将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:長女おはぎ

12041602 私の友人のプラムさんがコメントをくれました。あとで、レスを書きます。

2012/04/16 06:32今やっとリビングに来ました。1階にゴミを出して来ました。いやいくつもやることがあるものです。
 プラムさんが私のブログにコメントをくれました。彼女とは鎌倉には一緒に2度行っているのです。最初は北鎌倉から、源氏山を越えて、鎌倉まで歩き、二度目は鎌倉から歩いたものです。もう東京駅で待ち合わせて行ったものです。三度目は、都電で三ノ輪から早稲田まで行ったものでした。
2012/04/16 07:53もうすぐ「梅ちゃん先生」です。そういえば、この時間はいつもIS01とポメラの電池を替えている気がします。
 上に書きましたプラムさんへもレスを書きますが、あとお二人へのレスもあるのです。それにまた別な方のお手紙にも返事を書こうかなあ。
2012/04/16 08:04ちゃんと私もいくつものことをやりまいのです。梅ちゃんも頑張ってやっていってほしいな。
 今日の梅ちゃんを見ていて、私の二人の娘を思いました。私は長女おはぎの東京都の合格発表を見に行ったものです。次女ブルータスのことでも、いくつもの思い出があります。もうたくさんのことが甦ります。
2012/04/16 09:52もういくつものこと、電話したりいろいろです。さあ、ちい散歩ですね。
 今はちいさんは、世田谷区梅が丘を歩かれています。私もここにも行きましたね。朝我孫子から行きましたが、あまりに早くついたので、喫茶店で時間を過ごしたものです。ここには2回訪れました。いや3回かなあ。
 そのお相手が六本木ヒルズに引っ越しされて、そこは2回行きました。いやそのお相手とは、秋葉原も歩いたものでしたね。いくつもの思い出があります。
「ちい散歩」を見ていて、いつもちいさんはお菓子も実に美味しそうに食べられますね。私は甘いものは決して食べないのですが、この頃はその考え姿勢を改めようかなあ、と思うのですが、でもまったく私はだめです。
 考えを、姿勢を改めるべきだよなあ。ちいさんはすごいです。立派です。

 私もちいさんのように、お菓子も食べて行きます。

11122710 私の長女おはぎが、きょうで教育実習が終わりです。だから、生徒一人ひとりに渡すものを書いていました。一人ひとりの似顔絵を描いて、そして細かく何かを書いていました。
 私も自分の教育実習のときのことを思い出しました。
 そんな思い出をおはぎのホームページの掲示板に書いておきました。今では、懐かしくて、つらいような哀しいような思い出になっております。(06月17日 7時21分)

1111232711112328 2011年11月23日に、私の長女おはぎの長男ポコ汰5歳(歳はまだ4歳ですが)、長女ポニョ3歳(もう満3歳でもあります)の七五三のお祝いでした。
 上中里の北口の平塚神社でそのお祝いと神様(ここは源義家様が祭神です)にご挨拶をしました。
 ここの祭壇で二人は神妙になって、神主さんのお払いを受けていました。
 次男のポポは1歳で、まだ分からないのですが、なにか神様の前でなにかしているというのは伝わったと思います。
 そのあと、ポコ汰とポニョは二人とも素敵なスーツ姿にもなりました。
 今度は、ポニョ7歳とポポ5歳のときの七五三です。

 私の長女おはぎの勤める荒川区立A小学校の展覧会が現在(今日まで)開催されています。この小学校のホームページが以下です。

    ○○○○○○○○○○○○○○

11111106

 おはぎはここで、図工の教員をやっています。
 私も前にここに行ったことがあったなと思って、インターネットで「荒川区立A小学校 将門Web」と入れて検索しますと、以下が出てきました。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50225276.html
   2005年11月06日昨日はたくさんのことがありました

 もうあれは6年も昔のことなんですね。今日は、私の妻と長女家族5人の計7人で行きます。朝10時には到着しています。
 ポコ汰は少し風邪気味なので、プールへは行かないことになりました。

11092502 私はどうしても村上春樹の小説が読み込めませんでした。私の長女おはぎはどうしてか春樹が好きで、けっこう読んでいます。そして私にも勧めてきます。もう何冊も渡されてしまいました。

 おはぎ「パパ!、村上春樹、読まなきゃだめだよ
 私「俺、あんまし好きじゃないんだよな
 おはぎ「読んでいなくて分かるの?
 私「いや、なんか読んだよ
 おはぎ「何読んだの?
 私「ええと、ええと、何だっけな……
 私「それでさあ、村上春樹と村上龍の違いはよく分かるんだよ。
  龍は表現が直接的だろう。春樹はさぁ……

 おはぎ「読みもしないで、あんたは何で勝手なことを言えるの。
    まず、これから読みなさい

と渡されたのが、文庫本の「ノルウェイの森」。

 私「これさぁ、恥ずかしいんだよ。最初赤と緑の表紙の単行本で
  売っていたんだよな。これ恋愛小説だろ。恥ずかしいんだよ

 おはぎ「恋愛小説ってわけじゃないよ。でもじゃ、これ読みなさ
    い

と言われたのが次の小説でした。

書名  ダンス・ダンス・ダンス
著者  村上春樹
発行所 講談社文庫
価格  上下各580円
1997年12月15日発行

 これまた最初は少しもページが進みません。おはぎに「どこまで読んだ?」と聞かれてばかりいました。それでどうやら苦労して読んでいたのですが、羊男が出てきたときから、突如面白くなってきました。おはぎに「羊男って、何なの?」と聞いて、それからその晩一気に最後まで読んでしまいました。こりゃ、他の作品も積極的に読んでみようかなと思ってきました。
 私には村上龍、村上春樹、吉本ばななの三人が、この現在を象徴している存在に思えます。そして三人の表現はかなり違っています。もう思いきって言ってしまえば、龍はそのまま対象を描いていきます。春樹はその対象からこちらがどう見えるのかを描いています。そしてばななは、その両方があります。両方というか、対象が自分を見る視線を自分の側から見ているというような視線があります。
 でもなんだか簡単にはいいきれないですね。
 羊男のことをもっと知ってきたいな。知っていくということは、ああした表現に耐えないといけないということですね。私しゃ、「喩体」っていうのはよくわからねえんですね。
 でも、これでおはぎといろいろと会話していけます。

「ノルウェイの森」に関しては、私はこんなこともおはぎにいいました。

  あのさ、この「ノルウェイの森」をもしも、もしもだよ、電車
 の中で読んでいて、後ろから殴られたとしたら、パパはもう、殴っ
 た奴を怒らないで、すぐに「ごめんなさい!」って、謝っちゃう
 ね。読んでる俺がいけないんだよ。

とはいえ、もう読まないとならないという気になってきました。こっそり読んで行きますよ。それで、そのうち春樹ファンの若い女性たちとも、堂々と論争してしまおうと考えています。おはぎの友だちには春樹を読んでいるという人が多いらしいのです。
 前なら平気でいえたのですが、

  何が、春樹だ。俺が好きなのは幸田露半と徳富蘆花だ。どうだ
 ざまあみろ。

などという啖呵が、若い女の子には切れなくなってきましたね。
 そういえば、私しゃ、村上龍も嫌いです。何が「愛と幻想のファシズム」だ、なんて思ってしまうのですね。
 でもだんだんと転向していきましょう。(1997.04.03)

11071811   Monday, August 12, 2002 6:01 PM
「ホームページの感想」
前略 青森は7日から雨でとても涼しく分けてあげたい位です。gooで、「水泳」を検索しておりましたら、700番目くらいに「おはぎ」さんのHPにブチ当たりました。リンクに「自分のHPができたのも父のお蔭」とありました。HPに挑戦しようかと思っている私としてははて、どんなHPかとつい、助平ごころを抱いて開いてしまいました。「TOP」と「プロフィール」だけを覗いたのですが、ニヤニヤしてしまいました。本人は兎に角、よいご家族に囲まれてこれほどの幸せはないですネ。羨ましい生き方だと思いました。
 何で「おはぎ」さんのHPを開いたのでしょう。私の潜在的感覚が働いたとしか言いようがありません。甘いものが大好きなのです。下戸です。1940年生まれ、8人兄姉妹の私は貴方とは全く対照的な生き方の男です。小心翼々と教員務めを終え、今、年金生活。まぁ、それほどの友人もなく、お客様を自宅へ呼ぶこともありません。鍛冶屋を父から受け継ぎ、絵を描き、音楽の好きな兄とは大違い。まぁ、それが私には合っているのですが、破天荒な貴方のHPにはこれからも伺いたいと思っております。(「なんで将門なんだろー」)
 最後に自分のことを。水泳を始めて一年。とても面白〜い。
          K.S.

   Tuesday, August 13, 2002 2:51 PM
「Re: ホームページの感想」
 メールをありがとうございます。
 私たち4人家族で、群馬県の温泉に行ってきましたところで、ちょうど自宅に帰りまして、パソコンを起動しましたところ、このメールを受取ました。家族旅行でとても愉しくて、嬉しい気持のところへ、また嬉しいメールをいただきました。
 長女おはぎのホームページが検索エンジンで700番くらいといいますのによく見ていただきましたね。ただ、おはぎのホームページは今どうしようなく更新ができていません。もうおはぎは東京都の小学校の教員の2年目なのですが、ただそれだけで、ホームページのほうまで手がまわらないようです。
 でも、この家族旅行のときに、私の常時持っておりますノートパソコンで、私のサイトの中の

  周の家族・教育の話

を旅館で夜に全部読みまして、また「自分のホームページもやっぱり更新していこう」と思ったようです。
 次女のブルータスのほうは、けっこうホームページの更新を続けています。
 私の家族で3人は、みな甘いもの好きですが、私のみは酒飲みです。いえ、家族だけでなく、親族の中でも、私のみ酒飲みの異端児です。なんとか娘たちにも少しくらいの酒飲みになってほしいと思いましたが、駄目ですね。ただ、ときどき娘の東京の部屋へ行って、「じゃ、飯食いにいくか」と言って、結局飲んでいますと(娘二人はほんのわずかしか飲みませんが)、私はとても幸せです。
 私のサイトは、いろいろなことをガラクタのように並べております。ただ、中身はほぼ同じようなものですね。そして、その私の生き方、考え方の象徴として、私は平将門公が好きなのです。
 またおいでください。そして何か気がつかれたことがありましたなら、メールください。またいくつかあります掲示板へも書込みください。
 メールをありがとうございました。萩原周二
(第105号 2002.08.19)

 長女おはぎこと久仁子は4月29日ミツタカ君と結婚しました。会場は、浦安の舞浜のホテルオークラ東京ベイの中庭でした。

   ホテルオークラ東京ベイ

 ここで午前10時から結婚式で、11時から披露宴、午後4時半から披露宴というスケジュールでした。妻は前日から、妻の両親とホテルに泊まっており、私は午前8時半までに、衣装室に来てくれということだったのですが、少々遅れまして、みなをあわてさせました。ホテルの係の女性がとても心配したようです。11070114




式の始まる前の控室での私たち家族4人
 午前9時25分から親族紹介。そしてそのあと写真撮影です。私はそこでデジカメで私が撮ろうとして、プロに止められました。そして10時から結婚式です。
 二人の結婚した姿を見て、私はとても嬉しく感動しました。11070115




ヴァージンロードを歩く直前の2人

誓いの言葉をを交わし、結婚指輪を交わして、私たちのほうをむいた二人

ケーキへの入刀です。今は本物のケーキなんですね。美味しいケーキだったようです。でも私はケーキは食べません。
 この4月29日は、私たち夫婦が26年前(昭和53、1978年の天皇誕生日)に結婚式を挙げた同じ日です。また久仁子が披露宴でお色直しのあとに来た赤いドレスは、同じく私の妻が26年前にお色直しのあと着た同じドレスです。

お色直しのあと入場してきた二人。ちなみに新郎はお酒で顔が赤い。

 いい結婚式でした。もうそれは私も妻も同じことを言い合いました。そして出席してくれた方みなさんから言われた言葉でもあります。
 また前日まで寒い曇の天気だったのですが、この日は暖かく空は澄み渡りました。東京ベイの石畳のコートヤードでのガーデンウェディングは、野外ですから、家族親族友人たちだけではなく、このホテルを訪れた他の方々も見ていてくれます。本当に、空も空気もホテルも、そして誰もかもが二人を祝福してくれていました。私はただただ嬉しかったです。

 私はおはぎが結婚すると聞いたときから、もうものすごく嬉しかったのです。相手のミツタカ君とは何度か会っていまして、とても優しい素晴らしい男性であることは充分判っていました。また彼のご両親も、そして彼の母方のお祖母ちゃんも、

  ああ、この方たちなら、おはぎをちゃんと可愛がっていただけ
  るな

と確信できたものでした。だから私はただただ嬉しかったのです。
 私はよくこんなことを言われてきました。

  やっぱり新婦の父親というのは寂しいのじゃないですか。
  本心では、お嫁なんかにはやりたくないでしょう。
  本当は、新郎のことなんか殴りたいくらいでしょう。

 でもでも、私は「何を言っているんだろう」という思いばかりでした。私はただただ、自分の娘が、いい人と結婚できるということが嬉しかったのです。もうその思いばかりでした。

 そして、私にはもう一つ重大な関心事があったのです。私はこの長女の結婚式の披露宴では、私の詩吟にて入場行進をやりたかったのです。それには、七言律詩のおめでたい詩を詠おうと考えていました。そして、お色直しの入場では、少々時間がかかりますから、

  広瀬武夫「正気歌」

を絶対にやる気でした。
 ところが、おはぎは絶対にこれを認めようとしません。私はなんとかホテル側との打ち合せで、ホテル側の「それは珍しいですが、いいですね」というような言動を引き出して貫徹しようと思っていましたが、それはおはぎが絶対にやらせません。次女ブルータスも

  ここでパパに許してしまうと、私のときにも絶対にやることに
  なるから絶対に阻止しよう!

