将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:雪国

12090208 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、昨日以下のUPをくれています。

動物たちにも 投稿者:管理人  投稿日:2012年 9月 2日(日)08時55分8秒
  そして何より、人間にとっても住みやすい環境を、これからも大切にして行きたいものです。一度、汚れた環境を元に戻すのは大変なエネルギーが必要になります。それを、私たちは高度成長の時代に経験してきました。

周さんは、雪について、何か楽しい思い出があるのですか?

 そうですね。私は雪国といいますと、秋田市と札幌市に住みました。秋田では兄とその友人たちがものすごく大きなカマクラを作ったのをよく覚えています。秋田で二番目に住んだ家ででした。札幌では、小学校1年と2年のときに、もうたくさんの雪の中でいっぱい遊んでいました。のちに名古屋や鹿児島の人が雪が嫌いなのを知り、ものすごくショックだったものです。雪の思い出は楽しいことばかりです。私が30歳を過ぎてからウィンドサーフィンが好きになったのも、この札幌でのスキーの経験があったからです。

12061507 昨日行きました王子飛鳥山博物館の「ドナルド・キーン展」で、川端康成のドナルド・キーンへの手紙を読みました。私は川端康成って、そんなに好きな作家とはいえなかったものなのですが、この「ドナルド・キーン展」で書かれているものを見て、それはドナルド・キーンが感じていることなのでしょうが、私も不思儀と川端康成が好きだと感じられたのです。
 彼は、1899年(明治32)6月14日〜 1972年(昭和47)4月16日の生涯でした。
 私は、以下の作品を読んできたかと思います。

  伊豆の踊子 雪国 浅草紅団 みづうみ 眠れる美女 古都 日本の美のこころ

 私の記憶にあるのは、こんなものです。
 でも私には、中学2年で読みました『伊豆の踊子』と『雪国』が今でも詳しく思い出せるくらいに好きです。
 そうですね。私には『眠れる美女』も晩年の『日本の美のこころ』も好きになれません。
 いつも『伊豆の踊子』の主人公の学生青年が、たぶん彼にはつらいと感じられる家庭なんだろうなと思い、そのことをいつも思います。かつ伊豆には何度も行きました。いつも思い出すのです。
『雪国』はもういくつものシーンを思い出しています。
 いつも「あんないい小説を描いた川端康成がなあ・・・」なんて否定的だったのですが、今は、「ドナルド・キーン展」のあとは、川端康成が好きになれたものです。

  私のこのブログのサイドバーの「将門のブックマーク」で、以下をリンクしました。

   http://reeemi.blog25.fc2.com/  リー&笑美の只見日記

 笑美さんから、年賀状をいただいて手にして5分後には、すぐリンクしました。貴ブログを拝見しますと、大変に雪が多いのですね。私は雪国は、秋田市と札幌市に住みましたが、両方とも笑美さんのところほどは雪は多くなかったです。いや秋田市は多かったのですが、でも笑美さんのブログにあるほどには多くありませんでした。
11010515 私は札幌のあとは、名古屋(市内3カ所)に住み、そのあとは鹿児島(ここは2カ所)と横浜に住みました(いや、そのあともいくつもあるのですが)。でも雪国の思い出のほうが大きいですね。雪国のほうが、冬は子どもが元気に感じるのですね。雪の中で遊んでいるのは、子ども心に実に楽しく面白かったものです。
 でもこうして、笑美さんのブログが見られて嬉しいです、あ、パパさんも書いているのかなあ。
 私は間違いなく、ブログはUPする量だけは誰にも負けないつもりです(量だけはね。質を言っているわけではないです)。
 今後も毎日貴ブログは拝見してまいります。

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 昨日はもうたくさんのことがありました。ブログにも書いていられなかったです。

2010/02/03 07:27今図書館分室に本を返しに行きましたが、実に寒いです。
 それとあるところで雪を少し踏んだのですが、雪は凍っていて危ないですね。気をつけましょう。
 私は雪国で育ちましたから、雪ですべるとか転ぶということがまったく理解できなかったのですが、この歳になって初めてそういうことが理解できるようになりました。「なるほど、こういうことか」なんて思っています。
 昨日は、「ある人に手紙を書いています」と書いていたら、その人にすぐ路で出会ったので驚いたものです。
2010/02/03 07:51
 このポメラでは他のディレクトリー(とはいわないか)にいくつものことを書いています。「手紙」というディレクトリーも作っていますが、そこでも書いています。
2010/02/03 09:54義母の「わが家」からのお迎えを待っています。もうリビングにいないと義母が何をやってしまうか分からないので、今はリビングにいます。
2010/02/03 10:48「もりや歯科医院」に来ています。昨日前歯が入ったから、これできょうは整備するだけだろうな。昨日私のブログのサイドバーで、ここをリンクしました。さてきょうもそんなに時間はかからないだろうな。
 それで「アシュケナジーとスファラディのユダヤ人」のことを書かなくてはならないですね。あ、「コラムさとう」できょう書こうかな。私のホームページのどこかにそのことを少し書いているはずです。それを読んで、さらに書かないとならないですね。アラブ各国にいたスファラディユダヤ人には迫害なんか受けていなかったのです。迫害を受けていたのは、ヨーロッパ、とくにロシア東欧にいたアシュケナジーユダヤ人です。あ、ドイツナチスの迫害もひどかったですね。
 そんなことを書いていこう。思えば、ドレフィス事件なんてフランスのことですね。

 とにかく、これが終われば少しだけ時間がとれます。これでいくつものことをやります。

 昨日は夕方5時30分に病院へ行きまして、予約してそのあと1時間後に義母の車椅子を押して出かけたものです。

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 雪が降っていますね。「雪だ」という声で、私はドアがら外へ出て、雪がけっこう降っているのを眺めました。
 やはり私には、子どものときの雪国の思い出が心の奧底にあるのですね。雪を見ると、何故か嬉しくなります。いつも子どものときの札幌と秋田の雪の光景を思い出してしまいます。
 思い出したのですが、私は札幌で「げんば坂(ええと漢字ではどう書いたのか判りません)」というところによくスキーに行っていました。たぶん、小学生1年と2年のときかなあ。その前の幼稚園の時にも行っていたのかもしれません。
 私の住む札幌市南8条西14丁目(だったと思いますね)の自宅から20分くらいのところにあったげんば坂というところにスキーをやりに行きました。もちろん自宅の近くでもスキーはできるわけですが、やっぱり坂のあるところが嬉しいのです。
 それで、このげんば坂と言われるところに、私一人で遊びに行っていました。弟はまだ小さかったし、兄はまったく私とは遊びませんでした。
 母がいつも心配していましたが、いつも元気にスキーをかついで急いで行っていました。多分毎回暗くなる頃家に帰っていました。
 雪の降るのを見て思い出したものです。

 思い出せば、鹿児島で小学校6年の1月か2月にも、きゅうに大雪になったときに、スキーを出して外でやったのを覚えています。鹿児島の人はスキーをやる子どもを見るのはまったく珍しいことでしょうから、道行く人は私のスキー姿をよく見ていたものでしたね。

08020302 ちょうど1時間くらい前に、長女夫妻の家へ行きましたら、ポコ汰がフジテレビの『ゲゲゲの鬼太郎』を見ながら、音楽に合わせて身体を左右にふるわせて躍っていました。「外に雪を見にいくか」と言いたかったのですが、ポコ汰はまだ無理ですね。まだ歩けないし、そのときはまだパジャマのままでしたからね。
 こうした雪の中で、雪だらけになったポコ汰と遊べるようになるのは来年のことかなあ。

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