将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:長春有情

13051907 この長春有情の以下を読み、思い出してみました。

Re: 吉川英治「三国志」を読む  講談社版
『おれの娘をやるのに、庶民なみの例で輿入れせよと申すか』
 『左様なことは、誰も申し上げますまい』
 『わからぬ事をいうやつ、それでは一体、どうしろと云うのか』
 『事は、家庭の御内事でも、天下の勇将たるものは、常に、風雲をながめて何事もなさるべきでしょう』
 『もちろん』
 『驍勇並ぶ者なきあなたと、伝国の玉璽を所有して、富国強兵を誇っているところの袁家とか、姻戚として結ばれると聞いたら、これを呪詛し嫉視せぬ国がありましょうか』

 袁術のところへ呂布が自分の娘を背負って馬に乗って駆けていくのだと思いましたね。もう「吉川英治『三国志』」は随分昔に読んだから、記憶があいまいです。でも高校1年の秋(9月だったかなあ)に読んだのでしたが、もう忘れていることばかりですね。
 三国志では、やはりこの吉川英治がいいのですが、私には諸葛孔明が活躍しだすと、あまり好きになれないのですね。孔明と司馬懿仲達の戦いのときは、興味があるのですが、もう時代が「三国志ではないなあ」と思わせてくれますね。
 吉川英治もその彼の書いた『三国志』でも、後半があいまいなところがいくつもあります。もともとの「陳寿『三国志』」でも「羅貫中『三国志演義』」(演義の作者は羅貫中とはいいきれません)でも後半はあいまいに感じます。まあ、「陳寿『三国志』」も裴松之の注があってこそ面白いといえるのかと思っています。この裴松之の注を必死に読んでいる自分に気がついて驚いたりするものです。

13051104 私がときどき拝見しています長春有情で、このUPがありました。

Re: 大河ドラマ「篤姫」(08/1/6〜08/12/14)
2013/05/11 08:48
「大河ドラマ『篤姫』」が放映されなかったら、鹿児島の人たちも小松帯刀を知らなかっただろう。

 私だって、小松帯刀はそれほどの人物ではなく、あれほどの保守派だった島津久光を尊王攘夷倒幕派まで仕立て上げたのは、大久保甲東だと思っていました。西郷南洲ではなしえなかったのです。
 私は今では、この小松帯刀がいてあの薩摩藩の明治維新は成し遂げられたと思っています。そのことを大河ドラマ「篤姫」はよく描いていたと思っています。

X12122405 長春有情に、このUPがありました。

突然美空ひばりさんが画面に

「金色夜叉」も「長恨夢」という題で歌われている。
 そういえば、10年ぐらい前俺が歌った「金色夜叉」を、
 韓国人留学生がすぐ覚えて歌ったことがあった。
 韓国でも歌われていたんだな。
 韓国・奄美・沖縄・台湾に流れるメロディー
 共感するものがある。
 奄美出身の歌手元ちとせがアジアで受けるわけだ。

 私は今「東海林太郎&松島詩子」の歌を聴きました。でももっと歌は長かったのですが、そして私はCDももっていたはずなのですが、今はありません。
 元ちとせも私は最初に歌を聞いたときに、柏のレコード店にCDを買いに行ったものです。でもこれも今はどこにあるのか分からないです。引越しのときに大量に捨てましたからね。
「尾崎紅葉『金色夜叉』」は中2と中3のときに、全部2度通して読みました。大変に長い小説で、未完なのですね(紅葉が亡くなってしまう)。この歌の熱海の海岸のシーンは最初の最初です。後半は、お宮(みや)さんと復縁するかなあ、という展開の中で終わってしまっています。貫一は、必ず「宮(みい)さん」と呼んでいるのですが、この東海林太郎の歌でも「宮(みや)さん」と唄っていますね。
X12122406 元ちとせは今も私は大好きです。私には、いつでも彼女の歌が何度でも甦ってきます。

 思えば、この当時の尾崎紅葉にしても小栗風葉にしても徳富蘆花にしても悲しい作品ばかりですね。

X12122120 長春有情に、このUPがありました。

ふしぎな夢だった  2012/12/24 3:46 [ No.31357 / 31366 ]
一つは友人たちの夢
もう一つは前職場の夢

 私はここで、夢の中の日常を書いています。でもこの頃は書いていないというか、そもそも前のようには夢をみないのですね。いや見ているのですが、前のように明確に覚えていないのです。
 これは大変に悔しい思いです。
 また前のように夢をいくつも見て行きたいです。そしてそれを書いて行きます。

12112217 長春有情さんから、私の「長春有情さんのサイトで高校同期会のUPがありました」へのレスがありました。

Re: 私の将門Webで以下のUPをしました  2012/11/21 13:50 [ No.30850 / 30863 ] 周二君久しぶりです。
こうして君に返事を書くときは、
中学時代の君の顔が浮かんできます。
いつも君の顔を想い出す時は、島津斉彬の肖像画と重なります。
あの頃の君の顔はどの俳優に似ているかと、考えてみましたが、
島津斉彬が一番にています。
たぶん、君は私をみても覚えていないと思います。
昨年11月23日 東京での高校同期会に初めて参加しました。
6年生の時の同級生がいたので、俺を覚えているかと聞きましたが、
全然知らないとのことでした。
彼の事を私はいろいろ覚えていたので、そんな話をしましたが、
記憶はもどらなかったようです。
14、5年前、鹿児島城山観光ホテルで小学校の同期会がありました。
6年生の時、私が好きだった女の人もいましたので、懐かしくて話しかけたのですが、彼女には記憶がありませんでした。そのショックがあったので、友人が憶えていなくても気にはなりませんでした。中学時代はバレーボールの選手で少しは有名だったはずなんですが。
 その高校同期会が23日にあります。
 また参加します。
 もし、君を覚えている友人がいたら、君のブログを紹介してきます。 