と姉と強力に共闘しています。妻は「本人(おはぎ)のやりたいように」というばかりです。
 しかし私は、絶対におはぎの結婚式でも詩吟を披露したいのです。私の一番大好きな長女の生涯の大事な思い出に、私が詠わないのは、あまりに長女が不憫です。
 しかし、ここまで絶対破れないような包囲網があると、「困ったな、どう突破しようか」と考えました。もう入場行進のときと、お色直しのときは無理だなとあきらめまして、違うチャンスを考えました。それが、披露宴最後の父親の挨拶なのです。前には、新郎の父親のみが「謝辞」を述べるということで終わりだったようですが、今は新婦の父親も挨拶するのが普通のようです。
 ただ、ここでの問題は、私の涙なのです。ミツタカ君のお父さんは、大変に感激する方のようです。このお父さんが泣きますと、必ず私に伝染します。かつ私の泣き方というのは、非常に大泣きになりますので、これでは困るのです。私は、そこで私はお父さんにいいました。

  お父さん、泣かないでくださいよ。お父さんが泣くと、私に伝
  染(うつり)ますからね。私も大泣きする質なのです。

 ミツタカ君のお父さん、ごめんなさい。お父さんは、式でも披露宴でも、あちこちで涙を流されていましたね。私も異常なほどの泣き虫なのですが、でも私はこうした全然違う思いがあったのです。
 私は当初、私の一番好きな

  黒澤忠三郎「絶命詩」

をやるつもりでした。でも

  結婚式に、「命を絶つ」詩というのもどうかな

と思いまして、

   それなら、別れの詩ということで、みんなが知っているだろ
    う「陽関三畳」にするか

というしたものなのです。こう決めましたのは、式の前日のことでした。

 さて、いよいよおはぎのお礼の言葉です。
 おはぎが私たち夫婦に以下の言葉を読んでくれました。

お父さん、お母さんへ

 今まで本当にありがとうございました。26年前の今日、お父さんとお母さんが結婚した日に私も式を挙げることができて、本当に幸せです。
 夏にお母さんが入院した時、家族の大切さを改めて知りました。胸に穴が空いたように悲しかったし、自分が病気になればよかったと本気で思った。お父さんも佐世子も不安でいっぱいだったと思います。家族もみんな一緒だからこそ楽しいし、幸せなのだと思いました。今お母さんが元気になってくれて、私は本当にうれしい!
 その大好きな萩原家から、私はお嫁に行くことを決めました。それは悲しいことだし、寂しいことでもあります。でも、ミツタカという人は私にとって家族と同じように、とても大切な人です。いなくなられたら本当に困ってしまう。病気になったり、怪我をしたりしても、やっぱり「自分がかわりになればよかった」と思える人だと思います。だから、大好きな家族を、ミツタカさんとつくりたいのです。
 そして大好きな人の大好きな家族が、私のお父さん、お母さん、お兄ちゃんになってくれることが本当にうれしい。それはミツタカさんも同じです。お父さん、お母さんの息子になるんだね。大切で大好きな人たちが増えることは、本当に幸せなことです。
 夏、慈恵大病院で「新生児」を見ました。今日生まれた何時間か前にこの世に生まれた赤ちゃんを見ると「自分もあんな小さな命だったのだなあ」と思いました。「萩原加壽子さんの赤ちゃん」として生まれてきて「久仁子」という名前をもらって、お母さんのお乳を飲み、おじいちゃん・おばあちゃんに抱っこしてもらい、おばちゃんにあやしてもらい、お父さんにお風呂に入れてもらって、ビービー泣いてはみんなを困らせて、それで、みんなに愛されて、かわいがられて、育てられたのだと。悩んだり、つらいときも、いつでもかわらず私のそばにはたくさんの人がいてくれました。周りの人に愛されて、支えられて今の私はいます。そのことを忘れずに感謝の気持をもち、これからも生きていこうと思います。
 これから先も、お父さん・お母さんにはたくさん迷惑をかけると思う。常識がチンプンカンプンな私に「くにこはだめだなぁー」って言われるだろうし、私の食事が心配でおかずを何品か持たせてくれるかもしれない。
 でも嫌がらず迷惑をかけられてください。そしてお父さん、お母さんも遠慮せず私に迷惑をかけてください。苗字は変るけれど、私はお父さん・お母さんの娘です。ずっと娘です。これからもよろしくお願い致します。
 そしてなにより、病気や怪我に気をつけて、1分、1秒でも、多く、長生きしてほしいと思います。4.29 おはぎ

 私はこの言葉に感激しました。
 そして、おはぎは妻に花束をくれました。新郎のミツタカ君も自分の母親に花束を送りました。そして二人は、両方の父親には、ひまわりの花(おはぎは向日葵の花が大好きなのです。ひまわりの花の絵を描いていたことがあります)を一輪胸のポケットに差してくれました。
 私は「おッ、俺にも花くれるんだ、この花は何かな、醤油つければ食えるのかな」と思って、花びらを口に入れてみました。11070116

今こうして見ますと、ミツタカ君のお父さんは泣いていますね。でも私のために静かに涙を流しています。私はちょうど、花びらを口に入れようとする寸前です。「これって、つまみになるのかな?」
 私は「なんだ、これはいいつまみになならねえな」という思いで、そして光隆君の父親の挨拶があり、次が私の挨拶です。
 私は、何の挨拶も抜きに、次の詩を詠いました。

  王維「送元二使安西」

 私の別れの詩(うた)でした。私はこの詩を吟(うた)いながら、私は長女おはぎとの別れを思いました。
 
   元二の安西に使いするを送る
          王維
  渭城の朝雨 軽塵を邑す
  客舎青青 柳色新たなり
  君に勧む更に尽くせよ 一杯の酒
  西陽関を出れば 故人なからん
  なからんなからん 故人なからん
  西のかた陽関を出れば 故人なからん

 おはぎが生まれたときからのたくさんの思い出を思い浮かべ、そしてこの日、別れになってしまうことを思いました。(以上 2004.05.03)

 この披露宴は午前11時から午後1時30分まででした。ミツタカ君の小学校時代の担任の先生が挨拶してくれまして、久仁子の勤める学校の校長先生が挨拶してくれました。小学校時代の担任だった先生が、こうして結婚式で挨拶されるというのは、私には初めての経験です。ミツタカ君の小学生時代の友人たちが、多数参加してくれたのですが、この担任の女性の先生がいい思い出を作ってくれていたのでしょうね。
 ブルータスも、「私もいつか大人になった子どもたちが、結婚式によんでくれるような先生になれるかな?」なんて言っていました。

 このあと、新郎新婦の紹介を、それぞれのお兄ちゃんと妹が紹介してくれました。
 そのブルータスの姉の紹介が以下の内容でした。ブルータスは、紙芝居で、この紹介をしました。実は、前日の夜からこの紙芝居を作っていたものでした。だから、私がこの紙芝居を最初に見たものなのです。
  さて紙芝居の開始です

11070101 私は新婦の妹、ブルータスです。姉を紹介いたします。



1.昭和56年11月29日の出来事です。姉は3歳、妹の私は1歳のときでした。11070102
 
 妹のさよこが焼きそばをたたみに「ぽいぽい」捨てていました。

2.それを見た 母
11070103 
 「コラッ!」とギュッとさよこの手をつまみました。


3.それを見た くにこ 
11070104
 「ママ! ちがうでしょう! おててはペンするのでしょう!」と抗議!

4.「さよちゃん 泣かないのよ はい、これあげるからね」
11070105
 
 と自分のやきそばを分けてあげていました。


 このように、小さい頃は私が母に叱られると、姉はよくかばってくれたそうです。そんなやさしい姉を、私はよく追い掛け回して泣かせていたのでした。
 私は姉に影響され、同じ大学に行き、小学校教員という同じ職業につきました。姉は東京都文京区の小学校の図工の先生として、毎日たくさんの子どもたちとともにがんばっています。二人で仕事についていろいろなことをよく話し合います。姉の仕事ぶりを聞いては、「私も頑張ろう」と励まされる毎日です。
 姉の良いところは、とてもやさしく、人のことを自分のことのように考えられるところです。人を思っては、一緒に笑ったり泣いたりできる人です。そして、自分の考えをしっかりと持ち、表現できる人です。少々のんびりやで、方向音痴、整理整頓が苦手なところはありますが、優しさ、誠実さというのは私が太鼓判を押します。そんな、私の自慢の姉、大好きなおねえちゃん、久仁子です。

 私の兄の詩吟(私の弟が尺八の伴奏)がありまして(兄が私たち詩吟の流派の宗家ですからね)、そのあとミツタカ君の職場の同僚3人が、ヒップポップダンスを披露してくれました。この3人はプロとしていつも踊っているのですが、まだ踊りだけでやっていくわけにはいかず、アルバイトでビル掃除の仕事をしているということでした。その仕事での作業服を身につけて、デッキブラシを手にもっての踊りでした。披露会場といういわば踊りにくい場で、この彼らのパーフォーマンスは実に力強くで、格好よかったです。

 その他たくさんの方々に挨拶いただき、かつ祝電もたくさんいただきました。中でも、私は私の義理の父のスピーチが一番印象に残りました。
 義父は、私の亡き父のこと(父の名は久二といい、長女の久仁子という名前は、その父の名前から、義理の父親がつけてくれたものなのです)を述べてくれまして、かつ私の母のことを説明してくれました。
 私の母は現在86歳で、もうかなりボケてしまいました。おはぎは、このお祖母ちゃんのことが大好きなんです。それで、お祖母ちゃんの元気なうちに結婚したいと思ったのが、彼女の今回の結婚式だったのです。でももう私の母は、結婚式に出られるような具合ではありません。それで、私の兄夫婦も、弟夫婦も、私たち夫婦も、母を老人ホームに入れようかと考え、具体的に検討しました。
 ところが、おはぎがそのことを知ると、お祖母ちゃんに会いに行ったあと、私に強烈な抗議の電話をしてきました。おはぎは泣きながら、怒っていました。「何故息子が3人もいるのに、お祖母ちゃんの面倒が見られないのだ?」というのです。
 そして、私たち息子ができないのだから、おはぎ自身が、結婚もやめ、教員も辞めて、「私がお祖母ちゃんの面倒を見る」というのです。もうこの主張が強力だったために、もう私も妻もは困り果てました。おはぎは言ったことを本当にやってしまう子なんです。
 でも、なんとか妻や義姉が話してくれまして、おはぎはそういう事態にはなりませんでした。そして私の母は、今も兄の家にいて、日によって介護ホームのお世話になり、また兄の自宅へ帰ってくる生活をしています。母のところには、弟夫婦、おはぎ、ブルータス、私の妻とみなよく顔を見せています。あまり真面目に行かないのは私くらいかな。私は行っても、ビール飲んで、ノートパソコンを開いているだけです。

 そして、この披露宴の最後に、前に書きましたように、おはぎからの私たち父母への言葉がありまして、そしてそして突如私の詩吟がありまして、そしてお開きになりました。もっとも、その前後、もういろいな方とお話したり、写真撮ったりしまして、いろいろと忙しかったものでした。

 その後午後4時30分から2次会です。ミツタカのご両親も、私たち夫婦も参加します。ブルータスの彼氏も友人も参加してくれます。11070105



左からブルータス、その彼氏ナオキ君、そしてミツタカ君、おはぎです。
 神田会の仲間も、ぱらむさんご夫婦、和尚さん、石先生が参加してくれました。この2次会は、披露宴よりも多い約100名の方が参加してくれました。11070117



神田会の3人のおじさんです。

 ところで、この2次会では、私がまず最初に詩吟をやりました。「え、最初にやっていいのかな」という思いでしたが、とにかく黒澤忠三郎「絶命詩」です。
 そして披露宴でもやってくれました職場の同僚3人が、ヒップポップダンスです。今度は広い舞台ですから、もっと激しく踊ります。そして3人が踊っていたのですが、そのうち職場の10数人がさらに舞台にあがります。これはもう圧巻でした。1107010711070108


