将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:雑詩

2018061401   なんだか、この詩も読んでいて、どうにも哀しい思いだけです。昨日も孫と愉しくすごしましたし、きょうもまたもうすぐ孫が来てくれます。でもなんだか、今の自分の存在にも寂しさを感じていますのです。
陶淵明もまた同じだったのかなあ、と思いました。

雑詩 其五 陶淵明
憶我少壯時 憶う 我少壮の時、
無樂自欣豫 楽み無きも 自ら欣豫(註1)す。
猛志逸四海 猛志 四海に逸(いっ)し、
騫翼思遠跳 翼(註2)を騫(あ)げて 遠跳(註3)を思う。
荏苒歳月頽 荏苒(註4) 歳月頽(くず)れ、
此心稍已去 此の心 稍(ようや)く已(すで)に去る。
値歡無復娯 歓びに値(あ)へど 復た娯(たのし)むこと無く、
毎毎多憂慮 毎毎(ことごと)に 憂慮多し。
氣力漸衰損 気力 漸(ようや)く衰損(すいそん)し、
轉覺日不如 転(うた)た覚(おぼ)ゆ 日びに如(し)かずと。
壑舟無須臾 壑舟(註5) 須臾(しゅゆ)無く、
引我不得住 我れを引(ひき)て 住(とど)まるを得ざらしむ。
前塗當幾許 前塗(ぜんと) 当(まさ)に幾許(いくばく)ぞ、
未知止泊處 未だ知らず 止泊(しはく)する処を。
古人惜寸陰 古人 寸陰(すんいん)を惜(おし)めると、
念此使人懼 此れを念(おも)へば 人を使(し)て懼(おそ)れしむ。

(註1)欣豫(きんよ) 豫は易の卦で、喜ぶという意味。
(註2)翼(かく) 本当は違う字。
(註3)遠跳(えんしょ) 跳も違う字です。遠く飛ぶ。
(註4)荏苒(じんぜん) 歳月が次第に過ぎ去るさま。
(註5)壑舟(がくしゅう) 「荘子」のある言葉。月日がぐんぐん過ぎ去るさま。
(註5)須臾(しゅゆ) しばし。ほんの短い時間。

思えば私が若いときには、
楽しいことはなくても、自分から喜び楽しかった。
激しい志は四海の外に抜け出していて、
いつの日かつばさをひろげて、遠く飛ぼうとしていた。
だがそのうち歳月はすぎさり、
そのような気持もだんだん去ってしまった。
歓ばしいことに会っても何の楽しむこともなく、
いつも心配ごとばかりが多くなった。
気力はだんだん衰える、
日毎に前日に及ばないようになっている。
時の流れはぐんぐんと過ぎ去りて、
私をどんどんと老衰に駆りたててゆく。
これから先はどのくらいの日々が残っているだろう、
わが身を休めるところはどこなのだろうか。
古人は一寸の光陰も惜しんだという、
それを思うと、恐ろしい気持になってしまうのだ。

実はこの詩を昨日書いていて、なんだか内容に入り込むことができず、「陶淵明か……」なんてボソっと言っただけで、孫の家に向かったものでした。
きょうは、他の詩人の詩を読んでいましたが、でもこの『雑詩 其五』だけは、私のブログにUPしようと思いました。
少し別の詩を読んでいくべきなのかなあ。

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 どうしてもこの陶淵明の「雑詩」を読みこなすのに、実に時間がかかっています。私にはどんなに好きになってきても、今も大変に難しい詩人です。

   雑詩 其四  陶淵明
  丈夫志四海 丈夫は 四海に志すも、
  我願不知老 我は願う 老(ろう)を知らず。
  親戚共一處 親戚 共に一処し、
  子孫還相保 子孫 還(ま)た相い保つ。
  觴弦肆朝日 觴弦(註1) 朝日に肆(註2)にし、
  樽中酒不燥 樽中の 酒不燥(註3)。
  緩帶盡歡娯 帯を緩(ゆる)くして 歓娯(かんご)を尽くし、
  起晩眠常早 起(き)は晩(おそ)くして 眠(みん)は常に早くせんと。
  孰若當世士 孰若(註4)か 当世の士、
  冰炭滿懷抱 冰炭(註5) 懐抱(かいほう)に満たす。
  百年歸丘壟 百年 丘壟(註6)に帰るに、
  用此空名道 此れを用いて 空名(註7)を道(つた)へんか。