 いくつも懐かしく思い出します。島津斉彬は私も好きな人物です。

君は私をみても覚えていないと思います12112218

 そうですね。長春有情さんはいくら思い出しても誰だかも分からないのです。たしか5年くらい前に私が小学4年生のときにいた名古屋の千種区の今池小学校の友人にメールしましたが(私が同窓会のインターネット上のホームページで見つけました)、彼からの返信は少しも思い出せないということでした。仕方ないのかな。あの小学校には4年生のときに1年いただけですから。
 大学のときの学生運動の仲間とは今も連絡をとっていますが、でもでもみんなそれら私の同級生たちは、このインターネットが全然できないで、私も困り果てています。仕方ないのかなあ。
 でもねえ、インターネットもできなくても仕方ないけれど、手紙にも反応しないのですね。私はけっこう手紙も書くのですが、返信は100通に3通くらいなものです。いやメールでもケータイメールでも圧倒的に少ないのですね。私より10歳以上年下の方からわずかにあるくらいです。
 鹿児島城山観光ホテルはあれができる前は、天文館の牧野文具店があそこでゴルフ場をやっていたのです。あの社長は私の自宅にはほぼ毎日来ていました。何しに来るかといえば、当時私の家で飼っていた秋田犬の話なのです。牧野さんも、その他の方も秋田市に出かけてしまうくらい秋田犬が好きでした。しかも一般的な秋田犬ではなく、私の家にいた剣光号とその父親五郎丸という犬の血統の犬でした。
 この私のブログのサイドバーの

   http://www005.upp.so-net.ne.jp/ppup/
     une poire ふなこしゆり

がその五郎丸の持主だった船越さんのお孫さんのホームページです。
 でも何もかもが遠くへ行きました。私の昔の思い出も遠くへ行ってしまいました。私の秋田や札幌や名古屋の思い出も、鹿児島や横浜の思い出も、いやそれどころではない、大学時代の思い出も遠くなりました。みんな普通にインターネットをやってくれればいいのですが、もう無理ですね。そもそも私のブログすら見られないのですから。
 いや思うと愚痴ばかりになってしまいます。
 今は孫といっぱいお喋りすることが唯一の慰めです。
 思えば、長春有情さんとは早稲田戸塚の思い出でも読める思いがあるのですね。先日テレビで加山雄三さんがあの町を歩くことがあったのですが、私はいくつも知った光景を思い出していました。もうみな遠くなりました。
12112219 ああ、また横浜を歩いてみるかなあ。いや私は鎌倉を歩くのも好きです。鎌倉の源氏山を歩くと、いくつもの思い出が甦ります。それに私は「原節子さんにお会いできないかなあ」なんていつも甲斐なきことを考えているものです。

 今朝刊が入りました。今日は早いですね。

12111811 私のここのサイドバーでリンクしています長春有情さんに、

高校同期会(忘年会)2012/11/17 14:32 [ No.30805 / 30819 ]
Re: 高校同期会(忘年会)  2012/11/18 11:15 [ No.30806 / 30819 ]

の二つのUPがありました。
 私は彼とは高校が違ったのですが、このUPはなんだか懐かしく思いました。

中央駅ビッグカメラをぶらっとしましたが
右ひざがいつもより痛くて
歩き回る気にならず
友人のところに行きだべってきました
そこには20年前に一緒に忘年会をした仲間もいて
そこでも楽しい時を過ごしました
昨日の同期会は盛り上がりましたね

 いいですね。私は彼とは高校は違いますし、鹿児島中央駅というのも昔はなかったから、想像しようとしてもむずかしいのですが、思えば大きく変化したのでしょうね。私の記憶は47年前の思い出のままです。
 私は高校は鹿児島と横浜なので、そのすべが幻のように思い出されるばかりです。そのあとの人生も長かったわけで、そしてたくさんのことがあったわけですが、読んでいて、「いいなあ、良かったな」と思ったばかりです。

12082908  長春有情さんでさらに思いました。
 私の将門Webはインターネット上のブログなのですが、もう何人もの方が私を普通にインターネットもパソコンもできるということで、扱ってくれています。
 ところが私の大学時代の方もその上の60年安保世代も、実に私には「ダメだなあ」としか思えない方々ばかりなのです。いやこれはこうした学生活動家に限らず、私の高校時代の方々でも驚くほどの無知ぶりをさらしています。もうあきれ返るばかりですよ。
 これはこうした活動家関係の人ばかりでなく、それ以外の方々でも驚くばかりです。平気で、「インターネットなんか禁止すべきだ」なんていう人がいるんです。
 またメールにたくさんのスパムメールが来るので、それが私がみんな出していると思っている方、また海外の方でも、自分のメールへのスパムメールが誰々がやっていると思い込んでいる方がいます。
 もう私はそういう方のメールアドレスは廃止して、もう私には二度と分からないですが、それでもそういう阿呆な無知な方は大勢いますよ。
 もうその方の小さな子どもさんがあきれているばかりです。
 私は長年横浜の高校のクラス会をやってきましたが、ある方の「私にメールを送らないで」という電話で非常に驚いたもので、もう私は彼女のアドレスは廃棄し、それだけではなく、もうこのクラス会のことは一切やっていません。
12082909 私の友人でも非常に困っていて(米国に住む奥さんが怒っている。もうその子どもたちもその自分の馬鹿母親にはあきれていますが)、でも私はもうどう言ったらいいのか困っています。
 パソコンやインターネットが普通にできるということが何かひどいことができると思い込む馬鹿で無知な人がごく少数ですけれど、いるのですよ。
 あきれることですが、これは実に悲しい事実なのです。

12082902 この長春有情さんのUPでいくつものことを思い出しました。

 篤姫が鹿児島では評判の悪い財政改革をした調所広郷や井伊直弼の死を悲しんでいた場面に心を打たれました。

 うーん、そうですね。調所広郷は実に大変だったなあ、という気持を抱きます。島津重豪が大変な人でしたからね。島津藩を借金だらけにしました。まあ、ここではそんなことをいうところではありません。
 でも彼の死に篤姫が泣く気持は分かるつもりです。いえ、これは原作宮尾登美子の描く篤姫のことですよ。
 ただ私は井伊直弼は今でも少しも好きになれません。ただただことなかれ主義のどうしょうもない保守性の人でした。その保守性の中で開国していますのですね。
12082903 私の一番好きな詩は、「黒澤忠三郎『絶命詩』」ですがこれは桜田門外で井伊直弼をテロしたときの詩です。万延元年三月三日のこの日(実際には安政7年)のこのことを詠った『絶命詩』を私は70年安保闘争の6・23で埼玉大学のバリケードの中で、私も詠いました。もちろん、そのときに私のかぶるヘルメットは私だけの思想のものでした。

 でも私も自分の中学甲東中に行きたいな。

 4月28日の中学校の同窓会の時に、中学校訪問もありました。
 中学校卒業写真を校長室で見せて下さいました。 
 その時、君の写真を見たことを伝えておきます。
 そこには私のイメージにある君がいました。