迫力ある素晴らしい踊りでした。今度どこかで披露してくれるときには、私も行きますよ。

 娘二人の属する「東京奄美三線会」も歌を披露してくれまいした。娘二人も以下のようにやってくれました。11070109


ブルータスが三線での伴奏、おはぎが島唄を披露しました

 私は、長女の友人たちでは、みんな名前は判るのですが、なにしろ綺麗な女性ばかりです。話しかけるたびに、「ああ、こんなに綺麗になったんだ」と感激ばかりでした。
   最後はみんなで、ブームの「風になりたい」の合唱11070110


  みんな全員で撮影会。でもこのとき上の人が何度も床に飛び降りたので、下の階で打ち合せした人は「何事か?」と驚いたようですよ11070111

 そしてそして、私はこの2次会のあと、神田会の友人たちと、浦安で飲んでおりました。
 愉しい、嬉しい、長女の結婚式でした。(2004.05.10)
おはぎの作ったカード(2004.05.11)
11070112 このイラストは、おはぎが結婚式のときに、披露宴のテーブルのすべての方に置いたカードです。
 でも「テツandトモ」じゃないかとも言われたようです。



11070113

 このイラストはおはぎが私と妻にくれたカードです。実はミツタカ君とおはぎは、このカードを披露宴に出席してくれた方全員に一人ひとりあてに書いて渡してくれていました。ホテルの担当の女性にもあげていました。その彼女は、仕事上のトラブルで少々落ち込んでいたのですが、このカードをもらって、ものすごく嬉しくなったそうです。
  ミツタカ君はビルの清掃の仕事で、おはぎは小学校の図工の先生です。だから二人とも、それぞれデッキブラシと絵を画く絵筆を持っています。

11050602 先週9日(月)は、長女おはぎが代休で前日から自宅へ来ていました。朝みんなが出勤しても寝ていました。
 この日帰宅すると、おはぎの書き置きがありました。

   ままぴーと萩原家様
 ままぴーへ
  いつも食材ありがとう
  どうにか支えてもらっているので
  なんとか食べていけます。
  ママぴーのおかげよっっ
 さよぴーへ
  お仕事がんばって!! おはぎもがんばる
  こんど買いものいでもいこーね。
 パパブーへ
  プリンタおしえてくれてありがとう
  報告しますね。
  ママとブルータスを大切にするんだよっっ
         おはぎ より

 これが、おはぎの絵やブタの顔の漫画入りで描いてあります。
 私はなんとなくこれを見て嬉しくなりました。この家族4人で良かったなという思いです。
 でもおはぎには、もっと家に帰ってきてほしいな。

11041004 次女ブルータスは大学時代の友人と、大阪と京都へ旅行して、帰ってきたと思ったら、次の日から今度は彼氏と沖縄へいきました。昨日夜帰ってきたようです。長女も学校が終わったら、すぐに友人と温泉にいきました。そして、元旦からは彼氏と温泉に行くといいます。一体家族4人でいつ集まるんだ。
 元旦は、私の一族は母を中心にみな集まります。兄の家族、兄の娘の家族、私の弟の家族、私の家族みんなです。でも今度は、私の家族の結集率が悪そうです。
 母は、兄嫁と私の妻と弟の妻と私の娘と私の姪たち、すなわち「女だけが集まればいい」と言っているそうです。たしかに私の兄は悪い奴ですから、いなくていいけれど、

  我が一族の楽しい話(義姉篇2)

  真面目な弟は可哀想です。ついでに私は、昔左翼だったりしたから、大変に母に迷惑をかけましたが、こういう正月というと姪の子どもと楽しく遊ぶんだから、いいおじちゃんなんですがね。
 でもどうせ、私はみんなの中で、酒飲みながらノートパソコン開いているんだろうな。それで姪の子どもにトランプやウノを誘われても、「周ちゃんは博奕はしないんだ」なんて言い張っているんだろうな。
 もういくつ寝るとお正月? あと二つ。あ、年賀状を作らないとね。

11040704 ひさしぶりに長女が帰ってきました。次女と二人の生活になって、いつも次女ブルータスからの話は聞いていましたが、長女のおはぎの話も聞きました。
二人で生活していると、次女のほうがいろいろな決まりを言ってくるそうです。例えば、次女が長女のやることで、驚いて「それはおかしい、こういうことにしよう」と言ったことがいくつもあるのですが、そのうちの一つです。
長女が、パンに塗るバターとジャムのナイフを一緒にして使っていたら、それは別けて使うべきだと言われたそうです。それで、どうしてなの、どちらなのだろうと私たちに聞いてきます。妻は「そんなの、一緒でもいいんじゃない」と言い、私は当然別けるべきだと思います。私はジャムなんて絶対使わないから、それが混じるのは嫌だということもありますが、たとえ、ジャムが好きでも別けるのが当然だと思っています。
でも同じ家族でも随分違うものですね。今次女は京都へ旅行です。そんなときブルータスはちゃんと予定計画を立てます。長女は年末に友人と、年明けに彼氏と温泉に行くといいます。でも聞いていると不安です。元旦には鈍行で温泉まで行くといいます。大丈夫かな。行くはずの温泉の名前聞いてもよく判っていません。私は昔温泉新聞社の記者ですから、どこでも知っていますよ。なんで姉妹でも、こんなに違うんだろう。
続きを読む

11020302 今、4人家族全員がいます(午前6時10分)。長女おはぎはもうすぐ出勤。次女ブルータスも、きょうから教育実習で、出かけます。ブルータスは、「子どもたちから『彼氏いますか?』と聞かれたら、どうしよう?」と姉に聞いています。私は、「いるよ!」って言えばいいじゃないか、と言いました。

11020206 私の長女おはぎがこの4月より、東京都文京区の小学校の美術の教員になりました。それで、おはぎは、文教大学の教育学部の美術専修生でした。最初はとくに「教員になる」と意思でこの大学と学部を選んだわけではありません。そのことは以下に書いてあります。

   おはぎの進学

 私はこの大学の父母会である「父母と教職員の会」に所属しておりまして、けっこう大学と関係がありまして、いろいろと接触してまいりました。それでおはぎたちの美術専修に関しまして、今までの先輩たちの就職についてはどうだったのかをいつも聞いてきました。教員試験の結果はどうだったのか、教員にならなかった学生はどのような職種に就いたのか聞いてきました。それで判断できるのですが、おはぎたちの学年の教員試験の結果は、とても良かったようです。なにしろ東京都だけで現役で11名受験して、実に8名が教員に採用されました。これは実にいい成績です。
 このことで思うことがあるわけです。私は二人の娘の同級生たちとは、けっこう親しくしてきました。電話でも話しますし、インターネット上でも話すし、それから自宅にもけっこう遊びに来てくれましたから、親しいのです。実にいい関係の友だち同士だなと思っていました。このいい友人関係だったからこそ、こうしていい結果が得られたのではと私は確信しています。よく、みんなで刺激しあって美術の制作をやったり、勉強したり遊んできたりしていました。たがいに影響しあって競った友人たちだったのでしょう。教員試験についても、けっこう一緒に勉強していました。そして、教員になった今でも、よく休みの日に会って、教材研究をして、そしてよく飲んでいるようです。これはいいことだと思うんですね。話を聞きますと、教員になってから、それぞれ、みないろいろなことで悩んでいるわけです。それをそれぞれが自分の例をだして励まし合っているようです。
 私は長女が学生だったときも、就職した今も、「これはいい友だち関係を作っているな」と思っています。
 私は会社の経営でも同じだと思うのですね。経営者も、そしてどこの現場の各責任者も、みなさまざまな問題が日々起きてきます。それをなんとか乗り超えていかなければ、ならないわけですが、それの一番いいことは、こうして、一緒に悩んで考えて励ましてくれる友人たちの存在だと思っています。
 今週、ある会社で、こうして娘の例で話したものでした。(2001.05.14)

11013010 私の長女おはぎが東京都の小学校の美術の教員になりました。でもまだ1カ月もたっていません。
 先日こんなことを言いました。1982年の小学校6年生の描いた絵と、今の6年生の絵を比較すると、驚くくらい違うそうです。82年のほうはどの生徒もいろいろな絵を緻密に描いているのですが、現在の子どもたちは、なんだか幼稚な絵しか描けないというのです。そしてそれについて、朝日新聞である学者が、

  昔の子どもと違って、今の子どもたちは家の外で遊ぶというこ
  とを知らないから、もう絵が描けなくなっている

ということを言っているそうです。そこでおはぎは、私と妻に、「このことをどう思う?」

と聞いてくるのです。長女も学校で、この朝日新聞の論者のコピーを前にして何人かの先生方と話し合いをしたようです。
 それで私はすかさずいいました。

  その朝日の論者の主張は間違っていると思うよ。今の子どもた
 ちが外で遊ばないからとか遊びを知らないから、絵が描けなくなっ
 たわけじゃないんだよ。

 おはぎも

  私もそう思うの。そういう問題じゃないんだと思うんだ。

と話を展開してくれました。不思儀に私と一致したものです。
 この一致した内容ついては、またこの「周の教育の森」で展開してまいります。昔、私の長女も次女も、絵を描きまして、それが「千葉県展」に受賞したりしまして、よく千葉市まで見に行ったものでした。そこで見る小学生の絵はものすごく感心するほど、どれも緻密な絵でしたが、私は何故か違和感を覚えたのを今も覚えています。そんなことをひさしぶりに長女と妻と3人で話しておりました。
 そんなことを、村田栄一「学級通信このゆびとまれ」を思い出しながら考えておりました。

11013004 長女が文京区の小学校の美術の先生になりましたが、同級生たちも続々と勤務先が決っているようです。なんだかよく知っている子たちですから「良かったなあ」とつくづく思います。今度は教師としての彼女たちと会えるのですね。

11012709 長女おはぎの

    文教大学教育学部美術専修卒業制作展

に1月31日と2月3日に行ってきました。私は長女も次女も、その同級生とは、けっこう顔見知りです。はじめて会った子たちも多いのですが、初対面という気がしないのです。
 でもとにかく、いつまでいても見ていたい作品ばかりでした。「あ、あの子らしい作品だな」と思うことがたくさんありまして、「でも、これはどうやって作ったのだろう?」とか「これは、どう見ればいいのかな? 聞いてみたいな」という作品がたくさんあります。
 2月3日には、妻の大学時代の同級生が来てくれましたが、その方もけっこう驚きかつ感心していました。「よくこれだけのものが作れるな」という驚きなのです。そして、その作者たちは、会場にいるわけですから、それがまたけっこう初々しい若者たちなので、これまたちょっとした驚きなわけです。
 1月31日には、皆で宴会をしました。その店が私がいつも「浦和会」のときに、最後に行きまして、朝まで飲んでいるお店です。ここの店長がとても私たちのことを覚えてくれていまして(実に莫大な年月のつき合いですね。かつこの店長が大事にしているのは、私たちだけではなく、もっと大勢の人を大切に考えていてくれる方です)、そんなお店で、おはぎの同級生たちと飲みたかったのです。店長もまた差し入れを持って、制作展に来てくれたということでした。思えば、この店長の持っている優しさみたいなものが、ちょうどあの若者たちの作っていた数々の作品のもつものと共通なものがあるように私は感じていました。
 あの若者たちが作った作品は、全体的に一言でいえば、「圧倒的な迫力がある」のです。見ている私たちが、なんだかその迫力の前で、不思儀に動けなくなってしまうという感じでしょうか。そしてまた、不思儀に心がなごんでくる思いがしてしまうのです。
 いいものに出会え、いい若者たちとこうして共通の時間と空間を共有できたことはとても嬉しいことです。ゲーテ「ファウスト」の「時よ止まれ、お前はいかにも美しい」というファウストの言葉は、私が出会ったこんなときに生まれるものなのかななんて思ったものでした。

11012303  私の長女おはぎがいよいよ大学の卒業の時期になってきました。彼女は美術専修生なので、卒業の課題は、美術作品を制作することです。もう何カ月も、たいへんに大きな造作物を作っていました。
  以下の要項で行います。

     1月30日(火)~2月4日(日)
   時間:10:00~17:30
      10:00~20:00(金曜日)
   会場 埼玉県立近代美術館 一般展示室   入場無料
   (JR京浜東北線北浦和徒歩5分)

