将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:鎌倉武士団

11062404 寿永元年(1182)8月12日〜元久元年(1204)7月18日の生涯でした。
『修善寺物語』を読んで、いつも私は母親の北条政子を思うのですが、今回は実際に殺された源頼家を思いました。
 7年前に家族4人で修善寺に行ったときに、源頼家の墓の塔に登って私がお参りをしたところ、娘二人が、「パパ何してきたの?」というので、「頼家に『もうお母さんのことを許してあげてね』と言ってきたよ」というと、そのあとに二人の娘も塔を登り、祈りに行ってくれたものでした。
 思えば、この長男を亡くしたときには、政子は「父親に似ないふがいない息子だ。だから仕方ない」と思ったことでしょう。でも私には、頼家は父親の頼朝に実に似ていたのではないかと思いますよ。似ていたとしても、鎌倉武士団は、この頼家を実に憎んだと思いますね。いや、頼朝は実は関東の武士団、鎌倉武士団を恐れてもいました。だが、そんな思いは源頼家にはありませんでした。自分は生まれたときから将軍になる予定なのです。
 でも政子の悲しみは、そのあと実朝も亡くしてしまったことです。実朝の側近の源仲章に、「実朝様の歌だ」といくつもの歌を教えられても、その歌よりも、ただただ夫頼朝の作った幕府こそが大事だと思ったことでしょうね。
 鎌倉武士団からは、実に父頼朝には似ない貴族としての憎むべき存在でしかなかった頼家です。そして母からも捨てられてしまいました。ただそれは将軍の妻としての政子です。彼女には、母親としての腕に抱いた頼家の姿を思い浮かべないことはなかったことだと思うのです。
 修善寺に行くと、いつも源頼家とそのお母さん北条政子を思い浮かべます。もちろん、実朝の歌もいくつも思い出しています。(2011.06.25)

11042909 もうこうして4月も終わりになります。

2011/04/30 07:02いつもブログに5つの書込をしたあと、ツイッターをやっているのですが、今日は、そのツイッターをやる書き込みが(私は何でもまず、エディタで文章を書いてから、改めてUPします)、なぜか少し消えたりして、それでまたエディタで書いたものです。なんでかなあ?
 今パソコンは再起動しています。それにIS01でツイッターを書きます。でもIS01のツイッターがなかなか立ち上がりません。困ったなあ。まだ駄目です。何故かなあ?
2011/04/30 07:26何故かIS01がうまくインターネットができません。困ったなあ。パソコンでもやってみないとならないなあ。IS01のツイッターも今も立ち上がりません。今はリビングにいますので、パソコンは自分の部屋に行きますので、少し面倒です。
 いや考えてみれば、ノートがあるのですが、ノートもちゃんとやるべきだなあ。今日やってみましょう。
2011/04/30 07:44ああ、また電池も替えないとなりませんね。
 今回の地震は嫌な悲しい事態でしたが、これで元気にがんばるたくさんの方々を見られることは嬉しいことです。
2011/04/30 18:30どうしても朝早い時間のみに書いているので、どうしてもその他の時間に書くことが圧倒的に多くなってしまいます。
2011/04/30 18:53今IS01で私のサイトから「お家で鎌倉」を見ていました。ここのmamatarouさんの頼朝に関することを読みました。うーん、私はどうしても頼朝は好きになれないのですね。私はなんといいましても実朝が昔から好きでした。彼の歌を詠むと、どうしても涙が出てくる思いです。
 ただし、私は鎌倉が好きで、よく歩きますが、でも残念なことに実朝を感じることができないのですね。いつも頼朝とその後に大きく存在する鎌倉武士団を感じていまします。もっと鎌倉を歩いて、実朝を感じたいものです。
 だから私はいつも鶴ヶ丘八幡宮を詣でていません。
 昔家族4人で修善寺に行ったときに、政子をより感じることができました。でもあそこでは頼家のことは感じるのですが、実朝は私の前に出てきてくれないのですね。
 もう少し実朝の歌を何度も詠んでいきましょう。
 私の電子辞書ではかなり百人一歌の実朝の歌は聞いているのですがね。
2011/04/30 19:22今回の地震で陸前高田市で行方不明者の捜索を終えるというニュースを今聞きまして、また涙が出てしまいます。