 懐かしいです。でも私がもうあの中学へ行くことはないだろうな。

 君とは同じクラスにはなりませんでしたが、廊下や校庭で、
 二言三言話をしたことははっきり覚えています。
 君の薩摩弁ではない語り口からの知識に、少年の私は何か惹きつけられたのではと、今思います。

 私は言葉は、名古屋にけっこう長くいたのですが、名古屋の言葉は非常に汚くて大嫌いでした(私は秀吉とおねねが言い合いをしているともうひどい名古屋弁で言い合いしているさまが見える気になります)。だから、あの鹿児島で話す私の言葉は札幌のものじゃないかな(札幌も私には嫌な都市ですが)。

 君の好きな曹操、私も次第に彼に惹かれてきました。

12082904 曹操はいいですよ。歴史上の彼もいいですが、彼の詩は最高です。いえ、もちろん曹丕の詩もいいし、もちろん曹植もいいです。この三曹の詩は、私のこのブログでは大部分紹介していますが(一部まだやっていません。長すぎるのだと、どうしようかと悩むのですね)、そのうちにやります。漢詩は大変なのです。出てこない漢字があると(これはいくつもあります)、それをどの字に置き換えるかということで悩みすぎるのです(そしてその解説はしますよ)。

 ついでに、先日の同窓会には当時の生徒会長健一君も来て挨拶をしました。彼はお医者さんになっています。
 君と同じ高校に行った、秀才の女性も3人来ていました。
 MNさん、MYさん、SNさん。
 わかりますか。
 

 懐かしいです。あの生徒会長は熊本大学だったのじゃないかな。
 MNさん、MYさんは分かりましたが、SNさんって今では分からないのです。12082905

 そういえば、長春有情さんは69年70年のころは高田馬場や戸塚町にいたのじゃなかったかな。私も当時あそこらへんにいたので、懐かしいのです。今歩いても懐かしいです。私の今住む王子とは都電で今もつながっているのですね。

201704030212082610 私が書きました「吉川英治三国志『関羽一杯の酒』」なのですが、長春有情以下の書込みをしました。

三国志『関羽一杯の酒』をUPしました  2012/ 8/26 11:14
貴サイトは読んでいるのですが、今はまだ一年前のUPを読んでいるところです。なかなか貴サイトの更新そくどには、追いつけません。

そうしましたら、長春有情さんから以下のレスがありました。

Re: 三国志『関羽一杯の酒』をUPしました  2012/ 8/26 19:06
 周二君久しぶりです
4月28日に母校の中学校同期会がありました
君のいた生徒会の役員の人たちも来ていました
今度同期会がある時は
ここででもお知らせしたいとおもっています
私は糖尿病になり、命がけで水泳と歩きを1年ぐらい続けていましたが
運動のやりすぎで右膝が痛くなり
いまは散歩も水泳もしばらくやめています
お元気でご活躍ください

ありがとうございます。嬉しいです。生徒会のみんなは元気なのかな。インターネットで、ホームページなりブログなりをやってくれれば、すぐに分かるのですがね。これはあのときの中学の同級生だけではなく、私の年代の人たちは無理かな。高校での人も大学の人たちも無理だものなあ。
いや、これは私の同期に限らず、みんな苦手なようです。でも私にはそれが不満なのですね。いやメールもケータイメールも苦手なようですね。嫌になります。
いや実を言うと、私よりもかなり若い方でも苦手なようです。私が言います『「書き言葉」と「話し言葉」』ということが苦手なようです。私が手紙を書いて出しても、返信をくれるのはみな女性ばかりです。しかもみんな手書きなのですね。いえそれは嬉しいのですが、何通もの返信は難しいよね。
ある人が言っていましたが、実際に「書き言葉」ということが苦手なようです。だから「実際には『書けない』」ということを強く聞きました。でもこうなると、もう実際には大変なことになりますよ。
私の高校時代の友人が、「電話で会話はできるが、ケータイメールはできない、やれない」といっていました(もう5年くらい前に言っていました)。
12082611 私ももう64歳のじいじですから、決して万全な身体とはいえません。ただ、もう昔のように腹いっぱいは飲んでいないし、医者には2週間に一度行っています。ただ、メールもケータイメールも手紙もいっぱい書いていますよ。
その医院でも思うのですが、私の年齢以上の方は、みな何かしらの障害を持っているものですね。でも文字は書けるはずです。ケータイメールはやれるはずです。そして今やらないと、もう無限に無理になっていくだけです。

続きを読む

201704030212082507 私が「吉川英治『三国志』」で一番好きなシーンがありました。
私が読んでいます長春有情の「吉川英治『三国志』を読む 講談社版」で、以下のシーンです。その内容が次の一節です。

関羽は、数歩すすんで、曹操の前に立ち、血まみれな手のまえ、先に預けておいた酒杯を取りあげて、
『では、この御酒を、頂戴いたします』
と、胸を張って、一息に飲みほした。
酒は、まだあたたかだった。

この酒は曹操が注いだものです。
私はこのシーンを高校1年の9月に読んでいました。「中国の酒も温めて飲むんだ」と思ったものです。
関羽は敵将である華雄の首を打ってくるのです。それは味方にも思いもよらないことでした。それをこうして、私の友人の長春有情さんが書いていてくれます。
このシーンは高校1年の9月の私には実に鮮明に覚えているところなのです。

続きを読む

12040810 私がいつも読んでいるのが、この長春有情です。でもここはかなり毎日のUP量が多くて、私では読みきれません。
 ここれで、吉川英治「三国志」を読んでいます。でも進行しているよりも私ははるかに遅れて読んでいるものです。
 今日は、以下を読みまして、もうただただ曹操に感激感動しています。いやもちろん吉川英治にも感激しています。

  吉川英治『三国志』を読む
 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=TR&action=m&board=2000482&tid=d9bdumadbep&sid=2000482&mid=20022

の中の一部です。

『先生、池の魚は毎度鑑ておいでらしいが、まだ大海の巨鯨は、この部屋で鑑たことがありませんね』
 すると、許子将は、学究らしい薄べッたくて、黒ずんだ唇から、抜けた歯をあらわして、
『豎子、何を云う!お前なんぞは、治世の能臣、乱世の姦雄だ』
 と、初めて答えた。
 聞くと、曹操は、
『乱世の姦雄だと。 結構だ』
 彼は、満足して去った。

 ここは、曹操の曹操たるところが思うままに私の目の前に浮かびます。乱世の奸雄とは実に曹操に最適な言葉です。そしてそういわれて満足している曹操が私は大好きです。
 私は曹操の漢詩はみな好きです。ほとんど暗記暗誦しているといっていいでしょう。もちろん、曹丕も曹植の詩も私は大好きです。