11012401 詳しくは、このホームページ内の「文教大学父母と教職員の会」のページの

   文教大学教育学部美術専修卒業制作展

をごらんください。私にとっては懐かしい北浦和です。

11011905 長女おはぎは6月に小学校で1カ月、つい先日に2週間の中学校での教育実習を終えました。なんだか懸命にやっていました。
 先週の土曜日、午後4時頃、「荷物が多いから○○まで迎えに来て」(我孫子の白山中学校での教育実習でした)というので、行くと、たくさんの花といろいろなものを持っていました。担当したクラスの生徒が「お別れ会」をやってくれて、一人一人がお花を手渡しでくれたといいます。
 そのクラスでの「お別れ会」の会場に入るときに、綺麗に飾りつけられている教室に入った途端、おはぎは号泣してしまったと言っていました。まあ、たしかに嬉しいでしょうね。
 もう今でもけっこう前の小学生からは手紙も電話も入りますし、中学生のほうからも電話がよく入ります。関係ない私が長々と話していたりします(だって、うちの子は二人とも自宅にいないことが多いのだから)。
 昨日は、朝とてつもなく早くから中学3年生に誘われてつりに行っていまして、そのあとは、また別な女の生徒さんたちと昼の食事をしていまして、そのあとまた東京に出かけていました。自分の高校へ挨拶に行ったようです。
 私はいつも、「お前、忙しいのなら、替わりに行ってやるよ」と言いまして、とくに「酒の部」を替わってあげようとするのですが、なかなか果たせません。
 でもいいなあ。みんないい子どもたちの感じで、私は羨ましいです。

11011710 私の長女おはぎが、東京都の教員試験に合格しました。
 私は当初は娘が教員になるなんて、あんまりすすめる気はありませんでした。だが、娘のプールの指導員での働きぶりを見ていますと、そこの子どもたちへの接し方から、「これは教員に向いているのかな」なんて思えるようにもなってきました。
 今ちょうどおはぎは、きょうで終わります教育実習での中学のクラス全員の似顔絵を一人一人に描いています。小学校へ行ったときにも、懸命に描いていましたが、子どもたちは喜んでくれるでしょう。
 おはぎは東京都の教員試験を受験しました。おはぎは美術の教員を目指します。東京都は、美術と音楽に関しては、共に専科ということで、小中学ともに、その教員は、その科目のみを教えることになります。他の県では、私たちの時代と同じで、小学校では、一人の先生が全科目教えます。それで東京都を受験したのですが、1次試験に合格しまして、2次試験が8月に2日間ありました。この2次で、

  フレックスタイム制度のメリットデメリットを述べよ

という討論をさせられ、模擬授業をやらされ、面接を受け、そして美術の実技があります。私はその内容を聞いていまして、「なかなかいいところ行ったみたいだけれど、まあ倍率が倍率だから受からないだろうな」と思っていました。
 この結果発表が10月3日でした。都庁に掲示するのと、インターネットで都庁のホームページで公表するということでした。それが午前10時ということだったので、パソコンを見ていましたが、10時すぎても、何も出てきません。変だなと思って、よくよく見ると、10時からの発表は都庁で張り出されるのだけで、インターネットは4日(実際には3日にも掲示されたが)からということのようです。
 それで、妻に電話して、その旨を告げて、私は都庁に行くことにしました。 西新宿の都庁へ行くのは、始めてだったのですが、とにかく急いで行きました。貼り出されてある都庁第二庁舎1階へ行きますと、何人もの受験者および関係者と思われる人がたくさんいます。泣いている子もいまして、「お、大変だな」という思いです。
 いくつもの柱に、受験番号のみが張り出されています。たくさん人が群れているのが「小学校」の部のようです。おはぎは、「小中美術専科」です。最初見たのが「補欠合格者」の面でした。

  あ、ないなあ。やっぱり駄目か。

ということで、今度は「採用登録者」のほうです。でもやっぱりありません。何度見直してもおはぎの番号はありません。

  仕方ない、これでもう教員はあきらめて、別な仕事探すんだな。

という思いで、すぐ妻に電話しました。
 でもたいへんに、がっかりした思いもありまして、とにかく「もう仕方ないよなあ」。

 それで私は仕事に戻りまして、それからクライアントへ行ったりしまして、もう娘の受験のことは忘れるようにしました。でも忘れられない。そんなところでした。
 だがだが、ちょうど私は午後6時代の頃なのですが、お茶の水の丸善で、本を買うためにレジに並んでいたところ、携帯がなりました。出ると、

  パパ、ワタシ受かっているよ、インターネットで番号が出ている

というのです。私はすぐ「折り返し電話するよ」ということで、すぐ電話しなおしました。すぐ店を出て、携帯で自宅へ掛け直します。妻が出まして、説明してくれます。
  娘が実習から帰宅しまして、落ちたことを伝えますと、さすがに少し落ち込みます。二人で、そういうふうにがっかりしていましたところに、おはぎの友だちから電話がかかってきました。「ワタシは落ちたけれど、おはぎは受かったんじゃないの、インターネットであなたの番号があるよ」というのです。
 もう私は焦りまして、とにかく急いで帰宅して、すぐインターネットで確認します。たしかにおはぎの番号があるのです。
 私はどうにも理解できないのです。これはきっと都庁のミスだなと思いました。私は4日の翌朝都庁に確認にいくことにしました。デジカメで撮って、インターネットを印刷したものと比較して出して、都庁のどこだか知らないけれど、抗議することにしました。私には、そのときの見栄を切っている私が想像できました。「一体、何というミスを都庁はするのだ」という思いですね。
 でもでも、ミスをしたのは、私なのです。朝9時に到着して、昨日と同じところを見ますと、ちゃんとおはぎの番号が載っています。「あれ、きのうはどうして無かったのだろう?」
 ようするに、私がドジなのですね。嫌になってしまいます。何人もの人に、この誤報を伝えてしまっていました。申し訳ありません。
 こんな阿呆な私で、これが親なのですが、おはぎは少しはまともです。ごめんなさい。

11010106 そういえば、私の長女おはぎが昨日20歳の誕生日でした。早いものです。ついこのあいだまで保育園に行っていたのになんて気になります。ということは私たち夫婦は結婚して20年以上たっているわけだ。これはすごいことだな。 次女ブルータスは現在18歳で、二人とも同じ文教大学の1、2年生です。二人とも大学でも友人とのつきあいでもアルバイトでも忙しそうです。二人ともに、大学入試に受かってからはお小遣いは全くあげていないために(それどころか我が家は二人の使った電話代も徴収している)、すぐにアルバイトをはじめました。おはぎはスイミングスクールとファミリーレストラン、ブルータスはうどん屋です。
 ある会社の女性社員たちが、二人を可愛がってくれています。きょうは、おはぎの誕生の食事会を開いてくれるようです。妻と娘二人とその社員二人の計5人だそうで、いつも私は呼んでくれません。私には「どこかで食事してきて」ということです。もうぐれて、どこかで腹いっぱい飲んじゃおうかな。

10121809 私には、二人の女の子、長女おはぎ、次女ブルータスがいまして、二人とも結婚しています。その二人には、子どもがいまして、長女おはぎには、長男ポコ汰(満3歳)、長女ポニョ(満2歳)、次男ポポ(満0歳)がいます。次女ブルータスには、長女じゅに(満0歳)は生まれてちょうど1カ月です。
  ここのサイドバーには、以下が置いてあります。

ポコ汰はいくつになったの?
ポコ汰は1月3日生まれ
3歳11ヶ月16日♪
★4歳の誕生日まで15日★

ポニョはいくつになったの?
ポニョは8月2日生まれ
2歳4ヶ月17日♪
★3歳の誕生日まで226日★

ポポはいくつになったの?
ポポは生後7ヶ月8日♪
★1歳の誕生日まで143日★

じゅにはいくつになったの?
じゅには生後1ヶ月ちょうど♪
★1歳の誕生日まで335日★

 これが日々変化していくわけです。

 それで前にも書いたはずなのですが、探しても見つからないので、また書いてみます。 この子どものさらに子ども、つまり孫を可愛がるのは、人間しかいないのです。動物でもいわば昆虫でも、自分の子どもは可愛がりますが、そのまた子ども、孫を可愛がる存在ではないのです。人間だけが、自分の孫を可愛いと思い、可愛がることができるのです。 私の家では、秋田にいるときから、秋田犬を可愛がってきました。そのあと、札幌、名古屋(ここは、南区、千種区、北区と住みました)、鹿児島、横浜、我孫子と秋田犬を飼いましたものです。全部で百頭を超えているでしょうか。秋田犬ばかりでしたが、名古屋の千種区、北区では洋犬も飼いました。
 秋田から、札幌、名古屋、鹿児島と飼っていたのは、剣光号という実にいい犬でした。この犬が、秀峰姫という美しい雌犬と夫婦になり、何度も子どもを産みました。
 思えば、札幌の雪の中でも転げまわる子犬たちをよく覚えています。名古屋の3カ所の家でも、いつも5匹生まれてきていた秋田犬の子どもたちを思い出します。
 鹿児島では7匹の子犬が生まれて、もう大変なものでした。秀峰姫という犬は、実に美しい犬だったのですが、子犬たちが少し大きくなってくると、自分の乳房を求めてくる子どもたちを嫌がります(実は子犬はそのうち歯が生えて、その針のような歯で乳房を噛まれるのが嫌なのです)。
 だからそうなると、子犬たちには、怖いお母さんになります。そうすると、子犬たちは、お父さんの剣光号にまとわりつくようになります。いざとなれば、喧嘩の強い剣光号でしたが、この大勢の子犬たちには、参っていました。5匹から7匹の子犬がみんなでお父さんのしっぽをかじったり、耳をかじったりするのです。
 いつも「お母さんは、怖いな、ヨーシお父さんのところへ行こう」となると、もう最初は鼻の先で押しつぶしたりしてじゃれていますが、そのうち必ず子犬たちから、逃げ出していたものです。
 でも、それでもどうしても孫犬との出会いは私はまったく見ていなかったわけです。
 この剣光号は、近所の野良犬をいわば手下にしたりするところがあり、実に親分肌でしたが、自分の子どもの犬も可愛がりましたし、名古屋で飼っていた洋犬も実によく可愛がりました。この剣光号の背中に乗っている、ベアとケリという夫婦の英国コッカスパニュールの姿を思い出します。
 でもでも、私は剣光号も秀峰姫も、自分の孫を可愛がる姿は見ていません。

 おそらく犬には、自分の孫と触れ合うような機会はないのだと思います。それは動物以外の昆虫等にも言えるのでしょう。
 でも私は、人間でも、この日本を見ても、中国を見ても、欧米を見ても、「孫を可愛がる」という風習を実に目にすることはありますが、実際には、何もないことに気がつきます。日本の短歌にも、中国の漢詩にも、欧州の詩を見ても、私には見つけられません。
 短歌でも漢詩でも自分の子どもが可愛いとか、いやこういう問題があるとかいうことを、歌や詩にしていて、それを読むことはありますが、孫を読んだ歌も詩も私には見つけられないのです。
 私は昨日このことを、浦和会の場で述べました。来ていた仲間は、子どもがいて、もうちょうど結婚している時期ですが、孫がいるのは、私だけで、この話をしても、まだ完全には分からないかもしれません。
 でも私には実に大きなことだと思うのです。私には、多くの友人でも結婚して子どものいることが実にいいことだと思います。でもさらに、その子どもが結婚して家庭を持ってくれると実に私も嬉しいです。そしてさらに、その子ども夫婦に子どもができて、つまり孫ができると、もう実に嬉しいことだと思っています。
 私は自分の子どもと自分の孫に、さらにいいじいじになろうと思うばかりです。

10121607 私の娘たち二人、長女おはぎと次女ブルータスなのですが、高校生というのは非常に忙しく、そして疲れるらしく、家では寝ている姿ばかりです。
 おはぎは現在高校2年生で、東京巣鴨の東洋女子高校へ通学しています。ここでどうしてか彼女はバレーボール部に入りました。最初はマネージャーということだったのですが、そのうち選手をやりだし、朝早く行き、夜遅く帰ってきます。休みの日は試合だなんだで、家にはいません。やたらたくましくなってきて、父親からみて、もはや女を棄てているとしか思えません。それで家には仲間からしょっちゅう電話がかかってきて、いろんなことを話しているようです。なんだか彼女はよろず相談屋になっているようです。私がときどき電話に出るので、いつも「面白いお父さんね」といわれているようです。私は子どもたちの友達の名前を覚えるのが得意なのです。
 ブルータスは柏の増尾の柏南高校へ行っています。彼女は小学3年生より、吹奏楽部に所属してオーボエを吹いてきました。高校でもまた吹奏楽をやる気でいたらしいのです。しかし、入学してしばらくたったら驚くことになりました。

  私「おい、クラブ活動はどうしたの?  また楽器部か?」
  ブルタース「柔道部!」
  私「え!  なに!」
  ブルタース「柔道部!  何かワルイ?」
  私「……いや、悪かないけど、柔道部ねえ?」

というので、柔道部入ってしまいました。ブルータスは身体は小さいし、まったく驚きました。それでまた毎日遅くまで練習しています。
 だからこんなことで、二人とも家では寝てばかりいます。こんなのでいいのかな。まあ、いいのでしょうね。

