

 謙信という人は、月を見ても、秋の風景にもいつも清いものを見ていたのでしょうね。でも実際に彼が生きた世界は実に嫌なことばかりがありました。この句にもその謙信の思いが見えてきます。

 それで私は、今 周の詩歌の館 をずっと読んでいまして(たいした量ではありませんから)。やっぱり実朝を熱心に考えていました。

 源実朝「短歌」に私は次のように書いています。

     
  ものゝふの矢並つくろふ篭手の上に
   霰たばしる那須の篠原

 この歌もずっと典型的な「万葉調」の歌だといわれてきました。那須の原で軍事訓練している鎌倉武士団、その演習を武士の棟梁たる征夷大将軍実朝が見て、雄々しくこの歌を詠っているというのでしょう。だがよくよく読んでいただきたいのです。実朝の心は、単に、軍事訓練をしている武士たちを冷静にただみているだけなのです。その演習を見ている自分の視線を、もうひとりの実朝が寂しくみているだけなのです。

 やはり鎌倉幕府の中で、実朝はただただ寂しかったと思うのですね。優しいはずの母政子は、優しい母ではなく、頼朝の死後は厳しい政治家なのです。
 叔父の北条義時は、自分のことを歌の好きな貴族のおぼっちゃんとしてか見ていてくれません。自分にも源氏の統領としての鎌倉将軍としての気持が充分にあるのですが、誰もそれを認めてくれるような感じはありません。

 いつも鎌倉を歩いて、私は実朝の気持、実朝の声を聞きたいのですが、一度も私にはその声が聞こえてきません。聞こえてくるのは、見えてくるのは、北条一族の声と姿ばかりです。北鎌倉から歩くと、私には北条時頼の顔姿が思い浮かびますが、実朝の声も姿も偲べません。
 いつも、長谷寺の上から、由比ヶ浜を見て、そこにあるボードセーリングのいくつものセイルを見るときに、同じようにこの海を見ていた実朝のことが思い出されるだけです。
 また少し暖かくなったら、鎌倉を歩いてきます。

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07112302 ナミちゃんのブログで、お台場に行ってきたことが書いてありました。お台場に夜景を見に・・♪〜 です。

久々にお台場に出かけました。
夜景を見よう〜という事で新橋からゆりかもめに乗ってお台場に向かいました。

 私もお台場はとても好きなところです。私は2005年の6月26日に家族4人で行きました。このときのことは以下に書いてあります。

   本日お台場でブームのコンサート

 それから2006年の12月26日には、お台場のヴィーナスフォートへ、私と妻、おはぎとミツ君とで行ってきました。そのことは、プレゼントのダックスフンド に書いています。このUP以降には、このときのヴィーナスフォートの写真をいくつもUPしてあります。「次の記事」をクリックしていくと、この写真が見られます。
 これでもうものすごくここが気に入りまして、翌2007年3月に鎌倉へ行ったときに、こちらのお台場へ行こうかなあ、と迷ったくらいです。

 ああ、思えば、今はもうポコちゃんと行けるんだ。でもまだ小さいから行っても面白さが判らないかなあ。
 ナミちゃんのUPを見て、また真剣にお台場を歩いてみたくなりました。私がまだまだ知らないお台場がいくつもありそうです。

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戦争の日本史 4 (4)

 実に読み応えがありました。私が驚いたのは、この著者が1961年生まれということです。実に私より13歳年下なのですね。そういう年代の方が、こうして、将門について書いてくれていることに、大変な感動の気持になります。

書 名 平将門の乱
著 者 川尻秋生
発行所 吉川弘文館
定 価 2,500円+税
発行日 2007年4月1日第一刷発行
読了日 2007年3月21日

「将門の目指したものエピローグ」には、いくつも納得できることが書かれています。

 天慶の乱は、平安貴族の心の中に爪痕を残し、武力に対抗するには武力しかないという認識を植えつけた。いわば、平和維持のために必要悪としての武力の存在を、貴族たちが認めたのであった。
(中略)
 従来、源平武士団の実践的武力ばかりが強調されてきたが、それは一面にしか過ぎず、将門の乱の鎮圧者としての「辟邪の武」が武士の成立・成長に大きく影響していたのであった。換言すれば、将門の乱に対する貴族のトラウマが武士を誕生させたと言えなくない。