 でもここのサイトでは、私はまだここを読んでいるのですね。まだまだ急いで追いかけないとならないのです。

 私は三国志といえば、今まで、「三国志」「三国志演義」「吉川英治『三国志』」「横山光輝『三国志』」、北方謙三「三国志」、柴田錬三郎「英雄・生きるべきか死すべきか」、伴野朗「呉三国志」を読んでいます。まだほかにもあるかもしれません。

 それと宮城谷昌光「三国志」は、まだ読んでいる最中です。

101212032010/12/13 12:02きょうがニチイの介護サービスの日だとは分かっていたわけなのですが、私の友人の「長春有情」のここを読んでいたら、すっかり忘れ果てていました。
「吉川英治『三国志』」で廬植が檻車に入れられて行くところに劉備が会って話をするのですが、張飛が、「もうこんなのは、この官軍とやらを皆殺しにして、先生を救おう」といって劉備が止めるところですが(きょうのところはそれまで)、私は昔高校生のときには、「張飛はしょうがないな」と思ったものですが、今ではこの張飛のやり方が一番正しいのじゃないの。廬植だって、そのまま引き立てられたって、仕方のないことなのです。もはや後漢はただのひどい情けない国です。ここで廬植が逃亡して、劉備と一緒に戦えばいいのだ。
 でも所詮は無茶なことを私が言っているのかもしれません。
 さて、私はガラパゴスもIS01もケータイもいくつも打てるもの、書けるものがあって嬉しいです。

10121101 私がいつも見ています長春有情の今日の書込が以下です。

Re: 「サンデーモーニング」 MBC 8時  2010/12/12 8:43 [ No.15512 / 15512 ]
中国平和賞委員会の担当者が、「劉暁波の評価は500年後に、名前が残るかどうか」と言っていたが、500年は大げさ、10年後には正しい評価がされると、俺は思う。
俺は劉暁波さんと吉田松陰がダブって見える。
 番組で劉暁波さんが長春の出身と聞いて、この人に、何か近しいものを感じた。
 歴史的評価、世界的偉人だけの問題ではない。
 自分たちの人生にもつきまとっている問題だ。
 ある時には評価され、ある時は左遷される。
 今朝読んだ「吉川三国志」に、無実の罪で捕まって檻車に入れられた劉備の師、廬植が、
『わしの如き、老年になっても、まだ佞人の策に墜ち、檻車に生き恥を曝されるような不覚をするのだ。汝等は殊に年も若いし、世の経験も浅い身だ。くれぐれも、平時の処世に細心でなければ危いぞ。戦を覚悟の戦場よりも、心をゆるめがちの平時のほうが、どれほど危険が多いか知れない』
 を思いだした。

 廬植の言葉を思います。数日前にはこの盧植が一軍を率いていたのですが、今は檻車に入れられているのです。

 いつもこの長春有情は読んでいます。数日前のここでは、劉備と曹操が初めて会うシーンが書いてありました。私は三国志の世界では、正史も「三国志演義」もすべて曹操が一番好きです。もちろん「吉川英治『三国志』」でも曹操が好きです。曹操始め三曹は、私はここでいくつも詩を紹介してきました。
 でも私はこの吉川三国志でも、吉川英治は当初は演義を新しい三国志で、描くつもりだったのでしょうが、やがてやはり曹操をどうしても評価してしまうというか曹操の魅力に惹きつけられるのですが、後半は結局はやはり吉川英治も諸葛亮孔明につかまってしまった感じです。
 私が三国志で、張遼の次に好きな張コウ(合におおざと。私はこの字が出せないことがものすごく不満です)が、やはり曹操をこそ慕っていることを私はいつも思うのです。
 あ、少し関係ない話になる(三国志関係、曹操のことはすぐに私は熱心になってしまうのです)から、ここで止めましょう。とにかく、私は長春有情は読んでいますよ。

2017020620
2017020619

10092004  私がここのサイドバーで、「将門のブックマーク」でリンクしているサイトに「長春有情」というサイトがあります。私の鹿児島時代の友人のやっているサイトです。
 それに、「吉川英治『三国志』」が最初から書いてあります。その「吉川英治『三国志』を読む」93回の中に、以下がありました。

楊柳に囲まれた寺院がある。塀にそって張飛は大股に曲がって行った。すると大きな棗の木が五、六本あって、陰士の住居とも見える閑寂な庭があった。門柱はあるが扉はない。そしてそこの入口に、
   童学草舎
 という看板が懸かっていた。

 これは、翼張飛が劉備玄徳に会った嬉しさを、雲長関羽に報告に行くところです。
 私も昔進学教室をやっていました。どうしてもよんどころのないことから、そうなったのでしたが、そのときこの関羽のやっていた「童学草舎」を懸命に思ったものでした。
 三国志は、やはり主役は曹操であるわけで(後半は孔明です)、それはこの吉川英治も言っているのですが、でもこうして見てゆくと、読んでいくと、やはりなんと言っても、この3人が出てきますね。
 私はこの三国志を最初に読んだのは、この吉川英治が最初ですが(小学生のときに、読んだことがあります。あれは演義でしたね)、やはりここらへんは、曹操ではなく、この三人を思いますね。

bc85a471.jpg

 長春有情さんの掲示板に、以下のことが書いてありました。

Re: 吉田松陰  2009/ 4/14 10:50 [ No.4360 / 4365 ]
辞世の歌
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも とどめおかまし 大和魂」

 私は、吉田松陰「辞世」にて、すべてこの松陰の辞世に関する詩や歌を披露しています。
 吉田松陰は安政六年一〇月二七日小塚原にて刑死させられました。そのときの辞世は、

  親を思う心にまさる親心今日のおとずれ何ときくらん

 また松陰が首を打たれる前に吟じたとされる詩が以下の詩です。

   辭世    吉田松陰
  吾今爲國死 吾今国の為に死す
  死不負君親 死して君親に負かず
  悠々天地事 悠々たり天地の事
  鑑照在明神 鑑照は明神にあり

 それにこのとき、獄を出るときに歌ったとされるのが、

  身はたとえ武蔵の野辺に朽つるともとどめ置かまし大和魂

です。また安政元年に作ったといわれる以下の歌も有名です。

  斯くすれば斯くなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

 このとき、松陰は30歳でした。思えば、まだ若い(私は今60歳ですから、松陰の2倍生きているわけです)松陰を、親たちは、それをどう聞いたことでしょうか。そのことを、辞世にそのまま、「親を思う心にまさる親心今日のおとずれ何ときくらん」と詠いました松陰の気持こそを思います。