10112008 妻は明日の日曜日会いに行きます。私は義母を診ています。もう妻のケータイには赤ちゃんの写真が添附されていいます。ちょっと私にはないので、ちょっと少しだけ不満です。でもじいじは、こんなものなのかな。
 長女おはぎのポコ汰、ポニョ、ポポも聞いて嬉しいことでしょう。私はいつ会えるのかなあ。

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 テレビで「ちい散歩」を見るのが好きです。ちいさんは昔から東映で見ていたものでしたね。

2010/03/03 08:07きょうは3月3日です。昨日長女の家に行って、二人の孫と触れ合いました。
 いつも私は行くまでは、心の中で二人の名前を叫んでいます。でも実際に行くと、二人と応対するのにオタオタしてしまいます。二人がじいじにはそんなに甘くはないのです。
 でもつい先日3日前かなあ。この長女の家から帰るときに、二人の孫の名前を連呼して(この時はうかつに実際に声を出していました)歩いていたら、私の後ろからある女性が来て、私を追い抜いて行きました。私は追い抜かれる瞬間から声を出すのを止めました。馬鹿な阿呆なじじいだと思ったろうなあ。恥ずかしいです。
2010/03/03 08:18「ウェルかめ」が始まりました。
「未来しかない」というのは、この言葉は大きいですね。
2010/03/03 10:07「ちい散歩」で北品川〜北馬場を見ていますが、私も何年か前に行きました。そこで最後当然飲みましたものです。京浜急行の各駅もどこも歩いていますね。そういえば、横浜の隣の戸部という駅も思い出しました。あそこもよく歩いたものですね。
 今度また改めて歩いてみようかなあ。でも仕事で歩くわけじゃないから、なかなか実現はできないものですね。
2010/03/03 18:36今長女おはぎの家に来ました。ポニョもポコ汰ももう大変に可愛いです。
 私がテレビのニュース番組を見て内容に関して怒りを乱暴な言葉で喋りましたら、おはぎに怒られました。もっともです。ごめんなさい。

 二人の孫の前で乱暴な言葉を使わないようにしようと、固く誓いました。

10011603 出版社って何をしている存在なの? に載せた画像は、私の長女おはぎと次女ブルータスの年賀状です。最初はこれだと、住所名前等は判らないだろうと思ってそのまま載せていましたが、やはり娘に怒られるかと思いまして、二人と家族の住所等は判らないようにしました。
 もう私だって、周二父は大変なのです。娘に怒られると怖いです。大変です。私はもう孫と仲のいいじいじになります。
 もちろん、二人とも実に優しい可愛い娘であり、そして実にいい娘なことはもう充分に判っています。でもでも、もう少し優しくしてくれないかなあ。
 二人ともとってもいい彼氏で、ミツ君もナオキ君も優しいです。いえ、私の娘よりもずっと優しいです。そして長女にはいい子どもがいて、そしてその義父義母さんも実に優しいいい方ばかりです。
 あとはさらに孫がほしいな。

8298d569.jpg09081416 この写真は、長女おはぎが、箱根への家族の旅行でお土産に持ってきてくれたものです。たしか一昨日まで、私がお酒の肴にしていたものです。8月14日の夕方撮りました。
 もう私は大変に喜んでいました。
 いつもこうして娘が私を思ってくれる気持が嬉しいです。……あの、それでお酒もお土産にしてくれるといいな。

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 午前11時前に長女から、ポコ汰が熱があるようだというので(保育園から長女のケータイに連絡があります)、あわてて保育園へ向かいました。そうしたら、ポコ汰の部屋に入ったら、ポコ汰は寝ています。でも、ポニョも熱があるので、おはぎが迎えに来るというので、私はそこで待つことになりました。
 でも子どもたちが、もうじいじの私にいっぱい話しかけてきます。実は、私はそこで文庫本を読んでいたのでしたが、でもでも、もう子どもたちといっぱいお喋りしたくてたまりませんでした。私は「お歌を唄います」とそこで、詩吟をやりだしたいのですが、でもでも、そんなことをしたら、きっと長女にものすごくおこられます。じっと我慢の私でした。

2009/07/14 13:12ポコ汰がお熱を出して保育園に迎えに来ましたら、ポニョもお熱で、待っていたら長女も来てくれました。今はみんなお昼寝で、そうだなあ。私は帰ろうかなあ。

 それで、おはぎの家で「週刊アスキー」を読んで、やることないから、帰りました。二人はおはぎと3Fでお昼寝でした。
 でもでも、今おはぎから、メールでお医者さんへ行ったと書いてありました。
 とにかく、安心している私です。

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dd2889b5.jpg 毎日義母をみていて、思えばいつも「大変だなあ」とばかり思ってしまいます。私よりも、妻のほうが大変なことだろうと考えております。でもときどき、「それなら、お母さんをどこかに預けてみればいいのに」という考えを聞くことがあります。そのように言われることを、妻と今朝話していました。妻と話したのは、私たちには決してそんな考え思いはないのだということです。
 私の兄夫婦は、私たちの母の介護をずっとやっていてくれました。でもかなり大変だったと思います。その中で、私の母を介護施設に預けようかという話がありました。私も妻もそれについては何もいえません。私たちはただ、話を聞いているしかないのです。とくに私たちは、我孫子を離れ(これは当初は一時のつもりでした。だから住所移転するにも3年後になったものでした)ることはしませんでした。でも王子の家にいつも住んでいたのでした。
 そのときに、私の長女おはぎが、「おばあちゃんを施設に入れるというのなら、私が教員を止めておばあちゃんのことをみている」と言い出したのでした。これは強烈な主張でした。
 このことは私たちでは言えないことでした。ために、母をどこかの施設に預けるということはなくなったのでした。
 思えば、私の長女もそして次女も、あんなに強く優しい娘になったのも、それは私の母のおかげであり、そして私の義母のおかげです。もちろん、私の父、私の義父のおかげでもあります。私たちはけっしてそのことを忘れません。
 そして今も残っている義母のことは、私の父母と私の義父のことを思い出して、これからも私と私の妻のそばで一緒に暮らしていきます。そうする私には、いつも母の声が聞こえているのです。「お前、あのお母さんに嫌われているんじゃないだろうね」。私はいつも応えています。「そんなことないよ。いつも同じように接しているだけだよ」。私はただ自分の母の言うことにうまく応えられるようにしていくだけです。
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a2f6bda0.JPG 昨日義母は午後1時40分に帰宅しました。私は12時20分には帰ってきていました。
 それから夕方には、長女おはぎが来てくれて助かりました。
 ただ私は何故か疲れていまして、昨日は午後8時5分には眠ってしまいました。でも義母に夜中の1時と3時に起こされました。また、「お母さんはどこへ行った」という疑問でした。
 きょうは、義母をわが家に送りまして、それから私は妻を迎えに行きます。
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 昨日の午前8時20分頃長女宅へ行きまして、この画像の家を見ました。一緒にポコ汰がついてきて、私に説明してくれます。でも言語がポコ汰語だから、私にはよく判らないのです。あ、おはぎママに翻訳してもらえばいいのかなあ。これは17日に作ったということです。以下はおはぎのMixiの日記の一部です。

しかしポコとポニョがいるために何度も中断し、もちろん私の思うようにはいかず・・・。ポコも参加しまくりで、なんだかよくわからない「おうち」になりました。
家の側面にはポコが大好きな自動販売機を作り、お金を入れるとこれまた大好きなオニギリやジュースがでてくる(もちろん手動デス)
窓側はポコと一緒に飾り付け。ポコのセンスはぶっとんでいて、私は何度も「?」となりましたが、なんとなくかわいらしくなりました。

08122304 ホントに可愛い家です。そしてちょうどこの家にポコ汰は入り込めるのです。
 この画像の自動販売機は、赤い矢印がついたのがお金を入れるところです。面白いし、愉しいです。
 ポコ汰はものすごくアンパンマンが好きです。なんでなのかなあ。

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 私は今年の2月から、娘二人に和紙にパソコンでプリントした手紙を出しています。
 この手紙を書くことになった最初は、昨年の3月25日に、次女は結婚式があったのですが、その前の1月末から、次女は彼の自宅へ泊まって朝早く柏まで通いました。大変だったのですが、そうする必要があったのです。私と妻はその前年の1月9日から、この王子の家に来ていました。
 それで、私は次女に我孫子の自宅へ来た手紙をすべて、ここ王子へ転送し、それを私の手紙を添えて次女の木更津へ送っていました。
 それで、次女が実際に結婚してからも、私は次女に手紙を送り続けました。
 そうしたら、長女が、「ブルータスに何を送っているの?」というので、「手紙だ」というと、「私にはないの?」というので、おはぎにも書くようになりました。でもおはぎは同じマンションでしたから、ポストに入れる必要はありません。
 今年2月からは、ビジネス上の手紙は普通のA4用紙に、私的な手紙は、すべて和紙でプリントするようにしました。
 今年2月からきょうまでで、次女ブルータスには68通、長女おはぎには65通の手紙を書いています。
 実は、孫にも絵はがきを書いています。綺麗な絵はがきですから、見て面白いと思うのですね。そしてそのうちに字が読めるようになったときが、実に私が嬉しい思いだろうと、今から思っています。

 それで、この娘二人には、ほぼA4で1枚プリントしていたのですが、その内容に漢詩の紹介をするようになりまして、A4で2〜5枚送るようになりました。
 でもおはぎに送っていましたら、「つまらないから」と言われてしまい、今は次女ブルータスに送っています。
 でも、これでブルータスからも拒絶されたら、どうしようかなあ。誰か、二人の友だちに手紙を送ろうと思うのですが、おはぎからは、「そんな迷惑なことはしないで!」と強く言われています。
 私が今まで送ったのは、以下の通りです。

おはぎ
08年09/23 黒澤忠三郎『絶命詩』、佐野竹之助『出郷作』
08年09/24 陶淵明『責子』
08年09/26 李白『螢火』、白居易『春風』
08年10/01 江馬細香『自述』
08年10/07 李白『相逢行』
08年10/09 李白『子夜呉歌』、李白『贈内』
08年10/11 曹丕『釣竿』
ブルータス
08年10/15 杜甫『登癲
08年10/19 李白『子夜呉歌』
08年10/22 李白『螢火』、白居易『春風』
08年10/27 源実朝『短歌」
08年11/05 三好達治『甃(いし)のうへ』
08年11/11 金子みすゞ『さびしいとき』、『與謝野蕪村の詩』
08年11/21 曹操『短歌行』
08年11/26 ヴェルレーヌの『落葉』の原詩

 でももし、私からこうした漢詩および詩歌の手紙が欲しいという方は、私あてに連絡ください。私の娘に、「ほら、こんな多くの人が求めているんだよ」といいたいと思うのですね。

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 19日にも長女宅へ行きましたが、昨日も行きました。妻が帰ってきたあと、もう暗くなっていましたが、義母の薬を取りに行きまして、そのあと急ぎました。朝9時に次女ブルータスのお義父さんから、美味しいお酒(きのうそのうち1本四合瓶を飲みました)とお菓子と妻への素敵なバッグとハンカチが届けられたのです。
 それで妻が帰宅してからそれを開けて、お菓子を半分くらい長女宅に届けたのです。これをみんなポコ汰に見せたら喜ぶだろうな、でもママが「駄目!」と言って、どこかへしまっちゃうだろうな……なんて思いながら自転車を走らせていました。
08111903 ポコ汰はもう夕方ですから、お昼寝は終えて元気いっぱいです。私の膝の上に座って、ママから私が持ってきたお菓子を口にしています。ママにもじいじの私にも少しくれました。でも本当は、私は甘いお菓子は食べないのですが、ポコ汰がくれると食べられるのです。

 ポニョも目をあけて笑顔でいてくれます。とっても愉しいのですが、でもでも私は帰らなければなりません。
 そこで、帰ろうとすると、ポコ汰が泣き出します。私も困ってしまい、かつとてもさびしくなります。ママが抱っこします。「また来るからね」と言いまして、帰りました。

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 昨日は、私の妻が義母を2つの病院に連れていくために会社をお休みしました。それで、長女が孫2人を連れてきてくれました。来てくれたのは午前中からです。
 来るときに、おはぎがいうのには、自転車の上で少し眠っていたそうです。これは危険です。でも、ポコ汰は私たちのところへ来ると元気いっぱいです。最初は、9時代でしたから、ばあばは大ばばを連れて耳のお医者さんへ行っていました。
 でも帰ってくると、もう大変な笑顔です。ポニョもとってもいい笑顔でいてくれます。それから、もうポコ汰が元気にたくさんのことをしています。でも来るときに自転車の上で少し眠りそうだったのですから、もうすぐお昼寝をすると思っていましたが、全然眠りません。私が「じゃ一緒に眠ろうよ」と言ってもなかなか横にもなりません。実は下手をすると、私のほうが眠ってしまうことがあるのです。私はいつも横になると、すぐに眠ってしまうところがあるのです。