 地震への思いで、もうずっとすごした4月でした。

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 周の雑読備忘録「『金太郎』」へのコメント へさらの目森一喜さんから次のコメントをもらいました。

1. Posted by 目森一喜    2009年04月10日 13:41
 ああ、実にいい加減な事を書いてしまいました。教えてくだすってありがとうございます。
 すっかり忘れてるんで、平家物語、もう一度、読もうかなどと思いました。

 ええと、私はけっこう子どものときに(小学校4年くらいかなあ?)、子ども向けの「平家物語」や「源平盛衰記」を読んでいるのですね。それで、私は源家の頼朝、義経なんて少しも好きになれませんでしたが、平家にも少しも親しみを覚えませんでした。
 私が好きになれたのは、頼朝の下にいる鎌倉武士団でした。ただし、すごく真面目で、暗い感じをこの鎌倉武士団には感じたものでした。思えば、私はその頃から鎌倉武士団の、もともとの平将門を中心とする関東の集団が好きだったように思えます。
 源三位頼政という人は典型的な畿内の清和源氏の武家だったように思えますね。
 私は鎌倉を歩くのが好きですが、あそこでもいつも頼朝のことは考えませんね。ただ実朝のことはいつも思い浮かべています。
 私はこのところ毎日、電子辞書で、「百人一首」を実際に音で聞いているのですが、実朝のこの歌

   世の中は常にもがもな渚こぐ
    あまの小舟(をぶね)の綱手(つなで)かなしも

を毎日一回は聞くようにしています。実朝の気持がずっと判るようになってきた思いです。

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07050401北条義時

書 名 北条義時
著 者 安田元久
発行所 吉川弘文館・人物叢書
定 価 1,500円
発行日 昭和36年12月25日第一版第一刷発行
読了日 2007年5月4日

 私はこの北条義時を思うとき、いつも石橋山合戦において兄宗時が戦死してしまったときのことを考えてしまうのです。おそらく頼朝とともに大庭景親軍と相対していたときに、兄とは違った貌を見せていたのが、この義時ではないのかなあ、と思うわけです。兄はあくまでこの源氏の御曹司のためにこそ死んでも仕方がないと思っていたでしょうが、義時は、この頼朝を立てるのは、あくまで自分たち北条、ひいては鎌倉武士団のためだと思っていたのではないかなあ、と。義時には、源家とはあくまで自分たちの上に置いておく象徴としての貴種でしかないのだと判断できていたのではないでしょうか。
 それにしても、義時には、三代将軍実朝とは判りにくい存在だったでしょうね。ただし、この本には実朝のことはほぼ何も出てきません。義時には実朝のいつも書きとめている短歌は、その意味は、さっぱり判らなかったろうなあ。おそらく貴族のお坊っちゃんのやることだとしか思わなかったことでしょう。それがさらには、唐船を作って宋にまで渡ろうという。「なんでもご勝手にどうぞ。だけどあなたは将軍だよ」という気持だったでしょうね。
 だけど、このときは、私には実朝の気持のほうが、実朝の寂しい気持のほうにこそに引きつけられます。(私の実朝の短歌への思いは、以下に書いています。

   http://shomon.net/kansi/siika4.htm#sanetomo  源実朝「短歌」)

 ただ、この本で最後に彼の家庭のことを、次のように書いています。

 彼は北条一門の中でも最も幸福な家庭をもち得た一人であろう。

 思えば、この義時がいわばこの執権政治を始めたからこそ、北条一族には、たくさんの家ができ、それぞれが競合し強く連合するようにして、この鎌倉幕府を維持していけたのかなあ、と思いました。

鎌倉武士―合戦と陰謀

書 名 鎌倉武士───合戦と陰謀
著 者 奥富敬之
発行所 人物往来社
定 価 2,000円+税
発行日 昭和61年5月20日初版発行
読了日 2007年2月15日

 これは鎌倉時代だけではなく、南北朝時代のことを書いてあります。思えば鎌倉武士というのは、北条政権を支えたばかりではなく、それを滅ぼしたのもまた鎌倉武士団だったということなのでしょうか。

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