続きを読む

ef635781.jpg

 長春有情さんから、新年あけましておめでとう へ次のコメントがありました。

1. Posted by 長春有情です    2009年01月02日 15:52
謹賀新年
萩原君ありがとうございます。
今年は会う機会を必ず作ります。
仕事が自由になります

 それで、さらに彼の掲示板に、次のUPがありました。

周二君、新年おめでとうございます。
君のブログに書き込みました。
君の家族の写真を見て、やっぱり君に間違いがなかったこともわかりました。
あの頃、たぶん中学校の頃、君は鹿児島人とはちがい、
垢抜けしていました。
君のブログを見ても、君は田舎の人間ではなかったことがよくわかります。
私も今年はフリーになります。
娘達が東京に行こうとしていますので、東京に行く機会もあるでしょう。
東京に行っても、浅草演芸ホールか新宿末広亭に行くだけのこと。
今年こそ君に逢おうと思っています。
たぶん5月連休のころでしょう。
今年もお元気で活躍して下さい。

 ありがとうございます。鹿児島は、私のいくつも引越た先の一つですが、でも私が小学校6年から高校1年のときまで、丸4年も住んだところですから、懐かしいです。
 私は札幌には2年半、名古屋には3年半(ただし、3ヶ所住みました。小学校も3つです)、横浜には3年半住んだので、比較的長いほうです。ただし、鹿児島は東千石町ばかりでなく、原良町にも住みました。

 懐かしい思いばかりが甦えるものです。

続きを読む

8d7ac235.jpg

 私の中学時代の友人の長春有情さんのYahoo!掲示板で、このUPがありました。

謝晋監督が亡くなった  2008/10/19 10:02 [ No.3386 / 3390 ]

 私はこれを今朝朝7時頃読みまして、「え、謝晋さんが亡くなったのか」と実に驚いてしまいました。
 この私の友人の長春有情さんが、書いたものを、以下載せてみます。全文コピーするなんて、ずうずうしいのですが、私には、もうここに書いてあることは、すべてが大事なことばかりなのです。そもそも、謝晋監督に実際に会ったということがもう羨ましくてないりません。

その連絡を聞き
インターネットを開くと
母校の創立100周年記念式に参加するため
故郷浙江省の上虞市のホテル滞在中 心臓病で
10月18日(土)
彼は一番好きな、尊敬している中国人だった
NHKのテレビで彼の映画『舞台姉妹』を録画したくて
出たてのソニーベーターマックスのビデオデッキを
24,5万円出して買った
78年頃だ
彼の作品『芙蓉鎮』それを研究しようとして
京都のある大学院を受験したが、教える人がいないといって
不合格になった
他の作品は『天雲山物語』『牧場人』『乳泉村の子』『阿片戦争』
1999年彼が中国で初めて設立した私立映画俳優養成所を
訪問して 彼と話をした
そのときの話の内容もはっきり覚えている
彼は高倉健にもらった腕時計を見せてくれた
俺は『満州国』という映画を作って欲しいとお願いをした
その一部始終はビデオカメラにおさめた
すばらしい中国人だった
文化大革命でさんざんやられた人だった
84才 惜しい人をなくした
今、思い出した
昨日18日 俺は本屋をぶらついたそのとき張芸謀の自伝があったので
謝晋監督の自伝はないかしばらく探していた
俺に何かメッセージを送られたのだろうか
俺は彼に会ったとき彼に言った
『謝晋監督の作品、特に芙蓉鎮における中国的ヒューマニズムの研究』を
テーマに卒業論文を考えていますと
安らかにお眠り下さい 素晴らしい映画をありがとうございました
『芙蓉鎮』と『舞台姉妹』は私の宝物です
あの日の謝晋先生を思い出しながら

 私は1988年のたしか3月に神保町の岩波ホールで、この『芙蓉鎮』を見ました。もうそのときは、ただただ涙が出てくるばかりでした。
 私のホームページ内にこの映画を見た私の思いを書いてあります。

   http://shomon.net/eiga/movie5.htm#mfuyo 芙蓉鎮

 この映画は、私の親友であった、堀雅裕が大好きな映画でもありました。私と彼はよくただただ、朝まで飲んで、そしてまた彼のアパートから、朝10時頃食事の店に入りながら、また飲んでいて、この映画の話をしていたものです。
 この映画の話をしつこくしている私たちを怪訝な眼で見ていた北京の女の子が、やがて堀雅裕と結婚したものでした。

 この映画と同じように熱烈に好きになれたのが、張芸謀監督の以下の映画です。

   http://shomon.net/eiga/movie4.htm#020318 初恋のきた道

 この映画も私は何度も見たものです。そしていつもただただ涙ばかりになっていました。だが、この映画は、私の親友の堀雅裕は見ていません。この映画が作られたときには、彼はもう亡くなっていました。

 今年の北京オリンピックが、その開会式をこの張芸謀が演出したというのを聞いたときには、なんだか、ものすごく哀しくなったのを覚えています。

 私はただただ、長春有情さんにお会いして、この謝晋さんのことも、張芸謀監督のことも話してみたいものです。

続きを読む

3ac40d21.jpg

 私が毎日拝見しています長春有情には、いくつも『男はつらいよ』の映画評が載っています。昨日は『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』を最初に読み、そしてその他の『男はつらいよ』の映画評も読んでいました。
 私も以下に書いておりますが、この寅さんの映画は実に大好きです。

 http://shomon.net/eiga/movie1.htm#mtora 男はつらいよ寅次郎の青春

 私はここで次のように書いています。

 こどもたちが小学生低学年のころは、寅さんを実在の人物と思っていて、「寅さんて今どこにいるの」なんてよくきかれたものです。高学年になってくると、とくに優しい長女など映画を見るたびに、「寅さんて、あれで食べていけるのかな」なんて本気で心配していました。映像の中の香具師の仕事だけではどうしたってやっていけるわけないと私だって思います。「いや映画で映っている以外の時は、毎日真面目に働いているんだよ」なんて、答えていました。