68e18f45.jpg  (註1)觴弦(しょうげん) 酒杯と琴。
  (註2)肆(ほしいまま) つらねる。ならべる。ほしいままにする。
  (註3)酒不燥(さけかわかず) 乾かない。いつも酒に満たされていること。
  (註4)孰若(いずれ) どちらか。
  (註5)冰炭(ひょうたん) (白く冷たい)氷と(黒く熱い)炭。相容れないこと。
  (註6)丘壟(きゅうろう) 墳墓。土の盛り上がったもの。
  (註7)空名(くうめい) 空しい名声。虚名。

  男は四海に雄飛せんと志すが、
  私の願いは老いを知らないことだ。
  親戚一門が同じところで生活して、
  子孫がまた続いていくことだ。
  朝日のさす中で酒杯や琴の音をほしいままにして、
  酒樽の中には、酒がいつも満たされている。
  帯をゆるめて、歓楽を尽くそう、
  朝はゆっくり起きて、寝床に入るのは早くするのだ。
  どちらにするのだ、今の方よ、
  矛盾した気持をお持ちのようだ。
  百年で人生は終わり、墓場に入るのだが、
  これでもって、虚名で引きずられて終わるのだが。

 私はきょうもさきほどまで、長女夫妻が子どもを連れてきてくれていました。次の詩句にとても感じ入ってしまいます。

  我願不知老
  親戚共一處
  子孫還相保

 私はポコ汰に、「きょう泊まっていくか。きょう一緒にお風呂へ入ろうよ」と言いましたが、やはり断られてしまい、もう帰ってしまいました。
 その孫を見ながら飲んでいるお酒はとてもいいものでした。

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 思い出せば、私はいわゆる「漢文」の授業というのは、ほとんどないに等しかったと思います。鶴丸高校の1年のときに、出会った先生の漢文は好きでしたが、4月この先生はすぐに入院されてしまいました。退院された6月終わりには、私は転校してしまいました。
 横浜東高校というところでは、大学受験に漢文の科目があるのが私だけだというので、古文に振り替えられていたものでした。
 埼玉大学の一般教養での漢文の授業の先生は、偶然にも鶴丸高校の卒業生で私とはけっこう親しくお話できたのですが(先生の研究室で二人でお話したことがあります)、でもすぐに私は烈しい学生運動の中で、それどころではありませんでした。いやそのうちに私はムショに勾留される身になっていました。
 だから、いつも自分で学ぶしかなかったものなのです。
 今こうして、なんとか私のブログにUPするのに、必死にやっているところで、そしてそれは私には嬉しいことなのです。
 そして私は高校1年で知ったこの陶淵明を、こうして今なんとか知っているつもりです。彼の詩を知るたびに、私がだんだんこの陶淵明のことが好きになっていくことが不思儀なほど私には判っていくのです。

   雑詩 其三  陶淵明
  榮華難久居 栄華(註1)は 久しく居(お)り難く、
  盛衰不可量 盛衰は 量る可(べ)からず。
  昔爲三春渠 昔は 三春の渠(註2)為(た)りし、
  今作秋蓮房 今は 秋の蓮房(註3)と作(な)る。
  嚴霜結野草 厳霜(げんそう) 野草に結ぶも、
  枯悴未遽央 枯悴(註4) 未だ 遽(にはか)には央(つ)きず。
  日月還復周 日月 還(な)ほ 復(また)周(しゅう)すれど、
  我去不再陽 我去れば 再(ふた)たび陽(よう)ならず。
  眷眷往昔時 眷眷(註5)たり 往昔(おうせき)の時、
  憶此斷人腸 此を 憶いて 人の腸を断(註6)たしむ。

  (註1)栄華(えいが) 草木が栄え茂ること。
  (註2)渠(きょ) 蓮の花。この渠という字ではありません。
  (註3)蓮房(れんぼう) 蓮の実の入っている花托(ふさ)。
  (註4)枯悴(こすい) 枯れ衰える。
  (註5)眷眷(けんけん) 深く顧みるさま。
  (註6)断人腸(ひとのはらわたをたつ) 人に辛い思いをさせる。

  草木が栄えようなことはいつまでも続かず、
  盛んになったり衰えたりすることは推し量ることはできない。
  昔は春の三か月間咲いた蓮の花だったが、
  今は秋の蓮の実の入っている花托(ふさ)となっている。
  厳しい冬の霜が野草の上に降りてくるが、
  枯れ衰えても今もまだ尽き果てるようにはなっていない。
  歳月の流れはなおもまた周りめぐるけれど、
  私が死んでしまったら、二度と甦えることはないのだ。
  そのことを思えば、過ぎ去った日々を思い出す、
  こうして思えば、私は腸(はらわた)を絶つような思いになってしまうのだ。