 これは適確な指摘だなあと思いました。
 この将門のあと、250年を経て鎌倉武家政権が生まれるのですが、その長の頼朝は、この将門を自ら武士の先輩だと尊敬していたはずです。私は昔から源家というのは、どうにも好きにはなれないのですが、その中で唯一好きなのは三代将軍実朝です。その実朝は、実にこの将門を敬愛しています。

 元久元年(一二〇四)十一月、将軍源実朝が絵師に命じて、京都で描かせた二〇巻本「将門合戦絵」が完成した。実朝は、その絵巻をとくに気に入っていたという(『吾妻鏡』)。

 このことは、私は鎌倉へ行っても、いつも実朝公に話しかけている内容です。
 実朝も、やはり自分たちが関東の武士たちを自立させることができたという誇りがあったでしょうし、そしてその自分たちの最初は、この平将門公だという思いが強かっただろうと思います。
 これから、もっと新しい将門公像、新しい将門伝説が生まれてくることを私は信じて疑いません。

07031002 昨日3月9日、私は秋葉原から谷中に向かいました。午後5時ごろ夜店通りにつくように急いでいました。私は下駄が買いたかったのです。
 昨年10月13日に鎌倉で下駄を買ってから、もう下駄が実に楽で、これのみで歩くようになっていました。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50801714.html  由比ヶ浜大通りで買った下駄

 それで、このときは、「また鎌倉まで行かないと下駄は買えないのかなあ」なんていう思いでした。だって今住んでいる北区王子でも、私の自宅のある我孫子でも下駄屋さんなんて、どこにもないとしか思えませんでした。
 ただ何かの用があって、谷中の夜店通りを歩いていたときに、「白石履物店」という下駄屋さんを見つけ、私は1月12日に

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50876658.html  下駄を千駄木夜店通りで見つけた

に書きましたように、「ああ、こんないい下駄屋さんがあるんだ」と喜んでいました。
 でも、その後なんどかここを訪れても、いつも店が閉まっています。
 私は私がここの来るのが、いつも飲みに来ることで、早くて午後6時半頃なので、「今度は5時前に来よう」と思い込んでいました。
 それで昨日は午後5時を少し回っていましたが、意気揚々とこの下駄屋さんに急いでいました。でもでも、午後5時5分だったのですが、やはり店が閉まっています。もうこのときの私の消耗感と言ったら、いいようがありません。「一体、いつなら下駄が買えるのかなあ。また鎌倉まで買いにいくかなあ」という思いで、とにかくがっくりきていました。

 それで、いつも飲んでいます「浅野」へ入りました。それで、マスターにこの「下駄屋」さんに入れないから、下駄が買えないということを愚痴りますと、最初は、「じゃ、午前中に来たら」なんて言っていましたが、そのうちに、「じゃ、あそこへ行ってみたら」といいます。団子坂にあり、すぐ歩いていける距離です。
 私はすぐに、「じゃ、ちょっと買ってきますから」とビールもお酒もそのままに、店を出ました。そして数分後次の店に入りました。

   http://www.getaya-net.com/  草履と下駄のひらいや

 いやはや、ここのは実にいい下駄がたくさんあります。いくつもの下駄を見せてくれました。私はもともとださい人間なので、こんなに素敵な下駄を見ても困るだけです。そもそも私は何を買うのにも、ただ一瞬で決めてしまいます。でもこのお店のご主人(奥さまでした。彼女が実際に作っているそうです)はいくつもの下駄を丁寧に説明してくれます。
07031003 それで私が購入しましたのが、ここの画像の下駄です。
 そしてこのお店の名前を聞きましたら、お店の名刺をいただきました。そしてホームページがあることも(名刺にURLが載っていました)、教えてくれました。それで私も名刺をお渡ししまして、私にもホームページがあることをお知らせしました。

 やっぱり、こうして素敵な下駄がたくさんあって、そしてそれを丁寧に作ってくれる方がいるというのは、嬉しいことですね。

 あ、そうだ。この店のホームページは、ここのサイドバーにバナーを置きました。

07030201鎌倉古戦場を歩く

書 名 鎌倉──古戦場を歩く
著 者 奥富敬之
    奥富雅子
発行所 新人物往来社
定 価 2,000円+税
発行日 昭和60年7月5日初版発行
読了日 2007年3月1日

