将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:陸游

11040511 陸游は南宋の詩人であり、政治家です。南宋の敵国であった金を絶対に打つべしという強烈な思いのひとでしたが、また同時に哀しい恋の人でもありました。1125年(宣和7)年10月17日〜1210年(嘉定2)12月29日の生涯でした。
 この人は実に多くの詩を作られています。その中のほんの一部を私は次に紹介しています。

 http://shomon.livedoor.biz/archives/50318981.html
             周の漢詩入門「陸游『遊山西村』」
 http://shomon.livedoor.biz/archives/50320201.html
             周の漢詩入門「陸游『釵頭鳳』」
 http://shomon.livedoor.biz/archives/51303833.html
             周の漢詩入門「陸游『沈園』『口占』」

 陸游は20歳のときに、従兄妹の唐婉と結婚します。二人はとても幸せでしたが、陸游の母親が二人を離婚させてしまいます。だが、実に陸游はこの唐婉を亡くなる85歳のときまで愛し、詩を作っているのです。
 離婚してから10年が経ったある日に偶然に沈園でふたりは出逢います。このときに作詩したのは、上の2番目の詩です。これには、陸游の詩ばかりでなく、唐婉からの返答の詩も載せてあります。
 なんだか悲しくてたまらない二人ですが、この二人はきっとあの世では結ばれたに違いないと思ってしまう私です。(2011.04.07)

0d467386.jpg 妻は4月28日に入院して、私はその翌日から和紙で手紙を書いて持って行きます。
 でも29日30日は遠慮してA42枚でした。ただ30日は1枚の行数を増やしました。でも思えば、私が手で持っていくのだから、切手代も関係ないのです。それで昨日はA4で4枚書きまして、きょうは5枚になりました。
 いえなに、書いているといいましても、私は漢詩の紹介をしているだけです。どうせ私の娘たちは、「そんな手紙もらってもママが可哀想でしょう」というばかりです。
 あのねえ、そんなことないのよ。
 昨日は、「陸游『釵頭鳳』」を紹介しました。きょうは、「曹操『短歌行』」を紹介しました。
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 周の漢詩入門「陸游『釵頭鳳』」 でみてみました陸游の生涯をかけた恋です。この陸游からの釵頭鳳と唐婉(註1)からの釵頭鳳がかわされたあと、唐婉はすぐに亡くなったと言われています。
 離婚させられてから10年後、偶然に沈園で出会って、『釵頭鳳』の詩が生まれました。でももうそのときから40年が経っているのです。陸游75歳の時に作った詩です。
 今も陸游は唐婉に恋しているのです。そのときの陸游には唐婉は、若いままの姿を陸游に思い出させてくれます。

   沈園(一)   陸游
  城上斜陽畫角哀 城上(じょうよう)斜陽 画角(ががく)哀し
  沈園非復舊池臺 沈園復(ま)た 旧池台(きゅうちだい)に非らず
  傷心橋下春波緑 傷心橋下 春波緑なり
  曾是驚鴻照影來 曽て是れ驚鴻(註2)の 影を照らし来たる

  (註1)唐婉(とうえん) 唐の名前は婉ではなく、王へんですが、でませんので。
  (註2)驚鴻(きょうこう) 驚いて飛び立つおおとり。

  城壁は斜陽をあび 角笛の音が悲しい。
  沈園はもう昔の池や楼閣にかえることはない。
  橋の下の春の水が緑の波をゆらめかせて私の心を傷くする
  そこが舞い立つ雁のような姿のあのひとが影をうつしたところなのだ

 いつも陸游は唐婉のことばかり思ってきていました。もうあのときから40年後なのです。

   沈園(二)   陸游
  夢斷香消四十年 夢は断え香は消えて 四十年
  沈園柳老不吹綿 沈園柳老いて 綿(註3)を吹かず
  此身行作稽山土 此の身は行くゆく 稽山(註4)の土と作らんも
  猶弔遺蹤一玄然 猶(なを)遺蹤を弔いて 一たび玄然(註5)たり

  (註3)綿(わた) 柳のわた。柳絮、
  (註4)稽山(けいざん) 会稽山のこと
  (註5)玄然(げんぜん) 玄ではなく、さんずいに玄の字。はらはらと涙をながす

  夢はたちきられ香気のきえうせたまま四十年
  この沈園では柳も老いはてて綿の花を吹きだそうともしない
  私はいつかやがて会稽の山の土となりはてる身なのだが
  今なお思い出のあとを訪れるとはらはらと涙があふれ落ちるのだ

 もう会えなくなって40年が経っているのですが、陸游にはあの美しい唐婉が瞼に浮かんできます。そして涙が溢れるのです。
 さらに、この時から9年後陸游84歳のときに唐婉を偲んで作った詩が次です。

   口占(註6)  陸游
  沈家園裡花似錦 沈家(しんか)の園裏 花錦(にしき)に似たり
  半是當年識放翁 半ば是れ当年 放翁(註7)を識る
  也信美人終作土 也(ま)た信(まこと)なり美人 終(つい)に土と作(な)る
  不堪幽夢太匆匆 不堪(たえず)幽夢(ゆうむ) 太(はなはだ)に匆匆(そうそう)

  (註6)口占(くちずさみ) ふと口からでた一首ということ。「春游」となっているテキストもありました。
  (註7)放翁(ほうおう) 陸游の号

  沈家の園の花は錦に思えるほどだ
  もう半分は私陸游を知っているだろう
  あの彼女は、もう土になったという便りだ
  ひそやかに夢を見る自分と夢の中の彼女はあまりにあわただしいのだ

 この翌年陸游は85歳で亡くなります。

 もし、あの世というものがあるのなら、この二人をぜひ会わせてあげてほしいと心から私は願うものです。
 これだけ愛する人を書いた詩があるということは、私にはとても嬉しいことです。哀しい恋ですが、それでもこうして詩いあげてくれた陸游が私は好きです。

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 6月11日に私がUPしました 白居易『和微子十七與君別及朧月花枝之詠』に翁さんから次のコメントをいただいていました。

1. Posted by 翁    2007年06月12日 02:24
通りすがりの老いぼれでやんす。

文面拝見し、若かりし頃を思ひました。
男女の仲はときに酷でありんす。

「するも地獄、せぬも地獄。」

小生は、次の輪廻に思ひを馳せるより、
いまの人生をまっとうに進むことを
生きがいにせんと思うておりますよ。

 ありがとうございます。翁さんが言われるように、まさしくこの白楽天も、この詩で自分の友人の元慎に対して同じことを言っているわけです。
 ただ、私が知る限りの中国の詩人たちは男女の恋のことを、ほとんど語りません。この白楽天の詩は珍しいものだと思います。
 そうですね。例外とも言えるのは、私が知る限りでは、晩唐の李商隱と南宋の陸游でしょうか。以下を読んでみてください。

   李商隱『夜雨寄北』  陸游『釵頭鳳』

 ただし、李商隱の詩は、相手が誰だったかは判っていません。私はこのときの相手は奥さんのことだろうと思っていますが、李商隱の詩はかなり複雑なので、難しいのです。私にはなかなかはっきりとは判らないのですね。
 しかし陸游の詩は哀しいです。哀しい恋ですね。そして陸游は、この相手が亡くなってしまったあと50年をすぎて、80代でも、この相手のことを思う詩を書いています。激烈な革命家であった陸游は、こんな哀しい恋をしているのです。そしてそのことを詩に書いているのです。

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