 思えば、私たち家族はお正月に必ずこの映画を王子で見ていました。でも私が心に一番残る映画はなんだろうと思いました。それで思い出したのはこの第25作なのです。

題名 男はつらいよ
   第25作 寅次郎ハイビスカスの花
封切 1980年8月2日
監督 山田洋次
脚本 山田洋次、朝間義隆
音楽 山本直純
配給会社 松竹
キャスト
 車寅次郎 渥美清
 松岡リリー 浅丘ルリ子
 諏訪さくら 倍賞千恵子
 諏訪博 前田吟
 諏訪満男 中村はやと
 車竜造 下絛正巳
 車つね 三崎千恵子
 桂梅太郎 太宰久雄
 源公 佐藤蛾次郎
 御前様 笠智衆

 でもこの映画は、私が32歳のときなのですね。そうするとまだ長女も小さいから、一緒に見に行ったわけではないのですね。
 でも、私は沖縄は、自分の大切な故郷だと思っていますので、とっても好きになれたのだと思っています。
 そしてリリーが出てくる寅さんの映画では、これが私は一番好きだと言えるのですね。この二人が沖縄の小さな部落の小さな家に住んでいるシーンが私は一番好きです。
 リリーは、この映画の中で、寅さんのことが好きだ、一緒になりたいといいます。リリーが寅と会えたときの喜びを思います。病気だったのに、リリーが元気になるのです。さあ、これで二人で所帯を持てばいいのです。
 でも寅さんには、まったくそんな気持がありません。勝手なことばかりしています。
 そしてとうとう、リリーは沖縄から去ってしまいます。
 そして必死に沖縄から柴又に帰ってきた(なにしろ、寅さんは飛行機が怖くてよく乗れないのです)寅は、また柴又でリリーに再会できます。
 妹のさくらは、リリーにお兄ちゃんと結婚してほしいといい、寅も「俺と所帯を持つか」といいますが、でも二人は柴又駅で別れてしまうのです。

 なんだか、寅さん映画の中で一番好きになれ、でも一番悲しい映画です。なぜ、この二人が一緒になれないのでしょうか。
 浅丘ルリ子がヒロインになる映画はいくつも見てきました。そして私は彼女がとっても好きです。でも、その多くの映画の中でも、このリリーの彼女が一番好きです。

続きを読む

08052606 私は長春有情に以下を書き込んでいるのですが、どうししても「リクエストは受け付けられませんでした。」というメッセージが出るだけです。もうくたびれたので、ここにPします。

 乃木さんのことは昔から今も好きです。
 このUPに、私のブログで以下を書きました。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/51428879.html
                       漱石の『こころ』のことで

 そうですね。私はずっと乃木さんが好きですよ。そしていつも乃木さんのこ
とを貶してばかりいる司馬遼太郎が、嫌いです。

続きを読む

390ac68a.jpg

 私が毎日必ず読んでおります 長春有情 にこのUPがありました。以下の通りです。

夏目漱石の奉天旅行  2008/ 5/27 19:31 [ No.2738 / 2740 ]
1909年 すると彼は奉天ヤマトホテルに泊まったのでは
漱石が100年前の中国に何を見たのだろうか
明治42年 その2年後に乃木大将の殉死 妻乃木静子さんと
乃木静子さんはわが薩摩の女性
武の橋の近くに乃木静子さん誕生地の石碑があった
夏目漱石が乃木大将の殉死について書いたのがあったな
 

 漱石が乃木希典の殉死で書いた小説は、『こころ』です。この小説は誰も読んで心の中に大きく残る小説ではないでしょうか(ただし、私の娘たちの年代は違うかな。違うだろうなあ)。やはり、森鴎外が見ていたものとは漱石は大きく違うなあという思いです。
 乃木という人は、西南戦争のときから、自分の死を見つめていました。それがつまらないこと、くだらないことと思うのは仕方のないことです。でも、この乃木さんの自刃を目の前にして、『こころ』を書いた漱石と、くだらない死としかとらえられなかった志賀直哉とは、大きく違います。そして私は漱石が好きで、志賀直哉は嫌いです。

続きを読む

2017020623
c78caf1d.jpg2017020622

 私が毎日読んでいます長春有情さんの2008/ 5/22 23:19 [ No.2716 / 2719 ]の書込みの「歌手 谷真酉美さんの歌で」で、書いてある歌が以下のようにあります。

‥腓離屮襦璽后‐赦38年
芭蕉布 昭和40年
G澆畔実癲‐赦16年
の个涼亙神 昭和10年
ス餠の町 昭和9年
γ砲僚秕陝‐赦10年
Δ瓩鵑海せ毒蓮‐赦贈隠固
長崎物語 昭和13年
須佐卓郎さんの音楽ルームより
そのあと歌のない歌謡曲
二木こう三の歌物語
,△△修譴覆里
∪塚佞療
アムール河の流血や
けにさく花
ケのブルース
Δ△覬の午後

 私がこの中で実際に唄えないのは、「芭蕉布」だけで、あとはすべて唄えます。でもこの「谷真酉美」って、これはどういう歌手なんだろう? と思いました。
 それでインターネットで検索しました。すると、私が知らないことが羞しいことのほうなんだと判りました。

   http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/tani.html 谷真酉美プロフィール

 それで、この方の歌がインターネット上でいくつも検索できます。
 そしてこのことに関しましては、菊池章子さんが唄われた『星の流れに』で説明してある次のサイトで私も判ってきました。

  http://blog.goo.ne.jp/hiranohideki/e/8068bb48f31714f397514c9b4f4dface    『星の流れに』 - 一部のインターネットメディアにおいて実名を曝さずに市民記者になる方法

 なるほどなあ、と思いました。
 そして以下のホームページも見つけました。

   http://www2.ocn.ne.jp/~takurou/ たくろうの名曲玉手箱

 これは実にいいホームページを知ることができました。ここのサイドバーにもリンクしておくようにします。

続きを読む

62ec00d0.jpg

「四川省で大規模大地震」へ、長春有情さんから、以下のコメントをいただきました。

1. Posted by 長春有情    2008年05月14日 19:33
萩原君ありがとうございます。私は君の中学校の時の顔を思い浮かべながら書いています。過去に荒らしにあったので名前はふせています。

 ありがとうございます。いや、あなたの「長春有情」を読んでいまして、私こそが駄目な奴だと反省しています。
 私は実に生意気なのですが、中国の古典や漢詩に関しては、中国人には負けないつもりなのです。もちろん、古典に限らず魯迅に関しても、私は私こそが好きだという思いです(もちろん、それは私が思い込んでいるだけですが)。でもね、ときどきスカイプで、中国人の若い人(35歳くらいまで)とChatしたりすると、本当に彼らは、中国の古典を何一つ知らないですね。ただし、よく知っているはずの年代の方は、今度はインターネットができないから、当然スカイプもできません。
 いえ、もう中国の方は、もう米国やヨーロッパにもいるし、そして欧米は日本よりも中国のほうを向いていますから、私なんかはとっても面倒なのです。
 いつも、中国の漢詩を読んでいます。そしてそのたびに、中国って判らなくなります。それでも何度も何度も読むようにしています。