 こうして陶淵明の詩を読み続けて、もうそのたくさんの詩に私はもういささか驚くばかりです。私はこうしてパソコンで打つことができます。でも陶淵明の時代には、何で書いていたのでしょうか。おそらくは、最初は詩句を泥の上で書くようなことがあったものなのでしょう。そして出来上がったなと思えるときに、木片等に書いたものなのでしょうか。
 だから、こうしてパソコンで、楽にやれることが私には嬉しいし、そして未熟な私、不勉強な私が羞しいものです。

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20170807024 陶淵明のことは、ずっと知っていたはずでしたが、この詩を読んでいると、やはりどうしても悲しい気持になってしまいます。

雑詩 其二 陶淵明
白日淪西阿 白日(註1) 西阿(せいあ)に淪(しづ)み、
素月出東嶺 素月(註2) 東嶺(とうれい)に出(い)づ。
遙遙萬里暉 遙遙(ようよう)として 万里に暉(かがや)き、
蕩蕩空中景 蕩蕩(註3)たり 空中の景(ひかり)。
風來入房戸 風来り 房戸(註4)に入(い)り、
夜中枕席冷 夜中 枕席(註5)冷(ひ)ゆ。
氣變悟時易 気変じて 時の易(か)はるを悟り、
不眠知夕永 眠らずして 夕(ゆうべ)の永きを知る。
欲言無予和 言わんと欲して 予(われ)に和(わ)するもの無く、
揮杯勸孤影 杯(はい)を揮(ふる)って 孤影(註6)に勧(すす)む。
日月擲人去 日月は 人を擲(なげうち)て去り、
有志不獲騁 志有りて 騁(は)するを獲ず。
念此懷悲悽 此れを念(おも)いて 悲悽(註7)を懐(いだ)き、
終曉不能靜 曉(あかつき)に終(いた)るまで 靜かなること能(あた)はず。

09082815 (註1)白日(はくじつ) 昼間の太陽。
(註2)素月(そげつ) 白い月。8月の月。
(註3)蕩蕩(とうとう) 宏大なさま。
(註4)房戸(ぼうと) 家。部屋。
(註5)枕席(ちんせき) まくらとしとね。
(註6)孤影(こえい) 独りぼっちの自分の影。
(註7)悲悽(ひせい) かなしみいたむ。

太陽は西の山に沈んで、
白い月が東のみねから出た。
はるか遠く万里に輝き、
夜空いっぱいにひかりを広げている。
風が部屋の中に入ってきて、
夜中には、枕もしとねも冷たさを感じる。
空気が変わって、時節の移ったことを感じて、
私は眠れないまま夜の長くなったこと感じている。
胸のうちを言おうと思っても、話相手になるものはいないし、
酒をもちあげては我と我が影に勧めている。
月日は人をほっておいて先に行く、
志があっても、それを思いのままのばすこともできなかった。
これを思うと、悲しみでいっぱいになって、
夜明けになるまで、心が落ち着くことはなかった。

05396eab.jpg 以下のように吟うことは、まるで、今の私でも同じ姿です。

欲言無予和
揮杯勸孤影

杯を手にして、いつも同じような思いになっています。いやいや、でも違うかな、という気持にもなってきます。思えば、陶淵明とはもう長い長い付き合いなのですね。
私もまた今夜もまた酒を飲んで、同じようなことになるのでしょう。
やっぱり、少し寂しい思いですね。やっぱりこの陶淵明とはこれからもたくさん付き合ってまいります。

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2016120702

「人生根帯無し」で始まり、「盛年は重ねて来たらず 一日再び晨なり難し 時に及んで当に勉励すべし 歳月人を待たず」で終わる詩は、その句こそ知っていまして、「この詩は、要するに、もっと酒を飲んでいればいいのだ」という詩だとばかり思ってきたものです。実際に陶淵明のいうことはその通りだとしても、やはり私はちゃんと知っているべき詩であり、ちゃんと解説ができないとなりません。

   雑詩 其一  陶淵明
  人生無根帶 人生 根帯(註1)無し
  飄如陌上塵 飄(ひょう)たること陌上(はくじょう)の塵のごとし
  分散随風転 分散して 風に随いて転ず
  此已非常身 此れ已に常身(註2)に非(あら)ず
  落地爲兄弟 地に落ちて 兄弟(けいてい)と為る
  何必骨肉親 何ぞ必ずしも 骨肉の親(しん)のみならんや
  得勸当作楽 歓を得ては 当(に)楽(たのしみ)を作(な)すべし
  斗酒聚比鄰 斗酒(としゅ) 比鄰(註3)を聚(あつ)む
  盛年不重来 盛年は 重ねて来たらず
  一日難再晨 一日(いちじつ) 再び晨(あした)なり難し
  及時当勉励 時に及んで当に勉励すべし
  歳月不待人 歳月 人を待たず