 でもお昼寝しないので、ママと買物に行ったりして、でももう元気いっぱいです。ポニョは眠ってくれました。
 おはぎママが、「じゃ、もう眠らないで、パパが来て、それまで起きているか」といいました。でも私は不安です。帰るときが心配なのです。
 それで午後4時半頃、自転車で帰ることになりましたが、私の自転車では後の椅子で必ず眠ってしまい、危険なので、ママの前の椅子に乗せます。

 そして私はすぐおはぎの後からついて行きまして、ときどき隣からポコ汰に声をかけます。
 でもでも、私の家から少し走ったら、もうポコ汰は眠っています。私は、となりから「そら、ちゃんと両手でそこをつかんで」と言うのですが、もう眠ってしまっています。私の自転車に乗っても、あれほどにはなりません。ちゃんと両手は、ちゃんとしているのですが、もうママの前かごではだめです。
 でも私がすぐそばで見ながら、走っていました。
 そしてすぐに、長女の家につきましたが、もう眠っています。そして2階に娘が運んだのですが、ポニョは目を開けるのですが、ポコ汰がずっと眠ったきりで、もうそのままです。

 もう仕方ありません。ちょうどそのときに、ここの画像の花をおはぎがベランダに置いたので、これを撮りました。つい先日友だちにいただいたお花です。
 私は、「だから、うちでちゃんとお昼寝しないといけないんだ」と言ったのですが、ママがいうのには、もう私の家に行ってしまうと、「じいじとばあばが居て、面白くてたまらないから、お昼寝なんかしていられないのよ」というのです。
 ああ、そうかもしれないな。でも少々困ったことです。

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 私の書いた 周の詩歌の館「金子みすゞ『私と小鳥とすずと』」を読んで、長女おはぎが批判してくれました。ようするに、私がみすゞのこの詩については、いわば何も書いていないに等しいということをおはぎは、明確に指摘してくれたのです。それで当然私はショックです。だって、そう言われても、まったく言われる通りなのですから。

 たしかに、きれいな音で鳴るすずと空を飛ぶ鳥は違います。そしてその空を飛ぶことのできる鳥ときれいな音の鳴るすずとは違って、わたしは空を飛べないし、きれいな音も鳴らせません。でもわたしは小鳥と違って地面をはやく走れます。わたしは、すずよりもたくさんのうたを知っているのです。
 こんな風に見ることを私は知りませんでした。そしてそのことを、こうして詩に描いてしまうことに驚きます。
 私が詩が苦手なのは、いや詩歌全般に苦手意識があるのは、私自身では、その詩への思いを書くことができないからです。
 私は漢詩が好きなのは、まずとにかく書き下し文にするだけでも、そんなことだけでも私には書くことがあるからです。
 なんとなく、駄目な私です。

 でもこうして詩をテキストで書いてみて、そして何度も読むたびに、みすゞの詩のことがだんだん好きになっていく私です。

 周の詩歌の館「金子みすゞ『私と小鳥とすずと』」 へ

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 きょう私は長女の家に行きました。午前中は、義母のことで、耳鼻科の病院へ行ったりして、午後は、外出していた妻の代りに義母をみていまして、妻が帰ってきてから、長女の家に行きましたが、もう3時頃だったのですが、まだ孫のポコ汰はお昼寝でした。
 でも起きる頃だという4時を過ぎても起きてくれません。

 それで私はちょうど長女には手紙をもって行っていました。私は前には、いくつもの私の好きな漢詩の解説を書いていたのですが、長女は面白くないと言いまして、もう私は別なことを書いています。
 それで、私は今次女ブルータスには、源実朝の歌のことや三好達治の詩のことも書いているといいまして、「おはぎにも、そういうことを書いた手紙を送ろうか?」といいましたが、おはぎがいうのには、「例えば、金子みすゞの詩なんかだったら、こんな風にいいんだ」といいまして、この詩をあげてくれました。もちろん私も知っている詩です。

   私と小鳥とすずと
              金子みすゞ
  わたしが両手をひろげても、
  お空はちっともとべないが、
  とべる小鳥はわたしのように、
  地面(じべた)をはやくは走れない。

  わたしがからだをゆすっても、
  きれいな音はでないけど、
  あの鳴るすずはわたしのように
  たくさんなうたは知らないよ。

  すずと、小鳥と、それからわたし、
  みんなちがって、みんないい。

 空を飛んでいる小鳥や、篭で飼っている小鳥をみて、それにいくつもの思いを込めることは誰もあると思います。でもこのみすゞのようにすずを小鳥と同じように見つめて、そしてそのことをこうして詩に書くことなど、私たちにはできそうもありません。
 すずと小鳥と、そしてわたしである金子みすゞをこうして見つめて、思って、最後に「みんないい」と終わります。
 実にいい詩です。

 この詩は、「金子みすヾ童謡集 わたしと小鳥とすずと」(JULA出版局)で知りました。

 周の詩歌の館「金子みすゞ『私と小鳥とすずと』」の2 へ

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 ナミちゃんのブログに、このUPがありました。これは私はナミちゃんのおかげで前にも読んでいました。その中で私は次のように書いていました。

今後の私がどう振舞っていけるのかは判りません。でも、なんとか、この『おおきな木』が他者に対して与えてくれた愛のようなものを、私は今後の人生で、自分の子ども、自分の孫、いや自分の周囲の多くの人に提出していきたいと考えています。

 あ、少しは出来ているのかなあ、なんてことを今思いました。

 ナミちゃんは、次のように書いています。

これから育つ子ども達を沢山沢山愛して・・慈しみ・・育てる必要を多く感じます。育った子でさえまだまだ愛を沢山必要としていると思います。何歳になっても。

 私のところも、次女ブルータスが20日に長女おはぎの家に来て、翌日午前中に私たちのところに来てくれました。そして帰るときに、ブルータスが車を置いてあるところまで送って行きました。妻が送って行きなさいと言ってくれたからです。5分くらい並んで歩いたそのときが、私には一番嬉しい瞬間でした。私はブルータスに、子ども(私の孫)が欲しいことを言いましたブルータスは、今教えている生徒たちのことを語ってくれました。いい瞬間でした。
 私は到底この『おおきな木』のような存在にはなれませんが、少しでも私の愛を提出していきたいと考えています。

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 このところ、ここにUPする画像がたくさんありまして、どうしても以前の画像をUPしがちになりますので、その画像をあとからUPしがちなので、私自身が混乱してしまいます。
 9月14日に私の家族が全員8人が、上中里の長女おはぎの家に集合していたことを書いていませんでした。ここで改めて書いて行きます。

 その前日の13日には、妻が鍼灸の治療のあと、私と秋葉原のヨドバシカメラで待ち合わせて、長女の自宅の壁時計を買いました。これが治療が予定よりも長引いたので、かなり待たされました。でも私はヨドバシカメラですといくつも見るものがあります。それにもう土曜日のヨドバシカメラはものすごい数の人が来ていました。
 素敵な時計がいくつもあったのですが、少しいいなあと思うものは、「メーカーから直送します」というものが多くて、その場では手に入れられないのです。私としては、翌日14日が長女の自宅に次女夫妻も来てくれますから、そこで披露したいのです。
 でもどうやら、そんなに高価ではありませんが、いい壁時計がありました。あまりデザイン上よりも、なるべくシンプルなものを選びました。とくに、これから時計の見方も、数字のことを学んでいく孫の子どもたちのことを考えたものです。時計の中には、数字が書いてないものもあります。でも私はポコ汰に、時計の見方を教えているシーンばかり思い浮かべていました。

 それで、翌14日朝早くに、長女宅に行きます。時計の時間は昨日合わせました。そして電池を入れてあります。もう実に正確な時間を刻んでいます。もう昨夜電池を入れたときから正確な時間になっているのですね。そして電池は単三電池日本です。

 この日君津市の自宅から、この長女宅の上中里の新居まで来てくれる次女と連絡を取りました結果を知らせます。次女夫妻は、前日13日が二人とも自分の勤める小学校の運動会で、そのあと打ち上げで4次会まで飲んでいたというところでした。だから午後1時か2時になるという連絡がありました。(私たちはみなケータイメールの連絡です)。でも一体何時に来られるのかなあ?

08091404 そしてまず、この日は1日中、長女の住む町は、平塚神社のお祭りというので、多くの子どもたちが大人の先導で、山車を引いていました。その中にポコ汰も入って、歩きました。いえ、みなで外に散歩に出たら、その山車を引いている多くの子どもたちと出会ったのです。それに多くのお母さん方が、あちこちの街角でお茶を飲める場所を作っています。
 そのポコ汰が山車を引いている子どもたちと歩く姿を見て、いくつかデジカメ写真を取ったあと、私は自宅へ戻ります。

 私ははもうすでに朝早くから、みんなのために、いろいろなものを用意していました。お寿司(王子駅前東武ストアのすぐ近くに『ヤスケ』というけっこう美味しい持ち帰りのお寿司屋があるのです。ただしお寿司ですから、一番最後に買いました)もケーキもパン(私の次女はお寿司が食べられません。でも日曜日で『明治堂』はお休みです。だからサミットストア王子店内のパン屋さんで買います)も飲み物もビール(これは私だけが飲んだものです)も忙しく用意しました。08091407私はすぐにケーキ等(これは王子駅そばのコージーコナーのケーキ)を購入して長女宅に向かい、妻は次女の大きな荷物をカートで運びます。ブルータスは自分のものを、いくつも我孫子の家から持って行ってなかったのです。
 私は歩いている妻を追い越して、長女宅にケーキ他を運んで、再度王子駅前のヤスケに行きまして、また飲み物等も東武ストアで購入して運びます。もう私は大活躍です。
08091405 そして午後2時すぎに、次女夫妻も到着しました。それで早速食事になります。もうポコ汰は、私が持って行きました、パンの可愛い亀さんのかたちのは食べてしまっていました。それにブルータスはケーキを作ってきてくれていました。

 でも予想していた通り、ポコ汰は、次女ブルータスもその彼ナオキ君が大好きですから、もう大喜びでした。生まれてまだ1カ月半にもならないポニョもけっこう笑顔でいてくれたのです。
 なにしろ、お姉ちゃんの新居ですから、ブルータス夫妻二人はあちこち見て歩きまして、08091406その二人のあとを、ポコ汰がついて歩いていました。
 ただ食事する中、私は缶ビール2本で眠ってしまいました(思えば、私しかビールは飲まないのです)。もうその間、家の中(3F建てなのです)を歩き回るみんなの声を聞いていました。もう私のとっても嬉しい瞬間です。
 この新居は、妹のブルータスにも、ものすごく嬉しかったと思います。二人は今は2階建ての新居に住んでいるのですが、それもそして素敵な家ですが、やはりお姉ちゃんのように自分の家を持ちたいことでしょう。

 夕方になって、根津の上海料理の店の『海上海』に行くことにしました。私たちは大人6人ですから、ここのお店はとてもいいのです。私は前日は、壁時計を買ったあと、妻とこの店に来ていました。
08091409 でも少人数よりも、こうして大人数で行ったほうがいいです。私なんか紹興酒なら、腹いっぱい飲みますが(でもこの14日は一滴も飲みませんでした。偉いでしょう)、どうしても、二人ではそれほどは食べられないので、若い人たちと行くと愉しいのです。食べるものが恐ろしいほどたくさんあって、それが美味しいのです。そして上海の家庭料理ということで、一つひとつの料理はやっぱり珍しいのです。
 そしてもう驚くほど安価なのです。このことは、今回もみんなが、「なんか私たちにサービスしてくれたのじゃないか」なんて言い合っていたくらいです(いえ、翌日私がこのマンションで店のご夫婦に確認しましたが、ちゃんと普通の料金だということです)。
 でも孫のポコ汰もけっこういろいろと食べていました。もうポコ汰は、このお店には、おはぎの彼のミツ君のご両親とも一緒に食事に来ているのです。

 食事が終わって、ナオキ君の車で、また長女宅へ帰りまして、それから心配なのがみんなが別れるときです。心配というのは、みんなが帰る際に、ポコ汰が号泣してしまうことです。
 やっぱり、私たちじじばばも、ブルータス夫妻も皆帰るというときに、もう我慢できなくて、ポコ汰は泣き出します。私も妻もそれが判っていたから、早く家を出てしまいます。ポコ汰の泣き声を聞くと、私も妻ももう辛く悲しくなってしまうのです
 でもママのおはぎが、私に翌日次のケータイメールをくれました。

よく泣きましたが、「また会えるからね」と言ったら「うん うん」と言って我慢していました。

08091408 早く、この家族みんなで温泉に行きたいです。今のこの家族は、男組み4人と女組み4人なのです。昔私たち家族の4人で温泉に行きましても、4人の家族でわいわい温泉まで行きましても、それは入口までで、実際の温泉は、女性3人と別れて、男一人で寂しかったものでした。
 でもこれからは違います。男組みも数が多いから、そのことが実に嬉しいことです。私とポコ汰が赤ふんコンビで頑張りますよ。私は娘二人には4人づつの子どもが生まれると思っていますから、男の孫が4人だと、赤ふんコンビが全部で5人になります。これは実に愉しみな未来です。

