10121209 横山光輝の「鉄人28号」についての思い出を書いてみます。

「鉄人28号」は雑誌「少年」に連載されたものです。当時は「鉄腕アトム」が一番人気があったかと思います。そのほか「矢車剣之助」とか「ナガシマ君」(だっかかな)とかが人気があったように思います。
 それでその「鉄人28号」はかなり前から開始するという宣伝を「少年」の誌上でやっていました。その告知の漫画のカットには、その主人公たる鉄人28号が写っていました。街角でこちらをのぞいている鋭い顔をした鉄人でした。だがその鉄人の顔姿はのちの鉄人28号そのものではなく、鉄人27号のものだったのです。そしてその鉄人はコートを着て、街角に立っていました。ちょうどゴルゴ13のような顔と姿をもっとロボットにしたものだったかと思います。
 ここで私が想像するのには、当初作者の横山光輝の考えていた鉄人28号というのはいかにもロボットというものではなく、コートを着た人間に近い姿の鉄人だったのではないでしょうか。実際の漫画「鉄人28号」の中でも、28号より27号はより人間に近い顔をしています。当初は人間に近いような鉄人が活躍する物語を考えていたのだが、漫画を開始するあたりから、まったく人間が操作するだけのロボットである鉄人28号になってしまったように思います。当初考えていたのは、人間と背丈も姿も変わらない鉄人だったように思うのです。
 それがどうしてあのような28号の姿になったのかということが問題なのですが、それは「鉄腕アトム」との問題があったのではと思うのです。人間とさほど変わらない鉄人では、アトムとの差がありません。だから、とてつもなく大きな鉄人になってしまい、しかも人間に近い顔をした27号を28号にするのではなく、あらためて28号が生まれたのではと思います。
 始めて本当の鉄人28号に正太郎君たちが会うシーンなどでは、正太郎君は鉄人の足より(脚ではなく足です)背が高くありません。ところが、このころの鉄人は大きさが正太郎君たち人間と比較してもまちまちなのです。まだ鉄人を明確に規定できていなかったように思います。
 鉄人28号はアトムとは違って自分で知能を持っていません。正太郎君のもつ、ちゃちなリモコンによって動作します。そこでまた最初のころ不思議なシーンがあります。鉄人28号として登場したロボットの鉄人27号は実は28号ではなく、28号は別にいたと正太郎君たちが分かる時に、このロボット群を作っていた悪い博士のところで、どうしてかその本物の鉄人28号が暴れまわります。鉄人の1号から26号まで壊してしまいます。そしてとうとう27号との対決になります。私はどうしてこのときだけ、鉄人28号はリモコンの操作ではなく、なんだか分からない凶暴さ(あるいは正義感かもしれない)で動けたのか不思議でたまらないのです。そののちは、リモコンを持っている人が正太郎君であれ、悪人であれ、その操作通りに動くようになるのですから、この時の28号は不可解なのです。

 おそらくは、鉄腕アトムとは違ったヒーローが誕生するには、ああした不可解さが必要だったのかもしれません。これでもう鉄人28号の性格を混乱させる27号を破壊してしまったから、28号こそは、もうあとはおとなしくなったのでしょう。あまりに人間に近い感じの27号が主人公では、競合相手は鉄腕アトムとなってしまい、面倒だったのかもしれません。
 私の推測なのですが、おそらく「鉄人28号」をゲラなりで見た手塚治虫さんが、「これじゃ、アトムのパクリじゃないか」と指摘したことがあったのではないでしょうか。
 でも私は、あの無味乾燥な感じのロボットである鉄人28号よりも、人間の顔をしてコートを着て街を歩いている、27号の顔した鉄人28号のもう一つの物語も見てみたかった気がします。
 今横山光輝は、こうしたところをどう語ってくれるのでしょうか。おそらく、コミック本になった漫画を読み返しても、ここらへんの真相は分かりようがないだろうと思っています。もう私などの記憶の中だけに残っている疑問や希望だけになってしまったことなのかもしれません。

 それにしても、「鉄人28号」で出てくるロボットたちは、いわば悪いやつらばかりが作っているように思いました。とくにS国(これはソ連のことでしょう)が作ってくる巨大なロボットたち(恐竜の形していたりする)は、ただ破壊だけのためのロボットだったように思います。こうしたロボットしかイメージできなかったところが、横山光輝の限界だったように思います。
 現実の世界では、この日本はロボット大国です。私のあるクライアントの工場でも、ロボットが懸命にラインに入って働いています。いわば、現在のロボットは鉄腕アトムというより、鉄人28号のように、人間のいうとおり動く存在なわけですが、この日本でこそロボットがこれほど普及したのは、鉄腕アトムの存在のおかげのようです(これは長谷川慶太郎さんが指摘しています)。たしかに、横山光輝が描くような凶暴なロボットばかりだったら(本当はロボットが凶暴なのではなく、悪い奴が凶暴なロボットを作り、使っているから)、こんなに現実の世界ではロボットは使われなかったでしょう。事実欧米では、ロボットのイメージはよくなく、日本のようには使われていません。アトムのイメージころ、私たち日本人が抱くロボットのイメージであり、それでよかったなと思っています。(2002.10.28)