  (註1)根帯(こんてい) ネ、ヘタ。
  (註2)常身(じょうしん) 常住にして変化なきからだ。
  (註2)比鄰(ひりん) 隣近所の人。

313d2bab.jpg  人生は根もなくへたもない、
  しっかりしてとめておいてくれるようなものはない。
  飛んでしまって、
  いつも変化なきものだ。
  そんなこの世に生まれたからは、みな兄弟で、
  肉親だけが親しいものではないのだ。
  嬉しいときには、楽しみをなすべきだ、
  一斗の酒をで、近所を集めて飲もうじゃないか。
  若いときは二度とはやってこないし、
  一日に二度目の朝はない。
  せいぜい遊ぶべきだ、
  時というものは人を待ってはくれないのだ。

 思えば、私はこんなことをいう陶淵明が昔は好きになれなかったのでしたね。酒を飲むべしというのなら、黙って飲めばいいのだという思いでしたが、今の私になりますと、この陶淵明のいうことを素直に聞いていたい私になっています。
 もうすべてが変わってきた思いがあります。

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 私の 周の漢詩入門「陶潜『雑詩其一』」に、空を飛びたい さんから以下のコメントをいただきました。

1. Posted by 空を飛びたい    2009年03月19日 16:47
私も陶淵明が大好きです。これからもいっぱい読もうと思っております。ご感想も大好きです。

 いえ、私には陶淵明という方は、大変な詩人です。私が好きだとも言い切れない詩人です。私は、ここの 周の漢詩塾(ブログ篇) だけでなく、以下にも

   http://shomon.net/kansi/ 周の漢詩塾

いくつも漢詩を載せています。
 私は詩吟をやって、どこでも詠っていますので(昔学生運動の集会でも詩吟をやりました。学生運動って、要するに、火炎瓶なげたり、刑務所に入るようなものなのです)、ただただ、それだけのものです。

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 私は陶淵明が好きだとはいえないところがずっとありました。でもこのごろは、この詩人のいうことが大変に好きになってきました。もう私も随分の年齢を重ねてきたのだとつくづく思います。

   雑詩 其一  陶潜
  人生無根帶 人生 根帯(註1)無く、
  飄如陌上塵 飄として 陌上(註2)の塵の如し。
  分散逐風轉 分散して 風に逐ひて転ずる、
  此已非常身 此れ已(すで)に 常の身に非ず。
  落地爲兄弟 地に落ちて 兄弟(けいてい)と為(な)る、
  何必骨肉親 何ぞ必ずしも 骨肉の親(しん)のみならん。
  得歡當作樂 歓を得(え)ては 当(まさ)に楽を作(な)すべし、
  斗酒聚比鄰 斗酒(註3) 比鄰を聚(あつ)む。
  盛年不重來 盛年 重ねて来らず、
  一日難再晨 一日(いちじつ) 再び 晨(あした)なり難し。
  及時當勉勵 時に及んで 当(まさ)に勉励(註4)すべし、
  歳月不待人 歳月 人を待たず。

  (註1)根蔕(こんてい) 根元と(果実の)ヘタ。物事の土台。よりどころ。。
  (註2)陌上(はくじょう) 路の上、陌とはあぜ路のこと。
  (註3)斗酒(としゅ) 桝の酒でわずかばかりの酒。
  (註4)勉勵(べんれい) 努め励む。がんばる。

010c8658.jpg  人の生というものには、繋ぎとめておくものが無く、
  風に吹かれて漂う、路の上のチリのようなものだ。
  風とともに転がって行く、
  これはもはや永遠不変の肉体ではなくなっている。
  この地に生まれ落ちれば、皆兄弟であり、
  必ずしも血のつながる親族でなくてもよい。
  喜ばしいことがあれば、当然楽しみごとをして、
  ますの酒でもって、近所の人をあつめる。
  若い時は二度と来ない、
  一日に二度朝が来ることはない。
  ちょうどふさわしいときに、務め励むべきである、
  歳月は人を待ってはくれない。

 まさしく、歳月は人間のことなんか関係なく、勝手に過ぎてしまうのだから、まさしく飲んでいくしかないのと私も陶淵明と同じに思うのです。だから、当然毎日飲み続けています。
 ただ飲み続けても、何か特別なことが出来てくるわけではないのです。でもただただ日々飲み続けている私です。

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