08063001 周の『独楽吟のススメ』の154破茶さんが、次のコメントをくれました。

1. Posted by 破茶    2008年06月29日 22:43
周さん こんばんは!お忙しい仕事が一段落して良かったですね。可愛いポコ太君と近くにいられて幸せですね。

 仕事は一段落といいましても、きょうそれで出かけて、きょういっぱいはけっこう大いそがしです。
 ポコ汰は、昨日も来てくれました。でも今は、長女おはぎのお腹には、赤ちゃんがいるでしょう。それで、なんだかポコ汰はそれを感じているらしいのです。ママがだっこしてくれないのを、「何でだろう?」なんて思っているんじゃないかな。
 だから、きょう来たらばあばにとっても抱きついているんですよ。それで、じいじの私ならいくらでも抱きついてもいいのに、いくら甘えてもいいのに、そうしないのです。
 それで、私のところでは、懸命にパソコンのマウスをいじって、さらに私とは洗面所で水遊びしたりして、もう愉しいはずですよ。いくら遊んでも、私も懸命に遊ぶようにしています。

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 昨日銀座で、昨日の26日から31日まで開かれている今村圭さんの絵画の個展に行ってきました。もっと早めに行くつもりだったのですが、朝からいくつものことがあり、午後3時には電車に乗るつもりでしたが、4時を過ぎてしまい、焦って王子駅に行きましたら、山手線は事故があり、不通で、しかも京浜東北線も不通だといいます。私は困って、南北線で銀座に向かうことにしました。そういえば、このごろよくこうしたJRの事故が多いですね。
 それで予想よりはるかに時間がかかって、銀座線で銀座に着きました。そして銀座7丁目10番のギャラリーモトキを探して到着しました。
 すぐに今村圭さんにお会いできました。思えば、前にお会いしたのは、もう4年前のことなのですね。

 それで、今村圭さんの絵を拝見しました。だが私には、そもそも絵画を見る能力がないのです。これは、私の娘や妻がいつも感じていることでしょう。
 だから、私は見た絵に関する印象が頭にやきついていますが、まず以下に、この展覧会の知らせにありました葉書にあった、美術評論家の瀬木慎一さんが書かれていることを書き抜いてみます。それで、少しは、私にも理解できるようになれたらいいなあ、と思うところなのです。

 今回の個展のテーマは、"FIELO OF LIFE" であるという。
 生命あるいは人生のフィールドは、有限だが、単純ではなく、多元的で、極めて複雑である。
 絵画において表現する場合にも、「色と形から成り立つ」と一口で言うが、それらの要素の組み合わせは簡単でなく、それどころか、文字通り複雑で、交感、対立、錯綜、葛藤を全面に受けて、可能な限り新たなスキームを案出しなければならない。
 単純な調和は無意味で、平坦な均衡も退屈であり、統一のありえない弁証法のように思える。
 そのような果てしない表現の地平線に向かって直進するこの画家のフィールド・ワークは果敢である。(美術評論家 瀬木慎一

 私には、いくら読んでみても判らなかったことが、こうして文字を自分で書くことで、少しは何がつかめた思いになるものです。
 "FIELO OF LIFE"って何だろうと思いました。訳すと、「人生の領域」ってことかなあ? でもやはり、こうして漢字で表現してしまうとまた少し違う思いもしてしまうものです。でもそう思うと、あの私が見た絵をまた思い浮かべてしまうのです。
 そして、今村圭さんともお話した中で言われたのですが、これは油絵でないわけです。アクリルと水彩絵の具なのですね。
 私は一切絵というものは描きませんので、こうして絵を描かれているときの気持は判りません。でも描きながら、この絵の中の色にも形の中にも、自分が泳いでいる、浮遊しているような気持にもなれるのでしょうか。
 思えば、長女おはぎにも見てほしいなと思いました。私のような、無感動な人間よりも、もっと何かがつかめるのでしょう。ただし、今の長女には、自分の家族のこと、自分の長男とお腹の中にいる赤ちゃんのこと、自分の彼のことで頭がいっぱいだと思います。思えば、それはそれでいい時間と空間に居るのだと思います。
 ただ、私はこうして今村圭さんの絵を見て、こうして今それを思い出して、いくつか考えてみる瞬間を味わえたことは、実に良かったことでした。

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a6d20622.jpg 昨日朝からいくつものことをやっていました。買い物にも行きまして、また図書館にも行き、郵便局にも行きました。王子登記所である会社の謄本をとって、急いで帰るときに、「あ、パパだ」なんていう声がして、長女とポコ汰に会いました。二人は東十条の保健所に予防接種に行くということです。長女もポコ汰も大きな帽子をかぶっていました。でもベビカーに乗っていたポコ汰は私のことがすぐ判らなかったのかもしれません。まあ、突然路で出会ってもね、しかも自転車に乗っているじいじだかからね。私はそこでコンビニで用がありました。
 東十条までの長い道のりを歩いている長女おはぎの姿の頭だけが、路に並んでいる短い街路樹の上に見えているのをずっと見ていました。
 ポコ汰が笑顔を見せてくれなくて、ちょっぴり寂しかったじいじでした。
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dbce3280.jpg 昨日故郷の山口の弟さんと電話でお話したことは忘れています。何度も妻が説明しています。
 写真は、3月5日に長女おはぎが小学校の6年生のお別れ会に出まして、いただいたお花です。(03/07)

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雑誌名 週刊アスキー通巻675号
発行所 アスキー
定 価 330円
発行日 平成20年2月26日
読了日 2008年2月12日

 神足裕司さんの「Scene2008」の次のところを読んで、私も電車の中でしゅんとしてしまいました。

「40年前は沢ガニがいたなんて、今のわたしには想像もできません」というところを聞いて、私はプッと吹き出してしまった。
「なにがおかしいのヨ!」
 と中1の娘が怒りを含んだ声で言った。言っただけではない。そのままうつむいて、右目からこぼれる涙を手の甲でぬぐった。
 0.5秒後、私は大変な失敗をしでかしたことに気づいた。

 この娘さんの思い、そしてお父さんの思いもなんだか判りすぎるくらいに、今の私にも判るでのです。
 前に、私の姪のみーねえ(私の兄の長女)の二人の息子の運動会へ行きました。そのあと我孫子の自宅まで歩いて帰る道で、私の長女おはぎが、「ああ、やっぱりここらへんは懐かしいな、我孫子っていいなあ」と言ったのですが、私はその言葉に驚いてしまいました。私にはどうにも好きにはなれない街が我孫子だったのです。「でも娘には、ここが故郷なんだろうなあ」。
 最後の神足さんのことばが目にしみます。

 考えるまでもない。生まれ育った土地だからだ。自分は、ずっと漂流していたことに気づいた。

 私も漂流していた処をいくつも思いだしていました。秋田−札幌−名古屋−鹿児島−横浜、いやいや私にも故郷はまだまだたくさんあるのです。

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 義弟からの写真(メールで送ろうと最初は考えましたが、やはり印刷すると、それがいいので)と私の事務所の年賀状を同封して、手紙を次女ブルータスに送りました。
 今年も、こうしてときどき手紙を次女に送ります。
 やっぱり娘に手紙を送るのは嬉しいです。ただし、長女おはぎは同じマンションですから、こちらは毎日会えるわけで、こちらにはまず手紙を出すことはあまりないでしょうね。

 思えば、今年も何人もの方に手紙を書くことでしょう。ただ、もうケータイメールを使える方が増えるでしょうから、そちらも増えるでしょうね。
 でもメールでも手紙でもなく、直接電話で話すという方もおいでになります。だけらけっこうケータイを手から話していると、ときどき留守電が入っています。まあ、今の私には直接話すという電話というのは、実に面倒なものです。
 電話はぜひスカイプでやってほしいですね。スカイプなら、普通の電話や携帯電話と違って、話しているうちに、Chatを使って、いわばテキストでも会話ができます。続けられます。それで、パソコンの場を離れて、またしばらくしてChatを再会することも、私にはよくあります。電話ではこういうことはできないじゃないですか。

 でもこうして、いくつもの手段があるのは嬉しいことです。

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 きのうの晩、夕食の時、妻に言われました。「あっ、きょうは飲まないの?」。私は答えます。「2週間に一回は断酒するよ」。
 でもでも、妻に私は長女の家にいるポコちゃんのことを聞きました。その前に、妻は長女おはぎの部屋に行っていたのです。
 もうママのまわりにまとわりついて大変なようです。もうつかまり立ちできるから、台所でガス台のところなんかだと実に心配です。
 私は長女の部屋には入れてもらえません。長女とポコちゃんが、ここへ来るときに会えるだけです。だから、ものすごく寂しいのです。
 もう私は少しでも飲んでからは、長女の部屋へはいきません。それに、そんなことをしていると、ポコちゃんにいつか嫌われてしまいます。

 きのうの夕食は、実にいい酒の肴がたくさんあったのですが(いい酒の肴というのは、またいいご飯のおかずである)、もう「とにかく、きょうは断酒」と決めたので、それは貫徹します。
 しかし、酒を飲まないと、なんだか眠くなって(考えてみれば24日は午前3時半に起きたんだなあ)、午後9時30分には蒲団に入りました(でもそのあとは、寝ながら本を読んでいましたが)。

 でも、こうして孫のポコちゃんと会えるために、そして自分の健康のために、2週間に1日の断酒はいいこと、正しいことですね。
 いや、この「2週間に1日の断酒」というのは、実に私には難しいことなのです。私は長年飲んできまして、飲み屋で飲むのも好きですが、いい日本酒も知ってきたつもりです。そのいい日本酒をいつも手に入れられるので、それを断つというのは、実に大変な思いなのです。
 でもでも、間違いなく、ポコちゃんの少しでもいいじじになるために、この「2週間に1日の断酒」は貫徹していきます。

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07102406 私もオルゴールナミちゃんから、次のコメントをもらいました。

1. Posted by なみんと    2007年10月24日 09:55
周さん!おはようございます。
周さんもオルゴールを贈っていたのですね。
手回しのオルゴール・・いいですね。頂いた方達さぞ喜ばれたでしょう〜。なかなか一件では買えませんよね。何軒も歩いて買い集めてくれる男の人がいてくれるクリスマス・・これは絵本にもなりそうです。いいお話です。
時が経って・・手回しで流れてくる音色♪にしばし心が豊かになるのではないでしょうか。
奥様とお嬢様に贈ったオルゴール!!大切にしてくださいね(^^♪

 ありがとう。きょう長女おはぎがポコちゃんと来てくれて、この二つのオルゴールをならしたら、やはり私の記憶の通り、おはぎには「虹の彼方に」で、妻には「雨に唄えば」でした。それでブルータスには、何をあげたのだろうかと聞くと、「星に願いを」だったということです。ブルータスは持っていてくれるんだろうな。でも、それぞれの曲で納得です。

 今私は、妻の帰宅で、外に出られるんで王子駅前の銀行へ行きまして、資金の移動をしました。コンビニでもできるんだけど、通帳記入ができないよね。でもある金額以上は降ろせないのね。それでジャパンネット銀行に移動して、きょう夜中か明日朝、いくつも振込をします。それで振込んだ相手により、ケータイメールします。明日は25日だものね。
 それでついでにというか、それが一番の大事なことなのですが、王子駅北口の藤や酒店で、お酒を一升ビン仕入れてきました。このごろ、飲み終わるのが速いんですよねえ。酒屋の奥さまとも愉しく語らいました。

 でもナミちゃんも、オルゴールへの思いを書いてくれてありがとう。私はね、少しおかしいと思われるでしょうが、詩吟のオルゴールが欲しいんだよな。誰も考えても、作ってもくれないだろうな。あと、「君が代」とか「歩兵の本領」とか「唐獅子牡丹」とか「東京流れ者」もいいなあ。それを聞きながら、酒を飲んでいれば、その時の私は最高な存在になれるのです。

 この冒頭の写真のお酒が24日夕方購入したお酒の石鎚です。

 私もオルゴール へ

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 本日水曜日は、義母のデイサービスがお休みの日です。妻と1週間交代で、王子の家にいるようにしています。長女もポコちゃんと来てくれます。ポコちゃんは、ハイハイして、私の部屋に入り込み、おいてあるディスプレイを倒したりしています。いや、もっといっぱいなことをやっています。でも大変に可愛いのです。
 この日は、王子駅前の銀行にもいけないので、おはぎに頼んでここに居てもらい、私はセブンイレブンへ行って、他の銀行とジャパンネット銀行の振替をして、あとは私のパソコンの画面上で処理します。もう実際に行けない銀行・支店もありますから(例えば、一番近い支店で有楽町の銀行があります。もうなかなか行けませんよ)、そこにはジャパンネットから振込むのが一番いいのです。
 それと激しくケータイメールで連絡があります。5人の方から交互にいくつものケータイメールが入ってきて、私も出しました。
 実際にケータイ電話をもらっても出られないこともあり、しばらく経ってからケータイ電話することになります。電話って、面倒ですね。テキストになれば間違いが少なくなります。
 もうこうなると、パソコンやりながら、本を読むなんてことはできませんね。

 午後7時になったら、妻が帰ってきますので、私はお酒を買いにいきます。お酒がないと困ってしまいますよ。
 なんだか、目が回るって、こんなことなんだなあ。あ、手紙も書かなくちゃいけないなあ。手紙しか出せない人もいますからね。
 長女おはぎに二、義母へ手紙をくれるようにいいましたら、書いてくれて、それを義母は確かに読んでいます。これはとても嬉しいことです。
 さて、次女ブルータスにも頼まないといけないなあ。

 あ、そうだ。義母の薬もいくつもあります。これを飲んでもらうのが、けっこう骨が折れます。でも、私の長女は上手だなあ。でもでも、私がやれなきゃ駄目なんですね。

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 ナミちゃんのブログボランティアの例会 というUPがありました。ナミちゃんは、ずっとやられているんだな、と思い大変に感心しているところです。
 それで、そのUPのコメントに次のようなことがありました。これを読んで私が感じたことがあるのです。

昨日娘と近所を歩いていたらどうも認知症らしきお年寄りが「ケースワーカー」と名札をつけた若いスタッフと道端でケンカのようになってたんです。暑い中日陰にも入らず。悲しくなりました、せめて日陰にと思い声をかけました。すごい顔でにらまれました。どうしてそんな人がそういう仕事につくんでしょう。人格テストもしてほしいです!