続きを読む

73ef0086.jpg

 私のこのブログのサイドバーで「将門のブックマーク」というコーナーを設けています。そこでリンクしているサイトに「長春有情」があります(でも実は私はこのサイトのどのURLにリンクしていいか判らないので、私のリンクは少々古い書込みに直接リンクしています)。
 そこで、この中国四川省の大地震について書いてあるものを全て読みました。

   四川省で大規模大地震

というUPからいくつも書いています。
 私はこの地震のことを聞いて、まず最初に、「何故中国政府は、全世界に地震被害への救援を訴えないのだ」と強く思いました。私は、やっぱり「中国共産党というのがどうしようないな」という思いばかりでした。「決して、世界のどこにも頭を下げる気なんかないんだ」と思ったのです。「もう北京オリンピックどころではないだろう」という思いです。
 でもでも、この長春有情を読みまして、私こそが反省します。

「なぜこんなことに」遺品ランドセルさする母親
読売新聞の記事が悲しい
54才の母親は絶望的だろう
中国の親子の愛情は日本以上に思える
子供が一人
たくさんの悲しみが生まれている

 これは、長春有情さんの最新の「2008/ 5/14 5:53 [ No.2656 / 2656 ]」に書いてあった内容です。私のところにも、きょうは義母のデイサービスのお休みの日で、私の担当なので、私もお休みで、だから、長女と孫のポコ汰が来てくれていました。もう孫はただただ可愛いばかりです。
 こんなに可愛い子どもを亡くしてしまった母親の気持を考えますと、もう涙が流れてしかたないのです。
「中国共産党が悪いんだ」なんて言っている前に、私もできることをやるべきです。明日になりましたら(いえ、きょうは外に出られないのです)、銀行でお金を振り替えて、インターネットから、赤十字なりにカンパいたします。
 それにしても、私のようないい加減な男に、こうした普通の人間としての気持を甦らせてくれたのは、長春有情さんなのです。
 この彼は、私の鹿児島時代の中学のときの同級生です。でも、私には、彼が一体誰であるのかは、まだ判らないのです。私の想像では、彼は「誰々君だろう」という思いはあるのですが、でも確信が持てないのです。

続きを読む

1c82c737.jpg

 長春有情を読んでいましたら、このUP(No.2426)でまた思い出しました。

『はやぶさ』の切符を買うために徹夜で西鹿児島駅に並んだのは遠い昔

 たしか、私の兄が東京の大学の寮から、夏休み鹿児島へ帰ってきて、東京へ帰るときに、西鹿児島駅に並びました。たしか、午前3時頃から並びましたね。中学2年の夏休みだから、昭和37年(1962)のことですね。たしか、鹿児島では、切符の割り当てが10枚くらいだと思いました。途中で、兄と交代します。
 なんで覚えているかというと、そのとき私は新潮文庫の「ツルゲーネフ『猟人日記』」を持っていきまして、読み出したからです。そんなときでないと、あのように最初は退屈にしか思えない小説は、読み出せないからなのです。でもこのときから、私はツルゲーネフが好きになりました。ただ、他の人に「ツルゲーネフが好きだ」とは言いにくかったものでしたね。ドストエフスキーやチェーホフの話ならいくらでもできるのですが、ツルゲーネフではねえ、みんな評価しないんだよなあ。
「父と子」「はつ恋」「開かれた処女地」等は話すことがあっても、「猟人日記」の話はしたことがありませんね。
 そもそも、ツルゲーネフのことを、どうしても評価しない、できないのは、ドストエフスキーが、少し貶しすぎなんだよなあ、なんて私は思っています。
 新潮文庫で上下2巻で、でも今回11日に古書店に出しちゃったなあ。やっぱり、図書館で読み直すかなあ。
 ロシアは当時ナポレオンのモスコー遠征の大混乱のあとで、もちろん農奴解放のあとで、また大混乱でしたが、あの「猟人日記」をいくつものシーンを思い出してきます。そういえばゴーゴリの「死せる魂」も暗い小説でしたね。いつもナポレオンのモスコー遠征と農奴解放令を思い出してしまいます。

続きを読む

ae9f8aaa.jpg

 長春有情に、このUP(No.2424)がありました。

卒業生239人に驚いた
英志君達の時は24クラスぐらいありましたね
鹿児島県で18147名の卒業生
日本の景気回復は
結婚奨励と出産数の増加しかないでしょうね

 私の鹿児島市立甲東中学のときは14クラスから15クラスありました(中3のときに、最初は15クラスでしたが、14クラスにさせられました)。でも城西中学というところが24クラスだということでした。今はそれが、5クラスくらいなのかなあ。
 ただねえ、「結婚奨励と出産数の増加」と言ってもね、今は大変なことですね。
 よくお話するのですが、私の娘二人の友だちのうち、女の子がどんどんと結婚して、子どもが出来ているのですが、男の子たちがみんな独身なのです。女の子と男の子は、ほぼ同じくらいの数ですから、この私の話はどうしても納得できないのですが、でもでも現実なのです。
 私の長女おはぎは、今お腹の中に二番目の子どもがいます。おはぎの友だちの女の子たちも、子どもを連れて遊びに来てくれています。次女ブルータスの友だちもどんどん結婚しています。
 でもねえ、一昨日自転車の上で考えていたのですが、私の知っている人たちで、「子どもはほしくない、絶対に産まない」と言った人が二人います。一人は、私と同じ歳で、奥さまはずっと子どもが欲しいと言っていたのですが、彼が絶対に認めません。どうも、彼としては、子どもができると、好きな海外旅行にも今のように行けなくなるということだったようです。
 それから、もう一人、これは私よりかなり若い女性でしたが、絶対に子どもは欲しくないという主張でした。なんでも、自分の親との関係がうまくやれていないので、作りたくないという、強力な考えでした。
 私の生涯では、この二人が、「絶対に子どもはいらない」という考えでした。
 私が書きました次を読んでみてください。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50886211.html 長女おはぎの作った家系図

