将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:青砥藤綱のこと

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 私は先ほど『「蕪村俳句集」76』で青砥藤綱のことを書きました。与謝蕪村も書いていたのですね。私は以下に書いています。

  2011年06月09日青砥藤綱
  2006年11月18日青砥左衛門藤綱のことで15091405
 この青砥藤綱の出来事は鎌倉時代の話ですが、河竹黙阿弥の「白浪五人男」にも書いてあるのです。
 これに関した碑が「浄明寺5-2-451の邸宅の南東端で,青砥橋を渡って20メートル進んで右側に建つ」ということなのです。前にも書いていているのですから、今度こそ行ってみましょう。15091406

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   丸山主水が小さき亀を写したるに賛せよとのぞみければ、仕官県命の地に営利をもとめむよりは、しかじ、尾を泥中に曳(ひか)んには
380 銭亀(ぜにかめ)や青砥もしらぬ山清水(安永七〜天明三)

381 二人してむすべば濁る清水哉(安永六)

382 我宿(わがやど)にいかに引くべきしみづ哉(安永六)

383 草いきれ人死居(しにゐ)ると札の立(たつ)(安永六)

384 昼がほやこの道唐(たう)の三十里(明和三・六・二)
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 380の丸山主水って円山応挙のことなのですね。
それに青砥って、青砥藤綱のことなのだ。鎌倉を歩くと、いつも青砥藤綱のことを思い出します。この藤綱のやったことを今でもちゃんと理解できない人がいますよ。鎌倉時代にも無駄な銭失いといい、そして21世紀の今も同じことをいう人がいます。もう私はこうした愚かな人にものを言う気にもなれません。15091403

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