 パソコンを打ちながら、ずっと読んでしまいました。今年もまた鎌倉を歩こうと思っている私ですが、これを読んでいて、私がまだよく知ってはいない鎌倉のことをいくつも思い知らされました。しかし、知れば知るほど、どうしても鎌倉政権と鎌倉武士というのは、暗く生真面目な感じを抱きますね。そしてそれはただただ血に塗られている数々の武士たちの面影を思い浮かべてしまいます。読み終わったのがちょうど、1日の午前1時でした。すぐに眠りましたが、すぐに暗い鎌倉武士の面影で目が醒めました。まだ9分しか経っていませんで、ちょうどそのときにあったケータイメールを読んで、また再び私は眠りに落ちました。
 なんだか、これを読んで、鎌倉へは一人や二人ではなく、もう少し大勢で行くべきだな、なんて思いました。いや、鎌倉武士のすべてが私には怖い感じを抱いてしまうのです。
 私は武士というのが、昔から少しも好きではありませんでした。ただ、鎌倉武士には、江戸時代の武士などとは違うものを感じていて、敬意を抱いていた感じがありましたが、いやはや、その暗さ、その生真面目さには、私はついていけません。
 もう一日経ちまして、また昨日には出来事がいろいろあったわけですが、その日に読み終わっていた鎌倉の姿に、私はまだ怖がる自分の心を感じています。

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 今年は2回鎌倉を歩きました。来年もまた鎌倉を歩きたいです。
 まずは瑞泉寺のあたりを見て大塔宮(そういえば、これを「だいとうのみや」と「おおとうのみや」とどちらで読みますかね?)のあたりを見るのと、もっと東南の九品寺や光明寺のあたりを見るのと、そして由比ヶ浜でボードセーリング(ウィンドサーフィン)の動きを見たいなという思いです。

 それでそんなことを思いだしていたら、きゅうに思い出しました。今からも40年も前の話ですが、1968年の5月最初(か4月終りかもしれない)に、埼玉大学の私の属するサークルで鎌倉へ行ったことがあります。そのときに、私の友人で今は北陸地方の大学の先生になっている友人が、鶴が丘八幡宮のあたりで解散になったあと、「行きたいところがあるから」と独りで、歩いて行ったのですが、そのことが私は気になっていました。でも聴く機会のないまま、今まできたので、「あ、電話して聴いてみよう」と思いました。またこの機会を逃すと、あとまた10年忘れてしまいます。
 でも電話番号が判るかどうかなのですが、どうやら年賀状ソフトのデータに入っていました。それで電話しますと、そんな古い話ですが、「ここかもしれない」と思い出してくれたのが、まず淨智寺です。でも私は淨智寺はよく知っているはずなのに、何故か光明寺と間違えてしまい、「いやあのときの方向にはないだろう」と言ってしまいました。申し訳ありません。それで彼が「あじさい寺だったかもしれないな」といいます。
 なんにしてもその二つに行ったのかもしれないですね。ただし、もう夕方だったから、淨智寺だけだったかもしれないですね。

 それで、こうした電話よりもスカイプを使えれば無料ですからいいので、そう言いますと、彼もスカイプを使っているといいます。同じ大学の同僚が勧めてくれたようです。でもでも、ここで問題なのです。彼は相手からスカイプがかかってくるだけで、自分では自分のスカイプ名を知らないのです。それで自分からかけることもできません。だから私のスカイプ名を教えてもなにもなりません。
 それで、その後買い物に行ったあと、「しかし馬鹿な話だなあ」ということで、彼の名前と姓とかいろいろと組み合わせて検索しましたが、彼のスカイプ名は判りませんでした。
 こうなると、彼が私に自分のスカイプ名を調べて教えてくれることなんだけれど、これまた無理かもしれないなあ。

 なんだか、悔しいことです。スカイプは実に便利で、そして無料だからいいといいましても、こうして簡単なことが判らなくて使えないというのは悔しいですね。

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私がちゃんと書き忘れていたことがあります。
それは メール苦手だから の2 へのコメント に次のように書いた中で、これは少し私には大事なことだから、詳しく書いておこうと思いながら、そのままになっていたことです。

司馬遷が、いかに竹簡にあの膨大な「史記」を書いていったことなのか。屈原の「楚辞」は実はもともと、岩を穿って書かれていたものだということ。司馬遷がこの歴史書を書いたことは、そもそも彼が宮刑にあってしまった事件にあり、それは李陵が匈奴に屈したことが(司馬遷はそれを武帝の前で普通に擁護した。ほぼ李陵のことを彼は知らなかったわけだが)、理由になっている。その李陵と、匈奴によって19年間シベリアに抑留された蘇武が出会って二人で作った詩がいい。「アベラールとエロイーズ」の書簡がどうしていいのか。「十六夜日記」は鎌倉時代に60歳近くの女性が土地の訴訟で、播磨から鎌倉までの旅行記だが、これがなぜいいのか。
あともう一つ話しましたが、ようするに、みな実に大変だったけれど、やり抜いたのです。当時の手段で、懸命に記したのです。

