11011301 ちょうど私のホームページが正式オープンから丸三年が経ちました。そしてなんとなく、今の私には、私のホームページ作成への「飽きがきた」ような感じを持ってしまっています。私自身が他人の目で、私のホームページを眺めたとすると、3年も見てきましたから、なんだか飽きてしまったのです。だが、私はこの私の「飽きた感じ」をどうやったら突破できるのかを真剣に考えています。
 私は詩吟を長年やってきました。21歳のときに「日本國誠流吟道会」という流派に入会してからずっとやってきたわけですが、その間にも、私の後輩である方々が、ある期間をすぎると、飽きてしまったのか、お稽古をさぼりがちになり、やがて詩吟そのものをもやめてしまうのを見てきました。「お稽古ごとというのは必ずそういう時が出てくる」と、私の詩吟の宗家も言っています。
 また、会社(単に職場と言ったほうがいいかもしれません)に勤めても、一定の期間が過ぎると、どうしてもその仕事に飽きたのか嫌になったのいか、やる気を失ったり、あげくのはては会社を辞めてしまう方を見かけます。
 このようなことが、人によっては1年くらいできたり、さらには半年とか3カ月で訪れてしまう方もいます。そしてそれをずっと繰り返してしまう人がたくさんいます。
 詩吟のお稽古でも、職場でも、私は上のような傾向のある人は器用な人が多いと感じています。逆に不器用な人ほど、なんだか苦労はしているのですが、やがて大成できる方が多いように思います。
 私の宗家が自分でお弟子さんをとりだしてから、大勢のさまざまな方と私は一緒に稽古してきました。その中で、「もう、この人は、本当の音痴じゃないのか。もう詩吟は無理だよ」、「どうしてこの人はあんな小さい声しか出ないんだろう。これは資質だから、詩吟なんかやめたほうがいいのではないかな」なんて思ってしまう方が何人かおいでになります。でも、そういう方が2年くらいすると、私の見識が間違っていたことが見事証明されてしまいます。同じ人の声かと思うくらいに上達されるのですね。
 逆に、最初から声が良くて、しかもカラオケなどで慣れているのか、とても器用に詠えるかたがいます。また他の流派で詩吟をやっていた方なんかは、いわば簡単に吟ずることができます。私も最初の頃は、こういう方たちを宗家に対しても、「あの人は上手いね、もう少し練習すれば、もっと上手くなるんじゃないかな」なんて言いまして、上の不器用な人への見解とはまったく逆なことを言っていたものです。でも、宗家はむしろ私とは反対の見解なのですね。そしてその宗家の判断の正しさが1、2年あるいは3年で証明されてしまいます。器用な方々は、全然上達しないか、そのうちやめて、また別な声を出すお稽古ごとに行ってしまうようです。
 職場でも同じなのです。私はたくさんの人を使ってきましたし、今もいくつもの会社の役員をやっていますから、たくさんの方々を見ています。面接で、「これはできる人みたいだな」と判断して、そして採用して、「やっぱり私の目に狂いはなかった」と自分を誉めていても、それが3カ月、半年たつと、もう全然進歩しない相手に、いらだつ自分を感じてしまいます。そしてそういう方は、自分は「なんでもできる」と錯覚され、もっと高度な仕事やりたいと思われるのでしょうが、実は簡単なことを素速く適確にやれるということさえまったくできていません。むしろ、不器用な方のほうが、だんだんと変わっていきます。今では、私は一見器用な人は会社の採用のときに信用していません。だから器用な人は、それこそ心して努力するようにしないと実に不幸なことになると思いますよ。
 私はパソコンもホームページ作りも、けっして得意ではないし、器用ではないから必死にやってきました。それでも、同じことばかりやっていると飽きてきます。とくにホームページ作りは、けっこう同じことの繰り返しですから、簡単にできてしまい、そこで自分自身で、飽きがきてしまうおそれがあります。 私はこれを避けるために、いくつものエポックとでもいうようなことを用意実現してきていました。

  アクセス数を伸ばすために、毎日更新することと、できるだけ、さ
  まざまなところに登録すること。
 自前のドメインとサーバーを持つこと。
 自分でCGIのページを作ってみること
 英語版とiモード版を作ること
 メールマガジンを継続して発行すること

等々という具合です。こうして、私にとって、私のホームページ作成のエポックを設定して、そのつど必死にやってきました。
 でもその私にも、今自分のホームページについて飽きを感じています。さてさて、次なるエポックをどう設定するのか、今必死に構想しているときです。(2001.10.01)