 自分の家系図を書いてみていただきたいのです。源氏だ平家だのの家系図を想像するとだめです。天皇家や聖書に書いてあるイエス・キリストの家系図でもだめです。あくまで自分を中心にした家系図です。自分の妻や夫も書きます(あるいは頭の中で想像します)。自分の配偶者の両親も兄弟姉妹も書きます。自分の子どもも書きます。どんどんと書いていくと判るはずです。家系図というのは、天皇家やイエス・キリストのように上に上に伸びて記載されるのではなく、横に横に、自分の横に姻族の関係で拡がっていくはずです。
 そのときに判るはずなのです。そこで重要なのは、その中心にいる人物の重要サです。この中心を、自分ではなく、自分の子どもや、自分の親や、自分の義父・義母を中心として書いてみても、判ってくるはずです。その中心人物が、義父の場合と、義母の場合は大きく違うのです。そこで、義父の存在の重要性、大きさ、義母の存在の重要性、大きさが判ってくるはずです。
 このことは、周の雑読備忘録「鈴木由紀子『天璋院篤子姫と和宮』」の2 でも書きました。この本に書かれている4つの系図を見ていくと、鎌倉時代から延々と続いている島津家の系図がすごいのではなく、その親族・姻族で大きくつながっている系図はすごいものなのです。
 源氏や平家も、歴史上であのような系図に表現されているだけで、実はその地方のたくさんの豪族や農民との交わりがありました。ただ、苗字を「源」だとか「平」としただけなのです。私の大好きな平将門様は、もちろん平氏の血もありますが、その身体と心に流れている血は、関東の血です。蝦夷といわれた関東の血です。

 たくさんの血が私たちの身体と心には流れています。私たちの大昔の先祖がすごいのではなく、私たちが、配偶者をもって、二人で子どもを儲けて、その子どもがまた配偶者を儲けていく、そしてそのお相手にも、両親がいて、兄弟もいるかもしれません。そしてまた別な姻族とも私たちは親しくなります、このことがすごいことなのです。
 このことを、深く認識して、自分のその系図を考えていくときに、もっと結婚し、子孫を作っていくということが大事なことになっていくはずです。その中での中心人物は、宇宙の中での中心人物は、自分なのです。自分がいなかったら、この世界は崩壊するのです。

 そんなことを思いました。

続きを読む

607c4476.jpg

 私が 周の『独楽吟のススメ』を始めたというのを、まずは破茶さんに知らせたいと思いまして、彼女のサイトにある「自由に独楽吟」に書き込むと

 投稿禁止語(NGワード)の文字が使用されています

ということで、書き>込めないのです。
 それで「なんでも掲示板」に書き込むと今度はエラーになります。
 どちらも何度もやって(NGワードをいくら類推して替えても)もだから、こちらに書きます。

「周の『独楽吟のススメ』」を始めました

 私のブログで、「周の『独楽吟のススメ』」というのを始めました。ごめんなさいね、勝手にやりはじめてしまって。

 http://shomon.livedoor.biz/archives/cat_50022883.html 周の『独楽吟のススメ』

 毎日届く破茶さんのメルマガの独楽吟への私の拙い感想を書いていくものです。
 ただし、私のほうは毎日UPできるとは私は思っていませんが、とにかくなんとか書いてまいります。
 あ、それから破茶さんは、「長春有情」を書いておられる彼のことを知っているのかなあ? 彼は私と同じ鹿児島の甲東中なのです。ただし、彼は鶴丸高校ではなく、中央高校へ行きました。
 ただし、私は今も彼のことが、名前も顔も判りません。ただ彼がときどき書いてくれる甲東中学の同級生(ただしこれはハンドル名でしか書いてありませんが、私が類推できます)は、みな判るのですね。
 私は短歌はどうしても判らないものですから(私は昔から漢詩は好きなのですが、日本の詩歌は苦手なのです)、よく内容は理解できませんが、私なりの感想を書き続けていきます。

 
そうそう、思えば「投稿禁止語(NGワード)」って何なの?  上に書いた中で、何がこの禁止語なの? 調べてもこの語が提示されれていないので、さっぱり判りません。

続きを読む

1403fcf4.jpg「長春有情」をリンクしました に書いたのですが、URLがよく判りませんでしたので、間違えました。今は直しましたが、サイドバーはなかなか変わりません(現在は27日午前9時15分)。それでやがてはサイドバーのほうに変化すると思います。

   なおもう一つ「破茶の部屋」もリンクしました。

「長春有情」をリンクしました  へ

続きを読む

0f743f04.jpg

 私の中学の友人の 長春有情 をこのブログのサイドバーの「将門のブックマーク」にリンクしました。
 これはブログではなく掲示板です。だから誰でも書き込めます。もう丸1年半くらい前に知りました。きのうひさしぶりに読んでみましたものです。
 私は中学は鹿児島市立甲東中学校という学校です。小学校6年のときに7月に名古屋の北区六郷小学校から引越で、鹿児島山下小学校へ転校しました。
 そして高校は、鹿児島県立鶴丸高校に入学し、ただし両親と弟は横浜に引越(兄は東京の大学へ行ってた)しましたので、私は鹿児島市の原良町というところに下宿していました。
 私の兄は、中学は秋田・札幌・名古屋と3校で、弟は鹿児島・横浜と2校でしたが、私だけは鹿児島甲東中学だけですごせたのです。だから鹿児島には、たくさんの思い出があります。

 ただし、私はこの「長春有情」を毎日書いております「kanasikitakebue2000」さんが一体誰であるのかというのは皆目判らないのです。2008/ 1/26 20:02 [ No.2307 / 2309 ]Re: 「おひさしぶりです」の少し訂正 に

前回鹿児島に帰った時、あなたが誰かということが話題になりました
たぶんB電気の進君は覚えているでしょう

のように書かれている「B電気の進君」はよく覚えています。彼とは中学2年3年と同じクラスでした。
 この「長春有情」を読んでいきますと、同じ歳の彼のことが、とっても好きになってきます。彼がよく唄うのであろう日本の戦後の歌(戦前の歌も)も私もみなすべて歌えるものばかりです。彼がよく書いているいくつもの映画(「フーテンの寅」をはじめいくつ)も、また私は好きなものばかりです。
 今後、この私のブログのサイドバーから気軽に行くことができますので(今までは検索して行っていました)、ありがたいです。
 ただ、一つ一つの書込みで、トラックバックはできませんの、それがちょっと困っていますなあ。まあ、こちらで勝手に書けばいいんですね。

 今後は「長春有情」を毎日拝見させていただきます。

「長春有情」をリンクしました の2 へ

続きを読む

↑このページのトップヘ