もしももしも、これらの時代にケータイメールがあったら、彼ら彼女たちは、もっとたくさんのものを私たちに残してくれたはずです。だから、こんな便利で楽な手段はもっと使うべきなのです。司馬遷の前で、私は頭が下がるばかりです。

ここで、「あともう一つ話しましたが」というのが、鎌倉時代の青砥左衛門藤綱のことなのです。
この人物のことは

http://www.kcn-net.org/sisekihi/aoto2.htm 鎌倉史跡碑事典 (青砥藤綱邸旧蹟)

に、次のように書いてあります。

碑文
鎌倉執権の美績を談ずる者 概(おおむ)ね先ず時頼 時宗を称す 蓋し(けだし: 恐らく)其の間 両代に歴任せる青砥左衛門尉藤綱が捕益の功に負ふ所のもの 亦(また)必ず少なからざるべきなり 藤綱逸話に富む 嘗(かっ)て夜行きて滑川を過ぎ 誤りて銭十文を水に堕(落)す 乃(すなわ)ち五十文を以て炬(たいまつ)を買ひ水を照らして之を捜れりとの一事 特に最も人口に膾炙(かいしゃ:話題)す 此の地は其の藤綱が居住の旧蹟なりと言ふ

説明
鎌倉の執権の善い行いを言う時、大体まづ北条時頼(ときより)、北条時宗(ときむね)の名前がでます。しかしその間にあって、両執権に仕えた青砥藤綱の業績が大きく貢献していることを忘れてはなりません。藤綱には、逸話が多くあります。ある夜のこと、滑川(なめりがわ)を渡るとき、失敗してお金十文(じゅうもん)を川に落としてしまいました。そこで、五十文でたいまつを買って、水を照らしてお金を探したと言う話は、特に多くの人々が話題にしました。この場所は、その藤綱の屋敷の跡であると伝えられています。
(これは二人の執権のことを将軍と言っているので、それは間違いですので、書き改めました。もちろん、このときも将軍もいますけれど、誰だったか判らないよ)

この碑は、「浄明寺5-2-451の邸宅の南東端で,青砥橋を渡って20メートル進んで右側に建つ」ということですから、私は鎌倉へ行く次回の機会には、この浄明寺付近を歩こうと思っていたのです。

この鎌倉時代の北条時頼、時宗の両執権に使えた青砥左衛門という役人が、夕暮れに滑川に落とした1文(実際は10文)の銅貨を探させるために50文支払ったという逸話です。

このことは私は誰だったか(今その人が浮かぶのですが、2人の著者が浮かびまして、はっきり判りません)の著書で知ったものです。
以下のように言われていました。

後日、この話をきいた人が、「10文を取り返すために50文をつかうとは大損ではないか」と笑うと、藤綱が言うに、「落とした銭をそのまま放置すれば、銭は永久に失われてしまうが、自分の費やした50文は商人のところにあるので、あわせて60文は1文も失われずに天下の財として残っている」。 これを聞いて、 周囲の者はみな感心した。

このことは大事なことです。そしてこの鎌倉時代から、こういう人物がいたのですね。でも今も、「10文を取り返すために50文をつかうとは大損ではないか」と笑う人は大勢いるのじゃないですか。
そしてこのことが今も記録に残っているというのが私は大切なことだと思ったものなのです。

実は、この人物は、河竹黙阿弥の「白浪五人男」(原題が 「青砥稿花紅彩画)にも名前が出てきます。また太宰治の「新釈諸国噺」にも、この話はあります(ただし、話の内容は主旨が違う話になっています)。
思い出せば、河竹黙阿弥は、高校2年のときにすべて作品を読みましたし、太宰治全集は、東大闘争で勾留されていた府中刑務所で、読んでいたものでしたが、この藤綱のことまでは考えが及ばなかったなあ。

とにかく、今度鎌倉へ行きましたときは、この碑文を読んできます。

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 私の 由比ヶ浜大通りで買った下駄まっくまっく のプラムさんからコメントをいただきました。