 上はおたるんさんがコメントしてくれた内容です。それに対して、ナミちゃんが次のように応えています。

おたるんさん!よく日陰にと・・声をかけましたね。出来そうでなかなか出来ないことです。お年寄りの意思や希望に対しての接し方を考えて欲しいとおもう場面・・お年よりが○○をしたいという・・スタッフは何かの理由でダメだという。お年寄りは認知症かもしれない・・ダメという理由が理解できない・・何回かこれを繰り返す。
やりたい・・ダメ・・やりたい・・ダメ。ケンカみたいにはなって欲しくないですね。大変なことだと思うけど相手の方は介護がなければ
出来ない状態なのですから・・。

 私の母は、8月14日に亡くなりましたが、認知症で、ずっと介護を受けていました。私の義母も現在認知症で、東京都北区である介護サービスを一昨年の1月から受けています。私の母は、私たち夫婦も、弟夫婦も、孫たちも協力しましたが、一番介護でやりきってくれたのは、義姉です。私の義母は、私たち夫婦が懸命にやっていますが、私の長女夫妻も強力に手伝ってくれています。
 ただ、やはり私たち以上に介護サービスをしていてくれる方たちがありがたいのです。
 それで、これは今から7年くらい前に、私の長女と話したことです。私の二人の娘は、文教大学の教育学部で、二人とも教員になりました。それで長女の女性の友だちで人間科学部の女性がいまして、長女と親しくて、よく家に来てくれて、お喋りしていました。綺麗な娘で、私はだから気に入っているわけですが、でも彼女の真面目に介護を考える姿勢も好きになれたものです。彼女は今千葉県のある街で、介護サービスで働いています。
 この娘を見て、私は長女と話したものです。「あの娘はいい子だねえ。でも認知症の介護サービスなんてよくやるなあ、偉いよなあ」と私が言ったところで、長女との少し長い真面目な話になりました。
 私がいうのは、ああいう介護サービスをやろうという人たちはみな偉いなというのですが、長女がいうのには、ああいう仕事をやろうという人は、もちろんその長女の友だちのように真面目に考えている子もいるわけだが、実は、その仕事が大変に楽だから選ぶ人もいるのだということを聞いたのです。
 つまり、介護する相手が、何かを道に落としたとして、それを厳しく「それは自分で拾いなさい」というよりも、介護する側が自分で手を出して拾ってあげたほうが、実は大変に楽なのです。そして残念なことにそうしてしまう方が多いのです。そのときには、厳しい声で、「自分の手で拾いなさい」と言ったほうが、その相手には本当はいいことなのです。このことはよく見ておいてほしいのです。簡単に拾ってあげる人は、それは自分はそうしたほうが楽だからやっているのであって、その相手のことを真剣には考えていないのです。むしろ、そのときに、厳しく、「それは自分で拾おうね」と言うことのほうが大事なのです。

 このおたるんさんが実際に見たことは、事実がどうだったのかは判りません。でも「どうしてそんな人がそういう仕事につくんでしょう。人格テストもしてほしいです! 」というふうには、簡単にはいえないことだと思います。なんでも優しくどんなこともやってあげるのが、真に人間として優しいことかどうかは簡単にはいえないことなのです。まして「人格テスト」なんて、冗談ではありません。そんなテストを誰がどうやって作るのでしょうか。そしてその種のテストはたくさんあります。でも、そのテストから、「これなら適正だ」なんて判断されることは冗談ではありません。

 私は今、義母の介護をしていて、どうしてもときどき厳しい声を義母に投げつけてしまいます。それは義母のことを考えるからではなく、自分の都合です。でもそんな瞬間を見ている長女は、いつも私を注意します。そしてそんな長女は、いつも義母に優しいです。優しいけれど、ちゃんと適確に伝えています。ああ、長女は、少なくとも、私よりはまともな教育者だなあ、もっといえば、私よりはまともな肉親だなあ、と私はつくづく思っているところです。でも私もそうしたまともな教育者になりたいなと思っているのです。

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 周の雑読備忘録「かたやまけん『おーくん おんぶ』」に、次のコメントがありました

1. Posted by なみんと    2007年07月04日 03:06
 とても可愛い絵本ですね、我が家の長女が二歳の頃ミニーマウスを毎日おんぶしてましたよ。お母さんにでもなった気分のようでした。そんな子供のこころを私はうんと楽しみました。

 なみんとさん、ありがとうございます。私の長女おはぎが、今孫を連れてきていまして、私は「ママも昔、こうしておんぶしていたんだよ」といいました。
 絵本を見ると、忘れていたたくさんのことを思い出してきます。

  「かたやまけん『おーくん おんぶ』」の2 へ

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07041901 以下、私がたった今書きました母宛ての手紙です。すぐにポストに入れにいきます。ここに出てくる人の名前は、ほぼハンドル名に変えてあります。

   萩原たか子 様

               2007年4月19日

                周のURLメール
                今の王子の住所電話等

 前略
 今度4月23日にお見舞いに行きます。当日は、我孫子の台田のライオンズマンションの部屋のゴミの収集日に合わせた時間にいきます。もうあの部屋は誰もいないので、ゴミが資源の収集日に出せないのです。
 我孫子市は真面目な市だから、前日に出したりできないから、当日朝早く行ってやらないとなりません。
 きのう19日の手紙では、「ブルータスは結婚して、彼の家の2階に今住んでいますが、その家に近くにアパートを借りて、5月から二人で住みます」と書きましたが、今月25日からということです。だから我孫子のあの部屋からいくつも持っていくものがあります。そしてそれが終わったら、あの部屋をすべてかたずけないとなりません。

 思い出すと、あの部屋に住みだしたのは、1992年で、おはぎが6年生、ブルータスが5年生でした。あの部屋が日当たりが良くて、広いので、二人が大変に喜んでくれたのを、よく覚えています。そして我孫子じじがよく来てくれて、部屋のかたずけ整理をよくやってくれました。
 じじは、フロントにいる管理人さんと親しくなって、あの管理人さんは、じじのことを、「すごい人だ」なんて言っていたのをよく覚えています。

 もうあんなに小さかった二人も、白山中学校へ行って、二人とも生徒会をやって、二人とも三年生のときには、副会長をやったのでした。あんなに小さいときには引っ込みばかりのおとなしいブルータスが、お姉ちゃんの応援演説をしたり、自分でもやりだしたときには、もうとても驚いたものでした。
 ブルータスは、保育園よりも小学校のほうがすっと面白かったそうです。でもさらに中学校はもっと面白かった。そして高校はもっと面白くて、そして大学こそはもっと最高だったようです。
 そしてまた就職して教員になったら、それがまた面白くてやりがいがあってもう実に面白く充実しているようです。
 そんなことを聞いていると(いや親の前ではあんまり話してはくれないのですが)、本当にこの娘をもって私こそが一番幸せなんだなあ、と思っているところです。
                               早々

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  以下、私がたった今すぐ近くの郵便ポストに入れた母宛ての手紙です。ただし、ここに出てくる人の名前は、ほぼハンドル名に変えてあります。

   萩原たか子 様

               2007年4月18日

                周のURLメール
                今の王子の住所電話等

 前略
 きのうもきょうもお見舞いにいけませんでした。
 王子の松本のお母さんも、きょうの毎週水曜日はデイサービスがお休みで、一日家にいます。この同じマンションの4階におはぎ夫婦が住んでいるから、きょうは昼の12時少し前におはぎが、息子のポコちゃんを連れて来てくれました。ポコちゃんは今年1月3日生まれです。とっても可愛いですよ。この子は、ばあちゃんの3人目のひ孫です。みーねえのところが二人。そして次が、このポコちゃんです。
6d8047a9.jpg 次は、マサシのしほちゃんか、私の娘のブルータスか、それともおはぎの二番目の子どもが早いか判りませんが、ばあちゃんの4人目にひ孫が生まれますよ。全部で何人になるのかなあ。おはぎは、子どもが4人ほしいと言っています。そしてたぶんブルータスさよちゃんにも4人の子どもができます。
 だから、ばあちゃんにはたくさんのひ孫ができるんだよ。
 ブルータスは結婚して、彼の家の2階に今住んでいますが、その家に近くにアパートを借りて、5月から二人で住みます。それが1階と2階が一緒にある部屋なんだって。私なんかのときには、考えもできなかったアパートだね。それで彼のご両親の家のすぐそばだそうですから、これは良かったなあ、と思っています。
 この部屋に住みだした頃、私もブルータスの新居に行ってきます。
 それと今は、ブルータスには、たくさんの手紙を出しています。そうすると、おはぎが「何で私には手紙がこないんだ」というので、おはぎにも手紙を出しています。ただし、切手は貼らないで、おはぎの部屋番号のポストに入れるだけです。
 昔、私が東大闘争で府中刑務所に勾留されていたときに、ばあちゃんは、よく手紙をくれたね。でも、私はほとんど返事を書かなかった。いや、その前の高校1年のときにも、鶴丸高校で下宿していた私にたくさん手紙をくれていたね。でもそのときも返事を書いていませんでした。今そのことをものすごく反省しています。だから今はこうして手紙を書いています。遅い反省ですね。
                               早々

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   萩原たか子 様

          2007年4月15日                                               周のURLメール
            住所電話等

 前略
 きのう、ブルータスに会えたね。ブルータスの彼にも、その彼のお母さんにも会えたんだよ。それできょうは、おはぎとその彼と一緒に来ました。
 おはぎの子どものこうちゃんは、まだちっちゃいので、加壽子ばあに預けてあります。
 きのうは、ばあちゃんの手を握る力が強くて嬉しかったよ。それでそばにいるときにいろんなお話をしました。
 秋田には3年半くらいいたのかなあ? それから札幌には2年半くらいいたよね。札幌の幼稚園には、私は7カ月居て、卒園だった。
 そのあと、名古屋には3年半、ただし3カ所住んだ。南区、千種区、北区だった。そのあとの鹿児島には、3年半くらいいましたね。
 それから、横浜にもちょうど3年半くらいだったかな。
 そうすると、ばあちゃんは、我孫子に住んでいるのが一番長いんだね。
 東京の巣鴨に住んでいたのは、どうくらいだったのかなあ? 私は小さかったから全然覚えていないよ。ただ、たしか6年くらい前に、浅草のほおずき市に行ったら、何故だか、「あ、ここには小さいときに来たことがある」って、なんだか光景が甦ってきたのよ。久二じいと、昭和24年くらいのとき、私を浅草のほおずき市に連れて行ってくれたことがあったのじゃないかなあ。

 それから、まだばあちゃんが子どもの頃、茨城の佐貫に住んでいたのではなく、いっぱい千葉県を引越したのでしょう。どこにどのくらい住んで、そう引越したのかは、私にはまったく知りません。元気になったら、そんなことも教えてください。
 私にもこうちゃんという初孫ができたから、とても可愛いです。この孫を、ばあちゃんが、私の二人の娘やみーねえやMの二人の娘を可愛がってくれていたように、絶対に可愛がります。ばあやじいがあれだけ可愛がってくれたから、みんな実にいい娘になりました。
 だから、それを私もただただ真似していきます。
                               早々

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