1. Posted by プラム    2006年10月27日 13:46
周さんが、下駄が無いって騒いでいたので、気にして靴屋さんの前を通ると覗き込んで見るとあります、ありますよ。
人形町駅すぐ側の草履さんには、どっしりした高そうな下駄が並んでいますよ。
春日部でも見かけたよぉ〜。
でも、今回買った下駄は鎌倉でのものだから、履くたびに鎌倉を思い出しませんか。
あ、鎌倉を下駄で歩くのもいいかもしれませんよ。

 ア、そうか、人形町ならあるんだ。ちゃんと見ておけばいいことですね。今住む王子も、私の自宅の我孫子も、下駄を売っている店は思いつきません。
 私が最初に鎌倉に行きましたのは1970年の8月だったと覚えています。私は大学4年生でした。その後大学5年、6年と何度か鎌倉を歩いています。そのときはすべて下駄を履いていましたよ。
 私は京都の街も、沖縄の街もすべて下駄を履いて歩いていました。鹿児島に行ったときに、私の中学時代の友人たちが、「あ、今も下駄履いて、歩いているんだ」と驚いていたものです。あれは1974年の5月のことでしたね。

 これからあちこちを下駄で歩くつもりでしたが、例えば、今住んでいる王子のマンションなんか、下駄で歩くと、廊下での音が気になるのですね。

 それとやはり、着物で歩くことだよなあ。私は大学5、6年の頃は結構着物姿で歩いていたのですが、もうそういうこともなくなってしまいましたね。第一、今はノートパソコンをいつも背負って歩いているじゃないですか。あれを着物ではどうするかというのが問題です。いえ、実は創作着物を作っている方に相談したことがあるのですがね。
 彼女考え込んでいたなあ。
 私はね、着物でも似合うリュックサックを作ってほしいのですね。

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 13日の鎌倉です。小町通から鎌倉駅北口に向かう前に、「田竈」という店に入りました。
 写真はそこで買いました盃です。ぐいのみかな。なんだかとっても気に入りましたお店でした。小さなお店でしたが、私は好きになりました。売っている女性がとても綺麗な方で、「綺麗な方ですね」と声をかけてしまいました。
 ここのものもたくさん素敵なものが多かったのです。普段家で使いたい食器がいくつもありました。ここに、食器を買う目的だけで、また来てもいいなあ。鎌倉駅のすぐ近くですし。
 ただ、このお店はホームページがないのね。ないと寂しいですね。もうホームページがあるのは当たり前のことになってきていると思うのですが。

 実はこの盃で、昨夜酒を飲みました。飲んだのは、石川県の「手取川『吉田蔵』」というお酒です。手取川は上杉謙信が、織田信長軍を撃破した戦いのあったところです。このお酒は、王子駅北口すぐ近くの「藤や」という酒屋さんで買いました。私がこのごろいつもお酒を買っているところです。
 美味しいお酒ですが、盃もいいと、実にいい時間を過ごせました。

    鎌倉は、また行きたいです。今度はまた別なコースを考えています。

9b1e6be8.JPGいつも見てきましたが、今回のが大変に思います。さすが田辺聖子ですね。写真がそのドラマのシーンです。

 いえ、私は田辺聖子が好きなのですね。先日鎌倉に行きましたときに、吉屋信子邸には行けなかったのですが、そのときに、吉屋信子を田辺聖子と比較して、よくよく考えました。

  私は田辺聖子の小説は大好きです。

  あ、この朝のドラマのホームページです。

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 私が毎日書いております

   http://blog.livedoor.jp/kiku551/archives/cat_10004624.html  ニュースきくち

で見つけたサイトがここでした。

   http://smalloffice-club.ddo.jp/  ちっちゃな工務店・リフォーム店クラブ

 どうやら、私よりも年上の方のようですが、かなりな量のものを日々アップされています。なんだか、読んでおりまして、かなり親近感を抱いてしまいました。
 とくに、ブログで光明寺に行かれたときのことを読んでいまして、はるかな昔この光明寺を訪れたことを思いだし、「あ、ここにも行かなくちゃ」と、今月末くらいに、鎌倉行きを考えている私は決意したものでした(もっとも次回はもう別なことろを考えているので、またさらにその次の機会ですね)。
 私よりも年上の方がこんなに元気でインターネット上で、さまざまな思いを露出されていることに、私は大変に感激しております。

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079b9f8e.JPGかなり降っています。でも涼しくなりました。この涼しさなら、また鎌倉を歩こうかな。

 写真は8月17日の湯西川温泉駅です。エレベーターでなく歩くと、この路になります。前を歩くのは次女ブルータスです。

 

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